都道府県穴埋めゲーム

先日上野で葛飾北斎展を見てきて、芸術といった分野にもっとも疎遠であると自覚している私でも、かなり感銘を受けました。

しかしながら、日本の文化遺産であるはずのこれらの作品が、多数海外(欧州)にあることに驚きました。
ケルン美術館蔵とか、メトロポリタンとか。。

明治期の欧州志向時に、日本の文化は低いと思い込んで低価格で外国人に売っ払ってしまったのでしょうか。
今更こういう事実を知って恥ずかしいのですが、とても残念でなりません。。。自業自得といえばそうですけど。

調べてもイマイチ分かりませんでした。
なぜこういう事態になったのか、もちろん北斎以外の、素晴らしい日本の伝統芸術作品も海外に多数流出していることでしょう。

お分かりの方いましたら、解説くださるとありがたいです。
どうぞよろしくお願いします!

A 回答 (8件)

日本文化の海外流出の機会は明治初期と大戦後の2度ありました。



浮世絵は本来庶民の娯楽手段でしたが、一部の好事家で浮世絵の技術を好んだ人が蒐集や保存していたものが、幕府崩壊で扶持を失うとか生活に困り、手なばしたものが海外に流失したので一流の物や大部のものがさらに取引されて海外美術館の所蔵となったのです。
この時大部の春画集なども流出しており研究家などは海外の資料に頼らずにはおられません。
また廃仏稀釈で江戸時代、幕府により保護されてきた仏教を排斥し神道に傾斜する気運から寺院に弾圧があり、生活に困った僧侶が寺の財宝を処分した為、貴重な文化財が流出したこともあります。

2度目は敗戦後の華族や有資産家の生活苦から資産の分売が起こり、この時も色々な文化財が流出しました。
現在一部については日本の美術館などが買い戻しの行動を起こしていますが何分高価な為すすんでいません。
浮世絵の東洋的画法に注目しモネやゴッホが模写や画題に取り入れた事は有名です。

ただ海外で美術館という公共施設で鑑賞する事が出来ることは私蔵されるよりは有益と考えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

とても分かりやすく説得力のあるご説明感謝いたします。
興味深く読みました。
廃仏稀釈とい運動(?)があったことも皆様の回答を読んで初めて知りました。

そうですね、唯一の救いは公共の施設に展示されてることでしょうか。
でも日本にもなんでこの有名な作品がここに!?というのも見受けられますしね。

ありがとうございました!

お礼日時:2005/11/03 00:36

No.6ですが補足します。


芸術品は理解があり&価値に見合う対価を払える人=金持ちのところに収まる。

1ドル当りの為替レート(カナリ大雑把です)
1862年:1円
1944年:10円
1945~1949年:15円から1000円強 ← この間大量流失
1949年4月以降22年間:360円

終戦を挟む数年間は外国の日本美術品愛好家=収集家にとっての大バーゲンセール期間となった筈で、海外流出は至極当然の結末です。この間は国内収集家が対抗できません。

バブル時(1989年頃)に成金趣味の日本が諸外国の美術・骨董品(ガラクタ含)を買い漁ったこともありました。↓
http://nb.nikkeibp.co.jp/nb/magaz/kouhyou/990628 …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほどなるほど、経済的観点から見ても、海外流出は避けられない事態となったのですね!
参考HPも見ましたが、頭がくらくらする金額ですねぇ~^^;

参考になりました、ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/03 00:31

1947年(昭和21年)11月、戦後の財政の行き詰まりを打開するため、GHQの指導に基づき、政府は、「財産税法」を制定して、財産税が徴収されることとなります。



財産税は、10万円以上(今の価値に直すと約5000万円以上)の財産を保有する個人に課せられ、税率は次のとおりでした。

財産税の税率 財産額 税率
10万円を超える金額 5%
11万円を超える金額 30%
ー中略ー
500万円を超える金額 85%
1500万円を超える金額 90%

すなわち、膨大な資産を持っていた華族達は、全財産の90%近くを税金として支払う必要がありました。戦後の混乱期とはいえ、個人財産の約9割を取上げる累進課税は、過酷だと思います。

現金で支払うか、物納するか、利息を払って延納するか?

広大な屋敷、別荘、土地、先祖伝来の絵画、掛け軸などの骨董品を直ぐに換金することは出来ません。

多くのケースで、財産が物納されました。
物納された骨董品の買い手は、日本国内には、いません。
国宝級の美術品が、「海外に流出」していきました。

↑とあります。
http://members.at.infoseek.co.jp/J_Coffee/tsure2 …
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明治の日本が、西洋文化にあこがれ日本の文化は低いと思っていたのは、事実のようです。


江戸時代は、浮世絵は、庶民的な安い絵でした。版画、であり大量生産出来ますし、海外に流失して海外の有名な画家は、自分たちのやっていた油絵とは、まったく違った絵を見て強く影響を、受けました。(ゴッポ、モネ等)
日本の絵が、海外に行ったのは残念なことですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

海外流出といっても版画でしたら量があるのでまだ国内にも存在しますが、絵画や陶磁器などとなるとそれ1点しかない貴重なものですから、流出は残念なことですよね。。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/03 00:26

 こんにちは。



 「葛飾北斎」ということは、浮世絵ですね? 
 浮世絵は大抵版画ですから、同じ絵が何枚もあります。個人所蔵のものや博物館所蔵のもの色々あります。貴方がご覧になったのがたまたま国外に流出したものだったのですね。同じものを、日本のどなたかが個人で所蔵されてることもありますよ。それを借りてくるわけにもいかないので、メトロポリタン所蔵だったんだと想像します。
 画家のモネは浮世絵が好きで、個人でコレクションしていましたね。
 あと、ゴッホも好きだったみたいですね。彼の絵の背景に浮世絵が飾ってあるところが描かれていますから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>浮世絵は大抵版画ですから、同じ絵が何枚もあります。

なるほどそうですよね、私はこれこそがあの作品か!!とモナリザを見る思いで見たのですが、それと同じ絵が何枚も残っているとは。。
個人所蔵で出ているのも結構ありましたが、そういうことでしたか。

ありがとうございました!

お礼日時:2005/11/03 00:22

 もともと浮世絵は現代で言うところのチラシや折り込み広告みたいなもので庶民でも気軽に楽しめる娯楽品でした。

海外向け輸出品例えば、陶磁器などの包み紙にしていたことさえあります。それに芸術的な価値を認めたのが欧米人だったというわけです。
 廃仏毀釈のあおりをくらって仏教美術品が海外に多数流出しています。破壊された寺の蔵からも流出していますし、坊さんが金に困って売ってしまった品もあります。当時は仏像を芸術品として眺める習慣が無かったわけですから、信仰の対象でなくなったものはただの木像になってしまうわけです。
 芸術品というものは芸術を認める人間がいてはじめて成り立つといういい例でしょう。
 でも、まあ、ものは考えようです。浮世絵が印象派に影響を与えたり、水墨画がアールヌーボーに影響を与えてその成立に一役買ったとしたら、それはそれで愉快な話ではありませんか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね、ものの価値というものはそれを認める者がいて初めて成立しますもんね。
浮世絵の場合はそれが西洋人だったと。。

ありがとうございました!

お礼日時:2005/11/03 00:19

浮世絵は、元々、大衆のための大量生産の版画であり、芸術作品と認識されては


いませんでした。
そのため、現在の古新聞と同じ感覚で、海外へ陶磁器を輸出する際の詰め物・緩衝材・包み紙と
して利用されました。
その廃物を目にした西洋人がその多色刷りの技術に目を留め、芸術品としてコレクター等が
現れました。
海外で価値が出た事により、ようやく本家の日本でも芸術価値を論ずる風潮が産まれたと
いう歴史を辿っています。

Ouroboros 英国博物館のストアを訪ねて
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/museum/ouroboros/04_ …

参考URL:http://www.um.u-tokyo.ac.jp/museum/ouroboros/04_ …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

浮世絵が大量生産の版画であるとは恥ずかしながら知りませんでした。。
でも常識的に考えてみればそうですよね。
絵のように一つ一つ創っていくものではないし。

URLもさんこうになりました。
ありがとうございました!

お礼日時:2005/11/03 00:16

浮世絵は、多くは大衆的なパスターやブロマイドのようなもので、けして芸術品として当時認識されていたわけではありません。

ですから、国内にあっても、保存がされなかったり、みやげものとして欲しがる外国人にも気軽に売ったのでしょう。外国ではめずらしいものですから、大事に保管されていたというわけですね。貨幣価値も違ったでしょうし…。ヨーロッパなどでは、世界の珍しいものをコレクションすることも流行っていましたからね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど、当時の価値観では芸術とは程遠いものだったのですね!

参考になりました、ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/03 00:14

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