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NHKのラジオ講座に出ていた文章で
Всё было так вкусно.「(出されたごちそうは)すべておいしかったです。」というのがあるのですが、最後の部分がвкусноеでなくてвкусноなのはどうしてでしょうか?вкусноеでは非文となるのでしょうか?
文法的に説明いただけるとうれしいです。


~を食べたい(飲みたい)という文章の露訳でхотеть のあとにつける動詞をсъесть にするのとестьにするのでは具体的にどういうニュアンスの違いがあるのですか?

よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

ロシア語の形容詞では一般に、長語尾が恒常的・絶対的な性質を表し、短語尾が一時的・限定的な性質を表します。

ですから
Всё было так вкусно.
と短語尾を使っているのは、特に「その時に出された料理」についての一時的な評価だからでしょうね。
でももしこれが、例えば今はなくなってしまったレストランなどについて「あの店の料理は(いつ行っても誰が食べても)どれもぜんぶ美味しかった」と言いたいのなら、これは恒常的・絶対的評価として長語尾вкусноеを使うことになるでしょうから、вкусноеでは非文になるというワケではありません。
長語尾か短語尾かの選択は、話の流れや話者の気分などによっても変わってくるので、絶対にこうでなければならない、というのは難しいです。

「~を食べたい」という場合は、хотетьの後には不完了体естьを続けるのが普通だと思います。
съестьを使うと「いくつ食べたい」とか「ぜんぶ食べたい」というような具体的な量が念頭にあって、それを食べきるまでは満足できない、と言っている印象です。だから状況によっては「お前には分けてやるもんか、ぜんぶオレが食べるんだ」という意味にもなるわけで、こうなるとちょっと意地汚い感じですね。
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この回答へのお礼

両方とも答えてくださってありがとうございました。形容詞の語尾も完了不完了の使い分けもなかなか難しいですが、がんばって感覚をつかみます!

お礼日時:2013/03/24 19:35

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