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「Wikipediaは証拠にはならない」という意見があるのですが、本当でしょうか?

つまりwikiに書かれている歴史問題、領土問題、国際問題の経緯や年代、数値データ、などなど。どれもが嘘かもしれないので、信用ならないということになるのでしょうか?


私は、wikiの内容に反論出来るか否かで、信憑性が分かれるものだと思っていました。

しかし「誰もが編集できる状態で証拠になるはずもない」という意見も理解できました。


お願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

Wikipediaは誰が書き込んでも良い世界です。


ネット使える人の全員民主主義社会。
収束するなら良いけど、喧嘩になることもあり。
私も過去に喧嘩しましたから。
参考にはなるけど、おかしいと思ったら、他で自分で調べることが必要ですね。

もう一つ、Wikipediaの書き込みルールの一つに、「正しいこと」、では無くて、「検証可能なこと」というのがあります。

文献その他で検証できることを書いてください、って世界です。記載してあること、そして記載しようとしていることが、正しいか、真理であるかどうかは求められてません。

例えばある有名な学者が、ある論文を書いて、後で自分でそれが間違いだったことに気づいても、公式に発表する前にWikipediaに書き込んだら、それはルール違反になります。

自分が正しいこと、真理であること、を述べたいと思ったら、自分でHPを開設するなり、他者で自分と同じ考えを持つ人のHPやブログで書き込んでください、ってことです。

そして、最初は面白がって書き込んでた人も、この論理に合わない人を理解した人は、「引退」せざるを得なくなります。
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この回答へのお礼

なるほどありがとうございました。

お礼日時:2012/03/07 23:04

証拠といいますが、どういった場合の証拠を


想定しているのでしょうか。

裁判の場では、無理でしょうね。

学術の場でも、おそらく無理だと思います。

でも、知ったかぶりや、ネットでの議論程度なら
証拠として使っても良いと思います。
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この回答へのお礼

そうですね。一応ネット上です。

もちろん裁判では論外だと思います^^;


ネットでの議論については、結構適当な感じになってもしょうがないのですかね。

お礼日時:2012/03/06 21:09

> 「Wikipediaは証拠にはならない」という意見があるのですが、本当でしょうか?



何に使うための証拠とするかによっても違うように思いますが、通常の議論のベースとして見た場合、「出来る限り元ソースにあたること」という原則というか暗黙の了解があります。

例えば、GDPなどの統計数値でも誰かの発言でも、wikiに載せられているのは基本的に元データが存在するものだけです。
したがって、何らかのフォーマルな場に証拠として提示する際、wikiではなく元ソースを提示すべきです。例えばGDPなら内閣府経済社会総合研究所、何らかの統計数字なら統計を発表している官公庁、誰かの発言なら例えば国会の議事録などです。


因みに、誰でも編集できるということが「証拠として挙げるためには不十分」な条件ではありません。署名等は、ある部分から先の正誤について責任を持つ、という程度の意味において重要ですが、署名があっても適当なものは少なからずあります。この点については#7等に既に指摘されていますね。

また、極端な話をすればネット上の情報についてはハッキング等により改竄が可能ですから、ネット上の情報は全て証拠としては採用できないことになります。
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この回答へのお礼

「例えば、GDPなどの統計数値でも誰かの発言でも、wikiに載せられているのは基本的に元データが存在するものだけです。」
>>そうなのですか。では信憑性は場合によって違ってくるのですね。証拠を提示する場合は元ソースで、まとめる際の参考はwikiと言う感じで良いのでしょうかね。どちらにせよ事実確認は必要ですが。

「因みに、誰でも編集できるということが「証拠として挙げるためには不十分」な条件ではありません。」
>>了解しました。

「また、極端な話をすればネット上の情報についてはハッキング等により改竄が可能ですから、ネット上の情報は全て証拠としては採用できないことになります。」
>>えっ。では私達が論争していることは一体…^^;
まあ極端な話なのでしょうね。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/06 16:22

参考にはなりますが、証拠にはなりません。


理由は質問者さまのお考え通り、誰でも編集できるからです。

編集合戦になっていたり、出典を求められていたり、自己研究を指摘されている記事を見かけることはありませんか?
また参考文献があろうとも、実は意図的な引用があったり、参考文献にその内容が存在しない可能性だってあります。

現在、論争になっていること、注目されていることなら、なおさらです。

僕が学生をやっていたころはwikiの存在すら知らなかったですが、今の学生はレポートの参考資料としてwikiを使うのは禁止されているところもあるはずです。

どれほど信用するかはTPOによりますね。
少なくとも仕事、学問においてはそのまま使える代物ではありません。
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この回答へのお礼

編集合戦はしているみたいですね。特に英語版wikiではしょっちゅうあるみたいです。

ではとりあえずwikiを使うなら最低でも下部の参考文献の確認をしてからの方がいいのですね。

お礼日時:2012/03/06 13:46

NO.5 です。


敏速なご反応頂きまhした。
補足要請のようなので

>応wikiでも参考文献一覧は、ページの下部に記述されています。
「それでも駄目」ということになってしまうのでしょうか?

参考文献一覧はその記事の新しさの確認が容易で、信頼性も高まり好感が持てますし、そこからわれわれが裏づけを取れるということで、手間が省けるという意味からも悪くはないと思います。ただ、そういった体裁だけにとらわれて、全体が信頼性が高いと判断するのは危険かもしれません。場合によっては権威付けだけのために揃えられた実質的な意味の少ないものなのかもしれないのです。


>そうでしたら、論争については参考に出来るが、事実確認をする上では弱い、ということなのでしょうか。

そういうことではなく、あくまで自分の責任で再使用する場合には、それをそのまま切り貼りをせず、署名のあるデータで確認をしなければならないだろうというのが私の主張です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど。理解しました。

参考文献も確認ということですね。

お礼日時:2012/03/06 12:56

私は、「参考にはなるけど証拠いならない」と思います。



参考文献が記載されている例もありますが、参考文献が全て正しいとは限りません。
反対の論拠がかかれた参考文献も調べる努力が必要です。
特に、歴史や領土問題など、複数の意見が対立している場合はなおさらです。
ある程度の検証は必要と思いますよ。

参考文献でもいいかげんなものもあります。
個人的な意見でごめんなさい。
以前にペットボトルのリサイクル問題を調べていて、
この問題で当時話題だったある本を参考にしてみました。
ところが、詳しい数字を知りたくて引用元の資料をみてびっくり、
自分に都合のいいところを書き換えて結論を導いていました。
現在も、その著者が原発関係の著書を乱発していますが、
私は一切信用していません。

Wikiの端的な例として、現在の韓国版Wikiでは、
第2次大戦の韓国は連合国側になっています。
おかしいと思いませんか?
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この回答へのお礼

なるほど。

では具体的な数値も嘘の可能性が十分にあるということですね。

連合国についてですが、確かにそうですね。
ちなみに日本語版でも韓国は連合国側になっていますよ。

本当のこともあるし嘘のことも・・・ということでしょうか。

お礼日時:2012/03/06 12:51

客観的な根拠が提示されている場合は、一定の信憑性はありますが、



> ただ、
> 1.誰が書いたかが分からない(文責なし)
> ですが、一応ページの下には、参考文献一覧が記述されています。
> 「どこどこからもってきた情報」ということでも、嘘の可能性は高いのでしょうか?

こういう場合も、単純に嘘だったり、参考文献を(場合によっては意図的に)曲解していたりって事もあります。
所詮は、匿名の参加者のやる事だって割り切っとくのが妥当です。
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この回答へのお礼

了解しました。

では自分で参考文献そのものを辿って確認した方がいいのでしょうかね・・・。

お礼日時:2012/03/06 12:49

>「Wikipediaは証拠にはならない



「ウィキにこう書いてあったから、ぜったいそうなんだ、」というような主張は、私はできません。知人とのくちげんかであっても、自分の人格を賭けた文章論争だったら、やはりそれだけでなく、そのもとになった出版物資料にもあたってそこそこ裏づけをしておくほうが、つまり、最低でもそれぞれの項目に著作者の署名のある、たとえば「平凡社の百科事典にはこうあった」というほうが、何らかの出版社サイドののチぇっクがはいっているだけ信頼性は高くなると思います。参考程度にするほうがいいと思います。

>wikiの内容に反論出来るか否かで、信憑性が分かれるものだと

もちろん自分自身が疑問を持つということは大事ですが、それだけの見識があれば少なくともその項目のウィキは不要だということもいえます。



私自身もいくつかの経験から、全面的にはウィキを信頼していませn。当然ながら数値データなどは、必ず公的な資料を見なければ自分のレポートには使えないと思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

一応wikiでも参考文献一覧は、ページの下部に記述されています。
「それでも駄目」ということになってしまうのでしょうか?


そうでしたら、論争については参考に出来るが、事実確認をする上では弱い、ということなのでしょうか。

お礼日時:2012/03/06 11:54

「No.1の回答者さん、御参考になさってください。


はいはい、「証拠にも実証にもならないが参考にはなる」回答でしたね。誰でも好きに書ける掲示板ですもの。Wikipediaと大して変わらないでしょう。
私の回答だって「参考程度にしかならない」ものです。

「証拠にはならないか」というご質問でしたので考えた中で最短の解を書きました。
なにも「Wikipediaは参考にもならない」とは書いていませんが ご質問は「参考にはなるか」という内容ではありませんでしたので そのあたりは書きませんでした。

ご参考まで
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この回答へのお礼

まあそう怒らずに・・・^^;

ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/06 11:22

参考にはなりますよ。



誰もが編集できるので嘘を紛れ込ませることが容易なのは本当ですが
だからと言ってすべての記事が誤っているわけではありませんからね。

政治や社会問題、思想なんかの項目だと特に評価や考えや解釈の違うもの同士の編集合戦になりがち、それにしたって編集の履歴が残りますから、論点・問題点が浮き彫りになる、というメリットがあります。

そういったことを考えて利用できるかどうかがリテラシーです。
中学生くらいだと自分の書いた嘘が未だ修正されていないからあんなものは信用できない、なんて得々と語ったりするかもしれませんが。

この回答への補足

参考にはなる、というのは、どういう用途で使用すればいいのでしょうか?

例えば歴史問題について事実確認をする場合、「wikiでは~という記述がある」という反論は、無効ということになるのでしょうか?

wikiはあくまで論争の場合のみ有効であって、事実確認の場においてはまったく活用できない、というふうに捉えても良いのでしょうか?

補足日時:2012/03/06 11:34
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この回答へのお礼

あらら、反論含まれてますね。
No.1の回答者さん、御参考になさってください。


とりあえず反論出来るか否かということで良いのでしょうか?
wikiの情報を出して、それはおかしいと具体的根拠をもとに反論が出来ればwikiが嘘になり、その逆は…、という。

有る意味論争の場所かもしれませんね。

お礼日時:2012/03/06 11:02

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