ギリギリ行けるお一人様のライン

史上最高の投手との呼び名も高い沢村さんですが、そんなにも特別な投手なのでしょうか?

沢村は、確かにノーヒットノーラン3回・最多勝・最多奪三振王が各2回、最優勝防御率1回と成績を残しています。

でも、本当に物凄いのなら、もっと破天荒な成績を残しているのでは?
と思うのです(全盛期の1936秋・1937春だけの限っても)。

例えば、1936は奪三振王と最優秀防御率は逃していますし、投手5冠王の1937春に限っても(防御率0.81、勝ち星24勝)、
他にも防御率0点代はいました。
確かにトップレベルですが、ダントツトップとはいえないとも思います。
1934年11月20日の全米を1点に抑えて有名ですが、
実は、それ以外の登板した日は滅多打ちされていると
言います。

沢村だけが特別ではないと思いますが、なぜここまで沢村は最高の投手とまで言われているのでしょうか?

因みに私は、沢村ファンです。

A 回答 (4件)

 数字だけではわからないものもあるのでは。


多くの人がその偉大さを讃えています。例えば、日本球界屈指の名将として名高い三原監督は最高の投手に躊躇なく沢村を挙げています。
 また、沢村の全米戦での好投がなければ、あんなに早く日本にプロ野球は誕生しなかったでしょう。日本プロ野球に与えた功績は計り知れません。彼は日本の野球殿堂入り第一号です。
 それらのことから、彼は史上最高の投手と言われているのではないでしょうか。

参考URL:http://shin1917.hp.infoseek.co.jp/
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 あくまで沢村栄治がいかに凄い投手だったかを証明する、ひとつの要素として回答させて頂きます。


 日本テレビの番組企画で沢村栄治の速球は何キロだったのかという企画があり、当時の映像を元に様々な角度で計算したところ、160キロ以上は出ていたそうです。
 
 
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いまのような完成されたシステムをもったプロ野球があったわけでないので、日常のトレーニングやらローテーションやら、試行錯誤していたはずです。

移動一つでも汽車でごとごと揺られながらですし。
いまの選手でも「波」はあります。(伊良部なんかとくに)昔の選手が安定した成績を残すのは難しいと思いますね。
そんななかで、「いいところ」だけでも「最高のピッチング」をできることがスゴイんだと思います。
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今晩は。

当たり前の話ですが、私は彼の投げている姿を見たことはありませんが、t4225さんの仰るように、彼は、打たれる時は、結構めった打ちにされたと実際、彼を見た人がそのように発言していました。

では、彼の何がすごいのかと言うと彼の投げる速球です。彼の球は、球質の重い「剛速球」ではなくボールの回転が良い球質の軽い「快速球」だったようです。軽いと言ってもそれはバットの芯に当たれば飛んでいく球ですが、それは当たればの話で、なかなか芯に当てるのは難しかったようです。このタイプの投手は、元国鉄の金田正一氏や元巨人の江川卓氏や現西武ライオンズの松坂投手などがいますが、彼らは、高めがホップして球が伸びてめちゃくちゃ速かたらしいのですが、沢村は、低めから伸びてホップしていたそうです。これを裏付ける話が、元巨人OBの故青田昇氏が、彼から「俺の一番速かった時は、ベース板の前の縁を目標に投げたものだよ。」と生前、聞いたそうです。それから何十年かたって、元東映の尾崎行雄氏からキャッチャーのミットを投げるとホップしてボールになるのでキャッチャーの膝めがけて投げたと言うことを聞かされたそうです。これを聞いて尾崎が捕手の膝めがけて投げたのに対し、沢村は、そのはるか手前の地面に向けて投げていたわけで、いかにそのボールがグーンと伸びてホップしたすごい速球で、160キロと言われるのも決して単なる神話や伝説の類ではないと思ったそうです。また彼の全盛期を見ている藤本定義、三原脩、水原茂、彼らは、彼の全盛期と江川の速球を見ても沢村の方が速かった言い、彼がナンバーワンだと言っています。

あと余談になりますが、彼の全盛期を知る故千葉茂氏は、彼のように低目から伸びる速球で、彼に似た最も近い投手は、「オリエント特急」と言われた入団当初の元西武の郭泰源投手と元大毎オリオンズの故荒巻淳投手の二人くらいだそうです。
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