仮定の話です。創作中の童話のネタなんですが、ストーリー展開に詰まってしまいまして。
 ナンタラ王国という国があり、カンタラという国王が統治しています。さて、慈悲深いカンタラ国王は、国民同士が傷つけあうことがない友愛に満ちた国作りのために、ある日次のような法令を制定・施行しました。
  1.国民は他人の意見を批判したり否定したりしてはいけない。
  2.他人の意見に賛同できない場合は何も言わず無視すること。
 そこで質問です。このような法令が施行されたこの国は、この先どうなっていくでしょうか。
 ちなみに、このナンタラ王国は立憲君主政体をとっており、一応憲法や法律がありますが、国民の言動を制約するものばかりで国王の権能を制約する条文はほとんどありません。この国には議会もありません。またさらには、カンタラ国王には超能力があり、国民の言葉や国民が語り合う家を消したり、国民そのものを消したりすることができます。これは、この国においては、「歴史」をその元となる痕跡自体からして消すことができることを意味します。
 歴史をないがしろにする国がよい国になれるでしょうか。この国をよくしていくには、どうしたらいいでしょうか。いちおうその、童話ですんで、できればハッピーエンドにしたいんです。よろしくお願いします。

※ この国は仮想の国であり、実在する国や組織とは一切関係ありません。

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A 回答 (32件中31~32件)

あふ~~。

八方塞がりですねぇ。この設定。
確かにPEPSIさんの言う通り、意志の疎通は成り立ちませんねぇ。
するってぇと、御希望のハッピーエンドまで持ち込む前に
意志の疎通の崩壊を描かなきゃなりませんね。
んで、国王に「これじゃいかん」と思って頂き
崩壊した意志の疎通の復興をはかる努力をさせ、
大団円を迎えるしかなさそうです。

さて、問題はここで意志の疎通の崩壊を描かなあかんということですが、
これはどう描くべきもんやら?
まず、「批判」や「否定」ってどういうものかってことが
法律に触れた人を取り締まる上で定義として必要とされます。
そして、その基準がだんだんエスカレートして厳しくなっていくさまを
描いていくようにするしかないでしょうね。
箇条書きでどんどんエスカレートしていく順番に書いていきましょう。

・誰がいる前でも、目の前で、誰かの言ったことに「それは違う」と言う。
・他人の失敗を攻める<失敗の否定となる。
・てんじて、その失敗をしないための対策など講じる。<間接的に否定となる。
・誰かについての悪い噂を流す。
・憶測でモノを言う。<事実の否定となる。
・いやいや、本人のいないところで誰かのことを話題にする。<本人に言えないようなことは本人の否定とつながる。
・誰かの嘘を指摘する<嘘の否定となる。
・犯罪を発見、防止する<犯罪者の行動の否定になる。
・犯罪者を捕まえ、処罰を与える。<犯罪者の人権の否定になる。
・何かについて、意見をする。<ある意見には必ず反対意見というものが存在するのであるから、
なにかについて意見をすることは自動的に反対の意見に対する反対意見となる。

などというような過程を追って、国民はしだいに必然的に使用すべき
語彙をどんどん消失していくことになるでしょう。
そうなれば、国王の意に反して友愛どころじゃなくなります。
言語を失いながらも国王への鬱積した怒りが言葉に出来ぬまま、
蓄積されていかざるを得ないでしょう。

そのなかでは、国民は黙って国外逃亡したり、暴動がおきたりしそうです。
(ああ、童話っぽくないなぁ。)
しかし、誰にも国王のその法律が失敗であるとか、間違いであるとか指摘
することもできないわけですから、国王が自分でそのことに気づかなければ
法律の改正はされないわけです。
問題は国王に気づかせる方法ですよ。これ。
う~~~~ん、むずかしいなぁ..............
すいません、まったく思いつかないので、顔洗って出直します。

この回答への補足

 そうなんです。「否定を禁じたら言葉のデフレ・スパイラルが起きて言葉の意味が失われていく」、これは必然なんです。「AはBである」という肯定すら、「AはCではない」という否定を潜勢的に孕んでいます。スピノザが言うように「規定は否定である」ということです。カンタラ国王の「友愛の法」は、ナンタラ王国を崩壊の危機にさらすことになるでしょう。
 問題は、おっしゃるとおり、「どうやって国王に気づかせるか」です。その方法が問題です。その方法さえ見つかれば、ストーリーも展開できると思うのです。
 これから少しずつ、質問文で省いてしまった「設定」を小出しに追加していきます。まず「革命」や「暴動」はありえないということです。ナンタラ王国には軍隊がありません。だから軍事クーデターはありえません。また、国民はフルーツナイフ一本たりとも、武器を持っていません。ジャッキー・チェンのように「肉体そのものを武器に」するのもナシとさせてください。そもそも、どうやらこの国民の身体は「言葉の束」で出来ているようで、私たちが普通に考える肉体とはちょっとちがっているようなのです。
 ただ、そういう国でも唯一国王だけは「暴力」を行使できます。国民が語り合う「家」を、事前警告なしに消滅させることができるのです。これは「言葉の虐殺」です。この国の国民は言葉の束でできているらしいので、言葉の虐殺は確実に国民を傷つけます。しかも、そのような国王の暴力は歴史に残りません。ナチスに焼かれ虐殺された村が、地名ごと地図から消されたのと同じように、歴史を編む痕跡そのものから消されてしまいます。ほんの一握りの生き残りの証言から、その事件が「あったらしい」ことがうかがえるだけです。
 問題は、カンタラ国王にどうやってその暴力性を自覚させるかということにもつながるようです。

補足日時:2001/05/20 13:06
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「ちなみに」に関しては考えずに回答します。


「肯定だけ」でそれ以外はしないと言うことだと
「他人と意志の疎通ができない」と言うことになりますよね。
自分の意見は誰にも否定されず自分の言うことは正しい、そして反対意見は聞かない。
外には出ているけれど「引きこもり状態」ですよね
議論のない国は発展することもないと思いますよ。
国としても個人としても。
そして人と人のつながりも立たれてしまうので
国としては崩壊を辿ると思います

余計なことですが
最近のゆとり教育には今あげたような状況につながる気がします。

この回答への補足

 PEPSIさん、こんにちわ。いの一番の回答、ありがとうございます。
 そうですね、後から回答された方々も、やはり「ナンタラ王国に明るい未来はない」というお考えのようです。だから詰まってしまうのです。ストーリーが。何とか打開できないでしょうか。

 「ゆとり教育」については僕は「愚民教育」だと思っています。これは現実の日本の話ですけどね。町村さんとか、そのあたりの文部大臣たちは、未来の歴史の教科書ではあんまりよく書かれないのではないかと思います。「国益を損ねた」とか。…それでも「歴史」があるだけいいです。ナンタラ王国に比べれば。

補足日時:2001/05/20 13:07
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Q民訴法の口頭弁論等について教えてください。

例えば、261条3項ただし書きでは、『口頭弁論等の期日』として、「口頭弁論、弁論準備手続又は和解の期日」があげられていますが、準備的口頭弁論は、「口頭弁論」の一つとみてもよいのでしょうか?それとも、準備的口頭弁論は、弁論準備手続とどこが大きく違うのでしょうか?168条の「当事者の意見を聴いて」にその違いがあるのでしょうか?

Aベストアンサー

「例えば」って書いてあるじゃんねぇ?明らかに主題は、準備的口頭弁論って何?弁論準備手続とどう違うの?だよね。
大まかな説明だけにします。詳しくは、民訴法の教科書読めば必ず書いてあるのでそっちに譲ります。

>準備的口頭弁論は、「口頭弁論」の一つとみてもよいのでしょうか?
そうです。と言うか、まさしく「口頭弁論」に他なりません。
「口頭弁論」を二段階に分けて、まず争点および証拠の整理を行うために行う「口頭弁論」を準備的口頭弁論と呼ぶだけです。言い換えれば、「口頭弁論」を専ら準備手続に利用する場合を準備的口頭弁論と呼ぶのです。

>それとも、準備的口頭弁論は、弁論準備手続とどこが大きく違うのでしょうか?
#なんか日本語が少し変だけど。
「口頭弁論」であることが最大にして唯一の根本的な違いです。細かい違いは全て「口頭弁論」であるか否かによって決まる結果的な違いに過ぎません。
一例として例えば、弁論準備手続と実際にやることは大して変わらないのですがあくまでも「口頭弁論」なので公開の法廷で行う必要があります。公開しないとか大嘘です。準備的口頭弁論も「口頭弁論」である以上は原則として公開しなければなりませんし、当然、それは法廷で行わなければなりません。そのため少々面倒なので本人訴訟で済むような小さな事件ではあまりやりません。
例えば、「口頭弁論」なので争点および証拠の整理に必要な限度で文書、準文書に限らずあらゆる証拠調べを行うこともできます。争点および証拠の整理に必要である限り、「口頭弁論」で行える手続きを全て行うことができます。だって、「口頭弁論」なんですから。

>168条の「当事者の意見を聴いて」にその違いがあるのでしょうか?
そもそも違うから意見を聴かねばならないのです。
弁論準備手続は「口頭弁論」ではないので非公開で行います。ですのでやれることに制限があります。そうすると当事者によっては制限の少ない準備的口頭弁論の方が良いということもあり得ます。そこで、手続き保障的な意味合いで当事者の意見を聴きます。つまり、当事者の意見を聴くこと自体は、「口頭弁論」でないことによる派生的な結果に過ぎません。「口頭弁論」でないという点が根本的に違うから当事者の意見を聴くだけなのです。もっとも、準備的口頭弁論を行う場合でも当事者の意見を聴いてはならないわけではありませんが。
また、「口頭弁論」でなければ行えない手続きは行うことができません。例えば証拠調べは文書及び準文書に限ります。また原則として非公開ですから傍聴はできません(一定の場合に傍聴を許可することはできる)。だって、「口頭弁論」ではないのですから。

「例えば」って書いてあるじゃんねぇ?明らかに主題は、準備的口頭弁論って何?弁論準備手続とどう違うの?だよね。
大まかな説明だけにします。詳しくは、民訴法の教科書読めば必ず書いてあるのでそっちに譲ります。

>準備的口頭弁論は、「口頭弁論」の一つとみてもよいのでしょうか?
そうです。と言うか、まさしく「口頭弁論」に他なりません。
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Q創作活動のモチベーション

音楽でも小説でも、スポーツでも良いのですが、何かやっている人、そのモチベーションはどこから来ますか?

当然、好きだから、が一番だと思いますが

好きだから、の人はそれの何が好きなのかを教えてください

ただそのものをやるコト自体が好き、という最強の好きを持ってる人は一握りだと思います

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そんな時でも尚創作活動にむかえるようになるモチベーションはどうすれば沸いてくるでしょうか?

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Aベストアンサー

モチベーション(動機)というのはそれをやりたいという気にさせるなにものかですから、一番わかりやすいのはプロフェッショナルの動機である報酬、対価を考えればいいのではないかと思います。それ以外にもアマチュアにおける金メダルのような、社会的な名誉がありますね。しかし若いエリートの引退ニュースにも見られるように、どんなに報酬を積んでもモチベーションが途切れることはあります。おおかたは疲れた、肉体的な限界を感じたというような理由ですが、基本的には、これ以上どれほど精励しても上位が望めないという意味での限界からの引退だと思われます。もちろんいい意味では自分が目標とした地点に立つことが出来たという達成感もあるでしょう。
上記のことから考えれば、ひとの特別な行動を促すモチベーションは、やはりその人の目的とその位置への達成度の差、それを埋めるための努力が報われているかどうか、今後その努力に対する目に見える向上という報酬(達成感)が得られるかどうかという期待度によるのではないかと思われます。その期待度が0になればモチベーションはなくなってしまうでしょう。
つまり、モチベーションを維持するためには、絶えず目標を自分が達成可能な範囲に設定し、それに向かって近づいているという気分を維持できればその努力行動は維持できるということでしょう。
実際の例をあげると、単にだらだら英語会話教室に通うのではなく、ひとつの目標を立て、たとえば1年以内に準2級の検定合格をめざす、というふうに設定すれば、その努力を維持することができるのではないでしょうか。準2級がパスできれば、今度は準一級を目指すというふうにすればいいのです。
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ご参考になれば。

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Q最終弁論後の和解

裁判で弁論を終結した段階では和解に応じていなかったのですが、その数日後に和解に応じることはまだ可能ですか?
来月判決言い渡しです。

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裁判所が一旦弁論終結宣言すれば、再度の和解はできないです。
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Qディオニュソス的な肯定

こんばんは。

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「ディオニュソス的」という言葉はニーチェの言葉で、「アポロン的」という言葉の対概念です。
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Q論文のテーマが決まりません。

論文のテーマが決まりません。

私は附属高校の生徒で、内部推薦を希望する場合は8000字以上の論文を提出しなければなりません。(小論文ではなく論文です。)

論文を書くのは初めてなので、自分の身の回りのことや、できるだけ具体的なテーマを選び、範囲を狭く絞り込まなければなりません。

考えても考えても、何もテーマが思いつきません。
本当に困っています。

どうか、どなたか論文のテーマを挙げてくださらないでしょうか。

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 法学部の政治学科を志望とのことですが、「政治学」と一口に言ってもその間口は余りにも広い。その中で自分の日常生活との関連性で題目を見つけようとしても、地方自治論もあれば選挙制度の問題、住民自治と地方行政の関わり方など多種多様な切り口があります。
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 論文だからといって肩に力を入れず、かといって気を抜くこともせず、常に自らを対象化して冷静に筆を進めることが大切です。

 法学部の政治学科を志望とのことですが、「政治学」と一口に言ってもその間口は余りにも広い。その中で自分の日常生活との関連性で題目を見つけようとしても、地方自治論もあれば選挙制度の問題、住民自治と地方行政の関わり方など多種多様な切り口があります。
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Q否定と肯定

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肯定の肯定は否定になりません

否定は肯定の反対のはずですが?
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なんでかな。お馬鹿さんに教えて。

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fishbowl66さん面白いこと言いますね。

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つまり、

○肯定は前の結果に順ずる
○否定は前の結果の逆になる。
○肯定的な言葉は否定的な言葉が出ない限り必ず肯定。
○肯定的な言葉がいくつ続いても最後に否定的な言葉がついた場合、結果は否定になる。
○否定的な言葉が続いた場合、逆転を繰り返して、結果が決まる。

わけですね。私にとってもこの問題は面白くて為になりました。ありがとう。

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PS用ソフト「テーマアクアリウム」を持っているのですが、
全然全く進む(?)事ができません。
まず魚を育てる事ができません(下手過ぎ・・・?)
すぐに水が濁って死んでしまいます。(スタッフは雇ってます)
最初の一歩で挫折してしまってます。
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Aベストアンサー

すぐに水が濁るってことは、エサの量が多いのでは??
魚の割にエサは少なめにしたほうが水質管理にはいいですよ。
時折水槽内の魚の様子を見てお腹がすいたマークが出ないくらいのところで調節してみてください。
最初はスタッフの能力が低いのできっちり水槽のケアができないですよね。
アクアキーパーの掃除能力の高い人をできるだけ選び、勉強会も開いて早くスタッフのレベルアップをしていくといいです。
あとは濾過装置やポンプなどの設備の開発を早めに行っていくといいです。
濾過装置は容量ギリギリまで水槽を設置すると水の汚れも激しい上に機械への負担もかさんで早く傷みます。
ちょっと見ないうちに機械が壊れて大変なことになったりします。
最初はお金がないので設備開発になかなか資金投入ができないと思うのですが、少しでもお金を入れていけばいつかできますから、水槽などの開発より先に設備のほうにお金をかけていくといいです。
イルカが来るとまたさらに楽しくなりますから頑張ってください。

Q(旧約聖書)復讐を肯定?否定?

関根正雄訳 ヨブ記第16章 第18節
大地よ、わが血を蔽うな、
わが叫びは墓に下るな。

注釈には「血の復讐の考え方が背後にある。殺された者の血は地下から神に向かってその復讐を叫ぶ。」とありましたが、これをどう読むのかが分かりませんでした。ユダヤ教の教理では復讐が肯定されていますか、否定されていますか。神による復讐でなく、人による復讐です。

1
http://park10.wakwak.com/~ebible/bsrch/index.html において
1) 検索窓には「復讐」を入れる。
2) ANDとORはどちらも可。
3) 「最初に一致した節から連続」のチェックを外す。
4) 「旧約」にチェックを入れる。
5) 「新共同訳」にチェックを入れる。
6) 「表示開始行」に「1」を入れる。
これで検索したところ38件ヒットしましたが「復讐」を教理として肯定しているのか、否定しているのか判断できませんでした。

教理として肯定している場合は
>> 3 レビ記 19:18 復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。
これの意味を解説して下さいませ。
また、否定している場合は
>>5 民数記 35:19 血の復讐をする者は、自分でその殺害者を殺すことができる。彼と出会うとき、自分で殺すことができる。
これの意味を解説して下さいませ。

2
肯定しているにせよ否定しているにせよ、それが背景にあって起きたと考えられる著名な出来事を、第二次大戦以後のイスラエル政府の対応の中に見出す事ができますか。

1だけでも結構です。よろしくお願いします。

関根正雄訳 ヨブ記第16章 第18節
大地よ、わが血を蔽うな、
わが叫びは墓に下るな。

注釈には「血の復讐の考え方が背後にある。殺された者の血は地下から神に向かってその復讐を叫ぶ。」とありましたが、これをどう読むのかが分かりませんでした。ユダヤ教の教理では復讐が肯定されていますか、否定されていますか。神による復讐でなく、人による復讐です。

1
http://park10.wakwak.com/~ebible/bsrch/index.html において
1) 検索窓には「復讐」を入れる。
2) ANDとORはどちらも可。
3) 「最初...続きを読む

Aベストアンサー

日本語での検索にだけ頼るのはおやめになった方がいいと思います。ユダヤ教、キリスト教などについての日本語のWikiと英語版Wikiを比べれば後者の方が常にはるかに詳しく正確です。
 さて、旧約における復讐といえばやはり「目には目を」の限定的報復の原理でしょう。片目をつぶされたら相手の片目を、腕を一本へし折られたら相手の腕を一本・・・
 「目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、生傷には生傷、打ち傷には打ち傷をもって償わねばならない」(出エジプト記24-25)
  これはもともと古代バビロニアのハムラビ法典にある言葉で、古代オリエントでは常識になっていたと思われます。この原理はユダヤ教徒だけではなくイスラム教徒にも受け継がれています。つぎのサイトを覗いてみてください、現代でもこの規定が実行されている国があるようです。
http://amor1029.exblog.jp/1871825/
 1発殴られたら1発殴り返せ、というのは、一発殴られたら10発殴り返せというよりは人間的な感じがします。今のイスラエルもハマスからのロケット攻撃があればそれを我慢せずに必ずハマスの基地をさがしてミサイルで報復していますね。原理的には「目には目を」の原理は今も生きているように思います。
 旧約のこの「目には目を」の規定については英語版Wikiをよく読んでください。日本語版にはなにも書いてありません。
http://en.wikipedia.org/wiki/An_eye_for_an_eye
旧約のこの規定に対してイエスが「右のほおをなぐられたら左のほおを差し出せ」と教えていますが、キリスト教徒でイエスのこの高貴な教えを守っている者はひとりもいません。

日本語での検索にだけ頼るのはおやめになった方がいいと思います。ユダヤ教、キリスト教などについての日本語のWikiと英語版Wikiを比べれば後者の方が常にはるかに詳しく正確です。
 さて、旧約における復讐といえばやはり「目には目を」の限定的報復の原理でしょう。片目をつぶされたら相手の片目を、腕を一本へし折られたら相手の腕を一本・・・
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Q修士論文のテーマの決め方について

卒業論文を経験せずに、他大学の院に進学する者です。

修士論文のテーマが決まりません。入試の際に簡単な計画書は書きましたが
今になってその研究がまったく見当外れのような気がしています(受かったということは研究する意味があると判断されたのかもしれませんが)

そこで、お聞きしたいのは
1.研究テーマはいつごろまでには決まっていないとまずいでしょうか?
2.テーマは今の自分には到底できそうもなく、今後2年間の勉強により可能になりそうな難しいテーマ
(例えば、今の自分には到底できないフーリエ変換・ラプラス変換やプログラミングなどを使ったテーマ)を設定するものなのでしょうか?それとも今の段階でできそうな、その気になれば3ヶ月くらいで出来そうなテーマを考えるのでしょうか?

研究に対するアプローチがわからず困っています。また、教授には自分でテーマを決めなさいといわれています。

どうか助言をいただけないでしょうか。よろしくお願いいたします

Aベストアンサー

>1.研究テーマはいつごろまでには決まっていないとまずいでしょうか?

修士2年の後半

>2.テーマは今の自分には到底できそうもなく、今後2年間の勉強により可能になりそうな難しいテーマを設定するものなのでしょうか?それとも今の段階でできそうな、その気になれば3ヶ月くらいで出来そうなテーマを考えるのでしょうか?・・・教授には自分でテーマを決めなさいといわれています。



変な研究室で、院生の状況を分かってない教授のように思います。

要するに院生にもなってない学生が自分で決めれるわけがないでしょう。研究室のポテンシャルが重要なファクターで、それがあなたに十分把握できているとは到底思えません。
従って、ともかく決めろというのであれば、ある程度自由度の大きい設定にしておけばよいと思います。研究室の内容がわからないので絞りようもありませんが、たとえば、あなたの(例えば)から類推して「数値解析による***エネルギー変換システムの研究」とか「****システムの数値シミュレーション」とかが思い浮かびます。***のところに研究室の研究分野を入れてください。

どうせ時間があるのでしょうから、当該研究室へ赴いて先輩たちと話してきたらどうですか。研究施設を見るだけでも方向性が見えてきますよ。

>1.研究テーマはいつごろまでには決まっていないとまずいでしょうか?

修士2年の後半

>2.テーマは今の自分には到底できそうもなく、今後2年間の勉強により可能になりそうな難しいテーマを設定するものなのでしょうか?それとも今の段階でできそうな、その気になれば3ヶ月くらいで出来そうなテーマを考えるのでしょうか?・・・教授には自分でテーマを決めなさいといわれています。



変な研究室で、院生の状況を分かってない教授のように思います。

要するに院生にもなってない学生が自分で決めれるわけ...続きを読む

Qイエスの磔刑は自己否定か自己肯定か

講談社学術文庫 立川武蔵著「空の思想史」
~イエスの十字架上の犠牲は自己否定そのものだ。自己を犠(いけにえ)にして人々の罪を贖(あがな)ったと考えられてきたのである。~

イエスの磔刑は自己否定ですか。聖書だけを資料とすれば強烈な自己肯定そのものに思えますが、どんなものでしょうか。
仮に自己否定でないとしても、筆が滑ることはありがちなので著者の鑑識眼を云々するものではありません。必要ならば自己肯定と読んでいる私の認識を改めなくてはならないとの動機で質問します。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

掲げられたテクストの見解は、あまりに偏狭で幼稚にすぎると思います。なぜ、いけにえが自己否定なのでしょうか?イエス自身が、生存こそ自己肯定であると措定していて、筆者がそれに追従しないかぎりは、ありえない見解であると考えます。

 そもそも、イエスが神であるならば、自己を肯定も否定もする必要がありません。人の子も感情は持ちますが、われわれのように、自己の正しさを懐疑しては、もはや神とはいえないのです。神は絶対なので、自己を懐疑する必要もありません。十字架と復活は、子なる神の証明としての予定調和ですから、父なる神の意志を受け入れた、主体的な行動です。

 ちなみに、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」は、神意への懐疑ではなく、イエス自身が、まさにわれわれと同じく、痛覚を有したことの暗喩であると考えます。自己肯定も自己否定も、人間の証明であり、どちらかに当て嵌まるなら、イエスは神とはいえません。自己を超越している者が神なのです。子なる神の臨在は、肉によらず、霊によります。神には自己がありません。


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