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上手く説明できるかわからないですけど、とりあえず出来るだけ言い表してみます。

母と二人きりの家なんですが(父はずっと前に他界、弟は結婚して家庭を持っています)
ちなみに私はいわゆる出戻りです。

とりあえず、母がまず変わっています。
たまにアスベルガーなんじゃないかと思わせるような行動もとりますが、はっきりしたことは言えないのでそれはおいておいて。

なんでいうか、とにかく同じ家にして、母を見るのがいやなんです(きっぱり)

顔も見たくない、って怒ってるわけではなくて、なんというか、母自体がネガティブなエネルギーのように感じるんです。

まず、母の顔がすごくいやなんです、
作り云々ではなく、表情が。
不安と神経質と無神経と不満を織り交ぜたみたいな。

めちゃくちゃ言ってるようですが、娘だからなのかもしれませんが、とにかくそんな感じがすごくして、あの表情を見るのが耐えられなくて、親なのに『醜い・・・』と思ってしまいます。それがまた罪悪感を感じて、余計顔を見たくないというか。

人間、40を過ぎたら内面がもろに外に現われるって言いますし、実際母は不満ばかりを抱えた人生を送ってきたみたいで、しかも自分で努力することをなぜか知らず、改善するのではなく我慢することだけして、また人が自分に何かしてくれるのをいつも期待しているような感じで、もちろんそんな都合のいいことはそうそう怒るわけもないので、だからいつも不満ばかり・・しかもなぜ自分が不満を感じてるのか自分でわかってないみたいな。

そういうのが、ありありと感じられるんです。
だからなおさら、そばに寄りたくないというか、ネガティブな波動を受けたくないというか。

母にアドバイスすることはもうあきらめました。
上記にも書きましたが、どこかアスベルガーを彷彿とさせる感じで、人の話がまるで聞けないんです。話してもまず聞こうとしないし、もし運良く聞いても本当に話が通じてるのかすごく疑問な反応しかしませんし。そもそも人との会話を面白おかしい無難な世間話をするぐらいしか考えてなくて、まじめな話をしても全然通じないんです。ですので、もう母に意見するのはあきらめました。


で、同じ家にいながらなるべく顔を合わさないようし、また母の方も私に何か言われるのがいやなので、それは幸いらしく、またそれとは無関係にいつも自分ひとりしかいないような雰囲気をかもし出しながら毎日を暮らしているので、すっかりそんなスタンスが定着しました。

とはいえ、やっぱり顔をあわせないようにする努力はたまに疲れますし、またどうしても合ってしまう時があります。また、その時の母の態度なんですが、決してわざとしているわけではなくて、まるで私がそこに存在していないような雰囲気をかもし出しています。なんていうか、他者の存在を自分の意識の中から追い出しているというか。おかげで、すぐそばを通るときも普段やっているように、狭い家の中をなぜかせかせか小走りみたいにして歩くのと同じにまったくスピードをゆるめず、またこっちを見ようともしないので、こちらはぶつからないようにいつも気を使ってよけなければなりません。また、ぶつかっても絶対こっちを見ず、まるでぶつかるのが当たり前のようなんです。満員電車の中ならいざしらず。そして稀に必要があって話しかけるとすごく驚きます。
そして独りきりで部屋にいるときは、何か大声で独り言を言っています・・・。聞きたくないんですけど、たまにうるさくて、いらいらします。
何度も言いますが、決してそれは意識して私にあてつけているとかそういうわけではないんです。むしろ、以前からそうやっていて、それを私がいることでやめることは考えてないみたいな。

それからすれ違いざま、たまにちらと私を見るとき、多分それは私がいると思ってないのにいた時だと思うんですが(初めから私がいると知っているときは、絶対こっちを見ない)、その時の表情も相変わらずいやですが、たまにそのあとすごい咳払いをしたりするんです。これってすごい感じ悪いですが、さらに悪いことに母自身それがすごく感じの悪いことをしてるっていう自覚がないみたいなんです。ちなみにしょっちゅう空咳をしてるんですが、それがなんとなく、"かまって"モード全開というか、本人は意識してないと思うんですが、なんとなくいつもどこか、”かまって”オーラが出てて、そのくせ自分から人に話しかけないので、余計見てていらいらします。

こんな感じで、母の一挙一動が普通でない上、私も過敏になってるせいか、半分ノイローゼぎみです・・・。


ただ、ここまで書いていてなんですが、私は今経済的に自立できていないため、母の家(父が立てた家、と私は認識していますが。母は父がいた頃はいつも父への不満を私に語り、おまけに父が立てたこの家を欠陥住宅だと常にけなしていました。そのくせ、父がいなくなって今、これは自分の家だ、父に我慢した自分への当然の報酬だ、みたいに考えてるみたいです)に住まわせてもらわざるを得ず、そのため何か言うと『だったら出て行け』の印籠のせりふで締められるため、立場も弱いですし、当分家を出るのも無理そうです。


母の私に対する愛情は子供の頃から感じたことはありません。ただ母は”親は子供を育てるもの”(そうしないと世間から非難される)という概念の元に私にごはんをくれて最低限の世話をしてくれたものと思っています。それと、親の思い通りに子供をコントロールしようとしたいくつかのプラスアルファ付きで。
母自身も祖母とこどものころから上手くいってなかったらしく、おそらく親の愛情というものを知らずに育ったんだと思います。だから、愛情自体を知らないというか、イメージがわかないというか、何よりその存在を信じてないように思いますし。


こんな感じで母には何も期待していませんし、私もそんな年齢でもありませんし、おそらく母も死ぬまでこんな状態かと思われます。


で、結局私の意識の問題なんですが、こんなつまらないことでストレスを感じるのははっきりいって無意味でばからしいのですが、どうにかならないでしょうか。

自分で書いてても、難しい質問だとは思うのですが。

気にしないことが一番なのはわかっています。

それでも、それこそ母のように母の存在を意識の外に追い出したくても、母が独りで部屋で大声を出していたり、たまたま見かけた母の普通でない行動に気が行って、どうしても無我の境地で過ごすことが出来ません。


ちなみに暇で母の事ぐらいしか考えることがないわけではありません。
はっきり言って母のことでわずらわされる時間がもったいないとすら思います。


愚痴がかなり入ってしまった質問ですみません。

もしよかったらなんでもご意見下さい。

A 回答 (5件)

(1)何とかして自立する



物理的に離れれば接触が減るし
存在を意識することが減ります。

生活水準は下げたくない、から
同居なさっていると思うので
そこをどこまで妥協できるか考えてみては
いかがでしょうか。

予算決めたら
それをもって物件探しはできますし
ほかにも
彼氏を作って転がり込む、
ルームシェアする、
など本当に耐えられなかったら
色々奔走されると思います。

ですから
そうはいっても甘えがあるかな
と思いました(^_^;)


(2)自分の姿だ、と認識する

お母様をみていらつくのは
自分の恥部をみせつけられているように
感じるからです。
自分の中にあるどろどろしたものを
お母様の姿に投影しているのです。
また、
ストレスのはけ口にしているともいえます。
実際お母様の態度にイラつくのでしょうが
そこにはそれと関係のない
質問者様の精神状態がのっかっています。
人の批判をすることで
自分の立ち位置を確認しているのです。

存在するものを存在しないかのように振舞う方が
ストレスがかかるため、余計存在が濃くなります。
お互いがそういう精神状態なので
お母様も同じく質問者様のことを

>ネガティブなエネルギーのように感じるんです。

と思っているでしょう。

それでもお互い寂しいから本当は接点が持ちたい。
かまってオーラを出し合っているけど
相手を理解しようとするより
自分をわかって欲しいが勝るので
かみあいません。

(3)「愛」に定形はない

食物を与えて世話する、のも結構大変ですよ(^_^;)
そんなことぐらい、って思うかもしれないけど。

無事
>そんな年齢じゃない
ぐらい生きてこられたのは幸運だと思います。

与えて欲しい質の愛情が与えられなかったのは
不運だったかもしれないけど
自分がその立場になったときに
自分が欲しかった質の愛情を他人に注げば
いいのではないでしょうか。
ない袖は振れぬ、でしょうから
お母様にそれを求めても出てこないでしょう。
諦めた、とありますが
そうではないから
不満が燻り続けているのではないでしょうか。



いまある様々なストレスのはけ口として
お母様に甘えている面があるということを
意識した上で
どんな生活をしたいか
どんな人生にしていきたいか
御自身に焦点を当てて考え
ひとまず今後数年の計画を立て実行していくのが
よいのではないでしょうか。
そしたら必要以上に
お母様の存在に影響を受けなくなります。
お母様の批判をしている場合じゃないので。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました、お詫び致します。

いくつもご提言下さり感謝します。

(1)何とかして自立する

お恥ずかしいですが、生活水準を下げる以前に、独りで生活できるほどの収入がないんです。最低の生活でも自活できるなら、おそらくそうしてたと思います、ほんとに。専業主婦をしていて離婚、しかも半分騙されるみたいに慰謝料も何もなく本当に無一文で追い出されまして。相手のほうは親族で相談しあって最も都合のいい離婚の仕方の段取りをしてかかって来られ、こちらは誰一人相談する相手もおらず、本来味方になってくれるはずの母からは私への罵言と脅ししかもらえず、また込み入った話は一切聞きたがないので、未だに私がどういう目にあったのか具体的には何も知らない始末です。離婚直後は私も精神的にそうとう参ってましたし、まあ、これも甘えなのかもしれないですが。


(2)自分の姿だ、と認識する

これはまさにそのとおりだと思わずにいられませんでした。母の気持ちや考えがこんなに細かく見えてしまうのは、それだけ自分にも同じ感性があるわけですし。また上記のことも重なりますが、なんのかんの言って母のやっかいになっている自分を取り繕っているのかもしれませんね、いやそうだと思います。

『かまってオーラ』については私は出してるつもりはないんです、それに母のオーラにしても、ここが母の変なところで、無意識下でいつも誰かにかまって欲しいと思ってると思うんですが、ただ、それが行動に現われていても、普通ならそれが見られる相手に発してると思うものですが、母の場合、本当に意識して出してるわけではなさそうで、つまりたまたまそれが見られる私に『かまって』とオーラを発してるわけではないと思います・・・。でも、そういえばよく『自分のことぜんぜんわかってくれない』ってまるで子供が親に言うようなこと言ってました。そういう母こそ私のこと本当に何も知らず、何か話そうとしても聞きたがらないので、私のことを一切知りたがらないで自分のことだけ心配してもらおうっていうのがそもそも都合よすぎると思うのですが。っていうか、これって本当に親が子供に対して思うことでしょうか。私のこと友達とかだと思ってるんでしょうか。


(3)「愛」に定形はない

なるほど、そういえばそうですね。でもまあ、それ以前に母に、『愛』って言葉を言ったら笑い飛ばされると思いますが。そういうのはドラマの中だけだと思ってると思うので。一度『毎日家事してご飯食べてだけして、他に何もしてないけど、何のために生きてるの?』って言ったら、大笑いして『あんた、おかしいんとちがう?』と言われました・・・。真面目に人生を考えるような台詞を言ったらおかしいらしいです。


そうですね、本当に母のことでごちゃごちゃ時間潰してるような状況じゃないんです。わかってるんですけど、つい気にしていらいらするのは、ひょっとするとある意味現実逃避なのかもしれないですね。

自分も充分恥ずかしい性格だっていうことわかりました。気付かせて下さってありがとうございました。母に対して愚痴りたくなったら、その分自分も似たような者なんだって思い出すようにします。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2012/05/19 13:57

狭い家に一緒に住んでいれば目に付く事もあるかもしれません。


ですが、噂好きで暇を持て余した他人を巻き込むよりはマシです。
家を出れないのですから、やはり我慢するしかないですね。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってすみません。

頑張って我慢します・・。

噂好きで暇を持て余して他人を巻き込む。
私が中学生の頃、パート勤めだった母は毎日学校から帰ったばかりの私に茶菓子を与え、延々と職場のパート仲間の悪口とか父への愚痴を私に聞かせていましたので、気質的には同類かと思います。今はただ話す内容がないんでしょう。そういう話か、ワイドショーで見た芸能人や犯罪の話だけが人間の会話だと思ってるらしいので。
なんか、頭の中が昭和の時代で止まってるみたいな人なんです。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2012/05/19 14:13

私も出戻りで神経質で小うるさい母親を持っていますが、



嫌だったら実家を出て自分で生活すれば良いじゃないですか?

それがままならないのなら、一応、お世話になっているのですから、

我慢するしかないですね。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってすみません。

そうですね、我慢しないとですね。

小うるさいでも一応理屈とか通ってればいいんですが、理屈もなにもすっとばして感情だけで言葉を発してしかも一方通行なんです、うちの場合。せめて会話らしい会話が出来ればいいのですけど。
(すみません、また愚痴を。)

回答者さまのお母様が、小うるさくても神経質でもまともに会話できるのなら羨ましいです。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2012/05/19 14:04

あなたが自立してまた家を出れば解消はしますが、


根本的な解決は二人で愛という感情を学んでいきなさいということでしょう。

母親が愛情知らずで無知なのが、そういう行動を取るとあなたが分かっているならば、
母親の面倒を根気よく見て世話をして愛を学ばせていき、それによって心が開かれたら、
それ相当の喜びに変わるでしょう。

肉体年齢と精神年齢は違います。親を選んで生まれて来たのはあなたなのですから。
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この回答へのお礼

二人で愛を学ぶ。
確かに一番いいことだと思います。

一度は結婚して、母以外の人間と暮らして、男女間だけの愛でなく何人もの人と接する機会があって、やっと愛情というものがどいういうものかわかったと思います。
そして家に戻ってきたので、余計そのギャップが感じられたのかもしれません。

もちろん家に帰って来たばかりの頃は、できるだけ母に話したりいろいろ考えたりしました。が、母からすれば自分のペースを邪魔される以外の何物でもなかったらしく、また母の世代での離婚というものへの概念を反映してか、『死ね』『出て行け』『そんなだから離婚された』と毎日言われ続けました。

生を与えることが親の最も根底にあるものだと思っているので、『死ね』と言われた時点で、もう親とは思えなくなりました。

また自分のことは人に任せたくないらしく、私が料理をすることすら嫌がりますし、世話と呼べることは今は出来ません。
ただ、いずれ母が病気なり老齢化して介護が必要になったとき、どう考えても私がそれをすることになると思いますので、その時もし可能なら、母が少しでも、世間体のためでなく、愛情をもって世話をする、ということがどういういうことかわかってくれればいいなとは思います。ただ母はコンプレックスの塊なので、下手に私が上手に介護しても逆に気に入らないかもしれないので、あまり期待はしていません。

肉体年齢と精神年齢、確かにそうですね。
母は時々幼い子供のような話し方をするときがあります。
話していても、どっちが親なのかわからなることが多々あります。

親を選んで生まれてきたのですか、知りませんでした。
そういう話を聞いたことがあったような気がしますが、正直、そんなばかな、と思ってました。
もし自分で選んでいたとしたら、ほんとに馬鹿ですね、私は。
それとも私に必要な苦労だったということでしょうか。


いろいろな視点を提示して頂いて、おかげさまで少し考えがすっきりしてきました。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2012/05/16 11:30

そのような母は何処にでもいます。

母を見て嫌なら自分が変わるのです。わかりましたね(^・^)
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この回答へのお礼

えっ、他にもいるんですか?

それはよかった(?)です。^^


母のようには絶対なりたくないとは思います。

反面教師という意味ではいいですが、ただ母のようでないというだけで、立派な人というほどになれるとも思えませんが 笑


でも、趣旨はわかりました(^^)/


どうもありがとうございました。

お礼日時:2012/05/16 11:00

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