『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

舞妓さんは300年くらい前からいたそうですが、昔の舞妓さん、芸子さんはどのような生活をしていたのでしょうか。
(1)今の舞妓さん、芸子さんと違う点
(2)1年を通して、もっとも忙しい時期はいつだったのか、
(3)舞妓さん、芸子さんの習慣や行事
(4)その他

など教えていただけるとありがたいです。

なお、ウィキペディアは読みましたので
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9E%E5%A6%93
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E5%A6%93
ウィキペディアには書いていないような情報をいただけるとありがたいです。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (5件)

こんばんわ。


私は、自称「歴史作家」です。

>>(1)今の舞妓さん、芸子さんと違う点

江戸時代に書かれた「古今役者大全」によると、
「諸方へ召され舞事(しょさ)をして、それを業(なりわい)とするを芸者といひ・・・」
とありますが、やがて、専(もっぱ)ら踊を担当する者を「踊子」と呼ぶようになった。・・・とあります。

大道寺友山の「落穂集」には、
「野も山も踊子、三味線弾きばかりのようになったのは、元禄以来の事であろうか。女の子を踊子などにするには、親達も物入りであるから、五百石や千石の知行取の武士を目当てにすることではない。せめて六~七千石から万石以上の領主、或は国主の方へ奉公させたい願いで、師匠を択し(たくし=選び)物入り構わずに稽古させることである」
とあるように、踊が上手であることが、奥入りでは大変な出世コースに乗れる要件だったのかも知れません。

従って、踊子は元禄時代(1688~)から三味線や琴、鼓(つづみ)なども習うが、踊を専門とするようになったようです。

そして、舞妓についてはWikipediaにあるように水茶屋が原点のようですが、昭和45年の赤線が廃止されるまでは、舞妓が一人前になる証として「水揚げ」(贔屓の旦那に処女を捧げる)の儀式がありましたので、どちらかと言うと、やや「遊女」に近い部分があったと考えます。

そして、「芸子」(芸妓・げいこ)の見習いを「舞子」と呼ぶようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E5%A6%93
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

歴史?については(4)その他でお答えします。



>>(2)1年を通して、もっとも忙しい時期はいつだったのか

やはり、秋でしょうね。
京都は吉野(山)や色々な寺院での紅葉が見ごろになりますから、人出も多くなり、ひいては、舞妓や芸子を呼んでのドンチャン騒ぎも盛んになるでしょう。
また、夏の祇園祭「宵山」(7月14日~16日)、「山鉾巡行」(7月17日)、「神輿渡御」(7月17日)なども観光客で賑わい、多忙な時期ではないでしょうか。


>>(3)舞妓さん、芸子さんの習慣や行事

有名なところでは、
年末の行事:
京都の祇園などでは師走の花街行事として「事始め」が行われました。京都の花街の「事始め」は、正月を迎える準備を始める伝統行事です。毎年12月13日に、舞妓さんや芸妓さんが、日頃お世話になっている芸事の師匠の家を回って一足早く新年の挨拶を交わします。華やかな着物姿の舞妓さんは1年の感謝を述べ、師匠から舞扇を受け取ると、来年の芸事への精進を誓います。

年始の行事:
京都で一番多い舞妓を抱える宮川町では5日から新年の行事が始まる。5日は事始め、贔屓をしてくれるお茶屋、料理屋に、
「おめっとうさんどす、本年もどうぞよろしゅう、お頼のもうします」
と, 挨拶廻りをする。
始業式は7日だが、80名からの芸舞妓が黒紋付に身を固めて宮川筋を行き来する5日の景色は一足早い京都の春。

現代の年間行事:
1月7日・・・・・・・始業式
2月3日・・・・・・・節分奉納舞
3月中旬~下旬・東山花灯路
4月18日・・・・・・平安神宮例大祭奉納舞踊
6月第三土・日・・都の賑い
7月下旬・・・・・・・ゆかた会
7月24日・・・・・・花傘巡行、小町踊
10月22日・・・・・時代祭
11月1~10日・・祇園をどり
12月初旬・・・・・・南座顔見世総見
12月13日・・・・・事納め

古くは、もっと行事が立て込んでいたように思いますが、史料がみつかりませんので、ご勘弁を・・・。



>>(4)その他

歴史:
★舞妓や芸者を辿っていくと、「古事記」や「日本書紀」などに見られる、天岩戸の前で舞を舞った天鈿命(あめのうずめのみこと)にその原型が見られるとも言われています。
★天平時代(1165~)の「万葉集」に「遊行婦女」(うかれめ)が出てきます。「遊行婦女」とは宴席に侍り歌舞、音曲などをしたと言われています。春をひさいだかは定かではありません。
★平安時代になると、神社の巫女(みこ)が布教と勧進のため、諸国を巡り舞を披露したとも言われています。そして、白い直垂(ひたたれ)に水干、立烏帽子、白鞘巻の刀を差していたことから「白拍子」と呼ばれました。

★また、昔は現代のようにディズニーランドなどがありませんでしたので、神社は恰好な「遊覧地」でした。そこで生まれたのが淫売行為でした。つまり、「遊女」の起源も巫女にあったのです。
★諸国勧進に回っていた巫女も公家などの屋敷で歌舞、音曲を披露した後、多額な浄財を得るため春をひさげたりしました。
★では、寺では・・・と言うと、寺でも尼さんが諸国勧進に回ったりしましたが、江戸時代の江戸では堕落した尼が春を売り、
坊主頭で売春と聞くと変な感じもしますが、江戸っ子には変態もいて、結構人気があったようで、
「三が日待たず 比丘尼は 見世を張り」
と言う狂歌にまで詠まれ、正月の三が日さえも休むことができなかったとか。


答えになっているでしょうか・・・・。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧で詳しい回答をいただき、感激いたしております。
これだけの長文、書くのにさぞかし、時間がかかったことと思います。
本当にありがとうございます。

「古今役者大全」「落穂集」などの文献、大変参考になりました。

>舞妓が一人前になる証として「水揚げ」(贔屓の旦那に処女を捧げる)の儀式がありましたので、どちらかと言うと、やや「遊女」に近い部分があったと考えます。

そうですね、私もそうだったんじゃないかと思います。

実は祇園の「事始め」の習慣について疑問に思うところがあって、この質問をたてました。

事始めは12月13日ですが、この日は一般的には「正月事始め」の日で、正月準備をする日です。
しかしながら、祇園では舞妓さんや芸子さんはお師匠さんに「おめでとうさんどす」と一足はやく新年のあいさつをし、お師匠さんは「おきばりやす」と声をかけられるそうです。
(テレビのニュースで見ました。)
なぜ、正月準備をするべき正月事始めの日に、新年のあいさつをするのか。
なぜ正月事始めの日なのに、事始め(仕事初めといってもいいでしょうか。)と言われているのかと疑問におもいました。

もしかして、昔は12月13日以降が舞妓さんや芸子さんの繁忙期だったので
このような習慣ができたのではないかなあ、と思ったり。

回答者さまはどう思われますでしょうか?

私は12月13日に祇園白川あたりに行ってみましたが、挨拶まわりの舞妓さん、芸子さんに数多く出会いました。
その日、宮川町には行きませんでしたが、宮川町では1月5日が「事始め」の日なのでしょうか?
それとも宮川町でも12月13日にも事始めの行事をし、1月5日にも事始めの行事があるのでしょうか?
12月13日は踊りのお師匠さんに挨拶をする日、1月5日はお茶屋さんや料理屋に挨拶をする日、なのでしょうか?

教えていただいたこと、すべてが大変参考になりましたが
中でも歴史が面白かったです♪
ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/18 08:59

こんにちは。



暦法計算。

ありがとうございました。

私も良い勉強になりました。

まあしかし、このような難しい問題よりも、京都に行って、舞妓さんや芸者さんを揚げて、ゆったりと美酒にでも浸りたい気分ですね。

紀伊国屋文左衛門のように、妓楼を買い切りにして、ドンチャン騒ぎでもいいですね。

こちらこそ、ありがとうございました。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

わ、丁寧にありがとうございます。
歴史のところ、ほんとうに参考になりましたし、面白かったです。
また機会があったらお願いしますね。

長い年月のうちに歴史は絡まった糸のようになってしまうんですね。
でも、ちょっとづつ絡まった糸をといていくのも楽しいですね。

そのあとに祇園でお酒なんか呑めたら言うことないですね~。
(飲めないけど 笑)

お礼日時:2012/12/19 19:22

こんばんわ。



またまた、勘違いです。

赤線が廃止されたのは、

昭和31年5月24日法律第118号、売春防止法。この法律制定によって赤線が廃止されました。

たびたび、ごめんなさい。

この回答への補足

>つまり、二十七節気に照らし合わせると、12月13日は「鬼宿日」で、4月8日も「鬼宿日」に当たり、この「鬼宿日」にお釈迦様が生まれた・・・と言われて、「吉日」として祝うようになった・・・と言うことらしいです。

ウィキペディアには次のように記されています。


中国(日本)の旧暦(太陽太陰暦)における月日がわかれば、自動的に二十七宿が決定される。


9月1日→氐
10月1日→心
11月1日→斗
12月1日→虚
正月1日→室
2月1日→奎
3月1日→胃
4月1日→畢
5月1日→参
6月1日→鬼
7月1日→張
8月1日→角


各月の朔日の宿は以上の通りであり、あとは日の分だけ進ませれば良い。
なお、同一の月の中では宿をひとつずつ進めていくが、(旧暦で)翌月に移行するときには上表に従うため、宿をジャンプしたり同じ宿が続いたりすることがある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81% …

ウィキペディアにはなぜか宿の順番が書かれていないですが

角→亢→氐→房→心→尾→箕→斗→女→虚→危→室→壁→奎→婁→胃→昴→畢→觜→参→井→鬼→柳→星→張→張→翼→軫の順だと思います。

http://www.koyomi-shinreikan.com/about/index.html

12月1日は虚なので、上の順番に宿を進めれば、虚から13個目は鬼です。

しかし
4月1日は畢なので、4月8日は張になって、鬼ではないですね?

お釈迦様が鬼宿日に生まれたという話があるという記述は見つかりました。
4月8日は釈迦が成道した日だとする説があると
ウィキには記述があるので、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6# …

4月8日を釈迦の誕生日とする習慣は、成道した日と、誕生日が混乱した結果なのかもしれませんね。

補足日時:2012/12/19 11:47
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧に訂正をありがとうございます!
そしていろんなことを教えてくださってありがとうございました!

お礼日時:2012/12/19 09:33

こんばんわ。



私の書き方が悪かったようで、混乱をさせてしまい、大変申し訳ありませんでした。

>>よく4月8日がお釈迦様の誕生日だと言われますが、諸説あるんでしょうか。


確かに、お釈迦様の誕生日は4月8日が一般的のようですね。

>>そして、12月13日は「鬼宿」(きしゅく)にあたり、この日にお釈迦様が生まれたと言われて・・・。

つまり、二十七節気に照らし合わせると、12月13日は「鬼宿日」で、4月8日も「鬼宿日」に当たり、この「鬼宿日」にお釈迦様が生まれた・・・と言われて、「吉日」として祝うようになった・・・と言うことらしいです。

私も、偉そうなことを言っていますが、月の満ち欠けによる、いわゆる、太陽太陰暦の暦法計算は全く知りません。

人の話の「受け売り」で申し訳ありません。

ただ、このサイトを通じて、それぞれの方の意見を聞くことで、私も勉強ににるような気がしています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

度重なる回答をありがとうございます。

申し訳なくなどないですよーー。
いろいろ教えていただいて、本当に感謝!です。

お釈迦さまは「鬼宿日」に生まれた、と言われているので、4月8日や12月13日がお釈迦様の誕生日だと言われているのですね。

本当にいろいろ勉強になりました!

お礼日時:2012/12/19 09:30

こんにちは。



>>事始めは12月13日ですが、この日は一般的には「正月事始め」の日で、正月準備をする日です。
しかしながら、祇園では舞妓さんや芸子さんはお師匠さんに「おめでとうさんどす」と一足はやく新年のあいさつをし、お師匠さんは「おきばりやす」と声をかけられるそうです。
(テレビのニュースで見ました。)
なぜ、正月準備をするべき正月事始めの日に、新年のあいさつをするのか。
なぜ正月事始めの日なのに、事始め(仕事初めといってもいいでしょうか。)と言われているのかと疑問におもいました。
もしかして、昔は12月13日以降が舞妓さんや芸子さんの繁忙期だったので
このような習慣ができたのではないかなあ、と思ったり。
回答者さまはどう思われますでしょうか?


この回答は暦の話から始めたいと思います。

日本にも古くから、中国から輸入された暦がありましたが、特に、長慶天皇(正平23年/応安元年・1368~・南朝3代)の頃、中国からもたらされた「宣明暦」(せんめいれき・正式には「長慶宣明暦」という)での考えで、「二十七宿」という月の周期が27日で一回りすることから、12月13日は必ず「吉日」となったと言われています。(二十八宿の考え方もある)。

そして、12月13日は「鬼宿」(きしゅく)にあたり、この日にお釈迦様が生まれたと言われて、結婚式以外は何でも吉日に当たるとの考え方が定着しました。これは、インドから中国へ伝わり、日本へ渡ったと言われています。

従って、このめでたい日から正月が始まる・・・とされ、江戸時代までこの暦は使われましたが、その後も、この吉日との考え方が残りました。

そこで、舞妓や芸子などは、古い仕来りの世界ですので、この12月13日が新年と同じ・・・つまり、年の始めとされて、
「おめでとうさんどす」
と言うようになったのではないかと考えます。
また、この日から、舞妓や芸子の置屋では正月準備が忙しくなったと言われています。

私は、仕事柄、江戸時代の大奥などの史料もまあまあ持っていますが、大奥では12月1日から13日まで大掃除をし、12月13日は歳神様を迎える準備をすべて整えて、新年の始まりという慣例がありました。


>>その日、宮川町には行きませんでしたが、宮川町では1月5日が「事始め」の日なのでしょうか?
それとも宮川町でも12月13日にも事始めの行事をし、1月5日にも事始めの行事があるのでしょうか?
12月13日は踊りのお師匠さんに挨拶をする日、1月5日はお茶屋さんや料理屋に挨拶をする日、なのでしょうか?


この年始の行事については、申し訳ありません。次のサイトから引用いたしましたので、私自身の体験などではありません。

http://blogs.yahoo.co.jp/ashigara_shimon/2154315 …

このサイトを見る限りでは、1月7日が始業式で、その前に、お得意さん回りを済ませるのが仕来りのようですね。
そして、「事始め」はやはり同じ芸子の世界ですから、12月13日に師匠さんへの挨拶をしていると考えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

またまた丁寧&親切な回答をいただき大大感激です~。
ありがとうございます。

祇園で12月13日が事始めになっている理由、たいへん興味深く拝読いたしました。
宮川町での年末と新年のしきたりについても、ありがとうございました。
事始めとか、正月事始めとか、始業式とかややこしいですね~

ところで、お釈迦様の誕生日って、12月13日なんですか?

よく4月8日がお釈迦様の誕生日だと言われますが、諸説あるんでしょうか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6

上記ウィキには成道した日が4月8日、2月8日、2月15日、12月8日などなど諸説ある、と書いてありました。
(誕生日については記述がなかったです ><)

お礼日時:2012/12/18 20:06

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q舞妓さんの人生

 テレビドラマの「小早川伸木の恋」を見ていて登場人物の元舞妓さんの人生が語られていて、疑問がありました。
 舞妓さんとして幼い頃から育てられたのだが、それが肌に合わずお座敷で体にタッチされたりするのに異常に拒否反応があったために、舞妓である母親から勘当されそうになった所をお客として来ていた金持ちが引き取らせて欲しいと申し立てて、その後の人生をその金持ちの家で使用人として生きたという内容でした。
 実の子をお座敷での立ち振る舞いが悪いからといって、まだ幼いのに他人へ渡してしまうなんて、舞妓さんの世界は大変だな~と思いましたが、実際もそんなにプロ意識が滅茶苦茶高い職業なんでしょうか?。

Aベストアンサー

舞妓とは、京都特有の呼び方で「芸妓(芸者)見習いの女性」のことです。以下、芸者について説明します。

芸者と言うのは現在は「伝統文化の継承者」「宴会で芸を見せるのが仕事」という美化されたイメージですが、日本が豊かになるまでの芸者とは、貧しい家の娘が10歳くらいで身売り(前借金を受け取っての年季奉公)し、16歳くらいで「お金持ちの男性に処女を買われ」、その後は売春もするホステスとして働き、お金持ちの男性の妾になれれば幸せ、と言った存在だったようです。当時は性病の治療手段が乏しいため、芸者の多くが性病に感染しており、特に梅毒で悲惨な最期を迎える女性も珍しくなかったようです。

芸者になる際の年季奉公契約書には、「抱え主から売春の指示があればそれに従い、借金返済のため努力する」旨の条項があり、警察から芸妓鑑札を受けていました。当時の法制度は良く分かりませんが、娼妓鑑札または芸妓鑑札を持たない者の売春は違法であり、警察の取締対象であったそうです。現在、ソープランドでの売春は「公認」だが、他の風俗店での売春は時々警察に摘発されるのと同じ発想でしょう。

かつての芸者の実態については、下記URLの解説が参考になるでしょう。
http://www.geocities.jp/showahistory/history5/33b.html

現在は知りませんが、売春防止法以前の時代は、料亭や待合に客が芸者と寝るための部屋が準備されており、布団が備えてあったそうです。芸者は、夕方に料亭に出勤して宴会の席で「お酒の酌、芸の披露」などをし、宴会の後は小部屋に移ってお客とセックスして深夜に戻る、というパターンで、寝る暇がない苦しい生活であったそうです。

収入の半分は抱え主の取り分で、その半分から借金を返済し、衣装代や食費や諸経費を天引きされるとほとんどお金は残らず、実際は永久に借金を返せない(自由になれない)芸者が多かったそうです。借金を返せないうちに歳を取れば、ホステスとしての価値もセックス相手としての価値も下がっていき、収入が減ってますます苦しくなると言う悪循環です。

また、売春を含めて芸者としての稼ぎが悪いと、抱え主の一方的な判断で遊郭に女郎として転売されることもあったようです。芸者と女郎は、ほとんど同じものとされていたことが分かります。

絶版書ですが、戦前から戦後にかけて芸者として辛酸を甞めた女性自身による手記が存在します。上記URLの内容が真実であったことが分かります。

芸者―苦闘の半生涯 平凡社ライブラリー (著者)増田小夜
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582761224/

舞妓を描いた有名な絵があり、それについて下記ブログで解説されています。
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/index.php?q=%C9%F1%B5%B8

絵のモデルになるような12歳の美しい舞妓さんが、その後「祇園花柳界で名声を博し」、女性の盛りを過ぎた42歳で歌舞伎役者の「妻」になって、舞妓出身者の成功者として名を伝えられていると言うのが、戦前の舞妓・芸妓の悲しい運命を伝えています。

ここでは触れられていませんが、件の舞妓さんが貧しい生まれで身売りして舞妓・芸妓になったのは確実でしょう。

舞妓とは、京都特有の呼び方で「芸妓(芸者)見習いの女性」のことです。以下、芸者について説明します。

芸者と言うのは現在は「伝統文化の継承者」「宴会で芸を見せるのが仕事」という美化されたイメージですが、日本が豊かになるまでの芸者とは、貧しい家の娘が10歳くらいで身売り(前借金を受け取っての年季奉公)し、16歳くらいで「お金持ちの男性に処女を買われ」、その後は売春もするホステスとして働き、お金持ちの男性の妾になれれば幸せ、と言った存在だったようです。当時は性病の治療手段が乏しいため...続きを読む

Q舞妓さんも水商売ではないのですか?

読んでカチンと来る方もいらっしゃるかもしれませんが。舞妓さんも水商売ではないのでしょうか?お客さんにお酒を注いでお話しして、遊び(ゲーム)をしたり。唄などの芸を披露する点ではキャバ嬢とは違うでしょうが、でもそこまでかけ離れていますか?
「舞妓はなるのに長くて辛い修行に耐えないといけない」「舞妓は高い教養が必要となる」「舞妓と遊ぶにはキャバ嬢相手とは比較にならないお金が必要」と仰る方もいます。水商売もピンキリですから、確かに「ちょっと小遣い稼ぎに来た、学校すらまともに行ってないギャル」と一緒にするなという気持ちは分かります。でも高級クラブで働くホステスはどうでしょうか?容姿が良いぐらいでそこまで登り上がるのは不可能でしょう。高い社交性と、どんな話にでも付いて行ける知識と教養が必要になると思います。礼儀作法だって無視できない。舞妓さんの教養は唄や楽器などの「日本文化」に対するものも必要ですから、方向性が異なるかもしれませんが。

なんでこんなことが気になったのかと言うと、子どもが「将来は舞妓さんになりたい!」と言えば「素敵な夢ね!!」と応援する大人が多いです(水商売だからと反対する親もいますが)でもこれが「将来は銀座でホステスさんになりたい!」と言って良い顔をする大人はいないでしょう。この違いは何なのかと思ったのです。舞妓は「日本文化」として認められているから?何故舞妓だと認められるのでしょうか。昔からある職業だから?お茶やお花といった日本文化を学んでいるから?水商売ではなく「芸をする人」という目で見ているのでしょうか?
子どもが「宝塚に入りたい」と言ったら応援するけど「舞台女優になりたい」と言ったら馬鹿なことを言うなと反対する、そんな感じなのでしょうか?

読んでカチンと来る方もいらっしゃるかもしれませんが。舞妓さんも水商売ではないのでしょうか?お客さんにお酒を注いでお話しして、遊び(ゲーム)をしたり。唄などの芸を披露する点ではキャバ嬢とは違うでしょうが、でもそこまでかけ離れていますか?
「舞妓はなるのに長くて辛い修行に耐えないといけない」「舞妓は高い教養が必要となる」「舞妓と遊ぶにはキャバ嬢相手とは比較にならないお金が必要」と仰る方もいます。水商売もピンキリですから、確かに「ちょっと小遣い稼ぎに来た、学校すらまともに行って...続きを読む

Aベストアンサー

多少思いは違うかもしれませんが、理解出来る部分が多いです。

Wikipediaには:「古くは「舞子」と書き、かつては9 - 13歳でお座敷に上がり接客作法を学び、芸能など修業して一人前の芸妓に成長していたが、戦後児童福祉法と労働基準法の改正にともない現在は中学卒業後でないとなれない」、とある。芸という観点からしたら、年齢の枠が有るのは変です。これは、接客、という特殊な項目があるためと考えます。

日本文化云々というと、歌舞伎等が思い浮かびますが、流石に接客はされません。あの種の方々に「舞妓さん」をどう思っているか内緒で本音を訊いてみたい。

お酒を飲みながら芸も見て、その芸をする方にお酌をして貰う。これを水商売と捉えるか否かは各自の感性ではないでしょうか? ただ、そう思っても、ワビサビを利かし、敢えて口には出さない。わたしはこの辺りを個人的な落とし所にしたいです。

Q一見さんお断りの「一力亭」で食事をするには?

私の人生の恩師である方が今年還暦を迎えます。
そこで、恩師が一度は行ってみたいと話していた
京都祇園の一力亭に招待したいと考えています。
しかし、恩師を含め、私も一力亭には行ったことがなく、
いわゆる一見さんは受け入れられないと聞いていて
どうしていいものか悩んでいます。

そこで質問なのですが、
一見さんお断りの一力亭で食事をするには
どうすればよろしいでしょうか?
アドバイスをよろしくお願いします。

Aベストアンサー

ひとつ、補足です

一力さんに行くと言う事は
場所代
料理仕出代
舞妓さんたちのお花代
と掛かりますので

一人頭¥20000~40000前後必要かもしれません。

Q土日眠りっぱなし、これは病気なんでしょうか?

 週休2日制(土日休み)の仕事をしており、金曜日が来ると「よし、この2日はこんなことしよう!」と色々計画を立てるのですが、何一つ実行できません。
 まず、朝、起きることができません。昼、なんとか起きて食事を作るものの食べたら、次の行動を起こせないんです。例えば、友達と約束をしていても外出することができません。着替えたり、髪型を整えるのが“大きなハードル”となり、『もう10分ゴロゴロしたら着替えよう。休みなんだから無理しない』と考えて、ベットに横たわると、夜になっています。
 つまり、土日はまるまる2日、ほとんど寝ているんです。熱はないし、食欲がない、いくらでも眠れる・・・という感じで、とにかく衰弱してるんです。今日も20時間ほど、トイレもいかずに寝ていました。
 月曜日になると、朝6時に起きて、始業時刻の1時間前には出勤し、12時間以上働いて帰宅します。平日はこの調子で金曜まで元気いっぱいです。でも、この土日になると、とたんに無気力になり何にもできないんです。この症状は、ここ数ヶ月続いており、夜に“見舞い”に来る友達は“1人暮らしゆえの甘え”だと言い呆れています。
 世間には、私のような人はいらっしゃらないでしょうか?ほんとに怖いくらい無気力になってしまうんですが、これって、病気ではないでしょうか?

 週休2日制(土日休み)の仕事をしており、金曜日が来ると「よし、この2日はこんなことしよう!」と色々計画を立てるのですが、何一つ実行できません。
 まず、朝、起きることができません。昼、なんとか起きて食事を作るものの食べたら、次の行動を起こせないんです。例えば、友達と約束をしていても外出することができません。着替えたり、髪型を整えるのが“大きなハードル”となり、『もう10分ゴロゴロしたら着替えよう。休みなんだから無理しない』と考えて、ベットに横たわると、夜になっています。
 ...続きを読む

Aベストアンサー

私は病気でした。
同じように月曜から金曜までは仕事に行くのですが
土日は寝たきりでした。
結局、うつ病による過眠とわかりました。
当時は精神的落ち込みなど感じませんでしたが。
一度、受診なさることをお勧めします。お大事に。

Q島原遊郭 京都 遊郭 風俗

京都の島原遊郭は花街であって遊郭ではないのでしょうか?さまざまな資料を見ていると「島原遊郭は花街であって遊郭ではない」といった文章を目にします。しかし、遊郭は女性が体を売る場所ですよね?もし芸だけを売るのなら「島原遊郭」ではなくて「島原花町」ではないのだろうか、と思い質問させていただきました。また島原遊郭についての詳細が載っているサイトがあれば教えてください。返答、宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

「遊郭」も「花街」もほとんど同じものです。どちらも法律用語ではありませんので、これらの言葉を使う人も厳密に区別して使っているわけではありません。

一応、広辞苑の定義を示しますと

遊郭:多数の遊女屋が集まっている一定の地域。いろざと。いろまち。くるわ。遊里。明治以後、貸座敷営業が許可された地域。

花街:料理屋・芸者屋・遊女屋などが多く軒を並べている町。色町。色里。

上記のように、いずれの説明の中にも「色町(いろまち)」「色里(いろざと)」という言葉が入っているように、両者は同じものを言い換えただけに過ぎない場合が多いです。

ただ、「遊郭」の定義の中に「明治以後、貸座敷営業が許可された地域」と入っていますが、強いて言えばこれが「遊郭」と単なる「花街」の違いとなります。

「貸座敷」という現在では死語になっている言葉ですが、過去の質問
「江戸時代と明治の吉原」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3639209.html
のNo.1で私が回答していますので参照して下さい。
明治時代になって、形式的にですが
「文明国であることを示すために人身売買を禁じた」
ため、「娼妓解放令」が出され、従来の遊女屋が「貸座敷」という別な名称になり、ほぼ同じ営業を継続したものです。
上記の回答の中で、 「公娼と私娼」という、内務省警保局 (現在の警察庁に概ね相当)が昭和6年に作成した資料を引いて説明していますが、「遊郭=明治以後、貸座敷営業が許可された地域」で営業する「貸座敷」で売春する娼妓は「公娼」と警察署から呼ばれ、それ以外の「私娼窟」で売春する娼妓は「私娼」と呼ばれて区別されました。

さて、上記の史料「公娼と私娼」がWeb上で閲覧できますが、「23 / 218」(史料の表記では32ページ)に
「主たる遊郭の所在地、営業者数、娼妓数…」という表があります。
この表の「京都府」の項目を見ますと、
『京都市下京區島原』
があります。(貸座敷)営業者数は146、娼妓数は483となっています。

ご質問への直接の答として、戦前の内務省警保局という監督官庁の公式見解によれば
「京都市の島原は『遊郭』である」
ということになります。

また、ここまでの回答で「芸者には芸だけを売る芸者と体を売る枕芸者の区別があった」と言った意見もありますが、売春防止法以前の日本で「芸だけを売る芸者」というのは実際は存在しなかったと考えた方が良いです。芸者というのはそのような甘い仕事ではありませんでした。

芸者(戦前の法律用語では芸妓)は、多額の前借金を背負って芸者屋に年季奉公していました。
芸妓になる際の年季奉公契約書には、「抱え主から売春の指示があればそれに従い、借金返済のため努力する」旨の条項があり、警察から芸妓鑑札を受けていました。戦前について書いた本を読むと「芸者を揚げて遊ぶ」という言葉が出てきますが、これは「芸者と酒を飲み、その後でセックスを楽しむ」ことを意味しました。

芸妓というのがいかなる存在であったかについては、過去の質問
「舞妓さんの人生」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1960390.html
のNo2の私の回答で詳細に述べていますのでご覧下さい。

また、上記の回答でも触れていますが、実際に芸妓であった人が書き残した貴重な手記が出版されています。

芸者―苦闘の半生涯 (平凡社ライブラリー)
増田 小夜 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4582761224/
サブタイトルの通り、芸者というのがいかに過酷な稼業であったか、「芸者は芸を売るもの」というのがタテマエに過ぎなかったことが良く分かります。

簡単に言うと、娼妓と芸妓は大して違うものではなかったということでです。ちなみに、昭和の初めに農村が貧困に喘いでいた頃、娘を身売り(前借金を親が受け取って、貸座敷や芸妓屋と年季奉公契約を結ぶ)させると
娼妓 1000円
芸妓 700円
が相場ということで、より過酷な境遇に置かれる娼妓の方が「娘を売って得られるお金」が多少は多かったようです。

また、当時は芸妓屋で抱えている芸妓の稼ぎが悪いと、抱え主が「女郎屋に売り飛ばすよ!」と芸妓を脅す (客に一生懸命サービスして稼げ!) ことが普通に行われ、実際に、芸妓として身売りした女性が貸座敷に娼妓として「転売される」(前借金と女性の身柄が芸妓屋から貸座敷に移転する)ことが珍しくなかったようです。

猟奇事件を起こしたことで有名な「阿部定」という女性がいます。この人は、「娼妓と芸妓と酌婦の間を行ったり来たりしていた女性」であるようです。

阿部定についてはこういう本が出ています。

阿部定正伝 堀ノ内雅一 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4795826722/
かつての日本に存在した「芸妓」と「娼妓」というのがいかなるものであったのかを知るには好適な文献でしょう。絶版ですが、アマゾンのマーケットプレイスで容易に購入できます。

下記のウィキペディアの記述は非常に詳細ですが、この本を下敷きにしていると思われます。
阿部定
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E5%AE%9A

「遊郭」も「花街」もほとんど同じものです。どちらも法律用語ではありませんので、これらの言葉を使う人も厳密に区別して使っているわけではありません。

一応、広辞苑の定義を示しますと

遊郭:多数の遊女屋が集まっている一定の地域。いろざと。いろまち。くるわ。遊里。明治以後、貸座敷営業が許可された地域。

花街:料理屋・芸者屋・遊女屋などが多く軒を並べている町。色町。色里。

上記のように、いずれの説明の中にも「色町(いろまち)」「色里(いろざと)」という言葉が入っているように、両...続きを読む


人気Q&Aランキング