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大規模集団戦闘において、一般的に包囲側が被包囲側に対して有利であるとされていますよね?
その理由の一つとして包囲側が被包囲側よりも数の上で優勢に戦えるという話をよく聞くのですが
小規模な戦闘においてはともかく、数千人規模の戦いにおいては戦線の長さは双方等しくなり、
数の優勢を得ることはできないのではないかと疑問に思うのですが、実際のところどうなのでしょうか?

有名なカンネーの戦いでも、ローマ側の陣形にもう少し空間に余裕があれば、
記録されているように一方的な結果にはならなかったのではないかと思うのですが。
あとはカンネーの戦い以外で包囲によって戦闘を有利に進めることができた例はあるのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

包囲された側は、物資の補給が困難になります。


そのため、戦いが長引けば、武器や食料不足から戦えなくなります。
特に兵数が多くなればなるほど、物資の欠乏が切迫します。

これは、戦術面での話しで、戦略面となりますと、話が異なってきます。

包囲軍を外線、被包囲軍を内線とよび、外線の場合、好きなところ、内線の弱い所を選んで攻撃できるという優位さがありますが、逆に、移動範囲が大きくなり、個々が各個撃破される可能性があります。

ナポレオンの戦いで、ガラタ湖畔の戦いというものがあります。
ナポレオン軍は3万で、対するオーストリア軍は、西から2万、正面から2万5千、東から5千、南に1万の計6万でした。
ナポレオンは、西の2万を破り、対で正面の2万5千を各個撃破して、勝利をつかみます。

ドレスデンの戦いでは、ナポレオン軍は、ドレスデンを中心に40万
連合軍は、南方に25万、東方に10万、北方に16万の計51万の兵力でした。
ナポレオンが出て行くと戦わずに退却し、別の軍がドレスデンに向け進撃します。
ナポレオンがいなくなると、後退していた部隊はドレスデンに進撃するといったことを繰り返し、急速な移動を強いられたナポレオン軍は、疲労から兵士の脱走がつづき、壊滅的損害をだしてしまい、敗退します。

内線、外線のどちらが優位だとはいえません。
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この回答へのお礼

なるほど参考になりました。
ドレスデンのお話も面白いです。

お礼日時:2012/05/01 04:12

 補足を受けて再回答します。



>一般的に『包囲された側よりも総戦力で劣っていても相手よりも多い数で戦うことができるから』
>有利であるという風なことが言われていますよね?

 相手より高い攻撃力を発揮できる側が勝つのであり、総戦力で勝っているかどうかは結果に直接結びつくわけではありません。兵士の数という名目上の総戦力ではなく、発揮可能な攻撃力という実質的総戦力が勝っているから包囲が可能になるのであり、包囲が実質的戦力の差をより拡大するのです。


>しかし白兵戦(投槍とか細かいことはなしで)に限定すると『ランチェスター第2法則的な数的優勢』
>が発生することはありませんよね?ってことを確認したかったのです。

 ありえないわけではありません。
 ランチェスター第1法則は、例えば10人対15人で戦うとして双方が一本の平均台の上で戦うとか、双方が横隊を作って激突するが全員が正面の一人しか攻撃できない(正面に敵がいない5人は何も出来ない)というような、現実にはありえない条件でしか成立しません。実際には余った5人は敵と対峙している味方10人を助けるべく行動し、この5人が敵を攻撃範囲に納めればそこで局地的に第2法則が成立します。同じ技量の剣士4人が1対3で戦い、しかも3人の側全員が敵1人を囲んで同時攻撃可能な状態ならば、そこに白兵戦であってもランチェスター第2法則が成立してしまいます。
 ランチェスター第2法則も、厳密には戦場にいる全ての者が全ての敵を攻撃できる場合に成立するもので、現代の火力戦であってもやはり現実には成立しません。
 ランチェスター第1法則も第2法則もどちらも極端な数式モデルであり、現実には白兵戦だろうが火力戦だろうが、その間の結果が生じます。ただ、大規模集団同士の戦いだと、白兵戦ならば局所的な第2法則の適用がしにくくなり、火力戦であれば個々の火器の射程距離等の制約から全戦力への第2法則の一括適用が出来にくくなるため、より第1法則に近い結果が出やすくなります。


>カンネーの戦いも現場を見た人間はいないのでなんとも言えませんがその説明は強引過ぎます。

 かなり強引に単純化している点は認めます。
 強引さという点では白兵戦ならばランチェスター第1法則しか適用できないというのと似たようなものです。
 カンネーの戦場全体を数式的に捉える方法としては間違ってはおらず、単純化して理解しやすくするという目的には合致したやり方と言えます。
 もちろん、この考え方が成立するには、騎兵がその力を存分に発揮できる開けた戦場である等の前提条件があり、すべての戦場にこの考え方をそのまま適用できるわけではありません。


>あの時代の突撃するタイプの騎兵は列を成して待ち構える長槍歩兵に対しては不利だったようなので。

 槍衾に対する突撃は自殺行為以外の何者でもありませんが、槍衾は槍を密集させなければならず、槍を密集させようとすると槍衾を作る槍部隊は他の方向へ槍を向けることが出来なくなります。そして、槍隊が攻撃をしようとすれば前進しなければなりません。前進するとどうしても無防備となった側面や背面が露になります。当時、すでにローマ軍はファランクスを廃止し、ケントゥリアやマニプルスといった比較的小規模な部隊単位での密集体形を採用していますが、戦場での機動力を持たせることには成功したもののこうした密集体形がもつ根本的な問題点は解決されていません。
 通常では無防備な側背を守るために長い横隊を作ったり、軽歩兵や騎兵といった支援部隊に守らせます。しかし、カンネーで包囲が完成した時にローマ側騎兵は既に壊走しています。包囲が完成しているということは、全周囲に敵がいるということであり、無防備な側背を晒す事無く目前の敵に向かって攻撃をすることは不可能です。No.3で説明した二重丸のモデルのような状況が再現されてしまうわけです。
 積極的に攻撃できない以上、あとは敵の圧力に負けてじりじりと自陣中心に向かって後退していくしかありません。自陣内に多少の空間があったとしても、その空間が圧迫され消滅するのは時間の問題です。

 あと、当時のローマ軍の槍がハスタ(片手で扱える2mくらいの槍)やピルム(2mくらいの投槍)であることやその使い方も考慮したほうがいいかもしれません。

 いずれにせよ、騎兵が重歩兵に対して無力であったかのように考えるのは不適当です。「騎兵は歩兵のおよそ10倍の戦力」という戦力比は、火器が普及する前の古今東西の戦場を通して言われる経験則であり、騎兵がその機動力を発揮できないような状況にでもならない限りは安易に否定できません。そして、カンネーの騎兵は実際にその力を存分に発揮しています。
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この回答へのお礼

>>しかし白兵戦(投槍とか細かいことはなしで)に限定すると『ランチェスター第2法則的な数的優勢』
>>が発生することはありませんよね?ってことを確認したかったのです。

>ありえないわけではありません。

互いの戦力が大きく且つ陣形に大きな乱れが発生していない場合において、
という条件(局地的数的優勢が小さくなるため)が必要ですね、失礼いたしました。

お礼日時:2012/05/06 23:38

 No.3および6で回答したものです。


 一つの質問にあまり何度も回答したくはありませんが、ひょっとして私自身が質問の趣旨を間違って理解していたか、それとも上手く伝わっていなかったのか・・・少し気になったので再回答します(しかし、多分これで私からの最後の回答になると思います。)。


>実際はたくさん動いて連絡のとりずらくなっている包囲側の方が陣形が乱れると思うのですが。

 その戦場における最上級司令部の命令が、その戦場に存在する全ての味方部隊に行き渡ることなど、基本的にありません。無論、通信の確保は重要ですし、現場部隊はその確保に全力をあげますが、通信というのは容易に途絶するものです。また、タイムラグも必ず生じます。無線通信の発達した現代でさえタイムラグや通信途絶は容易に起こるのです。
 戦場での連絡手段が確実に確保できていたとしても、配下部隊が上級司令部の命令に従うだけであれば、命令が到着するまでのタイムラグに起因する動きの鈍さに繋がります。
 軍および軍人たちはそのことをよく知っているので、兵力を各級部隊に分けて組織化し、各部隊に指揮官や司令部を置いて独自の行動をする裁量権をあたえているのです。そして各部隊の指揮官は、自分で戦況を把握し、ある程度自分で考えて独自の判断で行動します。
 したがって、連絡がとりやすい/とりにくいは、各部隊指揮官の錬度がある程度確保されている状態ならば、戦い始めれば1日で決着が付く程度の戦場ではそれほど重要な要素にはなりません。
 特に第1次大戦の膠着した塹壕戦の悪夢を経験して以降、各国の軍隊は各部隊が上級司令部の命令に忠実に動くことよりも、各個の判断で積極的にとにかく速く行動することを目指すようになります。
 蛇足ですが、第1次大戦の戦訓をもっとも正確に把握し、もっとも積極的かつ極端に取り入れたのが日本軍でした。とにかく野戦でどの国の軍隊よりも速く機動する歩兵部隊を実現するため、中隊単位での単独同時突撃を重視し、各部隊間の連絡が途絶してしまうことを事実上前提にして訓練しました。ノモンハン等で一部部隊が孤立化し、包囲殲滅させられたりガダルカナル等での夜間白兵突撃&玉砕という失敗の原因になりましたが、中国大陸や東南アジアではおおむね成功を収めており、後に「日本軍は上級の将官は無能だが下級指揮官は有能で、特に下士官は世界一優秀」と連合軍に評価されることになります。


>包囲側のほうが何倍か戦力が多ければもちろん有利だと思いますよ。

 基本的に包囲は相手よりも(主に数的に)優位な状況でなければ、ほぼ成立しません。包囲はその数的優勢の効果をより決定的なものにする戦術と考えたほうが良いでしょう。

 あと他の方へのお礼を読んで思ったのですが、どうも包囲戦・・・というよりも、戦略・作戦・戦術・戦法というものについてあまりにも固く考えすぎておられるような気がします。
 戦術・戦法というものは固定的に単独で用いられるものではなく、複合的に用いるのが基本です。戦場はそこまで単純ではありません。
 分かりやすい例ではナポレオン率いるフランス軍がアウステルリッツで行ったように、中央突破して敵を分断し、分断され孤立した敵部隊を包囲する・・・というように、集結前の敵部隊や分断された敵部隊を各個撃破する過程で用いられるのが主です。当然ながら逃がせば敵主力に合流してしまうので、確実に撃滅するため完全包囲を目指します。
 敵を分断し、その一部を包囲するためには突破もしますし、敗走を偽装する等して敵を誘引することもあります。
 私がNo.3で紹介した戦例のように大規模部隊が敵大規模部隊を丸ごと包囲して成功した事例は確かにありますが、全体からすればレアケースなのです。(レアケースとはいえ成功例は魅力的なので、これを実現すべく作戦は立案されます。)

 カンネーやファルサスで大規模部隊による大規模部隊の丸ごと包囲が成立したのも、包囲した側に数的優位があったからです。すなわち、翼側の騎兵や軽歩兵です。
 騎兵や軽歩兵といった機動部隊は両軍にいましたが、開戦後敗軍側の機動部隊は撃破され主力の重歩兵部隊だけになってしまいます。ただでさえ動きの鈍い重歩兵部隊は攻撃正面を敵重歩兵部隊に固定させねばならず、側背に大して攻撃力を発揮することが出来ません。出来たとしても機動部隊よりも速く動けないので、逃げられれば追撃できません。
 そこへ軽快な機動部隊がろくに組織的な反撃の出来ない側背を一方的につつく。
 頭数だけを考えればそれほど数的に優位ではなくとも、包囲が成立した時点で戦力的には圧倒的な戦力的優位が出来ていたわけです。
 ちなみに、騎兵は同数の歩兵の10倍に等しい戦力を持っているとされています。

 カンネーの戦いは実に良い例なので数字にしてみます。

開戦当初 ローマ軍:カルタゴ軍
重歩兵 5万5千人:3万2千人
騎兵    6千騎:  1万騎
合計  6万1千人:4万2千人

 頭数だけを見るとカルタゴ軍がローマ軍の2/3しかなく劣勢です。
 しかし騎兵戦力を歩兵の人数に換算して合計すると

ローマ軍 :5万5千人+6千騎×10人分=11万5千人分
カルタゴ軍:3万2千人+1万騎×10人分=13万2千人分

 と、実質的にはカルタゴ軍の方が若干優位に立っています。
 ローマ軍の騎兵が敗走し包囲が成立する時点での両軍の戦死者/残存戦力がどの程度かわかりませんが、単純化するためにローマ軍の騎兵を0にし、その他の戦力を0.7倍した値を包囲成立時の両軍残存戦力としましょう。

残存戦力 ローマ軍:カルタゴ軍
重歩兵 3万9千人:2万2千人
騎兵     0騎:  7千騎
合計  3万9千人:2万9千人

 この時点でも頭数だけならローマ軍が有利です。
 しかし、この値を先ほどのように歩兵戦力に換算してみると・・・

ローマ軍 :3万9千人+ 0騎×10人分=3万9千人分
カルタゴ軍:2万2千人+7千騎×10人分=9万2千人分

 戦力的には既に2倍以上もカルタゴ軍が優位になっています。ローマ軍に残された兵力が一塊の重歩兵であることを考えると、発揮可能な正面戦力の差は更に大きくなります。
 ローマ軍の騎兵が敗走した時点で勝敗は決しています。ローマ軍は可能なら撤退して戦力を少しでも温存すべきでした。
 それを許さず、勝利をより決定的なものにしたのがカルタゴ軍による包囲です。

 機動部隊を撃破された敗軍が、賢明にも包囲される前に撤退して全滅を免れたのがファルサスです。カエサルにもっと多くの騎兵や軽歩兵があって包囲が成立していれば、ファルサスでもカンネーのような成功が見られたでしょう。

この回答への補足

すいません、多分あなたが勘違いされています。
一般的に『包囲された側よりも総戦力で劣っていても相手よりも多い数で戦うことができるから』
有利であるという風なことが言われていますよね?
しかし白兵戦(投槍とか細かいことはなしで)に限定すると『ランチェスター第2法則的な数的優勢』
が発生することはありませんよね?ってことを確認したかったのです。
(他の部分での有利不利は聞くつもりは聞くつもりが無かったので忘れてください)
カンネーの戦いも現場を見た人間はいないのでなんとも言えませんがその説明は強引過ぎます。
あの時代の突撃するタイプの騎兵は列を成して待ち構える長槍歩兵に対しては不利だったようなので。


これで私の質問の意図は伝わりましたでしょうか?
もしこの認識が間違っているのなら教えていただけるとありがたいです。

補足日時:2012/05/05 09:00
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なぜかあの有名な一文について誰も書かないので私が書きます。


かの孫子の兵法書の軍争篇に「十なれば即ちこれを囲み、五なれば即ちこれを攻め、倍なれば即ちこれを分かち、敵すれば即ちよく闘い、少なければ即ちこれを逃れ、しかざれば即ちこれを避く。故に小敵の堅は大敵の檎なり」という一文があります。
現代意訳すれば、「我が軍が10倍なら包囲し、5倍なら正面から決戦し、2倍なら相手を分散させ、同程度なら必死に戦い、少ないなら逃げろ」ということになります。
つまり、包囲戦というのは基本的には自軍が圧倒的に優位な場合に採用する戦術なのです。

このことを念頭に入れない反面教師の模範例が第一次ノモンハン事変における日本軍の動きです。事前偵察が不十分なせいで越境してきたモンゴル軍を過小評価した日本軍は、実はその兵力が劣勢であるにも関わらず包囲戦術を採用しました。相手を包囲して一網打尽にしようと企んだのです。
寡少な戦力で包囲なんてことをしたらどうなるか。結局、日本軍は一見突破したように見えたものの最終的には各個に撃破されるという事態になりました。戦力が少なかったので左右の連絡がとれなくなり、混乱の中で各部隊は孤立したのです。

質問者さんはカンナエの戦いでローマ軍の陣形にもう少し空間の余裕があれば、とおっしゃいましたが、余裕を取りすぎるとそれぞれの部隊の連絡がとれなくなり、各個撃破されてしまうのです。
というか、カンナエの戦いにおいてはハンニバルの作戦と現場での指揮能力がしびれるほどに卓越しているのです。ハンニバルは数は多いが練度が低く正面から戦えばローマ軍の敵ではないガリア兵を中央に置き、その背後の中心部に強力な歩兵であるカルタゴ兵を置きました。そして、両翼に決戦兵力である騎兵を配しました。
ローマ軍の側から見ると、ガリア兵を蹴散らして前進したローマ軍主力の歩兵は凸の字になっており、「中央が突破するまであと一歩」の状態だったのです。ローマ軍側からすると「中央を突破すればローマ軍の大勝利」だったのです。だから、中央部で突破しようと前のめりになったのです。実はそれはあまりに狡猾なハンニバルの罠だったわけで、あのナポレオンを始め、ヨーロッパの名将たちがこぞってハンニバルを讃えるのも、その見事な伏線の張り方と指揮能力にあったからに他なりません。ローマ軍は「勝利は近い」と思っていたからこそあれほどまでに見事に包囲されてしまったのです。

また質問者さんは包囲戦術よりも弓兵などで敵をアウトレンジしたほうが有利ではないかとおっしゃられますが、なかなか世の中そうは上手くゆきません。理論上アウトレンジ戦法はとても有利に見えますが、実戦ではそう思い通りにいかないのです。その典型が太平洋戦争のマリアナ沖海戦ですし、サマール沖海戦では戦艦大和の46センチ砲は思い通りに活躍はしてくれませんでした。
まず、近代以前の弓兵の場合、弓の射程を考える必要があります。過去のここの質問を参考にすると(http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1871857.html)、有効射程はおおざっぱにいって50mといったところのようです。つまり小学校のプールの2倍程度です。弓兵は前後に分厚く配されると後ろの兵士の有効射程はそのぶん下がりますから、自ずと前後は薄く、左右に広い陣形となります。つがえて狙わなければならない弓にとって一番の大敵が騎兵です。騎兵が突撃してきたら、縦深を持たない弓兵はあっさり蹂躙されてしまいます。だから弓兵は騎兵に弱いのです。騎兵の突破を防げるのは歩兵です。そして、機動力に欠ける歩兵は弓の一斉射撃に弱い。このへんはジャンケンの関係ですね。
しかも50m程度なら、歩兵といえども前進すれば「近づく前に全滅」というほどの被害は被りません。

他の方が指摘している中央アジアの騎馬民族の場合は、騎兵中心で卓越した機動力を持っていたせいもあると思います。機動力を用いて主導権を握ることで戦術的優位に立つことを得意とする騎馬民族にとっては、機動力による優位性を自ら封じる包囲戦術はあまりうまみを感じなかったのでしょうね。
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この回答へのお礼

弓の話はちょっと本題と逸れるのですが騎馬弓兵でのヒット&アウェイの話をしています。
で、騎兵で追いかけても追いつけないどころか逃げながら撃ってくる騎馬弓兵に対しては
陣形を組んだ歩兵なんて無力じゃないですか。
合成弓の製法をヨーロッパ人が知らなかったらしいという話は知ってるんですが
ローマあたりが本気でやれば真似して作れたのではないかと思いまして、そうしなかったのは何故なのだろうかと。
馬に乗る訓練だってやれないことはなかったでしょうし。
まぁこのあたりのことは別で質問したほうが良いんでしょうが。

お礼日時:2012/05/02 00:41

 「包囲」のイメージが古いのではないか?


 攻め込む方からいえばanvil(金床)に対してハンマーで押しつぶせように持っていくのが包囲作戦。
 朝鮮戦争時の仁川上陸はそれによって北からの補給を遮断し、さらに南の北朝鮮軍を釜山橋頭堡との挟み撃ちを狙った包囲作戦。
 あるいは戦車の機動力で戦線を切り裂き、相手の戦線の後ろ側でぐるりと転進して味方の戦線と連結することによって包囲する形。

 など要するに相手を動けないような状態に持っていけばいいわけで、どちらかというよりも人数自体ではなく、人数の集結を妨げるように動く、いわば時間軸による考え方でとらえなおすと違う面が見えないかな?
 ちなみにシュミレーションでは、山や川のような自然障害物も相手の動きを止めるため、包囲の重要な要素の一角を占める。人数の過多は時と場合による。

 第一次世界大戦時の塹壕線はフランス側に集結のための時間的余裕を与えてしまったのがそもそもの原因だろうね。ちなみにモンゴルの南宋攻撃は包囲してからじっくり締め上げていったらしい。
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この回答へのお礼

一番知りたいことは戦闘が始まれば数日で終わるような時代の話です。
補給線と退路を断つという効果は何時の時代でも有効ではありますが
白兵戦の時代に戦闘参加人数が増えることはありえないだろうと思い質問しました。

お礼日時:2012/05/02 00:13

>なお、補足で要請があれば、被包囲側の局地突破、その後の各個撃破事例も紹介する.。

興味があるので是非お聞きしたいです。

要請に応じて紹介したい。なお、交戦名称が存在しない(日本語では)ので、戦力差・地理要素・兵科・時代などの要諦に限定して紹介しておきたい。
(というか、中央アジア通史などのマニアックな歴史研究は誰も評価してくれないので、こういう話が出来て嬉しい)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『平城の恥』として有名な漢祖劉邦と匈奴の戦いにて

 32万(漢軍)・1万(匈奴)・国境線にて・戦場主導権、中立的
遠征の漢軍は、9割歩兵(軽装・重装混合)・騎兵は5分程度
迎える匈奴は、軽装狩猟騎兵(近接武装は、簡易鉄器)

(戦局) 
積極的な漢軍の全面方位戦略の主導性が見えるが、匈奴側の編成上の時間的猶予もあって、戦場設定は、両者とも五分五分
当初、積極的な攻勢に出る漢軍だが、挑発的行動を無視する匈奴側の対応に、組織的軍事行動が出来ずに緒戦では膠着状態。匈奴側も包囲環境から暫定的食糧確保の問題から長期戦が困難であって、何らかの方法で補給活動が可能な軍事行動が要請される。その要請に対して、匈奴側が、散発的な夜襲で漢軍の前線を襲撃しつつ兵站を維持する
その後数日して、匈奴側の社会的事情から撤退の必要性(単純に冬支度が必要になった)から、一転突破によろ退路確保の攻勢展開が検討される。その一方で講和(匈奴側が強気)も検討されたが、漢軍側の強気の姿勢に激発する諸部族との兼ね合いで、散発的衝突が続発する。その後、匈奴側の一転突破展開が開始される
当初、退路確保および撤退を主眼とした組織的行動であったが、戦時略奪の慣行性が強い騎馬民族独特の軍制から、匈奴側の統一的軍事行動が乱れるも、部族単位での散発的軍事展開によって各個撃破とあいなる。
この各個撃破の背景には、漢軍側の匈奴に対する蔑視と包囲環境の優性に基づく驕りが指摘される。
と同時に騎馬民族独自の兵卒の自由な軍事行動と、戦場の気候・温度適正による両軍の活性度などの要素から、圧倒的な匈奴側の兵卒の質的優位性・漢軍側の組織的抵抗の質の低さなどから、15倍以上の兵力差を逆転させるに至った・・と思われる


柔然VS北魏

兵力差7倍・上記した匈奴・漢の事例に近似するが、
柔然側の主体的な戦場主導性が指摘できる。包囲側が兵卒の質の劣勢を自覚していたことから、包囲側の消極的な軍事行動・展開を悪用して、包囲形状を柔然側が統制しえていた・・とも。北魏も原初は騎馬民族の血族が強いが、兵科としては歩兵(軽装主力)主体の軍制。(ちなみに、屯田兵の制度原初は、北魏)
戦力的には、包囲網の一番厚い本陣への集中突破。指揮命令系統の混乱に乗じて、北魏側の主力兵力(軽装槍騎兵)を避けて7割程度の組織兵力を各個撃破


モンゴルVS金王朝

兵力差10倍以上。モンゴル主力は、軽装狩猟騎兵(騎射性能は低め)・金軍主力は、重装槍騎兵
包囲戦としては重包囲の形状になる。被包囲側は、1層目の包囲の先に 2層目の包囲を突破する必要性がある絶望的な展開
戦局的には、包囲状態から突出した金軍の一部を挟撃し、挟撃した部隊の穴から1層目の包囲から離脱。
追撃する1層目の包囲網との機動力差は大きくないが、2層目と1層目の通信不備から、1層目・2層目が混乱状態に陥る。
そこにモンゴル側がウイグル経由で得たイスラムの火薬兵器を投入して、大規模な複数部隊の撃破が行われる。
編成整備を急ぐ金軍だが、編成上の空間整備ができず、モンゴル側の軽装狩猟騎兵の横撃から混乱が拡大し、ほぼ一方的な戦局に・・・・・(もっとも離脱者が多過ぎる)
金軍を各個撃破するが、上記した事例のように、戦時略奪を首座にする兵員の質から、結果論的に各個撃破になる
なお、このさいの各個撃破の程度は、編成部隊の9割以上が組織的行動が不可能になっている模様


以上、簡単かつ小生の嗜好した事例を・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>実はこれがこの質問をしたきっかけの一つなのです。
陣形を組んで包囲を目指して動くよりも、相手の手の届かない位置から、
一方的に攻撃することのできるこちらの戦術の方が理に適っていると思うのです。

現代軍事においても同じことが言えるだろう
実際に現代軍事の進化もアウトレンジ攻撃である
ここで注目するべきは、アウトレンジである以上に、殺人という罪科を知覚しない軍事企画に進化していることになる

つまり、アウトレンジという安全性を重視し、同時に士気に影響する”殺人の実感”から距離を広げようとするのである
実際に現代戦の多くは、アウトレンジ攻撃であり、武力行使による殺人・殺傷という現実から逃避する傾向にある。(その適否・善悪は述べない)
(もっとも、逆に、アヴェンジャーなどの無人攻撃機は、ゲーム感覚で武力行使するという危険性があるのだが・・・)

この一方的な攻撃性は、戦時における主導性に帰結することは言うまでもない
同時に機動性を補完するものでもあろう。
騎馬民族の優秀さは機動力に特化される指摘が多いが、その機動力を助長する騎射技術による優位性も見逃してはならない。
ただし、アウトレンジ攻撃力というのは、百年戦争における『長弓兵』(ロングボウ)の活躍などでも分かるように、適正射程との整合性が問われる。つまり、アウトレンジ攻撃の優位性は、その弱点を補いえる十分な兵科能力によって成り立つと言えるだろう。もっとも戦場主導性によっては、優位性は可変的なのであって、技術力が戦場主導性の制約を受けうることについて十分に思慮するべきだろう。
(そのような軍事的な視座から逸脱して、カタログスペックだけで兵器を騙る人間がいるのが、不思議である)


>この戦術は紀元前から存在するというのをwikiで見た記憶があるのですが、
一般的にならなかったのは単純に馬や弓を揃えられなかったからなのでしょうか?

まず古典的な教本から探れば、ヒクソスなどでは、一撃離脱型の兵科が確認できる。地形的制約がある兵科であるし、高度な訓練生が要請される兵科であるが故に、農耕性の高い国家・習俗社会では、練度として騎馬民族に勝てないという問題から一般化できなかった・・・とは思われる
同時に、重装歩兵の進化によって、兵装を貫通する投射兵器の限界もあった。なにより、兵装コストの問題もある。
封建時代になると交戦上のルール(ROE,武士道・騎士道)などかた政治・倫理的な制約が付与されたし、戦国時代によって兵科の多様化に際しても自弁武装の限界から難しい問題があった

と同時に指摘したように、アウトレンジ攻撃型の兵科は、その空間維持しえる攻撃・防御能力との関係性がある。
相当な戦時資源の余剰がない限りは困難であり、特に攻勢側の運用の難しさが指摘できるだろう。

なお、騎馬民族といっても、例えば、トルコあたりの騎馬民族は騎射に優れているわけではない。狩猟採集生活が日常活動であり、それ以外の生産活動の選択肢が存在しない部族・民族だけが、優れた騎射兵卒になりえるものであろう

馬・弓の供給に関しては、障害になりえるとは思うが、練度と騎乗技術・騎射に適した馬具などを総合的に勘案するに、中央アジア諸国が優れる傾向にあると思う

ちなみに、小生が騎射兵科で時代考証として注目するのが、屋根(騎乗者)がどこから『二の矢』を補給するか?である
一般的には、弓兵・騎射兵は、背中から矢を補給するが、騎馬の軽装狩猟騎兵は、馬具に弓を入れる場所がある。
騎射としての連射性で考えれば、背中から持ち出す場合と、馬具から持ち出すのでは、方法の違い以上に、速さ・利便性・補給力において格差があるのは理解できると思う


以上、甚だ簡単かつ概略的だが・・・
なお、この話は好きな話なので、補足には適宜応じたい。

もっとも軽装狩猟騎兵を主眼とした見解と認識になってしまうが・・・
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この回答へのお礼

わかりやすいご説明ありがとうございます。
非常に参考になります(何の参考になるかはおいといて)。
包囲の規模が大きくなればなるほど連携が難しくなり効果も薄くなるのかもと思いました。
とりあえず最初の疑問の答えはなんとなくですが見えてきました。

お礼日時:2012/05/02 01:03

 戦場における有利さは,戦線の長さがどうこうという問題ではないと思います。


 戦場で戦うのはあくまでも人間ですから,正面からの攻撃には対応できても,側面や後方からの攻撃には基本的に弱いわけです。また,敵が前後左右に存在している場合,どの方向に攻撃・防御の重点を置いて良いのか判断が困難となり,混乱する可能性が高くなります。
 混乱し逃げる敵を叩くというのは,戦争の司令官にとって最も理想的なシナリオであり,上手く行けば少数の犠牲で一方的に多くの敵を倒すことも不可能ではありませんが,実際の戦闘でよく使われたのは,完全包囲よりむしろ「半包囲」ではないかと思います。完全包囲にすると,逃げ道のなくなった敵が決死の攻撃をかけてきて思わぬ被害を蒙ったりするので,わざと1カ所逃げ道を開けておき,逃げる敵を追撃して思う存分叩くわけです。
 他の方の回答でモンゴル軍の話が出て来ましたが,モンゴル軍の得意とした戦法はまさに「半包囲」ではなかったかと思います。例えば,1241年のレグニツァの戦いでは,モンゴル軍の兵力は約2万,対するドイツ・ポーランド連合軍の兵力は約2万5000であったとするのが一般的ですが,モンゴル軍は前列の軽装騎兵を偽装撤退させて連合軍の主力である騎士団を誘い込み,両翼の騎兵による騎射で混乱させた後,重装騎兵がこれを撃破して敗走させました。要するに,偽装撤退戦術でうまく「半包囲」の態勢に持ち込んだわけです。
 当時のヨーロッパでは騎士こそが戦闘の主力であり,民兵や徴用された歩兵は数こそ多くても雑魚に過ぎなかったので,連合軍は主力である騎士が敗走すると残りの民兵達も恐怖に駆られ,戦わずして敗走しました。モンゴル軍は,敗走する連合軍を徹底的に追撃し,おびただしい数の犠牲者を出すことになりました。
 なお,レグニツァの戦いは,ヨーロッパでは戦史に残る悲劇的敗戦でしたが,モンゴル軍にとっては数多い局地戦の一つに過ぎず,当時の世界ではこれと似たような戦いが繰り返し起こっていたと推測されます。

この回答への補足

>戦場における有利さは,戦線の長さがどうこうという問題ではないと思います。
ようするに包囲によって数的な有利は生まれないということでよろしいでしょうか?
戦力的に圧倒していればもちろん私も包囲側が有利だと思いますよ。

補足日時:2012/05/02 00:47
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 No.3で回答したものですが、頂いたお礼文の指摘に対して回答します。



>射程距離のある武器同士の戦いであれば確かに外周の戦闘面積のほうが広くなりますね。
>しかしほとんど同時戦闘参加兵力数に違いのない白兵戦において、
>被包囲側が十分な空間的余裕を有している場合でも、
>包囲行動で生じるリスクに見合うだけの数的優勢を得ることができるのでしょうか?

 二重丸の円周の差は射程距離の有無とはあまり関係がありません。
 なぜなら、大規模集団同士の戦闘、特に古代~近代にかけての白兵戦を前提とした戦闘においては陣形が何よりも重要であり、戦闘開始時点での陣形の差がそのまま攻撃力の差となるからです。
 陣形は戦闘集団としての攻撃力と防御力を最大限に発揮するためにあり、陣形が崩れるということはそのまま集団としての戦闘力喪失を意味します。戦場での運動も陣形を保ったまま行われるのが常であり、どれだけ陣形を保ちながら素早く向きを変えたり移動したり出来るかはその部隊の錬度の最も重要な尺度です。指揮官は部隊を陣形を保ったまま意のままに素早く動かせるように錬兵します。
 そして、実際のところ武器の優劣や兵の強弱はあまり関係がありません。
 逆に言えば、敵の陣形を組ませなかったり、崩したりできればその戦闘では勝てるのです。
 したがって、陣形を組む前に奇襲攻撃を受けたりしないようにするため、敵から攻撃を受けない場所・・・数十~数百メートル程度離れた場所で陣形を組むことになります。つまり、戦闘開始前の段階では包囲側と被包囲側では陣形を組むためのスペース(つまり二重丸の円周の長さ)には差が生じるのです。

 仮に被包囲側が直径100mの円内に固まっているとします。
 極端に重武装ではない歩兵をギュウギュウに詰め込めば、円の面積から一応総兵力7000~7500人くらい円内に入れられますが、まぁ半分の3500としましょう。その円周は約314mで、密集させれば350人くらいを並べることが出来ます。敵に向かって縦列を放射状に作っていることを考えれば、実際のところは1列10人として250列くらい(横250人縦10人の横隊をぐるっと丸めて円を描いているような状態)でしょうか。残りの1000は軽装機動兵力&予備兵力および指揮本部ですが・・・これは話を単純化するためにほぼ無視します。
 包囲側は被包囲側から100m離れたとして、直系300mの円周は約942m。頑張れば1000人強の兵を並べることができます。が、実際のところは部隊間の隙間を設けなければいけませんから750人ぐらいでしょうか。

 正面戦力はこの時点で3倍の開きが出来ています。

 包囲側が突撃をかける場合、全部隊が同時に同じ速度で前進すると円周が詰まるので陣形を保ったままでは前進できません。なので当然ながら波状攻撃となるでしょう。なにせ包囲側は3倍の正面戦力があるので、1/3ずつ突撃をかけます(というか、このモデルでは1/3ずつしか攻撃できない)。正面戦力が同じ同士なので最初のうちはほぼ互角に戦うでしょうが、包囲側は既に陣形の完成した予備兵力があります。最初の包囲側の攻撃が撃破された後、敵を撃破した被包囲側が戦闘態勢を再び整える前に、包囲側は戦闘準備の整った部隊を繰り出すことができます。
 
 被包囲側は救援を求めることが出来るならばその陣形を保ったまま事実上の篭城を決め込むことも出来ます。が、解囲&脱出を試みるならば被包囲側から攻撃をしかける必要があります(どうせ完全包囲されている状態なら、篭城を決め込んでも弓矢等での攻撃や兵糧攻めにあうのでどの道ジリ貧です。)。そこで今度は被包囲側が攻撃をしかける場合・・・
 愚作ですが被包囲側の全部隊一斉に、おのおのの正面に向けて突撃を開始した場合。円の直径がそのまま広がるので円周も広がります。各部隊は陣形は保ったままなので、部隊同士の間隔が広がってしまいます。そこに包囲側が付け入る隙が生じ、騎兵や軽装歩兵等による突撃&突破を許すことになってしまい、分断・蹂躙されてしまいます。

 陣形運動の実際を考えると非常に困難で高い錬度を必要としますが、被包囲側全体がそのまま一方向へ突破しようと試みた場合・・・
 被包囲側が進んだ先にいた包囲側部隊前面に衝突、戦闘に入った段階で包囲側のほかの部隊が突撃を開始します。包囲側のほかの部隊が到着する前に突破できなければ側背から攻撃を受けることになります。
 陣形とは全周防御体勢を除き、基本的に正面に対してのみ戦闘力を発揮するものです。複数方向からの攻撃に同時に対処することは出来ません。突破を試みる被包囲側は突破しようとする方向にたいして攻撃力を集中するような陣形になっているでしょうから、側背からの攻撃に対処するには突撃体勢から全周防御体勢背に陣形を変更しなければなりません。

 陣形運動にはそれなりに広い空間が必要であり、被包囲側には包囲側に比べ陣形運動の自由が非常に小さくなってしまいます。つまり、ただでさえ対処の難しい側背からの攻撃への対処が、包囲されることによってより困難なものとなります。


>ランチェスターの第一法則は引き算ですし。

 ランチェスターの法則の本質的意味は、一度の攻撃で同時に攻撃力を発揮できる正面戦力が多い方が勝つということであり、それを数学的に説明したものです。両軍の総兵力をそのまま数式に当てはめることは現実的ではありません。
 数的に劣勢な側にとっては少しでも戦闘の実態を第一法則に近づけるように、数的優勢な側は少しでも戦闘の実態を第二法則に近づけるようにすることが指揮官の仕事です。
 包囲殲滅は戦闘の実態を最も第二法則に近づけることが出来る戦い方です。白兵や弓矢等射程距離の短い飛び道具しかない状態であっても、この点は同じです。
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この回答へのお礼

実際はたくさん動いて連絡のとりずらくなっている包囲側の方が陣形が乱れると思うのですが。
包囲側のほうが何倍か戦力が多ければもちろん有利だと思いますよ。

お礼日時:2012/05/02 00:44

古代から現代に至るまで軍隊の攻撃力・防御力は1方向のみに発揮されます。


包囲側は包囲の中心部分に向けてのみ衝力を集中出来ますが、被包囲側は衝力を多方向に分散させなくてはならない為、結果戦力は著しく低下します。

平地における機動戦の場合、双方共に包囲殲滅を目指すのは古代から現代に至るまで変わっていません。
現代でも正面拘束側面打撃あるいは正面拘束背面打撃が機動戦の基本になります。これらも包囲殲滅戦の一つの形になります。
ただし、カンネーの戦いのように見事に包囲殲滅が決まった例は他にはないんじゃないでしょうか。

カンネーの戦いの場合、カルタゴ軍は自軍の2倍の兵力、兵の質・テクノロジーでも同等かそれ以上のローマ軍相手に完璧な包囲殲滅をやってのけたことが他に例のない稀有な戦いだと思います。
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世界史ヲタクとして回答しておきたお



>大規模集団戦闘において、一般的に包囲側が被包囲側に対して有利であるとされていますよね?
その理由の一つとして包囲側が被包囲側よりも数の上で優勢に戦えるという話をよく聞くのですが
小規模な戦闘においてはともかく、数千人規模の戦いにおいては戦線の長さは双方等しくなり、
数の優勢を得ることはできないのではないかと疑問に思うのですが、実際のところどうなのでしょうか?

指摘される疑問点は想起する価値がある

もっとも指摘にあるように、包囲側が、被包囲側よりも圧倒的多数であることから、包囲戦が可能であることから、有利である、というのが実態で、数的優位が逆転している状況ならば、局地戦突破・及び局地戦突破後の各個撃破などの事例はありえる。
問題は『数の優位』が、いわゆる質量でいう量だけの視座で論じられない部分が大きいことにある。
 一般的に被包囲側は、戦時における主体的戦術展開環境にない(つまり受け身)であって、戦術展開上の主導権がない不利が大きい。もちろん、守勢側の地理的優位状況の確保との兼ね合いも想起するべきだが、多くの包囲戦では、包囲側の戦場主導であることから、著しく被包囲側が劣勢に立ちうることは必然であろう。
しかし、地理的優位を確立し、戦場主導権を持ち得る篭城戦は、その限りではないのは理解できるだろう

なお、モンゴルなどの中央アジアの騎馬民族は包囲戦の事例が多くない。量的な制圧・破壊力を期待しえない兵制・戦術が前提である中央アジアの騎馬民族は、包囲戦が実施できない、という部分も大きいが、単純に戦場主導権を持ち得ることが多く、騎馬の騎射展開が優位かつ有効に効果を持ち得る戦場設定が行われている、と小生は認識している。
 
ちなみに、被包囲側にとっては、兵站問題における不安要素などの心理的マイナス面が、質を逓減される部分は極めて大きいだろうが、逆に兵站問題を抱えてることの少ない中央アジアの騎馬民族は被包囲戦において、局地戦突破、その後の各個撃破などという事例が多い・・のも現実である

つまり、兵力の質量を総合的に勘案すれば、包囲戦が優位という法則は、一概には言い切れないというのが適切であろう、と認識する。
この現実については、兵法・軍事学の常識を逸脱するものだが、
体系化された兵法・軍事学は、いわゆる農耕社会を基盤にした組織の暴力装置組織の場合であって、騎馬民族の色合いの強い野盗・山賊などの非正規軍に近似する暴力組織の場合は一概には該当しえないことも、常識とするべきように思う。
もっとも基礎として、質量を重視する兵法・軍学の根本原理を逸するものではないので、常識の視座の問題であろう

>有名なカンネーの戦いでも、ローマ側の陣形にもう少し空間に余裕があれば、
記録されているように一方的な結果にはならなかったのではないかと思うのですが。

空間的な猶予によって、展開が変わり得るのはその通りであろう。戦時における空間把握力・機動力要素も思慮されることも考えれば指摘は適切であろう。

>あとはカンネーの戦い以外で包囲によって戦闘を有利に進めることができた例はあるのでしょうか?

数多存在しえるが、野戦上の包囲戦が質問の趣旨と理解したので有名な包囲戦だけ

レニングラード包囲戦(1941~1944)
カレー包囲戦(1346~1347)
垓下の戦い(BC203)


なお、指摘した包囲戦は、純軍事的な視座よりも、戦後の政治展開上(当地の統治上の政治効果)においても重要な側面があることから摘出しておく
もっともカンネーの戦いのように一方的なスコアの事例は知らないのだが・・・

なお、補足で要請があれば、被包囲側の局地突破、その後の各個撃破事例も紹介する
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この回答へのお礼

>なお、補足で要請があれば、被包囲側の局地突破、その後の各個撃破事例も紹介する

興味があるので是非お聞きしたいです。


>なお、モンゴルなどの中央アジアの騎馬民族は包囲戦の事例が多くない。量的な制圧・破壊力を期待しえない兵制・戦術が前提である中央アジアの騎馬民族は、包囲戦が実施できない、という部分も大きいが、単純に戦場主導権を持ち得ることが多く、騎馬の騎射展開が優位かつ有効に効果を持ち得る戦場設定が行われている、と小生は認識している。

実はこれがこの質問をしたきっかけの一つなのです。
陣形を組んで包囲を目指して動くよりも、相手の手の届かない位置から、
一方的に攻撃することのできるこちらの戦術の方が理に適っていると思うのです。
この戦術は紀元前から存在するというのをwikiで見た記憶があるのですが、
一般的にならなかったのは単純に馬や弓を揃えられなかったからなのでしょうか?

お礼日時:2012/05/01 05:47

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