私の質問に興味をお持ち頂きありがとうございます。
私は先日インド旅行に行って参りまして、多くの物乞いがいる事に驚きました。
そこでふと疑問に思ったのが、「お金を渡そうかなあ。どうしようかな」という事です。

皆さんならどうしますか?答えと、答えの理由を知りたいです。

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A 回答 (13件中1~10件)

 24歳、学生です。



 縁あってネパール等に旅をした事があります。

 ネパールには母と二人で行きました。当時私の所持金が規制されており、入国後数日間は文無しでした。観光地を強行軍でめぐり、時にはゆったりとお茶を飲んだりと、そんなバケーションの旅行です。
 観光地で、片足の無い障碍者が近づいて「お金をくれ」と言います。しかしそれは出来ません。そこで私はすっからかんの財布を見せました。するとすぐに、周りにいる群集と共に声高々に笑われたのを覚えています。
 恐らく観光地で稼ぐ見てくれだけの職業物乞いだったと思います。悲しいよりも怒りとか釈然としない気持ちが大きく、それはやはり恵んであげる立場、上に立った一方的な偽善によるものだったからでしょう。
 こづかいを貰ってからはちょいちょいとお金を渡していましたが、頭を下げる人、金額を見て鼻で笑う人、様々でした。正しいかはわかりませんが、本当に苦労なさっていそうな方、汚くて臭かったり、女性や老人を見つけてはお金を渡していました。

 はぐれた時の為に四・五万円のお金を持っていましたが、私はそれを換金しませんでした。帰国してゲームや漫画を買う事を考えて、換金すれば数倍の価値を持つそれに、物乞いが持てば更に何倍も価値を持つであろうアルバイトで数日で稼げるお金に固執してしまいました。
 過去を顧みても浅ましいとは思えど、後悔はあまりありません。知らぬ土地で知らぬ間にのたれ死ぬ、私には関与していないことで後悔はあまり生まれないのでしょう。冷たいと思われるかもしれませんが、これが隠さない本音です。

 その数ヶ月後、大阪にふらりと友人と言った際、物乞いをみました。故郷や育った地域ではいなかったので、高校生の終わり、日本で初めての出会いだったと思います。
 都会の喧騒の中、立派な歩道橋の上でただ地面を見詰め掲げるように大きな缶を差し出す老人した。私は友人といくらか話し、百円だか二百円だかの小銭をじゃらりと入れました。すると、それまで微動だにしていなかった老人が、地面を向いたまま深々とお辞儀をしました。二回りも三回りも若輩な、人生経験もほとんど全て私のほうが下です。生まれた環境、お金のあるなしくらいで、老人はまるで神に祈るかのように頭を下げたのです。
 それが無性に情けなく、自分を大いに恥じたのを覚えています。
 気まぐれに通った道で、気まぐれな偽善で、気まぐれな金額を渡す。まるで立派な人間ですよね。笑。


 私の今現在の考えは、施しはします。
 出来るだけ手渡しで、出来るだけ目線の高さを同じにして、子供には玩具かお菓子を添えて。言葉の通じない国で感謝を感じられるのは表情だけです。相手が嫌な気をしないように。
 その本質は、恩を感じられたい優位に立ちたい虚栄心と、良い事をしたいという偽善と、お金を有意義に使いたい満足感。代償は自己中心的な感情ばかりですが。

 仏陀の説いた生き方もキリストの兄弟愛も尊敬しますが、やはり今の私には出来ません。人を選び、自分を愛して、それでも余裕があるときだけ、施し・募金をするようにしています。
 緑化募金よりは震災支援を、震災支援よりはユニセフを。中年男性よりは中年女性を、中年女性よりは老人を、老人よりは子供を。なんて善意の施しとは言えませんが、これが欲にまみれた私の精いっぱいのラインです。

 幼稚な経験則からの考えになりますが、少しでも思考の足しにしていただければ幸いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
様々な考え方の変遷があったのですね。
どこまで行っても偽善という事実、わかります。
しかし私も、偽善も善と考えています。偽善を糾弾する人はつまるところただのケチであって、それを隠すために理論武装しているだけでしょう。

お礼日時:2012/08/07 23:11

中国に住んでいます。


中国の乞食は職業で、定時が過ぎたらポケットからiPhoneを取り出して友達を飲みに誘う、なんてホントの話なんですよ。
月収3000元(最低賃金の2倍)あると聞いたことがあります。

地元の人なら、そんなこと百も承知なんですが、あげる人が多いですよ。

わたしが仔細に観察したところ
(1)彼女の前で慈悲深い事をアピールしている。子供の乞食とかに対してね。 メンツを自慢したい男性に多い。
(2)臭いのがかなわないから、小銭で追い払う。電車の中が多いですね。本当に、小銭を捨てるように投げます。特にアッパークラスの女性。
(3)願掛け。 この行いがめぐりめぐって自分に幸福となり戻ってくる。そう信じている人がいます。農民工のような低収入の素朴な女の子など。

わたし?
いい男だったら上げますね。募金もそうしてるし。
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この回答へのお礼

人間観察が好きな方なんですね!
そんな職業を真面目にやる人がいるなんて驚きです。
私はインドに行った後上海にも行きましたが、さすがに上海には乞食はいませんでした…

お礼日時:2012/08/08 23:52

たびたびの回答、すみません。



お金とういのは、天下の周りものと言います。
自分が働く、親、家賃収入等、何らかの
形で生きるための衣食住を得る為の
世の中から回ってきたお金を持ちます。

お金は、総和ですので、自分が持っている
ということは、誰かの分のお金を合法的に、
奪っているだけです。

例えば、世の中に1億円しかなく、人口も
1億だとします。
一人1円持つことで、平等になります。
もし、私が、誰かから合法的に、1円奪う
とします。
そうすると、誰か、一人持たない人が
でてきます。
この究極が、貧困の差になり、ピラミッド
の形が成立して、一部の人だけが沢山の
お金を持つ、ということになります。

働いたから、不動産を貸しているから、
税金を収めているから、もらえて当たり前、
ではありません。
払ってくれる人がいる、もらえる窓口(会社)が、
正常に機能して、初めて成立しているのです。

平和ボケしてしまって、これらのことを、
日常の当たり前の流れと、感謝を忘れ
て高慢に思ってしまう。悲しいことです。

私は、それを忘れないために、渡します。
そして、このことも…

東北大震災で、自分の生活もやっとなのに、
チェルノブイリで被害に遭われた、多くの
方達が、義援金をしてくださった。
その方たちだけでは、ありません。
多くの、日本にゆかりの無い方達が、
がんばれ!と、差し出してくださって
います。
感動して、涙が止まりませんでした。
で、日本人の私が、他国で困った人を
見て、何もしない?
おかしくないですか?
義援金をもらったから、その国に、返す?
それも違います。
自分ができる時に、できることをすれば
いいだけです。
政治の問題かもしれません、ですが、その国
の政治家になることはできませんし、例え、
なったとしても、国を変える確証はありません。

それよりも、目の前の一人に、一食?一日?の
食事という、幸せを贈ることができる。
それで、十分ではありませんか?
一日分のお金を、一人の人に、毎日誰か
100人が渡したとしたら、その一人の
人は、100日生きることができる。
その間に、職にありつけるかもしれない、
そして、自立できるようになるかもしれない。
逆に、一生物乞いかもしれない。
でも、生きていないと、チャンスを得ることも、
チャンスを生かすこともできない。

我々も、回って来たお金を、一時的に預かって
いる立場なだけで、そういう形で、回すことも
大事だと思います。

そして、外国に行く時は、一人一人が外交官、
という意識で、日本人として誇り高い振る舞いを
すればいいと思います。

もちろん、外国に限らず、国内でも、助け合い、
支え合いの気持ちを忘れないで居たいです。

長文になり、すみません。
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結婚してインドに住んでいますが、普段から、なるべく上げる様にしています(特に、お年寄りや、障害者)。

上げる時、彼らは、私にではなく、『あ~神様有り難うございました。』っと、神に対して感謝の言葉を述べます(私の居住地はイスラム圏)。
彼等の為に寝泊まり出来る施設を作ってあげたり、一緒に仕事を探してあげたり、私の家に住まわせてあげたりなんて、私の力量では、とても出来ませんから、小銭を与えるだけで、彼等が神に感謝してくれるなら(それだけ嬉しかったという事ですよね?)大した犠牲には感じません。
因みに、彼等は、お釣りもくれるので、小銭を切らしていても大丈夫です。
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この回答へのお礼

神様に感謝するんですか!
そうですよね、ささいな助けになればこちらも嬉しいし向こうも嬉しいです。
お釣りをくれる物乞いは初めて聞きました
回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/07 13:24

海外では乞食もいろいろで、



涙ながらにただひたすら困窮を訴えるのは未亡人だ。
亭主を戦争で亡くしただの、子供が不治の病だのと
人間一般の義理人情に訴えかける、割には肉付きが良く血色も良好だ。

めくらや足なえ、不具奇形は道端に敷物をして器を前に座っている。
中には補償が不十分な戦役帰還者もこれに混じる。
たいていは夕方になると敷物を丸め自分の足でスタスタと歩いて帰る。

労働の対価を得ているので乞食とは言えないが
占断とか祈祷とか霊験あらたかなガラクタを売り物にする輩もいる。
頼みもしないのに靴磨きや車のウィンドウを拭いてくれる奴もいる。
前よりも汚れるのは気のせいだろうか。

一番厄介なのはくそガキどもだ。
雪のちらつく路傍で悲しそうな眼をして震える小さな手を差し出す。
俺は小便たれが大嫌いなので小銭を渡したが最後、
どこからともなくワラワラとガキの群れがたかりに来る。
中には「お前、さっき上げたよな?」みたいなのまでいる。



以上、何だかんだで全部恵んでまいりました、今晩はtaco8chです。
何、大したことじゃありません。
まさか全財産寄付しようってわけじゃあるまいし、
もともと海外で大金持って外出したりはしませんから。
ホテルまでの帰りのタクシー代とたばこ代さえ財布に残るなら。
幸い大けがもなしで生きて帰って来れました。
たぶん乞食の祈祷のおかげでしょう。

どうしても気が向かないときは、
ポケットを裏返して口をヘの字にして見せれば、
大人しく諦めて消えてくれます。
彼らは無一文には興味がないからです。

マハラジャでもない俺が小銭を恵んだからと言って、
俺の懐具合や乞食の希望のない人生に
わずかばかりも変化を与えるものではありません。
いわんやその国の経済状況をや。
彼らにしてみれば自尊心を削っての乞食なのでしょうから、
あなた乞う人、俺恵む人、
ここはひとつお互いビジネスライクにいきましょうじゃあ~りませんか。

劣弱者への同情と哀憐を演じるさもしい利己的満足と、
昨今は中国にその座を譲ったとはいえ
元祖アジアの成金の日本人の虚栄心を
こちょこちょとくすぐるその快感が、俺はこの上なく好きです。
いっひっひ。



インド製のお金を少しばかりインド人に返してやっても
お釈迦様の罰は当たらないんじゃないか?
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渡しません。



なんで苦労して稼いだ金を、他人に
渡さねばならないのですか。
渡す理由がありません。

かわいそうだというなら、それは
その国の責任であって、私の責任
ではありません。

まして、インドなどは、世界有数の
金持ちがひしめいている国です。
なんで外国人が渡さねばならないの
でしょうか。
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この回答へのお礼

貧乏な国は富める国に搾取されます
政治の常識です
全てがインド政府の責任ではないと私は考えますが…

お礼日時:2012/08/06 23:44

 


ここに回答寄せてる皆さん誰も分かっておらんよーなのでゆーておきます。

インドで物乞いに金を渡すとき感謝すべきはどちらの側になるか。

インドで物乞いに金を渡すとき感謝すべきは金をもらう物乞いのほーではなく、

金を渡す側のほーが物乞いに感謝せねばならんゆー理屈になっとるのである。

従って物乞いのほーは金をもらっても感謝などせず、金を渡したほーに対し金をもらってやったから感謝せーとこーゆー理屈なんである。

そんな事も知らんで「お金を渡そうかなあ。どうしようかな」などと見当違いのことを訊いて、これに答える皆も同じであるがアホらしくて開いた口がふさがらんわ。


 
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この回答へのお礼

開いた口が塞がらないとおっしゃりますが、恐らくあなたの言う善悪論、どっからか引っ張ってきたものですよね
自分の頭で考えず思考停止している人間に呆れられても、私は痛くも痒くもありません
あしからず

お礼日時:2012/08/06 23:47

タイでの経験です。



タイでは、乞食を職業にしているそうです。
朝、大勢でバスに乗ってバンコクにやってきて、物乞い行為をや
る。
なるだけ、可哀そうな風景を演出するため、赤子を連れて行く。
赤子のいない人のために赤子の貸出も行う。
その日の上がりの何分の1かは、バスを運行した親分に渡す。

こんな按配だったと記憶しております。
もっと酷い話も聞きましたが、書かないでおきます。

要は、物乞いは可哀そうさを演出し、旅行者はその演技に代金を
支払う、ということですね。

背景には、貧困ゆえの何でもありの世界観があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
そんなのもあるんですね…
気をつけます。

お礼日時:2012/08/06 23:48

「慈善は、相手のため(物質的な損得)ではなく、自分のため


(精神的な充足=愛他心)である」である、というのが資本主義的
生産性優先へのアンチテーゼです。
西欧は物質主義だと思われがちですが、実際はお金持ちは慈善
事業に普通にお金を出します(宗教的モチベーションですが)。
それは、貨幣制&即物主義の欠陥への補正であり、決して不自然
な事ではないでしょう(人類は全体で1つの生命体=助け合い)。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2012/08/06 23:41

日本でなら、渡しません。


私が中学、つまり昭和20年代、上野でもたくさんの傷痍軍人の物乞いが居りました。
でも当時は被扶養者のみぶんでしたから、渡しません。
今、大人になっていますが、私の収入は一定の目的のものであり、その範囲をこえるものではありません。
私は自分が、人様にそういうお恵みをするほどのものではないことを痛感しております。
で、相当に困っているひとがあれば、役所に連絡相談します。
友人が借用に来たとしたら、明確にお付き合いを絶ちます。考え違いも甚だしいので。
友人ではないが知人が借用にきたことがありましたが、断りました。
そして彼女は地域の古い区議さんの奥さんに数百万円借りました。
奥さんは誰にも言いませんでしたが、機会があって話題となりました(会議ですね)。
返ってこないことを知って、貸しましたということでした。

インドは物乞いが多いそうです。
私は、対応しません。
真の聖者、行者さんには、むしろもらってもらいます。
物乞いにきた場合は対応しません。
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この回答へのお礼

なるほど。
一つの考え方として、大変参考になりました!
ありがとうございました

お礼日時:2012/08/06 23:50

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文字化け解消サイト↓
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1、양아치(意味が2つあります)
乞食(こじき)
戦災孤児

(俗)って書いてあるから、俗語で日常的によく使われている言葉なんでしょうね。


2、거지:乞食(こじき)、物ごい

「こじき」と「物ごい」どっちでも使う事が可能なんでしょうか?


3、구걸:物ごい
구걸に하다をつけて、「구걸하다:物ごいをする」と、使うみたいですね。

1、こじき
2、こじき、ものごい
3、ものごい

2がひっかかりますね。
一体どっちの意味で使うのか

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5、ものごい
他人に物を恵んでくれるようにたのむ事。

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4と5の意味の違いは、このように解釈しています。

文字化け解消サイト↓
http://suin.asia/oshiete_goo.php

1、양아치(意味が2つあります)
乞食(こじき)
戦災孤児

(俗)って書いてあるから、俗語で日常的によく使われている言葉なんでしょうね。


2、거지:乞食(こじき)、物ごい

「こじき」と「物ごい」どっちでも使う事が可能なんでしょうか?


3、구걸:物ごい
구걸に하다をつけて、「구걸하다:物ごいをする」と、使うみたいですね。

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ちょっと碩学的なことはわからないのですが、お釈迦さまとヨーガの関係ですが、お釈迦さまが苦行系のヨーガを捨てて、悟りを開いたときにやっていたのがヴィパッサナー瞑想という古くから伝わっていたヨーガの瞑想法だと聞いています。(ヨガは種類が豊富なんです)


で、実際に「テーラガータ」という、当時、お釈迦さまについて修行していた比丘達の詩句の中にも、「お釈迦さまの経品について歩いた」とか、「お釈迦さまが食後の歩行をしているとき」・・・みたいな詩句が残されています。

この「テーラガーター」は、権威者の言葉ではないので、改ざんされている可能性も少なく、当時の教団の雰囲気を忠実に伝えているものだと言われている経典です。


まあ、これは「経品」と訳されていますが、実際はヴィパッサナー瞑想の歩く瞑想のことを指していると思います。 つまり日本に伝わっている経品とは違うものなんです。≪見た目は一緒ですが、心の使い方が違います≫ 
坐禅もヴィパッサナー瞑想と見た目は一緒ですが、中身が違います。

で、いくつかの経典に呼吸法に関しての教えも残っていますし、心の使い方についての教えもあります。八正道の正定に該当するのが、この瞑想だと思います。


と、いうことでお釈迦さま(仏教)とヨーガの関係は深いですし、今でも上座仏教圏では、この瞑想法を実践しています。

ちょっと碩学的なことはわからないのですが、お釈迦さまとヨーガの関係ですが、お釈迦さまが苦行系のヨーガを捨てて、悟りを開いたときにやっていたのがヴィパッサナー瞑想という古くから伝わっていたヨーガの瞑想法だと聞いています。(ヨガは種類が豊富なんです)


で、実際に「テーラガータ」という、当時、お釈迦さまについて修行していた比丘達の詩句の中にも、「お釈迦さまの経品について歩いた」とか、「お釈迦さまが食後の歩行をしているとき」・・・みたいな詩句が残されています。

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Q海外で物乞いの人にお金は渡すべきではない?

イタリアとスペイン旅行に行く際、
「スリと子供ジプシーには気をつけて」と散々言われました。

ジプシーというのを差別用語とも知らずにそのまま渡航
してしまったのですが、帰国後に彼らは「ロマ人」と呼ばれている
ことを調べて知りました。


両国、物乞いの人々はかなりいました。
彼らのほとんどは、高齢のようでした。女性は長いスカートで鮮やかな色彩の洋服。男女ともあまり身なりが良くはありません。

子供では見かけませんでしたが、
その人達がジプシー、ロマ人と呼ばれる人達だったのでしょうか?


あと、悩んでいる事があります。
イタリアの教会の前で一人の物乞いのおじいさんがお金をめぐんでくれと来ましたが、「一人にあげるとそれを見ていた他の物乞いも来るから、あげるべきではない」という注意を受けていたので、やんわり断りました。今までの他の国でもそうしていましたし…。

しかし、このおじいさんの雰囲気が何とも忘れがたいのです。
がめつさがないというのでしょうか…。
言葉には表しにくいのですが、他の物乞いにくらべて何とも柔らかい雰囲気を持った人でした。断っても笑顔だった人はこの人くらいでした。


今となっては少しだけでもお金を渡しておきたかったな、
と思います。ケチな自分が恥ずかしく感じています。
お年寄りだったせいでしょうか、何だか良心が今でも痛むのです。

次に旅行した時にどうするべきか悩みます。

お金を渡す事は、その人にとっても良い事ではないのでしょうか?

ちなみに教会の前のおじいさんは一人だけで、周りには
仲間のような人は見かけませんでした。

イタリアとスペイン旅行に行く際、
「スリと子供ジプシーには気をつけて」と散々言われました。

ジプシーというのを差別用語とも知らずにそのまま渡航
してしまったのですが、帰国後に彼らは「ロマ人」と呼ばれている
ことを調べて知りました。


両国、物乞いの人々はかなりいました。
彼らのほとんどは、高齢のようでした。女性は長いスカートで鮮やかな色彩の洋服。男女ともあまり身なりが良くはありません。

子供では見かけませんでしたが、
その人達がジプシー、ロマ人と呼ばれる人達だったの...続きを読む

Aベストアンサー

私はあげますよ。
実は物乞いをするだけでかなりの収入があるものなんだ、と書く人がたくさん出てくるでしょうが、そんなことは承知の上です。

>お金を渡す事は、その人にとっても良い事ではないのでしょうか?
良いことでしょう。お金をもらって困る人はいません。
その人を甘やかすことになるんだ、という理屈も成り立ちますが、そんな持って回った理屈で「厳しい」態度をとるより、小銭をあげて「ありがとう」といわれる方がよっぽど気分がいいです。
大体、物乞いを見えないふりして、シカトして歩くのは、かえって疲れます。

厳しさを見せるのなら、こんな方法もあります。
ある国で見かけたのですが、若い物乞いのお兄さんが、中年のおばさんにお金をねだっていたのです。おばさんは、ギロッとにらみながら、「あなた、若いんだからちゃんと働きなさい」と、一言お説教をして、お金をあげていました。

一人にお金を上げると、わーっとたくさん集まってきてしまうようなところもあるそうですけどね。
それは、確かにちょっと困ります。

なお、往来で財布を出すのは、要注意です。
旅行のときは、危険を分散するという意味でも、現金をいくつかに分けて持ち、そのうちのひとつを小銭入れにするとよいとおもいます。

ロマの人たちはヨーロッパのどこでも出会うことができます。
ご覧になった人たちがたぶんそのとおりロマの人たちでしょう。
子供もいますよ。
私には、なんとなく顔つきが違うように見えるので、わかると思っていますが。

>ジプシーには気をつけて
これ、旅行ガイドなどにも良く書いてあります。ご丁寧に「ジプシーは差別用語だ」とことわった直後に、「ロマに気をつけろ」と書いてあるのを見たことがあります。
ロマ=犯罪者集団、みたいな書き方こそ、差別の見本みたいな態度だと思うのです。
私は、特定の民族や国籍をあげつらって、犯罪者呼ばわりする言い方は大嫌いです。

私はあげますよ。
実は物乞いをするだけでかなりの収入があるものなんだ、と書く人がたくさん出てくるでしょうが、そんなことは承知の上です。

>お金を渡す事は、その人にとっても良い事ではないのでしょうか?
良いことでしょう。お金をもらって困る人はいません。
その人を甘やかすことになるんだ、という理屈も成り立ちますが、そんな持って回った理屈で「厳しい」態度をとるより、小銭をあげて「ありがとう」といわれる方がよっぽど気分がいいです。
大体、物乞いを見えないふりして、シカトして歩くの...続きを読む

Qインドの仏教僧について

お釈迦さまはじめ、シャーリプトラや龍樹、鳩摩羅什なんかは王族やバラモンといった上流階級出身だということですが、インドの仏教僧の中で、庶民階級以下の出身で有名な人はいるのでしょうか?

仏教は身分制度から自由だということですから、身分制度の厳しいインドでは抑圧された階級から仏教に身を投じるということも多かったのではないかと思うのですが、そうでもなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

 もうすでに一番有名な優波離(うばり)さんのお話が出ていますが、少しだけお話させていただきます。

>>お釈迦さまはじめ、シャーリプトラや龍樹、鳩摩羅什なんかは王族やバラモンといった上流階級出身だということですが、インドの仏教僧の中で、庶民階級以下の出身で有名な人はいるのでしょうか?

 もう一つ有名な方のお話としては周利槃特(しゅりはんどく)さんのお話があります。(もうご存知かもしれませんが・・)
 この方のお母さんは確かに大富豪だったらしいのですが、その家に仕えていたシュードラの男性との間の子です。
 この周利槃特さんにはお兄さんがいてこの方は優秀な方だったのですが、周利槃特さん本人はいつまでったっても仏教の一文句も覚えることができない非常に記憶力・知力に乏しい方だったようです。そこで、周利槃特さんを見かねたお兄さんは、
「お前は修行者には向いてないから、ここから出て自分にあったことをやりなさい。」
と、精舎(お坊さん達が住む所)から追い出してしまいます。周利槃特さんは肩を落として出て行こうとすると、お釈迦様が現われ周利槃特さんに、一本のほうきを渡して、「塵や垢を除け」と唱えながら、掃除をするように勧めます。そう言われると周利槃特さんは来る日も来る日も掃除し続けました。そしてそんなある時、この掃除は心の塵や垢(煩悩)を落とすのと同じだと気づき悟りを開かれたそうです。(靴を磨くバージョンもあります。)
 このお話もまた優波離さんのお話と同じように、どのような身分のものであろうと、どのように知恵の無いものであろうと仏教の悟りは開けることをあらわすエピソードだと思います。

 ちょっと余談ですが、この周利槃特さんは自分の名前も覚えられないほど知恵の無い方だったそうで、名札を首から下げそれを人に見せて名前を知らせていたそうです。そんな、周利槃特さんが亡くなられた後、そこからある植物が生えてきたそうです。それは、「名前を荷う(名札をを背負っている)」というという意味で「茗荷(ミョウガ)」と名づけられたそうです。だから、「茗荷を食べると忘れっぽくなる」というお話が生まれたんですね。


>>仏教は身分制度から自由だということですから、身分制度の厳しいインドでは抑圧された階級から仏教に身を投じるということも多かったのではないかと思うのですが、そうでもなかったのでしょうか?

 そうですね。在家の信者として仏教を信仰した方も数多くあります。お釈迦様がなくなる原因はきのこにあたった説・豚肉にあたった説と二種類ありますが、食あたりだったことは共通しています。
 このときお釈迦様は乞食の最中に最下級身分の方からきのこをお布施されます。このときお釈迦様はこれが毒きのこであることは分かっていました。なぜ食べないのか?それは、布施としていただいたものはすべて食べなければならなった。お釈迦様は最下級の身分のものからもらった物であるからといって差別することなく、そのきのこをお食べになったそうです。
 そして、御入滅直前には多くの王子様がお釈迦様のお世話をさせてくださいと懇願する中、お釈迦様は最後の世話を最下級身分の遊女に任せるのです。
 お釈迦様のこのようなエピソードを探せば、まだあるはずですよ。ご自身でお調べになっても楽しいと思いますよ。

 長々書き連ねましたが、急ごしらえのため誤字脱字乱文はどうぞご容赦ください。参考にしていただければ幸いです。
 合掌 南無阿弥陀佛

 もうすでに一番有名な優波離(うばり)さんのお話が出ていますが、少しだけお話させていただきます。

>>お釈迦さまはじめ、シャーリプトラや龍樹、鳩摩羅什なんかは王族やバラモンといった上流階級出身だということですが、インドの仏教僧の中で、庶民階級以下の出身で有名な人はいるのでしょうか?

 もう一つ有名な方のお話としては周利槃特(しゅりはんどく)さんのお話があります。(もうご存知かもしれませんが・・)
 この方のお母さんは確かに大富豪だったらしいのですが、その家に仕えていた...続きを読む

Qフランス・パリの物乞いの人々について

フランスはパリの街中で、よく物乞いの人を見かけます。かなり驚くことに、10代の女性(特に白人、イスラム教徒)までもがいて、この国の社会状況はどうなっているのかと疑わざるを得ません。

さて、きょうは子供連れの親子がスーパーの前で物乞いをしていました。母子家庭かどうかは別としても、これだけ社会保険が手厚い国で、生活保護も出ないのかと困惑してしまいます。もちろん、フランスに限らず、どの国でも発展国の貧困問題はあるでしょう。それにしても、と思います。

このような若い女性や親子が物乞いをしなくてはならない社会状況・問題はどこにあるのでしょう? また、このことを論じた書籍(日仏英語、どれでも可)や新聞の論説、あるいはサイトなどがあれば、ご教示ください。

Aベストアンサー

un monde sans vagabonds, telle est l’utopie de la societe de touristes .

le monde diplomatique aout 2000の記事を読んでみて下さい。
上記の文章は、その中にある一文です。色々と考えさせられる
事柄が述べられております。定住して生活をする人々から見る
社会とフランスで gens de voyage(直訳:旅の人→流浪の民)
と言われている人では、考え方が違うようです。

フランスの貧困はここ30年で大きく改善してきています。
1970年代に15%辺りが、2001年では6%程に
それでも貧困線(一人当たり月間480~650ユーロ
約85千円)以下の人口は3百万人おりますから。
ご存知のように、最近は高齢者よりも18歳から
24歳の貧困が大きな社会問題になっております。
詳細は添付統計局の史料を。ご覧下さい。
http://www.insee.fr/fr/ffc/chifcle_fiche.asp?ref_id=NATCCF04405&tab_id=58

参考URL:http://www.monde-diplomatique.fr/2000/08/MICHEL/14093.html

un monde sans vagabonds, telle est l’utopie de la societe de touristes .

le monde diplomatique aout 2000の記事を読んでみて下さい。
上記の文章は、その中にある一文です。色々と考えさせられる
事柄が述べられております。定住して生活をする人々から見る
社会とフランスで gens de voyage(直訳:旅の人→流浪の民)
と言われている人では、考え方が違うようです。

フランスの貧困はここ30年で大きく改善してきています。
1970年代に15%辺りが、2001年では6%程に
それでも貧困...続きを読む

Qインド哲学と仏教の関連性

インド哲学と仏教の関連性はあるのでしょうか?
釈迦はどちらにも出てきますし、発祥の地もインドですよね。

Aベストアンサー

やはり古代インドの哲学や宗教との関係性は大有りみたいです。

まず、仏教を開いたのはゴーダマ・シッダールダさんという
インドのとある王族の王子さまでしたが
なぜ、自分で仏教をつくったか?といえば
当時のインドの宗教(古代インド宗教)に満足できなかったからといいます。
当時の主流はバラモン教というものですね。
非常にナイーブで求道的だった王子は
皇族という恵まれた身でありながら生老病死を恐れ悩むのです。
ただし当時のインドで一番身分が高いのは宗教者(バラモン)で
皇族は2番目の身分です。
苦悩の王子は王家を出てバラモンに従事しますが、彼の悩みは解決しません。
そこでいくつかの宗教を転々とします。
その中ではジャイナ教に最も触発されたと聞きます。
でも、やっぱり満足出来なくて、独自の宗教観に至ります。
既存の宗教に満足できなかったということは
仏教は既存の宗教の否定から生まれている、ということであり
発想のルーツは既存の宗教の枠から出発しているわけです。
仏教のものだと思われている「輪廻」などは
実は仏教ではなく、それ以前の古代インドの宗教観のモノですよね。
仏陀は以前から信じられてきた「輪廻思想」を断ち切ったわけです。

オリジナルの仏教は、やがて小乗、大乗と分化しました(宗派が分かれた)が
その分化のプロセス(オリジナルの解釈が多様化するプロセス)には
インドの哲学観が大きく関与しているそうです。
詳しく説明できないんですが(以前読んだが、詳細忘れた・・・)
各派の解釈を戦わせる基準はインドの哲学観に基づいているんですよね。
ロジックの組み立て方が西洋とかかなり違うみたいです。

ちなみに仏教はインドを離れるにつれ、インドの古代宗教や哲学以外の
影響を受けるようになるのは言うまでもありません。

蛇足ながら、キリスト教はイスラム教から生まれた
イスラム教異端派の最大勢力だったわけです。

やはり古代インドの哲学や宗教との関係性は大有りみたいです。

まず、仏教を開いたのはゴーダマ・シッダールダさんという
インドのとある王族の王子さまでしたが
なぜ、自分で仏教をつくったか?といえば
当時のインドの宗教(古代インド宗教)に満足できなかったからといいます。
当時の主流はバラモン教というものですね。
非常にナイーブで求道的だった王子は
皇族という恵まれた身でありながら生老病死を恐れ悩むのです。
ただし当時のインドで一番身分が高いのは宗教者(バラモン)で
皇族は2番目の...続きを読む

Qホームレスに物乞いされて困ってます

うちの近所にホームレスの人がいます。

通行人が通るとときどきしつこく物乞いをします。

「どうかお金をください」とか「どうか食べ物をわけてください」とか言うので困ります。

今のところ無視してますが、懸命だと思いますか?

またその人はどこからも支援されてる様子もないんです。
それで1年以上物乞いをしてますが、どうやって食事は散髪をしてると思いますか?

その人は年中ボロボロの汚い恰好で近所の公園で寝泊まりしてます。
ふつうだったら亡くなっても不思議がないとも思いますが、どこかから支援をうけてると思いますか?

Aベストアンサー

無視して早足で逃げてください。
最悪、交番に入ってください。
(ただし逆恨みをかわないように、どうしても無視が聞かない場合に限る)

直接話しかけて実のある話をしてしまうと、ドンドン付け入られます。
ちょっとでも金品を渡すと、ドンドン要求がエスカレートしてくると思います。

支援はしかるべき団体がしていると思いますが、日常的な食べ物は地元の商店(コンビニなど)で売れ残りをもらったり、料理店のゴミ箱をあさったりしていると思います。

散髪はハサミで自分でしているか、仲間同士しているか、いくらでも方法があるでしょう。
正直、そこまで興味を持って追求する気もありません。

もしかして、かわいそうと思われているのでしょうか。
であればしかるべき団体に寄付をするようにしてください。
あるいは(あまりお勧めしませんが)今の生活をまったく投げ打つ覚悟で、専門的な勉強をしてちゃんとした支援団体に入って活動するか、どっちかです。

本人の責任100%でもないので、かわいそうな立場の人でもあるんですが、肉体労働をしたり、生活保護を受ければ、ギリギリ最低の生活で立ち直れるのに、そうもしていないわけで、困っている人にしつこく物乞いをしている時点で、脅迫しているとも考えられます。
無視および警察に通報が正しいと思います。

ホームレスの人は精神を病んでいる可能性が高いという報道もありました。
そういう人に、専門的な知識も覚悟もなしに近づいたり絡んだりすると、こちらがまいってしまいますので、注意してください。

たしかにいやな世の中ですね。
行政が対策して欲しいと思います。
何百年も続く問題なので、簡単には解決しないでしょうが。。。

無視して早足で逃げてください。
最悪、交番に入ってください。
(ただし逆恨みをかわないように、どうしても無視が聞かない場合に限る)

直接話しかけて実のある話をしてしまうと、ドンドン付け入られます。
ちょっとでも金品を渡すと、ドンドン要求がエスカレートしてくると思います。

支援はしかるべき団体がしていると思いますが、日常的な食べ物は地元の商店(コンビニなど)で売れ残りをもらったり、料理店のゴミ箱をあさったりしていると思います。

散髪はハサミで自分でしているか、仲間同士しているか...続きを読む

Qインド僧の漢訳名について

お釈迦様の十大弟子や、龍樹(ナーガールジュナ)や世親(ヴァスバンドゥ)など、インドの有名な仏教者は大抵漢訳名をもっていますよね。

その漢訳名はどうやって決まるのでしょうか?
先に訳した者勝ちで、訳し方の法則や決まり等は特に無いのでしょうか?

Aベストアンサー

「龍樹」(ナーガールジュナ)や「世親」(ヴァスバンドゥ)は、音訳ではなく、意訳です。

仏教学やサンスクリットを学んだのはもう随分前ですから記憶があやふやですが、「ナーガールジュナ」の「ナーガ」は「龍」「蛇」の意味です。
「ナーガールジュナ」は「龍樹」と言われることが多いのですが、他に「龍猛」や「龍勝」と訳されている場合もあります。この場合、「猛」とか「勝」というのはどちらも「すぐれている」という意味合いですから、「アルジュナ」はそういった意味を持っているはずです。ただ、「樹」の意味があるのかどうかは失念しました。「樹」は「じゅ」で「ジュナ」の音に近いので、「龍樹」は後半の「アルジュナ」の部分だけ音訳かもしれません(そういう例もたくさんあります)。

さらに、「ヴァスバンドゥ」の方も「世親」が一般的ですが、旧訳では「天親」です。
先に訳した者勝ちというなら、今も「天親」が主流であるはずですが、今の主流は「世親」です。

ということで、早い者勝ちというよりは、より“人口に膾炙した”経典に採用された訳が現在に流布しているという方がいいでしょう。

ちなみに、「龍樹」」(ナーガールジュナ)の音訳は「那伽閼剌樹那」「那伽阿順那」などがあり、「世親」(ヴァスバンドゥ)の音訳は「婆藪槃豆」「和修槃頭」などがあります。

さらに仏弟子の「富楼那」などはサンスクリット「Purna」の音そのままを漢字に直している音訳です。意訳すると「満慈子」や「満願子」などとなるようです。

仏さまで言えば、「阿弥陀仏」も、「Amitayus」あるいは「Amitabha」の音訳です。でも、こちらの場合、「無量寿仏」「無量光仏」という意訳も流布しています。

では何故、意訳で表記される人と音訳で表記される人がいるのかについては、謎です。
これまで連綿と伝えられてきた“伝統”というしかないと思います。

ただ、一つ、これは私の全くの推測ではありますが、宗派の中で重要視されている人物には「意訳」で表記される人が多いような気がします。
十大弟子は、一人一人、宗派の中で“教祖的”な位置付けをされている人はいないと思いますが、世親は唯識(法相宗)などでは“教祖的”な位置づけになっています。
また、意訳で表記される人は、総じてサンスクリット表記が長く、漢字にすると5文字以上になってしまう人が多いように思います。長ったらしいと書くのも言うのも面倒ですから、意訳されたのかもしれません。ただこの説ですと、音訳を短縮する場合(文殊菩薩=文殊師利〔manjusri〕菩薩の略)も多々ありますので、論拠としては弱いのですが。

と、長々と書いてすみません。
少しでも参考になりましたら幸いです。

「龍樹」(ナーガールジュナ)や「世親」(ヴァスバンドゥ)は、音訳ではなく、意訳です。

仏教学やサンスクリットを学んだのはもう随分前ですから記憶があやふやですが、「ナーガールジュナ」の「ナーガ」は「龍」「蛇」の意味です。
「ナーガールジュナ」は「龍樹」と言われることが多いのですが、他に「龍猛」や「龍勝」と訳されている場合もあります。この場合、「猛」とか「勝」というのはどちらも「すぐれている」という意味合いですから、「アルジュナ」はそういった意味を持っているはずです。ただ、...続きを読む


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