プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

 歌詞に「墓の中に私(故人)は眠っていない」というような趣旨の一節がありますが。私はこれに強烈な違和感を覚えます。去年の4月に80歳で父が亡くなりました。棺桶を前に最後の別れを行った瞬間、火葬が終わって骨壺に骨を収めた瞬間、その骨壺を納骨の日に石材屋さんに墓石の下のスペース(私は見るのは初めてでした)に納めてもらった瞬間。どれも鮮明に覚えています。
 お墓参りをする習慣が根付いている日本人として、墓の中に故人が眠っていないというのは、不自然きわまりない考えかただと私は思います。超能力ブームでユリ・ゲラーがスプーンを曲げているのを信じるのと同じぐらい不気味な感じがします。ある種のオカルト・ブームのような…。

 こういった意見というのは、本などで発表されたりしているのでしょうか?Wikipediaによれば

『万の土になった~お墓参りに行こう~』 王様 というアンサーソングがあるらしく、なんとなく内容が私の意見と似ていそうな感じがするのですが。知っている方はいらっしゃいますでしょうか。

ついでに言うと「トイレの神様」もいやな歌(オカルト・ソング)だと私は思っています。

A 回答 (2件)

そりゃ誰だって亡くなれば骨になって物理的にはずっとお墓の中ですよ。

物理的には。でもあの歌は、暗いお墓の中じゃなくて、空のような明るい場所から生き残った人たちを見守っていますよっていう歌だと思います。亡くなった本人にとっては、暗いお墓に(閉じ込められて)いるんじゃなくて、自由に空の中にいるから寂しくないよっていう思い。残された人にとっては、いつも空から見守っていて欲しいという思い。つまり、気持ち的には、暗く陰気くさいお墓にいると考えるよりも明るく広い大空から見守っているととらえる方が楽になれるし、前向きなとらえ方だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

前向きなとら方ですか。たしかにそのとおりですね。なんか、私の質問の本当の意味に真っ正面から答えてもらって、嬉しいです。

質問する前は鬱屈とした気分でしたが、sayacakeさんの回答を拝見してなんだか明るい気分になりました。

お礼日時:2011/12/26 16:31

オラは、墓石の下にあるのはただの骨だと思うよ。



日本の文化としては地域や宗教によって異なるものもあるかもしれないけど、

仏教においては「あの世」というのは墓石の下にあるものじゃないと思う。
お墓はあの世への通り道というか架け橋みたいなものじゃないかな。

仏教における輪廻転生の考え方からすると、人間は死んだ後は土になるかもしれないし、
植物になるかもしれないし、動物になるかもしれないというのもありかな。

実際、燃やした肉の一部の元素は、空気中に放出され、植物に取り込まれるかもしれないし、
その後動物の一部となるかもしれないし。

あの歌は、(歌い方も、メロディーも)嫌いだけど。

ついでにトイレの何チャラも(本人には悪いけど)、ありがちな歌だね。
ありがちだから、共感する人が多いのかもしれないけどね。

世の中を穿ってみてしまう私だと、
「ああいうの作れば売れる」と頭の隅でちょっとでも思ったなら、絶対作れないはずだって
思っちゃうんだよね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね、たしかに骨は骨、カルシウム(でしたっけ)でしかありませんものね。
最後の一節がたいへん参考になりました。作る側も(たぶん受け取る側も)も思いは一途で純粋なのかもしれませんね。

お礼日時:2011/12/26 16:23

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!