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「結果を最高神に任せ執着なく義務を遂行する者は、罪に迷わない。あたかもハスの葉に水が触れぬがごとく」という言葉はどういう意味なのでしょうか?
Wikipediaなどには「後の仏教における「ハス」の象徴的用法と近いものを含む。泥から生え気高く咲く花、まっすぐに大きく広がり水を弾く凛とした葉の姿が、俗世の欲にまみれず清らかに生きることの象徴のようにとらえられ、このイメージは仏教にも継承された。」とありますが、よくわからなくて…

「~罪に迷わない」とは、善悪に縛られず目的を達成する、ということですか?格好良くはありますがそれがいいことなのかと考えると違うような気がします。それは宗教的にはどうなんでしょう。それとも私の解釈が間違っているのでしょうか。

自己解釈でいいのでお答え頂ければ助かります。よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

自己解釈で良いのであれば……。


自分が読んだ限りでは、おそらく「すべては神様が決めること。自分はそれに従うだけ」というスタンスの人は、たとえそれが犯罪であろうが躊躇しないということではないかと思います。

つまり、「強い信仰心を持つ人は理性に縛られない。ただ神のために生きること。それができる人は心が綺麗な人だ」ってことかと。

罪というのはおそらく殺人(宗教戦争が良い例)
欲というのはおそらく金儲けなど。戒律って奴ですかね。


あくまで自己解釈ですから、本来の意味とはかけ離れている可能性も否定できませんが……。
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これは、バガヴァットギーター5章10節の言葉ですね。


「罪」とは、一般に言う犯罪とかではなくて、
欲望や怒り、嫉妬などをさしていると思われます。

「善悪に縛られず」は、やや誤解されやすい表現なので、
あえて言葉にすると、選り好みをせず  ということかと思います。

「目的を達成する」も、「目的を達成するように努力する」という方が意味に近いと思います。
「結果に執着しない」ので、もし達成できなかったとしても、その結果を神に任せるということなので。。。

私たちが何かを行うとき、その結果にとらわれず、それを行うということに集中し、
その結果が、成功であっても失敗であってもそれを神の意思とし、
(私たちにとって一見失敗と思えることも、長い目でみたとき、それが良いことだったということが良くありますよね。神は何が私たちの成長に良いことなのか、過去や未来を知っているので、私たちが望む結果ではなくても、すべてをよしとして受け止めましょうということでは?)
何かに対して一生懸命ベストを尽くし、(=行為とその結果を神に捧げる)
結果にとらわれない人は、
欲望や怒り、嫉妬等をいだくことなく、心が平安で、
俗世間の中で生きていても、世俗に溺れることなく生きることができる
ということではないかと思います。

急いで書きましたので、説明が不十分かもしれませんが。。。

岩波文庫から、「バガヴァットギーター」という本が出ていますので、
一度全文を読まれるともっと理解の助けになると思います。
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お言葉に甘えて、勝手な自己解釈を。




「罪に迷わない」
  ↑
神の定めた罪と、人間が定めた罪は異なる。
だから神の義務を遂行する者は、人間が定めた
罪に抵触するかどうかと迷うことはしない。

ある意味やばい思想でもありますが、当時の
法は恣意的な悪法が多かったのではないか
と推測します。


(愛蓮説)
菊は花の隠逸なる者なり、
牡丹は花の富貴なる者なり、
蓮は花の君子なる者なり。
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(NO2です。

補足します。)以下は
「ハスの葉に水が触れぬがごとく」は、世俗に生きながらも、世俗に溺れないととることもできますし、
「行為をしても、その結果に束縛されない」と解釈することもできると思います。

(前者については、
たとえば人との交流をさけて森で一人静かに暮らすことでしか心を平安に保つことができないのではなく、世の中で仕事をし、普通の生活を送りながらも、心の清らかさを失わずに生きることができるという意味になると思います。)

バガヴァットギーターからの引用です。

「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ」  2章47節

「(行為のヨーガに)専心した者は行為の結果を捨て、究極の寂静に達する。専心しない者は、欲望のままに、結果に執着して束縛される」  5章12節

「たまたま得たものに満足し、相対的なものを超え、妬み(不満)を離れ、成功と不成功を平等(同一)に見る人は、行為をしても束縛されない。」  4章22節

「罪に迷う」は、やはり一般的な罪ではなく、
人間の内面的なもののように思います。
以下、引用です。

「あなたの知性が迷妄の汚れを離れるとき~」  2章52節
「懸命な人が努力しても、かき乱す諸処の感官(感覚)が彼の意を力づくで奪う。」  2章60節
「人が感官の対象を思うとき、それらに対する執着が彼に生ずる。執着から欲望が生じ欲望から怒りが生ずる。怒りから迷妄が生じ迷妄から記憶の混乱が生ずる。記憶の混乱から知性の喪失が生じ、知性の喪失から人は破滅する。愛憎を離れた、自己の支配下にあるかんかんにより対象に向かいつつ、自己を制した人は平安に達する。」  2章62~64節

なお、訳は訳す人によって微妙に変わってきますし、捉え方もひとそれぞれです。
何度も読んでやっとわかることが多いです。
それだけ深くて味わい深い内容です。
2章からが本題になっています。
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