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No.5
- 回答日時:
世界は一瞬の遅滞も無く、光の速度で変化し続けています。
瞑想(やり方はいろいろあるようです)によって、物事が変化する一瞬を捉えると、変化を捉えた自分自身が変化する一瞬を発見できます。
色んな仏派が色んな言い方をしていますが、確か浄土教(?)では仏陀と同じ阿羅漢に至る過程を四段階に捉え、世界が変化する一瞬を捉え自分自身が「知る」という変化を経験し、その瞬間を自覚することを悟りと言っていたように記憶しています。
世界が刹那の瞬間に変わり続ける無常であるように、自分自身もまた無常である。
だからどこまでも永遠に存在する「私」というものも、その実態は無く変化し続けるものでしかない。変化するから存在している。
その因果の法則により、自分を含めた世界の全ては生滅を繰り返す。
大宇宙もアリンコも水の流れも空気も太陽系もただただ光の速度以上の速さで拡散に向かうだけ。
人間では窺い知れない時を経て、やがて宇宙も全ても収縮に向かうだけ。
仏陀は人類で最初に「大悟」した方です。その仏陀は「悟りとはこういうことですよ。あなたも経験できますよ。やり方はこうですよ」と言っていただいています。
大悟に至った仏陀はただ一言「成すべきことを成し終えた」と言いました。
仏陀は「悟り」が分からない、悟りたいと思う弟子の求めに応じ、請われるままにインドを旅し、瞑想し托鉢し弟子と共に寝起きし説法してまわりました。
最後は毒キノコにあたり、腹痛で入滅しました。
ご質問のお答えになるかは分かりませんが、少なくとも「悟り」とはそれほど難しいことではありません。分かってしまうと、「なーんだ、そういうことか。オレは無知だった」くらいのものです。ただ、「そうだ!」と思える一瞬だけでは阿羅漢に至ることが出来ないので、仏陀は瞑想せよ、人を(自分を)殺めるな、嘘をつくな、不浄な性行為をするな、人の物を盗るなと言いました。
瞑想はいつでもどこでも出来ます。世界を観察するだけですから、子供を見ても、風景を見ても、川の流れを見ても瞑想は出来ます。
世界が変化する→その瞬間を捉える→知る→自分が変わる
瞑想はこれだけです。
ただ、その瞬間を捉えることが難しいというだけで、その瞬間を捉えることが出来れば「世界も自分も瞬間瞬間に生じては滅するだけだ。全ては無常なのだ」と分かります。
たったこれだけです。そこにはどこかの宗教団体のように、地位も名誉も豪奢な建造物も組織も金も女も上司も部下も何も必要ありません。
仏陀は「大悟」し、ただ請われるままに「歩くために歩き」「生きるために生き」「滅する時が来たから滅した」だけです。
「私」が無いのだから、好きも嫌いもいいも悪いもありません。正も悪もありません。
ただ「生きるために生き」「滅する時がきたら滅する」だけです。そして五知で知りうる全ての世界の因果が見えてくるので、不浄なことがやりたくても出来なくなります。全ては無常で因果により、ただただ変化しているだけです。
「自分がある」「自分が正しい」とそれぞれが勝手に思い描いて、自分の思うとおりにしようとするから争いになります。自分が望まない方向に行こうとするからそれを止めようとして争いになります。
世界も他人も自分自身も全ては無常なのです。
「今」の自分が置かれた状況の中で、全ては無常であると悟り、「生きるために生き」「滅する時が来たら滅する」ただこれだけです。家族がいれば共に生き、会社に勤務していれば仕事を清くこなし、自分のことは自分でやり、他人に迷惑をかけないで、この無常の世界を楽しみ、時が来たら滅すればいいのです。
それがニルヴァーナではないですか?
何だか難しい仏教書や哲学書を知識として知っていることは大事かも知れませんが、私は「諸行無常」だと思えるようになってから、それらの学問書を捨て去りました。というか、必要なくなりました。最低限必要なのは「今」を生きる自分がたちどころに仕事や家族や友人知人を捨て去ることは出来ないので、それに必要な知識を必要に応じ学び、日々を「生きるために生きている」だけです。
別に腹が立つことも無く、嫉妬することも、卑下することも、妬むことも、悪口を言うことも、何もありません。全ては無常なので、その遷り変わりを楽しんでいます。
No.4
- 回答日時:
>mmkyさんはニルバーナに達したことはありますか?
ニルバーナとは霊的人生観の事なんですよ。だから、そのような人生観を持つことができれば誰でもニルバーナの状態なんです。当然私もその状態ですけどね。
まあ、簡単に言えば恐怖や死の怖れは全くないですね。
わかりやすく言えばね。ガンダムスーツが戦闘で使い物にならなくなっても、アムロは新しいガンダムスーツに乗り換えればまた戦闘に参加できることはだれにでもわかりますね。
肉体生命はこのガンダムスーツでしかないことを知って生きることがニルバーナの状態ということですね。
No.3
- 回答日時:
>お釈迦様の悟りとニルヴァーナの状態は同じものなのでしょうか。
○悟りとニルヴァーナと同じ状態かといえば大枠では同じ状態ですね。厳密に言えば、悟りの必要条件がニルヴァーナの状態ですね。
まず、ニルヴァーナがわからなければ、悟りはないのですね。ニルヴァーナというのは煩悩を吹き消した状態という意味ですが、これは、つまり、霊性に目覚めた状態の事なんですね。肉体の自分ではなく、霊的な自分が本当の自分であるということが腑に落ちた状態をニルヴァーナというのですね。
これでも一般人にとっては十分な悟りですが、悟りの入口でしかないのですね。釈迦様の悟り、大悟というのは、霊的目で見た時の有様を如実に捉え、理解することが出来たということですね。
霊的世界から見ると、三次元的肉体生命の世界は広大無辺な霊的世界の中に置かれた「金魚鉢の金魚」でしかないということがわかるのですね。そういう悟りを大悟というのですね。
「煩悩を吹き消す。」というのは額面通りとるのではなく、肉体に依存する自分を疑いなさいという例えの教えなんですよ。「煩悩を吹き消す。」ことができるのは死ぬことしかないですからね。そんなこと教えているわけではないことは明らかですね。
ニルヴァーナ、つまり涅槃には2通りありますね。生きている内に霊性に目覚めることを「うよね涅槃」、死んで霊性に目覚めることを「むよね涅槃」といいます。肉体が死んでも自分が存在することがわかれば、それも霊性に目覚めるニルヴァーナですね。こんな教えもありますから、正しく理解するとわかるはずなんですね。簡単なことですね。
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