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41歳男性です。

2年前に妻と離婚し、もうすぐ3歳になる娘とも離れて暮らしています。
女手一つで育ててくれた母は今年の2月に他界しました。兄弟はいません。

30代前半までは負けず嫌いな性格からの強烈な出世意欲に従って、仕事第一で生きてきました。
30代中盤に転職したことと、結婚を機に意識が変わり、家族のために稼ぐという意識が強くなりました。

しかし、離婚をして1人になり、そんな思いの支えがなくなった上でに、母を亡くし、
まさに孤独な状態になってしまって、何のために働くのか、極論を言えば
何のために生きるのかを見失って、毎日、生きるのが辛いぐらいです。
正直、死んでしまった方が楽だとつまらないことまで考えてしまうことがあります。

仕事にも今一つ身が入らないので、そこそこのパフォーマンスしか上がらず、
自分では中途半端な感じで毎日生活しています。

40歳前後の方々は、何を目的に、何を喜びに生きているのですか?
参考になればと思い、質問させていただきました。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (15件中1~10件)

美味しい物を食べる

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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。

美味しい物を食べるのは、大好きですが、それだけでは満たされない心境なのです。

お礼日時:2012/11/15 11:35

美味しいものを食べる



納得いかないなら、女でも酒でも他に楽しみを探すとよろしい!
さすれば、その楽しみを糧に生きていけるであろう!!

まぁ、自分なりの目的を探して下さいってことです^^
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。

自分なりの生きる目的を模索しているのですが、見つからないのが苦しいところです。
これだという目的が見つかれば、精神的には楽に生きられると思うのですが…。

お礼日時:2012/11/15 11:37

同じ境遇です。

41歳です、心に穴がポッカリ空いた様な気分です。バツイチです。仕事になれば気が張るので、良いのですが、休日は辛いですね。新しい恋も出来ていないし、、、。大好きな人がいますが。 何も良い事も考えられません。参考にならなくてすみません。がんばりましょう!
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この回答へのお礼

同じような境遇ですと言っていただけるだけで、ちょっと救われる気がしました。

私の場合には、仕事にもハリがなくなってしまい、本当にダメな状態です。

新しく好きな人もいないし、というか、好きな人を作る心境にも、なかなかなれない状態です。

頑張らないとダメですね。ゆっくりと頑張っていきます。

お礼日時:2012/11/15 11:39

中高年で、50歳の者ですが、貴方と似た境遇なのでお邪魔させていただきます。



家庭の崩壊2回、子供とは離れて暮らしています、親は健在ですが、家では一人ぼっちです。
会社は高学歴の年下上司の裏切りで、悪者扱い、降格とストレスにより手の震撼する病気を患いました。
仕事なんて、もう身が入る訳なんて、モチベーションもかなり低下しました。

単純に、つまらない人生だと日々、考えながらも、子供2人が経済的に困らない様に、踏ん張っているつもりです。

いっそ、死んだ方が楽と、思うこともあります。

ただ、思い残すこともあり、勿論、子供達のことです。
中学は、いじめで引きこもりでした、やっと高校生です。
今も心配です。

今は別居中なので、妻側に、きちんと生活費も支払っています。
子供達との面接交渉権も調停で、成立させました。
最初は妻の家へ送っていった帰りに車の中で泣きましたよ。
涙で運転が危なくなって、路肩へ車を停めて大泣きしました。

質問者さんも子供さんとの定期的な面接をされていらっしゃいますか?
夫婦は離婚すれば、ただの他人ですが、親子の縁の尊さを感じて下さい。

まだ、終わっちゃあ、いない!
ご自身の人生、ご自身のあるがままを受け入れ、思うがまま、愚直でも、前に進んで下さい。

辛い経験は、同じ経験の方々の目線になり、困っている人を助けてあげましょう。
私は、そういう気概で、相談箱へ回答して行きます。
経験を無駄に感じるより糧にできる時が必ず来ます。

目的?ただ、毎日を精一杯過ごす、疲れたらゆっくり休む。
この繰り返しです。
求めても叶わないことなんて沢山あります。

先ずは無駄な労力を抑えること、ここぞという時にパワーを蓄えるのですよ。

私は深く考えることをやめました、なるようにしかならない、好きにしやがれで開き直りながら、晩年を送ろうと思って、今に至ります。

参考にならずゴメンなさい。
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この回答へのお礼

ご意見をありがとうございます。

私も死にたいと思うことが、週に1回は訪れます。

それでも心残りに思うのは、離れて暮らす娘のことです。
月に2回会えているので、それが唯一の喜びですが、もうすぐ3歳の娘には、
パパは仕事が忙しいのであまり会えないと説明しているので、
「いっぱい会いたいので、仕事しないで」と言われると胸が苦しくなります。
最近は慣れてきましたが、離婚当時は娘と元嫁の家で別れた後に、よく泣いていました。

養育費は毎月しっかりと払っていますが、娘に対してできるのは、
面会で楽しい時間を作ることと、それぐらいですからね。

回答者様もお辛い時間を過ごされたことがよく分かりました。
共感できる部分もたくさんあります。

「深く考えることをやめました」このフレーズに尽きるのですかね。
私は深く考えることをやめられないので、いつもドツボにはまります。
周囲の人からも、まじめに考え過ぎと言われますが、こればかりはどうにもならないので。
個性とでもいうべきなのでしょうか?

結局のところ、悩みを解決してくれる方法は時間以外にないってことですかね…。

お礼日時:2012/11/15 11:49

私も6年前の40才の時、に離婚して今は一人で暮らしています。

兄弟は妹がいますが自分自身に子供はいません。3年前に付き合っていた彼女と別れ今は寂しい毎日を送っています。私の生きがいは恋人だと思っていますので良い出会いを求めて頑張っています。再婚は考えていないのですか?もし考えているのならそれを生きがいにしてはいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。

過去の失恋時は、新しい恋を求めることで乗り越えてきたのですが、
娘のことを思うと、その踏ん切りがつかず、今に至っています。

おっしゃる通り、新たな恋を目指さないことには、変化はないと思いますので、
そろそろ気持ちを切り替えて、前を向いて歩いていけるように頑張ります。

お礼日時:2012/11/15 11:52

アラカン親父です。


人それぞれ好きなことや欲望が有って、それをすることで喜びを感じ、満足してる場合が多いと思います。
ただそれだけでは、飽きや不満が出てくると思います。
やはり、人と喜びを共有したり、人のために役に立ったとか、喜んでもらったという事が、充実感につながると思います。
今の貴方には、その面でハンディーが有ると思いますが、仕事でも遊びでも少しでも喜びを共有できる人を作るのが良いと思います。
私も人並みの事をして、人並みの喜びでしたが、やはり家族の為に頑張って喜んでもらうのが、一番簡単で身近ですね。
同時に、仕事での達成感や感謝されることも、大きな喜びでした。
小さなことでも、感謝されることを意識して事をなすことが、意欲と達成につながると思います。
私は40過ぎの晩婚でしたが、子どももできて今は幸せに暮らしています。
夢と目標も持って生きれば、生きがいと喜びはついてくるものです。
まだまだこれからっですから、頑張ってください。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。

そうなんですよね。人に喜ばれること、人と喜びを共有することが、
やりがいみたいな人間なので、その最たるものだった家族がなくなって、
やりがいがなくなってしまったのです。

そういう存在をもう一度作るしかないのかもしれませんね。
娘には申し訳ない気もしますが、割り切って進むしかないのかなあ。

もう一花咲かせられるように、頑張ります。

お礼日時:2012/11/15 11:55

50歳(離婚経験)男。


人生いろんな事があります。
良いことは続きません、しかし悪い事も続きません。

人生、みんな帳尻が合うようになっているのです。

何のために生きているか? =生かされているんですよ。

そのうちに良い事あります。

腐らず、あせらず、過去を忘れて、前向きに、 心の持ち方で人生なんてどうでもなります。

自尊心を高く持って、人の悪口を言わないとか背筋を伸ばしてとか基本を大切にしていれば良い事はやってきます。

冬の次の春みたいに必ずやってきます。

ここはひとつ我慢、我慢、我慢です。(自分にも言い聞かしている)

これしかない。

幸せの次は、、、、、人生は帳尻が合うと思いますが。腐らないでください。
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この回答へのお礼

冬の次には春が来るですか…。我慢、我慢ですよね。
分かってはいるんです。頭では。でも、気持ちが持たない…。

3~4か月経てば春が来ると分かっているから、我慢ができると思うのですが、
自分の冬はどれぐらい長いのか?我慢しきれるのか?

そんな風に考えてしまうので、逆に怖くなってしまったりします。

帳尻合わせという意味では、生まれてから30代前半まで、割とうまくいっていたので、
その分、ドツボにはまっているのかもしれませんね。

トンネルを走っている時、向こう側に外の光が見えるとホッとできるのに、
カーブしていたりして見えないと、どこまで続くんだと不安になる。
今はまさに、後者の状態ですね。どこまでこのトンネルは続くんだろうと。

仮に、すっごい長いトンネルでも、外の光が向こう側に見えていれば、
自分なりのペースで前に進んでいけるのですが…。そんな心境です。

お礼日時:2012/11/15 12:01

孤独は、20代で猛烈に味わい、うつになり死んでしまいたい気持ちに駆られました。

孤独はもういやだと本当に思いました。ただ、孤独のつらさと死とどっちがいいかわからなかった。死がすぐそばにあってとても怖かった。

自分は孤独なんかに負けてしまう弱い人間なんだなって自分を責めました。なんで俺はそんなに弱い人間なんだって。

ずーと、耐えましたよ。孤独に。孤独というのは本当は自分が勝手に決めたこと。今思えばね。でもさその時の自分になんか絶対帰りたくない。そう思います。

その時かな、人間って弱いんだって気づいたのは。なんでみんな気づかないんだろうって思ったよ。なんでだと思う?怖くて気づけないんですよ。弱い自分に怖くて気づけない。

あなたは、たぶん気づけたのかな。誰だって弱いんだよ。自分だけなんて思うなら怒りますよ。

まだ41でしょ。さびしそうに歩いてる女の子なんていくらでもいるじゃありませんか。寂しさがわかったんでしょ。女の子の寂しさだってわかってあげてください。まもってあげてください。
寂しがりでもいいよってのが愛。どんなんでもいいよってのが愛です。

寂しいのは、あなただけじゃありませんよ。みんな強がってるだけだからね。しっかりして。あそこの女寂しそうって寂しがり女捜してよ。そんなんで俺たちはいいんだよ。最低でもいいじゃない。俺だって最低な男だよ。だけどさ、自分を守ってあげることって本当に大事なことだからね。

もう、前の奥さんはだめなのね。そうだとすれば、次だよ次!

ちなみに1個年上だよ。じゃあね。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。

孤独を感じたのは幼少の頃からですね。
母親に育てられ、夜の仕事に行っていたので、小学校の低学年の時は夜になると
近所の家に預けられていて、高学年からはずっと1人で夜を過ごしてきました。
1人でいることは自分勝手にできる気楽さがある反面、急に不安に襲われたりした時に
話す相手もいないので、しんどかったですよ。

自分でも分かっているんです。そんな環境で育ったので、大人数でいる時には
周囲に構ってほしいので、目立つ行動をしたり、取り入ってみたりしてきました。
この行動は、物心ついた時から変わらないんじゃないかと思います。

その反面、楽しい時間が終わるのがすごい怖い。
友達と旅行に行った場合も、その過程は楽しいけど、バイバイと別れた後
異常に寂しさを感じたり、飲み会でも帰路を1人で歩いている時に、
必要以上に落ち込んだりします。

そんな人間なので、常に傍にいてくれるというか、帰る場所がある家庭が
とてもうれしくて、安心できて。さらに、自分の子供が大好きで。

そんな状態がなくなったので、以前よりも孤独を感じるようになったんだと思います。

次だよ、次! 自分にそう言って、奮い立たせたい!頑張るしなないので、頑張ります。

お礼日時:2012/11/15 12:09

>皆さんは何のために生きていますか?



みんな世のため人の為。

でも、そんな毎日の生活の中でも、秋晴れの空を観たり、美味いぬる燗の酒をのんだり、古典音楽に感動したり、自分にとって幸せな一瞬ってのがあるから、これを大切にすることじゃないでしょうかね。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。

美しい風景を見て、美味しい食事を食べて、好きな音楽に感動して、
それらの行動で幸せだなって思えるような精神状態に早く戻りたいです。

生活が安定している時は、ちょっとしたことに幸せを感じられるものですよね。
今は、気持ちがちょっと、ささくれ立っているのかもしれませんね。

そんな時間が戻ってこないかな…。

お礼日時:2012/11/15 12:12

私は、私の「ため」にしか生きません。


確かに、誰かを支えることそのものは、人として生まれてきた限りは、いわば「業」のようなものですからそうしていくわけですが、しかしそれと「生きること」は、私の中では直結していないのです。

私は未婚ですけど、もし妻帯することになったとしても、子供が出来ても「妻子のために生きよう」とは思わないでしょう。
確かに力にはなるはずですが、いずれ人は別れて行きます。
死別もあるし、離婚もあるし、子供は自立もしますね?。
何一つとして「全ての力をかけるもの」ではありませんし、また、力というものは「かけあっていく」ものですから、自分が100パーセントの力を注いでも、その効果は決して100パーセントじゃないのです。
違う人間ですから、考え方も価値も違う。
そんな存在だからこそ、私は大きく力を傾けたりはしないし、相手の力を借りることも厭いません。
そして、私のスタンスは「自分が軸であるがゆえに」100パーセントの力ではなくても、相手に力を与えられるのです。

自身の力を誰かに預けきってしまうこと、それ即ち「死」です。
それは生きていることに反します。
相撲でも「死に体」という言葉がありますが、力が完全に逃げてしまえば、その先はもう戦えない…勝負事ですから、それはもう「死んでいる」ということになります。

自分を大事に出来ることが、誰かを大事にし、心をつないでいくためには絶対に必要なことなのです。
もう一度、ちゃんと自分自身の生き方を反芻してください。
「これでいいのか?」と。
まだ人生に続きはあるのですから。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。

自分のために生きるのは賛成です。
しかし、自分が自分を感じられるのは、大切な人のために何かをして感謝されたり
頼りにされたりした時なんです。

相手に依存する訳ではなく、自分でやり遂げるんですけど、
その目的が自分個人のためでは満足できない性質なのです。

相撲で言えば、相手があっての相撲です。1人では相撲はとれません。
自分の足で立ち、相手に委ねることなく自分の力で相撲を取り切ることはできても
相手がいないと相撲は成立しません。
1人で土俵に取り残されて、どうしていいのか分からないですね。

全力でぶつかっていける相手が、人生をかけて相撲を取れる相手が必要だと感じています。

お礼日時:2012/11/15 12:17

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