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批評や解説を読んでいると「音楽的な文体」「音楽的な文章」という表現に出くわすことがあります。
「音楽的な文体」とはどういう意味ですか。


ある本で音楽的とされていた上林暁の作品や、三島由紀夫の一部の作品を読みましたが、音楽的な印象は受けません。


・特定の子音や母音の連続が何度も出てくる(音楽である音型をくりかえし用いるように)
・文章の意味のひとつひとつを構成する部分の長さが長くない(音楽で数小節をひとフレーズとするように)

といった意味合いかと当たりをつけていますがなかなか実感できません。


また、音楽は、リズム・音の高さ・和音で構成されていますが、
リズムについてはスローテンポなものからハイテンポなものまであるので、どんな小説にもその小説のリズムがあるといえそうですし、
音の高さや和音についてはちょっとわかりません。


音楽的な文体とはどのような意味でしょうか。
よろしければ教えてください。

A 回答 (5件)

他の回答者の方々が技術的な側面から分析を試みていますので、私は補足的に別の側面から挑戦してみようと思います。



私は音楽的な文章と言われても、韻を踏んだりリズミカルであるというような技巧的な文章を想像しません。

音楽そのものの性質で説明すると分かりやすいと思うのですが、音楽になぜ価値があるのかというと、「ただの音階のはずなのにその組み合わせに感動してしまう」という神秘性、その作曲の難しさから来る作品の創出の希少性、「誰にでもその素晴らしさが分かるけれども、誰にでも作曲できる訳ではない」という偏在といった「普遍の理解」と「創出の稀少」のアンバランスが、音楽の価値たらしめているように、私個人は感じています。

これを三島の文章に当てはめれば、「誰でも美しいと理解する事はできる」けれども「三島にしか書けない」というような文章が出来上がって、それをして「音楽的である」と言ったのではないでしょうか。
ただの言葉の組み合わせであるはずなのに、違和感無く、しかもそれを美しいと自己が受け入れてしまう。こうした音楽に対する美的感覚の感動が文章上でも起こりえたのだ、という説明であれば私はこの音楽的な文体という表現に納得が行きます。
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具体的に音を問題にして行き詰まった訳ですか。

それはそうでしょうね。「音楽的な文体」という言い回しそのものが、詩の比喩だと私は思います。

なぜか。和歌などの定型詩は歌う事が出来るでしょう。たとえば、お正月に天皇の歌会で短歌を歌っているでしょう。あんな感じで、一応、節を付けて歌えます。だから詩は音楽の文体。
音楽的文体を持つ散文は、歌う事は出来ないが、詩と良く似て豊かなイメージを喚起する文体という意味に思えます。

音楽とは耳で聞くものばかりじゃありません。ラフマニノフの『音の絵』など、絵画的な音楽もあるでしょう?
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>音楽的な文体」「音楽的な文章



それを書いたひとの主観に属すること、ことばのあやなので、それに共感を得た人が理解すればいいと思って書かれたものだと思います。正確にこれだと説明することのできないものかもしれません。

私見ですが、一般的に詩文、それも定型詩に近い韻文といわれる詩は音楽に近い性格を持っているように思います。曲をつけて歌曲にすることが多いのもこの種の文学作品です。

上林暁の文は読んだことがありませんのでわかりませんが、三島由紀夫の小説の文章は凝ったものが多く、美文とされました。彼の文章が歌になるかと言われればよくわかりませんが、韻を踏むなど隅々に様々な工夫をされて、読んでいても高揚感が感じられるような文章が多いです。彼が戯曲を好んでよく書き、多くが傑作とされているのもわかるような気がします。舞台で朗々とうたうように話す台本の文章はやはり音楽に近い性質を持っているのかもしれないと思います。

明確な回答にはならなかったかもしれません。
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>音楽的な文体とはどのような意味でしょうか。


その文章を書いた人が主観的に「音楽的だ」と感じた文章です。他の人は「なるほど音楽的だ」と思うかも知れないし「全然音楽的じゃない」と思うかも知れません。
私は主観的に萩原朔太郎の詩を「音楽的だ」と感じますが質問者さんがそう思うかどうかは定かではありません。
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 1【序】危うし危機かじり ~ Stranger in paradise ~
 
 つぎの三冊は、クラシック音楽に関連する書籍を、わたしの本棚から
抜きだして紹介しましたが、いずれも場ちがいな内容でした。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691111 乱読のすすめ
 
── 三島 由紀夫《音楽 1965‥‥ 中央公論社 19700201 新潮社》
http://blogs.yahoo.co.jp/cookietoyboy/25264525.h …
 
── サガン/朝吹 登水子・訳《ブラームスはお好き 1959-19610501 新潮社》
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
 
── アラン/宗 左近・訳《音楽家訪問 1927-1965-19700101 白水社》
http://q.hatena.ne.jp/1240207067#a911976 アランの肯定論
 
 2【破】不可解 ~ 一に韻文、二に対話、三が散文 ~
 
 つぎの二人は楽譜が読めず、楽器の演奏もできなかったとみられます。
 しかるに、楽譜の読めない読者から、もっとも信頼されたようです。
 楽譜が読めなくても音楽を楽しめますが、論じることは不可能です。
 
── 百貨店に駆け込み、レコオドを聞いたが、もはや感動は還って来
なかった。 ── 小林 秀雄《モオツアルト 194612‥ 創元》
 
…… ベートーヴェンは、ゲーテの戯曲《エグモント》に感動して、劇
音楽を完成したが、ゲーテはベートーヴェンの交響曲《運命》を聴いた
とき「天才的だが、騒々しい」と感想をもらした。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6229553.html (No.4)
 共感・共鳴・共振 ~ うそかまことか出まかせか ~
 
 3【急】翻然一体 ~ 学楽同源 ~
 
 ベートーヴェンを学ぶには、かならずしもロランを読まなくてよいが、
ロランを読むには、かならずやベートーヴェンを学ぶべきです。
 
── ロマン・ローラン/豊島 与志雄・訳《ジャン・クリストフ(一)
第二巻 朝 19860616 改版第1刷 岩波文庫》
http://q.hatena.ne.jp/1281210517#a1031069
 とりかえばや仮説 ~ キャラクターの混在と併存 ~
 
 譜可解 ~ 歌は語れ、詩は歌え ~
http://q.hatena.ne.jp/1344673995#a1161673
 文中八策 ~ 聴き覚え、諳んじて語り、折々に記す ~
 
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