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ふたりでドアをしめて
ふたりで名前消して
その時心は何かを 話すだろう
http://jpop.yinyueabc.com/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E7% …

別れの歌なのですが、
状況がよくわかりません。
男は別れを宣言し、別れる理由は話したくないと言います。
そのあとが問題。
二人でドアを閉めることは、まずないことですし、
二人で名前を消すというもの不明。
二人で自分たちの名前を消すのでしょうか?
又、心が話すのは、別れの理由でしょうか。

思い浮かぶのは、二人が住んだ家を一緒にでていく状況ですが、
識者の皆さんはどうお考えですか?

よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

尾崎紀世彦さん実家が近いのでお亡くなりになりとても残念です。

サザンよりもっと茅ヶ崎らしい人だと思います。
で、この歌は町田義人さんの為に書かれた歌で、その後サビの部分は尾崎さん用に書き直したものだと記憶してます。そのために少し無理があると思いますが、二人で出ていく様子を比喩して書かれたものと感じました。ドアを閉めて表札を消してと言う事でしょう。
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同棲解消を言っているのです。



歌はすべて論理的にできていると思っているのですか。

解らない謎めいた言葉を残しておくのも作詞の常とう手段です。

気分を楽しめなければそんな歌は締め出した方がよろしい。


「その時心は何かを 話すだろう」ここにこの歌の万感がこもっています。

過去への決別とためらいながら未来へ歩みだす気持ちがひしひしと伝わってきます。
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尾崎紀世彦さん、亡くなりましたね。

大好きな歌手だったんですが。


>思い浮かぶのは、二人が住んだ家を一緒にでていく状況ですが

でいいんじゃないですか?「さよならをもう一度」も聴いてみたらどうですか?
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そうですよ。

二人が住んだ家を一緒に出て行くんです。別れの訳は話したくない、というのは、嫌いになったからではないのっでしょうな。その辺は、視聴者の想像にお任せ。
二人でドアを閉めて二人で名前消して~とは、最期の行動は、一緒にしよう、ということです。確かに、二人で一緒にドアノブを持ってドアを閉めて、鍵を閉めて、とかいうのはおかしいですが、一人がドアを閉めるのを一人がぼんやり見ている、というのはさびしいですね。単なる別れではなく、旅立ちの意味もこめられていると思います。
同じような歌が一つ。キャンディーズの解散のときの歌、「微笑返し」です。これは、男と女の別れの歌なのですが、最期に、
「あの三叉路で軽く手を振り私たち歩いていくんですね~」
と閉めています。キャンディーズ3人の別れの歌、そして旅立ちの歌なのです。
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詩に意味だけを求めないことですな。

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その時心は何かを 話すだろう・・・・・・文末は推量です。


未来を推量しています。

「別れのわけ」を話すと、さみしかったりすべてをなくしたりするから
話したくないけど、
ドアを閉めたり名前を消している時に
その「わけ」を互いの心が話すだろうといっているのです。

それがすべてです。

二番の歌詞は別れた後の彼女の行方を
慮っているようですが、これにはちょっと間違いがあります。
「何をしてるの」ではなく「何をするの」で。ないと論理的には正しくありません。
この歌詞は「別れを決意したときの心境」を歌っているのであって、
別れそのものを歌っているのではないと思うからです。

とはいえ韻文に散文の論理性を要求するのは無理があります。
韻文は論理を跳び越えた世界ですから。
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勝手な想像ですけど、二人で同棲していて


同棲しているアパートか何かに記した二人の名前を消すということですかね。
「ふたりでドアをしめて」は二人で関係を解消するということか。

もう別れの時だ。同棲していた部屋を引き払う時。
部屋の扉を閉めて二人の関係を終わらせよう。
二人の名前が一緒に記されていた場所は引き裂かれ、
それぞれの道をゆく。
その哀愁に心は何かを叫ばずにはいれれない。

みたいな感じかと想像してみました。
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別れの歌というより、将来の復縁を望む歌でしょう。

短い歌詞の中で別離と再会を対比させています。すなわち、別離時は「話したくない」、再会時には「話すだろう」と対照的です。
なぜ話したくないか。(男女が)別れる時は、ものすごい精神的または物質的ショックです。別れるわけ(離婚理由)なんぞ列挙して吟味してたら、この世の地獄になってしまいます。
しかし、当人たちはそれをやってしまいがちです。「誰に聞いてもらったっていい! ひどい目に遭わされた」、「妻に殴られた、ストーカーされた」と内輪のことをそこら中に撒き散らすのです。互いに傷つき、元も子もなくします。

それでも、やがて再会して許し合える時がきたら、落ち着いた場所でドアを閉めるでしょう。二人にしか分からないことは、二人だけの空間でしみじみ話します。
その時はお互いの名前も要りません。「きみ」「あなた」で足ります。かつて、別れる時は「『おい』とか『なあ』とか呼ぶのはやめて! 私には名前があるのよ」と、角(つの)突き合わせていたのでした。

この歌が大ヒットした1970年代初頭はウーマンリブ(今はフェミニズムという)の走りの時代です。三行り半で妻に暇を出す(使用人だけでなく妻に対しても言った)ことはできなくなり、芸能人の泥沼離婚がゴシップになっていたと思います。
また、世間には別れたのに再びくっつくカップルもいます。男の方が未練たらたらで復縁したがっているのではないでしょうか。例えば東国原氏など……。
「復縁時に、昔別れた理由をディスカッションしなくてもいいじゃないか」という意見もあるでしょう。しかし、そこがこの歌詞の斬新さです。別れてまた巡り逢った二人の魂の遍歴、その心の物語が、再会時に語られるのです。
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書いていらっしゃるように二人で住んだ家を一緒に出てそれぞれの道を行こうということでしょう。


どちらかがどちらかを置いて行くのではなくて、お互い未練無く旅立ちをしようではないかということだと思われます。

くどくど言葉で説明はできないけれど、独りでもやって行けるんだと決めればおのずと見えてくる物がある。これはたぶん男の思考パターンとしては一番多いパターンではないでしょうか。
自分の決心をうたっているのですね。

二人で別々の道を行くのですからいままでの家は要らない→二人でドアを閉める
表札の名前を消す
心が話すのは「なにか」とぼかされています。つまりまだわかっていないこれからのこととか、自分たちが何を得て何を無くすのかがわかって行くだろうということではないでしょうか。

そう考えて行くと男の側からのもういいよ、わけは聞かない、という決心というように解釈できるのですが。そのようにはっきり書かない所が上手いのではないでしょうか。
ただ歌手の持ち味というか、歌い方からはそのような物を感じます。
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