No.14
- 回答日時:
No.4です。
★(No.4お礼欄) 非行非善の文は歎異抄にもあって、読んだことがありますが、これだとやはり「他力」そのものになりますね。
☆ そのとおりなのですが どうも
○ 自力と他力
☆ について誤解があるのではないでしょうか?
親鸞あるいは信仰において他力と言えば 絶対他力しかないですよ。
もし人任せだとか成り行き任せという意味で他力を使うならそれは 自力と同じ次元にある別の他力です。
絶対他力のもとでは 自力は自由におこないます。人一倍努力する場合もあれば そして確かにすべてを――人事を尽くすことなく――天命に俟つという場合もありましょうが 後者の場合においても ふつうに生活をしています。その限りで 自力においても生きています。
あるいは こうです。絶対他力のもとにある者が 聖道門の自力の修行をも併せて徹底的におこなう。こういう場合もあり得ます。
問題は その場合 自力の努力は言わば趣味でやっているのであって 自分の心の燈心が火をともすための努力でもなければ縁(よすが)でもないとはっきりしているということにあります。
自力によって――科学の認識とその合理的な政策や実践をとおして――世界に光が差して来て明るくなることはあります。
けれども おそらく科学の力やその他もろもろの修行としての自力によっては おのれの心の燈心が火をともすことはないでしょう。したがってそれは 絶対他力によるという見方です。
(つまり 科学や自力修行の場合には ほんとうは自灯明として生きることを目指していません。
科学は そんな心のことは ないがしろにしないとしても 探究の対象としていないでしょう。しても その分析や検証のみでしょう。
修行の場合は そうではないと返されましょうが じつは 目指しているかも知れないとしても それに到ることが出来るとは思っていないはずです。一生のあいだ近づきつつありますと言っており努力をしているに過ぎません。言いかえると 気休めとして実践していると言ったほうが 分かりやすいと思われます
浄土門あるいは 即身成仏というならその道では すでに彼岸に到ったと宣言しています。すでに向こう岸ではなくなっています。それだけではなく すでに成仏できたないし往生が成ったというところは 出発点だと言っていますし そこから いま・ここで・わたしが 出発しているというものです。根本的に違うと言わねばならないでしょう)。
その意味で 自灯明も法灯明も それだけでは 何を言おうとしているのか さっぱり分からないと言うべきではないでしょうか?
自灯と言えば 分かったようになるかも知れませんが ではどのようにすればその心の燈心に火がつくのか?
それは 法灯によるのだとしますと では 法とは何か?
おそらく堂々巡りではないでしょうか?
法が分かったとしても それに到るには聖道門か浄土門かといった議論にまた行き着くのが 関の山です。
>目指しているかも知れないとしても それに到ることが出来るとは思っていないはずです。一生のあいだ近づきつつありますと言っており努力をしているに過ぎません。
これは大乗でいう「菩薩」のことですね。すごく腑に落ちる回答です。これで納得いきました。ありがとうございます。
No.13
- 回答日時:
神仏を習合させた
天皇を通してその向こうに天照大神を見ている太陽信仰ってところでしょうか
ただ天照大神を信仰していれば救われる
っていうのが浄土系の教義だったってことなんでしょうかね
唯一神教と同じじゃないんですか?
・
No.12
- 回答日時:
ANo.7:書き忘れ補足:
自己。egoがそうだと思っているか。
egoは一定の意識の経験や知覚の内容、結果にすぎないし、実在の写した影だと私たちは観ています。
そして本当の主格は人間という一体的存在をだという認識です。
しかもこれは宇宙の主格の一つの形態(無形象の)であると認識しています。
これが経験ということにより紡ぎ出しているのが創造だという認識です。
egoは錯覚の自己である、ということです。
従って、「法灯明」たる「自灯明」であり、「自灯明」たる「法灯明」という意識で精進し生活するし、地上の人生をそれで終始するための技法、修法を行じております。
さまざまならーじのヨーガがあるでしょうが、私は縁あってhttp://www.yogananda-srf.org/に40年前から
喜びを戴いております。
不思議なことに私が小学校や中学で考え思っていたことと同じ事をグルがおっしゃっていて、全く違和感がなく、私の考えだと思ってくることばかりです。
何か無言の中に地上と天界の間を通って伝えて下さっている感じです。
日本にもみんなで支えているこの会があります。
http://www.srf-tokyo.org/srf_lessons.php
http://www.srf-tokyo.org/tokyo_group.php 一応、ご参考までに。
No.11
- 回答日時:
;誰が何と言おうと阿弥陀様に救われことを信じて行け
;神話を前提とするアブラハムの一神教とは根本においてまったく違うと思えます
阿弥陀様ってどんなものなのでしょうか
無限の光をもつもの?
無限の寿命をもつもの?
太陽信仰みたいなものなのでしょうか?
・
No.10
- 回答日時:
原始仏教の経典をお読みになったことは、ありますか。
スッタニ・バータやアーガマ等の経典のことです。
浄土真宗の教えは、ブッダ=ゴータマの説いた教えとは違うものです。
ブッダ=ゴータマの教えには「他力本願」などは想定されておりません。
ブッダは、さとりを得る方法は2つあると言っています。
1つは、ゴータマと同じく1人で修行し悟りを得る(独覚)ものです。
もう一つは、サンガ(出家集団)に属しブッダ=ゴータマの指導の下、悟りに至るというものです。
「自灯明」だけではなく「八正道」を実践せよとブッダは言っていますが、浄土真宗ではそれだってする必要を説きません。
ただ、弥陀の本願により成仏できると説いています。
浄土経典というのは、大乗仏教が中国に伝わってから編纂されたといわれています。
個人の解脱を目的としたものではなく、大衆を救済するために作られたものなのです。
ブッダ=ゴータマが説いたものではありません。
、
優劣は別にして、別の宗教だと思ったほうが混乱しないでしょう。
大乗非仏説からのアプローチは必ずあると思っていました。
なるほど確かに大乗経典は釈尊の直説ではないかもしれませんが(本当はこれも口伝というものの力を軽視しすぎだと思いますが)、だからといってyuimakoziさんのおっしゃる上座部的な思想が仏教の正統という考え方にも私は疑問符を付けます。
釈尊在世時にも出家しないまま仏教に帰依した者は多数おり、釈尊は彼らをも無視しませんでした。であれば、修行も出家もしない在家でも仏教の恩恵には与れるはず。上座部のような出家至上主義になってしまったのは、第一回仏典結集が在家信者を交えず大迦葉らの阿羅漢によってのみ行われたため、彼らが優越する内容が正統とされてしまったと考えます。
したがって、上座部も釈尊の真意ではありえず、経典自体は後世の創作だとしても大乗こそが釈尊の精神を受け継ぐものだと考えています。
No.8
- 回答日時:
善き人になろうとして最善を尽くしても、
見方を変えれば悪行を犯したとも考えられる。
念仏を喜び、信心を持とうとしても、
本願を疑っている自分も居る。
自力の無力さと矮小さに気付かされ、
何も出来ない自分に出会う為には、
とことん努力する必要があるんです。
自力の業が尽き果てるまで努力しないと、
本願の有り難さは判らないんです。
祖師親鸞や、妙好人と呼ばれる先達を手本に、
自己と言う地獄を、念仏と共に生きる。
これが我ら門徒の生き様って奴です。
自力じゃダメだ、限界がある、と気が付くまでとことんギリギリまで自力でやってみるというわけですね。その果てに他力の境地がある──なるほど!
No.7
- 回答日時:
agripapaさんのANo.6にやはり一票か。
親鸞聖人さまの論理やタームの後付けなく、門外からの参考を書かせて下さい。
50年前、心身の調整のためにハタ(ハサ)・ヨガなどを閑院さんのところで本格的なことをやっていた時、ラージャのヨガに出会い、40年ほどやっています。
親鸞聖人さまは倉田さんや吉川英治との60年前の出会いしかありません。
60年前は不肖は中学を卒業を控えていた時期でまだ読書としては下村湖人くらいしかしていませんでした。
高校に入り、転校して年長の民衆の哲学者と同級になり、道元や増谷さん、山田霊林さんなどの著作も交えてよく話題にして多少、夜中の東京下町の巷を散歩し飲み歩きました。不謹慎です。
自力、他力は門外で生き方を模索する高校生にはとっては相対的ないい方でしかないのではないかと思い続けてきました。
修行というか模索というか、これは所詮、自力。自己と終局・究極との関係でしかない。
この自己をどう把握できるか。そのことに対する見えざる導きにどう出会えるか。
自己としてのこういう修行や模索はどうしても他力、つまり全面的に委ねるということでしかない。
実践上の自力とは他力であらざるをえないし、同時に他力とは自力以外にはない、という実感で今もラージャのヨーガに在家で拙く行じています。
他力は泳ぐものが水を邪魔にしない、水と喧嘩もしない。しかしそこに自己を喪失しない。水になって水になりえない。
水にまかせるが水とは違う。どこまでいっても水になれない。
ラージャのヨーガもそこでegoが水にならない。
もともと神の全宇宙自身である自己というものに気付きそうなってしまう。
そういうことですが、水ではない創造界という下界、地上界は残る。
そしてそれが透き通り、宇宙という神の界の写しを乱さない、波立てない。ということなのだと存じます。
そういうプロセスと結果の状態は自力と他力が区別がない。
自力のない他力はないし、他力のない自力はない。
私たち、ラージャのヨーガのdevoteeは最初からその間(かん)の緻密な区別をつけないで行じております。
しかし、常に大きな関心を以って自己とは、そしてその根源は、更に宇宙と自己のほんとの主格を見つめています。
だから自力であり他力、他力であり自力です。
大事な友人の民衆の哲学者が卒業とともに人生の放浪に出ます。一笠一蓑一杖の人生。
そのときの私の寂寥感と路頭に迷う気持ち、人生がまっくらです。アーナンダ(ヨーガでは普通名詞です、名前の後の部分です。至福にあるものという意味です)様が釈尊別れるお気持ちがとてもよく判ります。
そして釈尊が敢えて口にしたのかどうか、おことばがアーナンダ様にどう響いたか。
釈尊のことばは同じ言葉でも、それを文字にしたとしても、私たちのことばとは違うでしょう。
釈尊の言葉をこの日本語で或いは、英語や漢文でその力ととともに再現し伝えることのでき人はいるだろうか。
そういう言葉が残っているか。いや釈尊は言葉で伝えたか。私は疑問です。回答の難しさはここにあるのでしょう。
私は、後世の、非常に高度な解釈と指導だと存じます。
釈尊は言葉以外で導いています。
私には導きは内面での導きしかあまり意味がない、つまり自力界の導き。
導きとはそういうものでしょう。
釈尊はアーナンダに別のことも内面から言っております。敢えて異端となれ、我を越えていけと。我を思うなら我を越えろと。そこに我がいると。
そういう他力界からの自力の導きを釈尊がしていると存じます。
門外からご参考までに。
非常に哲学的な回答をありがとうございます。
禅という自力行を極めた一休禅師が最後に辿り着いた境地は親鸞哲学であったというのは我々門徒にとっては心強い話なのですが、貴回答を読ませていただいてそのことを思い出しました。
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