プロが教えるわが家の防犯対策術!

質問があります。
今私は浪人生です。中学受験をして偏差値70程の(いわゆる御三家とか言われる程凄い学校ではありません)学校に合格したものの、入学後一ヶ月で不登校になり、それからずっと不登校で、漸く17歳の時に高卒認定(旧大検)を取得するも、大学受験現役当時、右肩を骨折し、一浪するなら、と海外留学を目論むも、留学先へ渡航し一ヶ月もしないうちに父の癌が発覚し、保険に入っていなかったため、金銭的事情から、日本へUターン、その時には既に10月で、自分の望む大学への受験準備は間に合わず、二浪を選択するも、モチベーションが全く上がらず、何もしないまま今年の受験になりました。

身の上話はこんなトコロで、話をもとに戻すとこの歳から高等数学(大学課程の数学)を初めて、果たして物になるものなのでしょうか?第一線で活躍している、数学者の人たちは遅くとも、20代後半で花開くと言われ、そして、実際に高名な数学者の華々しい成果を見ると若干20歳程で、博士課程レベルの数学を物にしています。勿論その人達が一握りのなかの一握りの天才であることは知っていますし、自分がそうなれるだなんて夢にも思っていません。
しかし、確かに若さというものが数学を探求する上で欠かせないことは間違いのないことだと私は考えさせられました。前述のとおり私はまだ浪人生で、入試に必要な分野しか知りません(実を言うと微積分学については大学の内容を勉強しました。)普通の理系の人たちと比べても2年遅れています。その20歳の時の2年の遅れが大学で数学を学ぶ上で致命的なのではないか、だから今から数学科に入っても、遅いのではないか?数学史上の稀な遅咲きの数学者の偉人は知っています。しかしその人達は史実で知られてる天才であって一般例ではありません。しかも、そのような偉人でも高齢で数学を勉強して陽の目を浴びた人は自分が知る限りでは数少ない例です。

20歳で高校数学+αしか知らない、今年から大学課程の数学を学ぶ。
これはハンデキャップになるのでしょうか?

再度身の上話を交えながら質問の意図を明確にしたいと思います。

もともと、私は数学には興味がありませんでした。
しかし、17歳の時出会った、数学の予備校講師との出会いによって私の数学に対する味方はまるで変わりました。私が最も勉強をした時期、それは中学受験まで遡るのですが、数学と云われると私にとって、それは中学受験の算数でした。それは非常に直感に頼るもので、あいにくそう言った直感の働かない、馬鹿な私は中学受験当時算数が大嫌いで、算数の問題パターン全てを丸暗記して、自分の志望校に合格したほどでした。だから、高校数学もそういった自分には向いていない、パズルを一瞬で解くような才能が必要なのだろう、そう考えていました。

とにかく高校数学を学ぶ際、私を担当する先生を苦労させました。
自分の教科書を見ると、どこどこが曖昧だ、とか、それは一般的ではなくて、この時は成立しない、だとか、厳密ではないとか注釈や二重線が大量に入っている程で重箱の隅をつつきまくっていました。
なので、担当する先生にそういった質問をぶつけると、それは大学で詳しくやる、だったり時には、根拠もなく、お前の考えは間違っている、と言われ、それでも僕はじゃぁ僕が間違っている根拠を説明して下さい、と引き下がらずまるで授業は成り立ちませんでした。ひとつ、疑問や矛盾を見つけるとそれを解決せずには先へ進めませんでした。

その時現れたのがその自分を変えた数学の教師でした。
数学科を卒業し、二十数年高校の教員をしていた方でした。
その先生は能率などまるで無視し僕の質問に厳密に厳格に答えてくれた上で
僕に様々な書籍を紹介してくれました。それは、大学以降で学ぶ数学の概要や現代数学の発展の歴史であったり、僕にとって非常に刺激的な物でした。そこで初めて、数学の構造性、形式性、そして数学という学問自体がそれを問題としていることを知り、興味関心は収まりがつかないほど膨れ上がり、数学科を志望することに決めました。

その先生は僕の事を非常に高く評価してくれていて大学への進学という関門によって君の才能が詰まれるのはあってはならない事だ、と言ってくれます。その先生は非常に変わった先生で通勤時間に小さなメモ帳にびっしりと数式を書き詰めて、独自の定理を証明していたりするのですが、たまに、僕にそのメモ帳を見せてくれて、意見を聞かれることがあり、何が書かれているか、半分分からず理解できる範囲でこうなのではないか、と意見を述べたところ、後日、君のおかげで証明できた、君に言われなければ、きっと発見することが出来なかった、と言われます。統括して、その先生いわく、君の厳格さや厳密さ、執着心が大学の数学を学ぶときに頭角を表さない筈がない、らしいです。

他にも、東大の博士課程の物理の先生に、君は努力を続ければ、研究者になれる才能がある。
と言われたり、中学、高校も行っていないのに、1年も掛からず物理の全範囲を終えた、僕の教えている生徒の中では一番優秀だ、とも言われました。

さて良い側面ではその様に私は評価されます。
然しながら自分では何故その様に評価されるのか理解に苦しまざる負えない理由があります。
第一に私の入試問題上の数学の成績は努力相応のもので、雷鳴が如く瞬時に天命を受けたかのように入試問題をとく様な所謂、ステレオな数学の秀才、ではないからです。自分はじっくりゆっくり考えるのが好きで、確かに解けるけど、制限時間がなぁ、ということがよくありますし、なんというか生まれついてのおっちょこちょい(実は自分はADHDでアスペルガーです。)で、10回に6回計算ミスをするものですから、非常に注意深く検算をして時間を食います。世間一般にイメージされる数学の秀才と言えば、よく黒板なりノートに凄い勢いで式を書いてますよね?
灘や開成といった超名門校の生徒の高校時代の逸話を聞いても、自分の数学の問題を解く姿勢、速度とは一致しませんし、その辺の学校の数学な得意な生徒、とくらべても劣っていると感じるくらいです。それから物理の勉強に関して言っても正直僕は上辺だけの理解だと思っています。正直言って勉強の時間さえ取れば、上辺だけの理解なら1年と言わず3ヶ月もあればこなす自信があります。裏を返せば、教科書レベルの知識を単純に掠めとって、章末問題を解く程度であれば本質を理解せずとも解くことが困難でないということで、物理の先生が指摘する優秀さ、に疑問符がつきます。

他にも多々理由はあるのですが、評価されるにはそれなりの理由がありますから、自分が全く才能が無いとは思いませんが、果たして、物理や、ことさら、数学の先生が言うほどのものか、学者を目指せる程、目指さないのが勿体ないほどのものか、全くもって疑わしくてなりません。特に数学の先生からの評価は買い被りではないかと思うほど凄まじい物です。

似たような質問は件の数学の先生にも物理の先生にもぶつけましたが
数学の先生からは高校数学なんて単に容量の良さだからね、大学での数学を解けるための必要条件でも無ければ、十分条件でもないよ。物理の先生からは君のいう上辺だけの理解を大半の生徒がしている、君のいう本質的な理解をしている生徒や、理解しようという姿勢のある生徒は中々いないよ、そういう君の姿勢を評価しているんだ、との事でした。

皆さんは冒頭の質問も含めて、どう感じられますか?または考えますか?

A 回答 (9件)

感じたり考えたりしたことについて回答します。



(1) ADHDは、周囲からは、どうにも集中力に欠けているように見える。しかし、本当にそうなら、教科書の記述の曖昧さを指摘するなんてことができる訳がない。これは気にする必要はなくて、集中して考えるためのスタイルが、一見考えてない風に見えるというだけのことかと思います。考えるために歩き回る「逍遥学派」なんてスタイルもありました。

(2) アスペルガーは哲学(科学を含む)や数学に向いている素質でしょう。言語表現を曖昧に受け取る訳には行かず、厳格な意味を読み取ろうとする。「ま、こんな要領で、適当に」「…みたいな風に」などの指示を受けるとキョトンとしてしまう。まして、仄めかしや隠された真意、なんてものはまるで分からない。そのためにときどきコミュニケーションに支障を来す訳ですが、一方で、非言語的(つまり非人間的)な共感の能力が高い。これは本質を見抜く力が曖昧な言語表現によって曇らされることがないからでしょう。たとえば、哲学者・論理学者ヴィトゲンシュタインの著作はアスペルガーの内的世界を垣間見せてくれます。彼の場合には現実の存在と言葉との曖昧な対応がどうにも理解できない、というところから全てが始まっているようで、最初の著作は、両者を同一視するという誤謬だけで出来ています。
 数学は、もっぱら言語の厳格さによって組み立てられている、言語の中だけで閉じた体系ですから、現実の存在との曖昧な対応に煩わされることがありません。この特質は、数学基礎論を学んでいない人にはなかなか腑に落ちないようですが。

(3) 高校数学、ことに受験数学の能力は、数学とはほとんど関係がありません。ビデオゲームの名プレイヤーであることと、大ヒットするビデオゲームの作者であることとがほとんど関係ないのと同様です。こちらもご参照あれ→
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7423274.html
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3565233.html

(4) 数学者であることと、それでメシが喰えることとも、直接の関係はありません。
 数学科を出ても、数学者としてメシを喰ってるひとなんて、ほんの一握りです。数学者が大学や企業の中で数学のプロの研究者としてメシを喰うのはなかなか大変なことで、なぜなら分かり易い成果を出さないとそのポストにありつけないからです。成果が出せるかどうかは、良いテーマに巡り逢えるかどうかによるわけで、それは勉強の幅広さと直感と運に大きく左右されるでしょう。
 厳しい意味での数学者とは言いがたいが、数学を応用する研究をやる研究者ならば、たとえば工学や経済学に道があります。ことに保険や証券の分野では数学科出身者に一定の需要があるでしょう。
 大学の教師・職員になりますと、膨大な雑用に追われます。入試はもちろん、定期試験をやるだけでもかなりの仕事です。加えて、大学を独立法人化したために、研究費を獲得するのがとても大変になった。そのうえ、学生とその親が幼児化しているために、下らないトラブルの対応やら、就職の面倒を見るやら、もお大変である。一体いつ研究をやってるのかと心配になりますが、実際、研究なんぞやってる暇がないという状態に流されてしまっている人も少なくないように思います。
 一方、フリーターをやっていたって、数学者であることはもちろんできます。必ずしも数学科で学ばなくたって、独学でも数学者であることはできる。というより、「(アイデアを交換し合うのではなく、一方的に)教えてもらおう」と期待している内は、自ら数学を創出しようとしてはいないのだから、数学者ではないと言えましょう。数学のムズカシイ話を語り合える仲間が身近にいる、という環境・人脈を得ることや、沢山の専門文献に簡単にアクセスできることこそが、数学科に行くメリットでしょう。
 逆に、数学者ではないばかりか数学なんぞたいして出来なくても、塾や中学・高校・専門学校などの数学教師にはなれます。教える内容は始めから決まっていて、分量もごくわずかですから、数学が出来なくたって生徒に負けない程度にはなれる。でも、数学自体について深く突っ込んだ質問をされても専門外なので困ってしまう。むしろ、教授法(教え方)というものを学んでいて、生徒がどこまで分かっているかを見極めたり、分からせるための説明の仕方をいろいろ持っている、という所に専門性があるわけです。ご質問の前半にそういう教師の例が書いてありますね。

(5) 年齢と数学の関係は、おそらく、集中力に関わっています。年齢が高くなるほど見識が広がり発想力は向上する。しかし、アイデアをじっくり検討するための集中力がどうしても衰えます。
 数学の勉強をスタートする時期の、高々数年の差(数学に興味がある人のうちかなりの数は、中学ぐらいから大学の数学を勉強し始めています)が、どれほどのハンディになるか。それは、集中力がどのぐらいスゴイか、そして、集中力を何歳まで維持できるか、ということに比べたらあまり重要ではないように思われます。
 百年昔の数学と違って、現代の数学は、最先端のところに食いつくまでに沢山の勉強を必要とする。数学の研究を始めるための準備に時間が掛かる訳です。このため、未成年の内に大定理を発見するなんてことは、まず以て起こらない。一方、健康寿命も百年前よりうんと伸びています。なので、40歳過ぎても結果を出し続けるひとも幾らもいます。
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旧帝大大学院哲学系の社会人院生です。



専門の先生に才能を認められるのは、うれしいですね。ただ、研究者になるならば、その分野の最先端研究をやっている研究室に所属する必要があります。そうすれば、高い確率で研究者への道が広がります。つまり、一番認められなければならないのは最先端研究をされている先生です。他の人の評価は「ありがとう!」程度です。

年齢についてですが、才能があればあまり問題はないかと思います。ただ、学位を取得して研究を続ければ数学者にはなれますが、数学研究者として大学教員になるには、研究以外で教育や社会活動などの能力が必要となります。大学教員の常勤職は、35歳が上限です。35歳までに採用されなかったら潔く身を引くことが肝心ですが、その時に他の仕事へシフトできるような保険もかけなければならないでしょう。

私のケースですが、もともと幼稚園の教諭をしていて、いろいろとあって研究者として教育に関わろうと思い立ったのが27歳の時で、それから31歳で修士、36歳で去年、博士に進学しました。そして、大学教員の常勤職に35歳で採用され、現在に至ります。

一応、専門分野の最先端研究の研究室に入ることができたので、研究は申し分ないのですが、大学の仕事は教育や運営などもありますので、ある程度研究が落ち着いたら他の仕事にも目を向けないといけないです。

分野は違いますが、遅咲き研究者ということで参考程度になればと思います。
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私も、某大学の数学科にいました。

結局高校教師の道を選びました。
才能の有無と、就職への不安で決断をできかねているようですね。就職は一部の天才を除いて、運です。たまたま自分の専攻と同じ所のポストに空きが出来たり、たまたま指導教官や学会での知り合いがあなたのことを気に留めていて紹介してくれたり、才能だけでは決まりません。日常の社会生活に支障がない人で有れば、そういうポストに遭遇しなかったら、高校の数学教師や、予備校の数学教師になることを考えておくのも1つの方法です。
アスペルガーということですが、どの程度、普通の人と同じような社会生活が送れるのでしょうか?アルバイトの経験などはありますか?それができるようであれば、いざというときに、大学の研究者ではなく、高校や予備校などの数学教師という避難もできます。そうでなければ、普通の会社勤務自体が困難ですから、生計の道を立てるためにも、心療内科などで正式な診断を受けて障害者手帳を取得して(半年以上の通院が必要です)備えておくことが必要です。もっとも、大学の研究者は多かれ少なかれ発達障害と思われる人が多いです。研究は立派だけれど、健常な社会生活は送れていない、と。
 私の結論は、大学で数学をやってみることをおすすめします。理想を言えば才能を認めてくれた先生の所へ行くことです。自分のやってみたいことに挑戦出来る可能性があるなんて最高じゃないですか。経済的な理由や、親の反対などで迷っているのではなく、才能の有無に疑問をもっているのは贅沢な悩みです。

 年齢のことを気にしておられますが、金子さん(四日市大学関孝和研究所)という、定年退職してから数学を始めて、大阪大学で博士号を取得した方もいらっしゃいます。

 才能があったのに挑戦しなかった、という後悔と、才能がなかったのに挑戦してしまった、という後悔のどちらが本当に悔しいですか?
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年は関係ないと思います。



ただ、例えばリーマン積分について、どういう積分なのか説明できますか?
そういう定義から切り詰めていった内容を数学科では行います。
高校の数学が好きでできるからといって、大学からの数学がわかるわけではありません。
あくまで、高校までは計算、大学からは理論という立場に変わってくると思います。

本当にやりたいことはなんなのか決断してから進学するのをおすすめします。
高校のような数学をしたいのなら、数学科は向いていませんよ。
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大学で最初研究者を目指してて、なれなかった人はたくさんいます。

でも、本当に好きならやってみる価値はあると思いますよ。
くよくよしているだけでは道は開けません。今や偉大な数学者になった人も、若い頃は紆余曲折あってかなり苦労をされた人結構多いです。まだ二十歳なのに今からだと遅過ぎるんじゃないかなんて言ってないで、本当にやりたいことなら本気でやってみてください。何歳までに才能が開花というのもあくまで傾向です。あなた個人のことに一般論は関係ないです。それに一口に数学と言ったって、分野が違えば必要な基礎知識の量・質ともに全然違います。組合せ論、数論幾何、計算機科学、、、自分好みの分野を見つければいいです。
失敗がこわいのは分かりますが、そもそも博士を出る頃になって突如才能のなさに気づくということもないでしょう。あなたの考え方だって現時点のものであって、大学に行って新しい出会いがあったり、新しい視野が広がってきたら、ひょっとしたら数学の研究よりもっとやりたいことだって見つかるかもしれません。とにかくその時点の頭で最善と思う判断をするしかないし、何かに本気で取り組めば、その上に新たな、よりクリアで具体的な視野がひらけるものです。真剣にやったことは、最終的に数学者と違う道に進むことになったとしても無駄にならないと思います。やる前から内向きに考えて道を閉ざしてしまわない方がいいです。
私の友達にも修士の後就職した人が大半ですが、そもそも結果的に研究者以外の道に進んだ人が失敗組なわけではありません。SEになった人も金融系に行った人も、高校の先生になった人もいますが、数学をやったことを後悔してる人はいないと思います。

ちょっと上からな物言いになってすみません。でも今のあなたが本気でやりたいと考えているなら、絶対研究者になってやるという本気でやってみたらいいと思います。自分が決めて本気でやったことなら後悔なんてしないはずです。どう転んでも必ず糧になります。
頑張ってください!
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なるほど、少しわかってきました。



2年の遅れなんてぜんぜん気にしなくていいです。
30歳で大学受験でも大丈夫です。

それから、有名国立大学でなくても三流無名私立大学数学科でも
よいです。

なぜなら、貴方は数学を研究したいのでしょう。
それならば、どこの大学の数学科でもよいはず。

>博士課程まで行きました。もう20代後半です。
>さて数学の才能はありませんでした。それが怖いのです。
------------------------------------------------
博士課程に進学したこと自体が立派です。
結果はどうでもよろしい。

貴方は数学者になるために大学進学を目指していますが
私が20台の頃は、大学進学しないで、
数学者になろうとしていたときがありました。
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質問がよくわかりませんが。


20歳で浪人生ですね。
予備校の数学、物理の講師と交流があったみたいですね。

それで、天才とか、数学的閃きがあるとかほめられたみたいですね。

あなた自身はどうしたいの?どうありたいの?
数学者、物理学者になりたいの?

ノーベル賞級物理学者になりたいの?

とにかく、貴方に才能があるのか、ないのかわかりません。
とにかく、20歳で浪人生なのだから、今年は大学受験するの?

モノになるかどうかはわかりません。やってみないとわかりませんな。

この回答への補足

文意の理解しがたい解体した質問で申し訳ありません。

今年は既に受験しており、現在二次試験も控えています。
いくつかの私立大学には合格の見込みです。

私自身は将来、数学者になりたいと考えています。
お給料が貰えて、食べていければ、何々賞だとか、あえてそういった目標は持っていません。自分が興味のある分野を研究できて、それで、それがたまたま、うんたら賞に値すると評価されるのならばそれ以上の幸せは無いでしょう。

自分が不安に思うのは本当にその道を選んで良いのだろうか、という事につきます。
狭き門です。ノーベル賞やフィールズ賞といった賞がありますが、それどころか大学で将来自分の仕事があるのか、というもっと前の段階の話です。私の認識では、やはり大学で数学を研究する、そのための席を貰う、ということでさえ、それ相応の才能がいるのではないか?そして自分にはその才能が無い可能性が高いと、自分では思っているが周りとの評価にギャップがある。果たして何を信じて、天秤にかければ良いのか。

博士課程まで行きました。もう20代後半です。
さて数学の才能はありませんでした。それが怖いのです。

これだけ遅れを取った自分がその椅子取りゲームに勝ち残れる可能性は如何程なのか?
10代から20歳にかけての、2年のブランクは数学者を志す者にとって致命傷にはならないのか?そういった疑問です。

ただ、やらないと分からない、という答えには少し安心しました。
もう何を目指すにしても遅すぎる、という決定打で無いのなら少しだけ足元を確かにみて前に進めるような気がします。


一応補足ですが、確かに先生には割かし褒められる方ですが、自分で自分を天才だなどとは思っていません。そんなに自信があるならここで質問をしたりしませんしね。人よりかは少し学力があるんだな、という認識です。

補足日時:2013/02/17 11:19
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はじめまして。


多分、質問は時間がかかるが数学的な難しい問題が解けるご自分の才能を、
どうやったら開花できるかということなのだと、把握しました。

ご自分一人で満足すればいいことではないでしょうか。
というのが私の思うところです。大器晩成型ではないでしょうか。
ご自分の才能はご自分が楽しんで使っていたらいつか開花するものだと思います。
ニュートンはどんなに素晴らしいアイデアが浮かんでも、
自分が満足できたらそれでいいという考え方だったということです。
それでも時期がくると、開花したではありませんか。
深く考えて間違いのない理論を展開していって、
自分の為、ゆくゆくは、世界の人のためになる結論を出して欲しいところです。

もう一つ気にかかるのは、病的な被害妄想にはならないでください。
この世の中には勉強しなければわからない大きな力があるようですので、
それに圧倒されてしまったら、
今まで培ってきた理論を大幅に変えなければならなくなる可能性もありますから。

それはそれで楽しいことではありますが。

以上です。
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一流の数学者を目指すなら無理でしょう。


サンデー数学者を目指したらどうでしょうか。
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