
古代に刺青を入れていた可能性のある天皇(大王)は居ますか?
古事記には、大久米命の「黥利目」(目の周囲に施された入れ墨)を
見た時に伊須気余理比売が驚いたという記述がありますが、つまり
天皇家は刺青を入れていたという事ですか?という事は近畿の
豪族達は刺青の習慣が殆ど無かったという事でしょうか?
西の九州豪族が刺青を入れていたならば、やはり大和朝廷は九州で
成立し、近畿を征服、又は同化したという事でしょうか?では邪馬台国
があったのは当然九州という事になりますよね?
ここで疑問なのですが、神武天皇やそれ以降の天皇も刺青を入れて
いたのでしょうか?古墳時代以降に天皇は刺青をしなくなったと言う
のは本当ですか?例えば応神天皇は刺青をしていた可能性は有り
ますか?
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
どうなんでしょうね…
まず確認しておきたいのは刺青といった文化が何を意味するのか?という根源的課題ですよね。現在においては「癖邪」といった思想のもと、いわゆる体外から寄り来る病などに代表される邪悪なるものを遮断するため、呪術的に施したといった理解が一般的だとは思います。
その様な中で『魏志』においても刺青をみなしていたというのですから(海人を中心に)、邪馬台国の時代の当該地域においては刺青をいれていたんだという事なんですね。
そして天皇ないし大王が刺青をしていたのか?という部分ですが、我が国では、およそ4世紀ころから徐々に刺青の風習が衰えたのではないか?といわれております。根拠としては縄文期の土偶などとの比較の中で、古墳時代(4世紀)あたりの埴輪から刺青を思わせる装飾が施されることがなくなるからなんです。これはやはり前代よりも、より組織だった社会が生まれ、癖邪に関しても組織・系統だったあり方が求められ、実行されたからこそ、刺青といった方法をとることなく、たとえば魂をつなぎ止める仕掛けとしての勾玉などの装飾品が、癖邪に対する役割を演じてきているという事なのだと思います。
ですから、いくつか散見される質問の中で「古墳時代以降に天皇は刺青をしなくなったと言うのは本当ですか?」という部分に関しては、古墳時代以降は癖邪の思想の主役が刺青から装飾品に変わってきておりますので、もちろん大王(天皇)についても、仮に刺青といった伝統があったとしても、古墳時代からは徐々に見られなくなるのでしょう。そして「応神天皇は刺青をしていた可能性は有りますか?」についてですが、応神天皇を実在の人物と仮定して、では西暦何年ごろに活躍した人物なのか?といった部分から冷静に理解を深めてゆくべきではありますよね。
『魏志』により、邪馬台国という国家の卑弥呼と呼ばれる女王が活躍したであろう年代については、およそ248年より前と仮定することが可能ですが、はたして応神天皇は何年なのか?『宋書』には420年代に遣使している「讃」が仁徳天皇か履中天皇に比定されていることから、その父あるいは祖父として活躍する応神天皇自体は4世紀後半から5世紀初頭にかけて活躍されたのでは?と予測できます。
ですから、『魏志』により指摘される刺青文化は、およそ150~200年後にいたって、どのような形で継承されてゆくのか?巨大古墳としての前方後円墳の端緒とされる箸墓古墳については、およそ3世紀初頭の建造物とされております。ですから原則的には古墳文化、特に前方後円墳の歩みと機軸を同じくしながら応神天皇につながってゆくわけですから、どのような立場に立って応神天皇という人物を理解するかにもよりますが、いわゆる「ワケ王朝」といった新王朝である。との立場にたつにせよ、刺青をしていたかについては、はなはだ疑問と言わざるを得ないかなと思いますが。
shirokuro1533 様、回答ありがとうございます。
私は継体天皇(大王)の頃には刺青文化は確実に
廃れていたのでは無いかと思います。
応神天皇(大王)は私には九州王朝出身の人では
無いかと思えるのです。
崇神は神武と同一人物という説がありますが、どうも
私には九州王朝の捏造の臭いがします。
応神は九州の大王で崇神は近畿の大王では無いか?
と思うのです、刺青のエピソードも九州と関連付ける
為だとすれば、応神の頃まで刺青文化はあったん
じゃないかなあ?と漠然と疑問に思ったのです。
No.4
- 回答日時:
お礼についてだけ簡単に…
「古墳時代も同じ事で極少数の刺青を入れた埴輪が出土したからと言って、当時の天皇(大王)に刺青の伝統が有った証拠にはなりませんよね?」
はい。その様に回答文で申し上げたつもりですが…
No.3
- 回答日時:
前の回答に訂正です前方後円墳は4世紀初頭(301年~)の間違いですね。
最近は例の邪馬台国論争で三世紀中葉が築造年代であり、それこそ”箸墓古墳は卑弥呼の墓”といった論説も見られますが…僕としてはここはもう少し慎重に4世紀初頭とさせてください。もちろん、前回回答における3世紀発言は、単なるケアレスミスです<m(__)m>
いずれにせよ、刺青はその文化自体が衰退してゆきますが、消滅するわけではありませんからね。そういった中で、大王といった為政者にあって、装飾品ではなく刺青といった風習で、癖邪を実践するって考えにくいかな?とは思います。
もちろん前方後円墳に代表されるように、古墳時代における死者に対する、癖邪を含めた副葬に関しては次第に整っ形態を見せると同時に華美になってゆくわけなのですが、そこにこそ刺青衰退の理由を見出すのが自然ですし、史実の当否は別として、応神天皇が活躍した年代あたりに築造される古墳時代は、正に古墳の爛熟期にあたりますから、やはりそこは刺青はしていなかったのかなぁ?と僕は思いますが。
>応神天皇が活躍した年代あたりに築造される
古墳時代は、正に古墳の爛熟期にあたりますから、
やはりそこは刺青はしていなかったのかなぁ?
と僕は思いますが。
つまり、明治時代の風俗の絵に「丁髷」頭の人が描かれて
いたとしても、当時の人は「丁髷」の存在自体は知っていた
が散髪脱刀令が出ていたから「実際に髷を結っていた人は
少なかった」というのと似た様なモノですかね?
一般人レベルでは髷の人は極少数は居たでしょうが、岩倉具視
などの権力者は自身が率先して断髪していましたよね?
古墳時代も同じ事で極少数の刺青を入れた埴輪が出土した
からと言って、当時の天皇(大王)に刺青の伝統が有った
証拠にはなりませんよね?
No.1
- 回答日時:
まず古代史の常識から
>神武天皇やそれ以降の天皇も刺青を入れていたのでしょうか?古墳時代以降に天皇は刺青をしなくなったと言うのは本当ですか?例えば応神天皇は刺青をしていた可能性は有りますか?
神武を実在と決めつけておられるようですが、普通の学者というか歴史学を学ぶ学生であれば、神武も応神も実在した人物ではありません。古墳があるではないか、というのは反論になりません。あれは江戸時代の末期に適当に振り分けたものがほとんどです。
継体以降は実在するのではないかと思われます。それも天皇ではなく「大王」ですね
さて本題ですが、平安時代になると「天皇」・・・この言い方も対外的にしか用いないものです。日本列島の大部分を支配する「王」は、その時代の中華帝国の皇帝から独立した存在であるということを示すための概念です。日常的には使いません。・・・は、帝や主上などと呼ばれ訳ですが、だんだんと神聖化されてゆきます。
地面に足を付けることさえはばかられるようになってきます。またタブーとされることも多くなり、実際の政治に携わるにあまりに制限が多くなりました。そこから帝ではなくその父親である上皇が「治天の君」として権力を握るようになります。
また、中国の皇帝概念の影響から、顔を「竜顔」身体を「玉枝」などと言い換えるようになります。これは昭和天皇にまで影響しました。結局手術をしなかったのは「玉枝に傷を付けるなんて」という伝統が働いていたからです
以上のことから、天皇号が成立した奈良朝以降に「身体に加工をする」というのはあり得ない思います。従って入れ墨があったかどうかという視点から、ヤマト王権の形成過程を考察するという方法論は無理があると思われます。
poomen様、回答ありがとうございます。
>神武を実在と決めつけておられるようですが
いや、本当に実在したかどうかは分らないと
思います、150年以上も生きられる人間は
普通に考えて居ないでしょう。
ただ、刺青のエピソードは完全な作り話では
無いのかも知れないと思ったのです(そう
思わせる事が編纂者の目的ならば私は
まんまと、その罠にかかったと言う所でしょうかw)。
>継体以降は実在するのではないかと思われます。
「雄略」は実在の可能性が高い大王で有ると聞いた
事があります(王権の連続性が本当にあるのか
どうかは疑問ですが)。
雄略は「獲加多支鹵大王」の事ではないか?
という説も唱えられていますが、この説への反論も
あるという事でしょうか?
>以上のことから、天皇号が成立した奈良朝以降に
「身体に加工をする」というのはあり得ない思います。
記紀の成立は奈良時代でしたよね?
もし、奈良朝以前に刺青を入れる文化が過去の
朝廷(王権)にあったとしても、奈良期の記紀
編纂者達は「それはタブーだから無かった事に
してしまえ」と考えていた可能性はあるかも知れ
ない…と私は考えてしまいました。
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