1. ▲ (ヰキぺ:釈迦) ~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6
§ 生涯
§§ 悟り
2. 35歳のシッダールタは、ガヤーの近くを流れるナイランジャナー川で沐浴したあと、村娘のスジャーターから乳糜の布施を受け、体力を回復してピッパラ樹の下に坐して瞑想に入り、悟りに達して仏陀となった(成道)。
3. 「解脱したとき、「解脱した」という智が生じました。
「生は尽きた。梵行は完成した。なされるべきことはなされた。
二度とこのような状態へ(至ることは)ない」と了知したのです。
(パーリ仏典, 経蔵中部 ボーディ王子経)
4. この後、7日目まで釈迦はそこに座わったまま動かずに悟りの楽しみを味わい、さらに縁起と十二因縁を悟った。8日目に尼抱盧陀樹(ニグローダじゅ)の下に行き7日間、さらに羅闍耶多那樹(ラージャヤタナじゅ)の下で7日間、座って解脱の楽しみを味わった。22日目になり再び尼抱盧陀樹の下に戻り、悟りの内容を世間の人々に語り伝えるべきかどうかを考えた。
5. その結果、この真理は世間の常識に逆行するものであり、「法を説いても世間の人々は悟りの境地を知ることはできないだろうから、語ったところで徒労に終わるだけだろう」との結論に至った。
6. ところが梵天サハンパティが現れ、衆生に説くよう繰り返し強く請われた(梵天勧請)。3度の勧請の末、釈迦は世の中には煩悩の汚れも少ない者もいるだろうから、そういった者たちについては教えを説けば理解できるだろうとして開教を決意した。
7. 釈迦はまず、修行時代のかつての師匠のアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタに教えを説こうとしたが、二人はすでに死去していたことを知ると、ともに苦行をしていた五人の沙門(五比丘)に説くことにした。
8. ワーラーナシーのサールナートに着くと、釈迦は五人の沙門に対して中道、四諦と八正道を説いた(初転法輪)。五人は、当初はシッダールタは苦行を止めたとして蔑んでいたが、説法を聞くうちに解脱した。最初の阿羅漢はコンダンニャであった。法を説き終えた結果、世界には6人の阿羅漢が存在した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
9. さて 《さとり》の中身は 何でしょう? おしえてください。
つまり 中身はありますか? という問いです。
つまり 何もないのではないか? 何もないのに ただ《目覚めた(ブッダ)》と言ってみただけなのではないか?
10. つまり 人びとはこれを真に受けて それはとうといものだと 何の根拠もなしに・また根拠がないからこそ 受け留め へんな言い方だがあたかも正負の正の意味での・誉れ高きいけにえの小羊としてのように受け容れるようになっている。だけなのではないか?
――これが問いです。
11. つまり 《さとり》の中身は 何でしょう?
なければ 世界史上まれにみるペテン師であったと考えられます。
集団催眠のごとくであり それは 人びとも自分たちのほうから積極的に(?)その催眠事業に参加して行っている。と分析すべきでしょうか。
12. 自分に対してマインドコントロールをおこなうことは 自由なのでしょうが それによって ものごとを見るふつうの目が曇らされているなら 哲学の問題になります。
13. たとえば 上に引用したくだりについてなら なぜゴータマは梵天勧請を受け容れたかの理由がさだかではありません。そういう子供だましの話に人びとが乗って行ってしまっていることは 理性も感性もダメにされている証拠だと考えられるからです。――これは 社会公共にとっての問題です。
14. すなわち人びとは ゴータマ・ペテンマジックによって骨抜きにされ 二千年以上にわたってみづからすすんで たましいまでもふにゃふにゃに成ってしまった。のではないか?
15. もしお釈迦さんは ほんとうだ・本物だと言うとしたら 《さとり》の中身を明らかにしなければならないでしょう。けれどもそれは 《世間の常識に逆行するものであり 世間の人々は悟りの境地を知ることはできないだろう》[5]というものだと言う。うんぬん。
A 回答 (28件中1~10件)
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No.28
- 回答日時:
つづき(No.27から読んでね)
梵天「はて、一大事因縁とは?悩みの生存とは?なんですかな?」
ゴータマ「(やはり一筋縄ではいかない。だが、、)一大事とは、もう後のない、九死、いや十死と言って言いような絶望の時です。因縁とは、複雑に絡んだ自身の人生とその機微の要所要所に浸透するひっかかりや言いようのない妨げのようなものが、きっかけになることです。」
ゴータマ「そして悩みの生存とは、生きることの苦しみ、餓え、渇き、愛が得られないこと、差別をしされる事、嫌悪、欲望に振り回されて大事なことを見失う事、恐怖、あらぬ妄念に囚われること、怠惰を貪る事、疑い深く信のないこと、知らぬこと、それらの悩みが尽きることを知らぬこと、です。」
梵天「難しくなってきましたぞ。どうですかな、あの村でゆっくりと話してくださいませんか。ほら、ちょうどお祭りのようだ。」
ゴータマ「わかりました。(あの娘に礼を言わねばなるまいしな)」
こうしてゴータマ改め釈迦牟尼ブッダは、遊行を始めた。彼のブッダとしての人生の幕開けであった。
話はここでおしまいです。彼の旅は続き、様々な説法を世に残すこととなりましたとさ。
彼の御釈迦さんこそが、信仰によって激流を渡った者に他ならない。
追伸:
もうちょっと書けそうだから追加するわ。
100の喩え。100を積むのに、98まで積む人があったとしよう。下積みの98が本体なのか、最後に積む2つが本体なのか、どちらであろう。通常考えれば、98の方が大きいのだから、それが本体だと思うであろう。しかしながら、この98とは釈迦で言うところの苦節八年の修業時代に他ならない。残りの最後の2が、スジャータとの出会いと、自ら為した決心にあたる。
つまり、98とは、最後の2を確り積むために準備されるべき事なのである。その2のために、98があると見る事も出来る。そしてその総体をもって100、修行の完成という。最後の2とは、発心と決心である。
№27お礼欄よりのつづき
9:11 そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。彼はアナニヤという人がはいってきて、手を自分の上において再び見えるようにしてくれるのを、幻で見たのである」。
アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています。そして彼はここでも、御名をとなえる者たちをみな捕縛する権を、祭司長たちから得てきているのです」。
しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」。
そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。
するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、また食事をとって元気を取りもどした。
~~~
☆ このあと サウロは パウロと改名しますが キリスト・イエスを指し示す伝道に出ます。
サウロは イスラエルの初代国王の名と同じであり パウロは小さき者というラテン語です。
☆ ゴータマは 可能性としてありうべき信仰を得たということのようです。
推測するに 無梵無我一如なる類型です。《無い神〔としての普遍神〕》です。
ただ スジャータから聞いた言葉 あるいは 梵天との会話 これらのどこ(どの言葉)をとおして 信仰にみちびかれたか? よく考えると きわめてあいまいです。
スジャータの言葉は 確信に満ちたものではあるけれど 何が言いたいか? (もし信仰だとすると けっきょく梵我一如のほうになる)。
梵天(ブラフマンなる宇宙の主宰神)とのやり取りはどうか?
判然としませんね。
☆ 感じる(感性の原野)や考える(思考の緑野)〔のみ〕ではなく 信じる(非思考の庭 なる動態)に鍵がある。という点では 同感です。
No.27
- 回答日時:
引用:構わない。
よっしゃ。これをYESと捉えることにするわ。自らの覚りの因縁が一つ消えるかもしれん覚悟で、聴こう言うんやったら、話す。長々とお疲れさんやったな。ほないくで。
『粥』
ゴータマ君「あかん、、もうあかん。ちょっと休憩や。。ここで休ませてもらお。」
そう一人呟き、へとへとになったゴータマは、村のとある家の納戸に入って腰を下ろした。
ひんやりとした土間が冷たくて心地いい。骨と皮だけになった脛、骸のように出張った膝や腰に、硬い床が当たったが、痛みにはもう慣れている。
ゴータマ君「あー、、、気持ちええわ。ほんま疲れたわ。苦節八年。なんやったんやろ。結局何一つ肝心なことはつかめてへん。苦行しても通じんかった。おれはどうしたらええんや。。」
独りうなだれた。
それを外から見ていた一人の少女がおった。名をスジャータと言う。
スジャータ「(あら、何かがいるわ。随分痩せて、、、ロバにしては小さすぎるし、犬にしては大きすぎる。何かしら)」
じっとゴータマを見るスジャータ。
スジャータ「(あっ、大変。あれは人だわ。何とかしてあげないと。)」
そう思ってスジャータは、祭り用に準備していた作りかけの乳粥を取りに行った。
ゴータマ君「あかん、、眠い。もう眠ろかな。。もうどうでもよくなってきた。」
睡眠は実に一週間ぶりのことであった。うとうとして眠りに落ちかけた時、ゴータマに人影が近づいて、声をかけた。
スジャータ「大丈夫ですか?食事をお持ちしました。祭祀の供物にするものですが、食べやすいものです。乳粥です。眠るならこれを食べてからになさって。そのままでは死んでしまうわ」
ゴータマ君「え、あぁ、、大丈夫です。苦行の途中なので。。食べられないのではなく、食べないだけです。」
薄暗い納戸の光に目が慣れてくると、ゴータマの彫の深くなった顔がスジャータにもはっきりと見えた。
スジャータ「あぁ。貴方はここらあたりで修行されている荒行者のお一人ではないですか?熱心に修行される様を遠くから見ておりました。」
ゴータマ君「あぁ、私はゴータマと言います。しかし、私などは。。修行者と言うほどのものを持っていません。只の負け犬です。」
それを聞いたスジャータは、核心の言葉=法の句を放った。
スジャータ「【いいえ、ゴータマさん。あなたは覚ることの出来る方です】。さぁ、これをお食べになって、元気出して。また修行に励んでください。でも、あまり無理はしないで。」
それを聞いたゴータマは、
ゴータマ君「ふっ、あなたのような小娘に何が分かると言うのです。八年も、あれだけやったのに、何一つ核心には届かなかった。いい加減なことを言って私を辱めないでください。」
スジャータ「お気に障ったらごめんなさい。でも、私は信じていますよ。お粥、おいていきますね。」
そう言ってスジャータは納戸からゆっくりと出て行った。その小さな背中は少しも翻ることなく。(なにか、その背中が王の様に見紛えたのは、ピークに達した疲労の所為だろうか。)
ゴータマ「(あんな小娘に励まされるとは、私ももう先が長くない。最後の食事としてこの粥を食べよう)」
そう思って、ゴータマは粥に手を付けて、椀を空にすると、すうっと眠りに落ちた。
・・・・・。
気がつけば夜であった。身体は幾分回復している。
ゴータマ君「(水でも浴びるか。。)」
そう思い、川縁に来た。冷たい水が体に沁み、汚れを落とした。苦行で傷んだ身体のみすぼらしさはそのままであったが、血色と潤いが少し加わった。
ゴータマ君「(あそこに大きな木があるな。あそこの下でのんびりしよう)」
川から上がると、近くにあったピッパラの木の下に寝転んだ。ふと、よぎる修行時代の思い出の数々。
ゴータマ君「俺の修業は終わった。覚ることなく、帰る場所ももうない。何ならあの村で、一農夫として暮らさせてもらうか。」
ゴータマ君「・・・だがあの娘、私を信じていると言ったな。生意気なことだ。しかしどうだろう、このまま農夫にでもなれば、あの娘に負けた気がするではないか。」
スジャータの言葉を逡巡するゴータマ。
(「覚れるだと?今更この私が?・・・。信じる、、私が、覚る、、と、信じる。。」
諦めの最中、何故か意欲が湧いてきた。自分は覚ることが出来ぬと絶望していたゴータマに。
「今一度、今までの修業の成果を整理してみよう。幸い、あの娘にもらった乳粥のエネルギーがある。」
「まず、あの小娘の行い。私を修行に立ち戻らせた。しかも、覚る気を失くしたままの私を、こうして思索させている。あの娘の乳粥、あれを私に与えたことは正しかった。だが、いや、それ以上に。。」
「あの娘の言葉。私を覚るものだと言った。それは間違いなのか?正しいわけではない。今もこうして私は、、、覚れないでいる。私は出来る修行をやり尽くした。しかし、悩みももう尽きている。諦めたからだ。」
「修行をやり尽くした私がこれ以上どう覚ると言うのだろう。あの娘、、何を知っていた?たかが村の小娘、何も知る訳がない。なのにあの娘、私にこうして火を灯している。」
「この灯は確かに明るい。私が覚ると信じている、そう。二度も言い放った。あの娘、信じることしか出来ないと言うのに、何もわからぬと言うのに、、、しかし、私自身、この私は、私が覚ると言う事を信じられていただろうか?」
時は明け方。東の空に、いつのまにか金星が輝き始めていた。
「あの小娘に出来ていたようなことが、私自身出来ていないのではないか?私は私自身を信じられていないのではなかったか?」
ゴータマは、一息吸った。そして、決心した。
「今、私は、この私自身を信じよう。私は自ら、自らが覚ることを信じよう。」
明けの明星は一層輝きを増して、その様を祝福しているようであった。
「あぁ、わが求道の旅路の終わりに突然に現れたあの小娘。あの娘の発した言葉こそ、私にとって最も必要な、真(まこと)の言葉であった。」
そうしてゴータマは、自らの覚りを確信し、晴れ晴れとした気持ちで朝を迎えたのであった。
「私は遊行しよう。そして、問われたならば答えよう。私の覚りの全てを。」)
そう立ち上がったが、ゴータマはまたも逡巡する。
「いや、しかし、この話をそのまましたとて、人々は信じられないであろう。私が悩み無き者となったことのいきさつを。もう私は私の目的を達成した。このまま静かに余生を送ろう。」
そのとき、道の通りすがりに男がやって来た。名を、梵天と言う。
梵天「おや、あの晴れやかで涼やかな、静かな顔をしている修行者は一体?少し話を伺ってみよう。」
梵天「もし、あなたは名のある行者の方ですかな?」
ゴータマ君「いえ、私の悩みは今しがた尽きたのですが、修行者をやめようと思っています。」
梵天「それは勿体ない。是非私に貴方の覚ったところを聞かせてください。」
ゴータマ君「いえ、私の覚りは、覚りながらにして覚らずであった自らの覚りを信じ切って覚り終えて、今しがた私は解放されたのです。この尽きなかった悩みの生存から。」
梵天「ほう、興味深いことです。詳しく聞かせてください。」
ゴータマ君「しかし、、、」
梵天「さぁ、勿体ぶらずに。」
ゴータマ君「(このままではらちが明かない。ハッキリをありのままを言おうか。しかしそれでは、この方は分からないだろう。為すべきことを為し終えて、そして初めて覚ることが出来るのだから。あの言葉は、私に苦節の八年、いやそれだけでなくこれまでの人生の全てがあったから意味のあったことなのだ。)」
梵天「行者さんや?どうしたのですか?」
逡巡するゴータマに、尚も話しかける梵天。
ゴータマ君「おじさん、私が修行時代に学んだことは、非常に難しいことも含まれます。それらをすべて解き明かせば、世界が三周するほどでしょう。しかしそれでも言い足りないのは、昨日、私が授かった、私にとっての大事な言葉なのです。」
梵天「それは何です?」
ゴータマ君「あなたは、ご自身が覚ることを信じられますか?」
梵天「いやぁ、それはどうでしょう。覚れるものなら覚りたいですなぁ。はっはっは。」
ゴータマ君「(この様子では、自分が覚れることを信じることが覚る方法だと言っても、彼はそれを信じられないだろう。しかし、話を聴きたいと言っているのだ。そして何より、あの小娘、私に粥まで差し出して、私を覚りに導いた。私もまた、それを真似て行おう。私には粥は出せぬが、言葉なら出る。軽々に、あなたも覚れますよ、などとは私には言えない。だが、言えることはある。)」
梵天「是非ご教授願いたいですな。」
ゴータマ君「分かりました。では、少し、お話をしましょう。」
梵天「はい。貴方は何を覚ったのですか?」
ゴータマ「悩みの生存の尽きるのを見たのです。それは、只一大事因縁によってもたらされました。」
つづく(字数制限のため)
▲ (使徒行伝:サウロの回心) ~~~
7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、 彼を市外に引き出して、石で打った。
これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。
こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。
8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。
その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った。信仰深い人たちはステパノを葬り、彼のために胸を打って、非常に悲しんだ。ところが、サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った。
9:1 さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。
ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。
サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった。
さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。そこで主が彼に言われた、
つづく
No.24
- 回答日時:
何をガタガタ言うとんねん。
どこまで行っても往生際が悪いな。チキンはこれやから困る。決められへんのか?
どっちですか。
答えを聴くのか、聴かないのか。覚悟を決めてください。
答えの用意は出来てる。
それでも聴きたいと思えるならYES
やっぱやめるならNO
二つに一つだ。
聴くのか
聴かないのか
どっちですか。
なぜわたしがためらっていると思うのか。
ほんとは 答えがないのに 見栄を張ったからか。
やるべきことを早くやれ。世話焼かせるなぁ。
No.23
- 回答日時:
更に追伸です。
夜分に失礼。明日、釈迦を覚りに導いた法の句の内容が何であったかについて説明しようと思う。正し、もし、bragelloneが常不軽菩薩縁起によって覚る人であった場合、その覚りの因縁は使えなくなるかもしれない。何故これを言うかというと、昔、bragelloneさんに不軽行を述べた時、あなたは「ありがとう」と返したからだ。もし、その時に「何を偉そうに、自分は覚ってもないくせに」とでも言い返していたなら、正しく常不軽菩薩縁起に縁がある人であった。不軽行にありがとうと返す人は、その雰囲気が無い。なぜなら、間違いによって覚りに導かれるのが常不軽菩薩縁起だからだ。ありがとうと答えるのは正しい対応である。君にはその雰囲気が無いと判じた。君はむしろ、法華経を聴いて退転した増上慢の僧の一人の可能性がある。彼らは、維摩経や混合般若経など、他の大乗経典に縁がある可能性がある。もし維摩経に縁がある場合は、俺と縁があるかも知れない。何故なら俺は病める菩薩だからだ。その場合は改めて、覚りを演じて問いに応えようと思う。覚りに関する問いなら何でも、気になることを質問すればいい。ただし、心からの問いでなければ応えることは難しい。はからいに溺れたり、的外れな問いを発するならば、それは言葉に溺れていると返すし、また的外れだと返す。こころして質問してくれるなら、俺もそれに応える。その時君は、もしかしたら化けるかもしれない。問答に期待する。
また、明日、御釈迦さんを覚りに導いた法の句の内実、再現を聴いて、覚る可能性もある。それは誰が覚る可能性があるかというと、俺が覚る可能性がある。それは、なんとなくそうかもしれないと思うからだが。
その内容は、bragelloneやこれを聞いてる他の人々の気に入るような内容ではないかも知れない。それが智慧の顕れには聞こえない可能性も高い。だが、明日、俺はそれをここに記載しようと思う。
自分に常不軽菩薩縁起があると思う人は、その解答を読むべきではない。自分で考えなければならないからだ。仮に読んでも、直ぐには覚りを生じず、むしろ反感や嘲笑、瞋りなどを覚えるだろう。そうなったらむしろラッキーだ。その縁起が生きている証拠だからだ。
何故ならこの答え、法の句の再現を聴くと言う事は、ある知恵の輪の説き方を聴くようなものに相当する。それを聴いて知恵の輪を解いても、自力で解いた時の感動は永久に失われる。つまり、常不軽菩薩縁起では覚ることが出来なくなる。覚った時には感動が起こる。それは情動によるところではなく、ある種の驚きとして感じられる。それは、ほかのどの感動の種類とも違う、生まれて初めてする感動だ。それが覚りの瞬間だ。何故やすやすと、仏が法の句の内実を説かないかと言うと、答えを聞いただけでは覚ることが出来ず、むしろ覚りの一つの因縁の範疇を、根こそぎ消滅させ、その種の因縁によってはその人が覚ることを不可能にさせるからだ。なので、自ら覚りたいと思っている人は、仏に答えを求めない。自分で見つけると心に決めている勇者は駄々をこねない。
どうだろう。それでも良いか?その覚悟はあるか?答えを聞いて、覚れなくなるかもしれないと言う覚悟はあるか?
それで良ければ、明日、釈迦を覚りに導いた法の句を再現し、その意味を解説しよう。
それは興味本位の、つまり野次馬の誰かを納得させる内容とはならない。ただ、覚りへの道に真摯に取り組み、深く聡い人だけが首肯できるものだ。
では。
★ 明日、釈迦を覚りに導いた法の句の内容が何であったかについて説明しようと思う。
☆ それは見上げた行為である。
★ もし、bragelloneが常不軽菩薩縁起によって覚る人であった場合、その覚りの因縁は使えなくなるかもしれない。
☆ すでに即得往生しているのだから 何を聞いても こちらの実存の状態に変わりはない。
★ 何故やすやすと、仏が法の句の内実を説かないかと言うと、答えを聞いただけでは覚ることが出来ず、むしろ覚りの一つの因縁の範疇を、根こそぎ消滅させ、その種の因縁によってはその人が覚ることを不可能にさせるからだ。
☆ 説明を聞くと 大衆は混乱に落ち入ると法華経・方便品にある。
人びとは 修行を積んで来ていると思うが というのが シャーリプトラだったが。
★ どうだろう。それでも良いか?その覚悟はあるか?答えを聞いて、覚れなくなるかもしれないと言う覚悟はあるか?
☆ 人びとを自分の得たさとりへとみちびくのが 自分の務めだとゴータマは言っている。
No.22
- 回答日時:
君は、覚りとは何かを人づてに聞いただけで、それで成る思てんのか?
覚った人「おい、知ってるか?桃ってうめーんだぜ?」
ブラ「まじで?そんなうまいんなら俺も食いたい」
覚った人「食えばええやん。桃の季節は○○で、産地は○○で、ここら辺の市場では○○円くらいで手に入る。」
ブラ「桃、たべたい!」
覚った人「しゃあないな、時期が来たら買うて来たるわ」
ブラ「食べたい!桃食べたい!」
覚った人「わかったわかった。」
ブラ「今すぐ食いたい!」
覚った人「まぁ待てよ、旬がこなあかんねん」
ブラ「何時なったら食わせてくれるねん!お前嘘ついてんのとちゃうか?」
覚った人「なんで嘘つくメリットあんねん、忍耐ないやっちゃな。」
ブラ「嘘だ!桃なんてないんや!作り話や!」
覚った人「・・・。」
ブラ「ほら見ろ、何も言えへんやんけ!」
数か月後・・・
覚った人「おい、ブラ、桃買って来たで、食べろや。美味いぞ。」
ブラ「ええ香りや!でも何も味せーへん!」
覚った人「お前なぁ、、口に入れんかったら味なんかするわけないやろ。」
ブラ「桃ってなんや!?味がない!桃って美味いって聞いたのに!香りしかせんぞ!?」
覚った人「だから、それは食べ物やねん、口に入れな・・・」
ブラ「あーーー!!嘘や嘘や!ペテンや!みんな騙されるな!」
覚った人「・・・。」
ブラ「ほら、黙りよったでこいつ、やっぱり嘘やったんや!皆にも言わな!」
覚った人「(こいつどないしよかな、、桃が食べもんやゆう事を知らんのや。香りのことを言うてるけど、多分それも分かってないんとちゃうか?どないしたらこいつに桃の美味さを分からせたることが出来るんや・・・)」
ブラ「桃なんてないー、空っぽ空っぽ♪」
覚った人「(困ったな、他の人にまで迷惑かけ出してるで。言うても聞かへんし、無理やり口に入れるなんて真似したないしなぁ。そんなん出来る訳もない、赤ちゃんじゃあるまいし、尊厳にかかわる)」
ブラ「gじゃggn asohvoshsvo!!!!」
覚った人「あかん、訳分からんこと言い出した。誰か何とかしたらな。(周囲を見渡すも)あかん、俺しかおらん。ええか、ブラ、桃言うんわ・・食べ物なんや。」
ブラ「!!???!?」
・・・ずっと続いた、そして・・・
覚った人「俺もいつか死ぬ。いつまでも桃を勧めてやることは出来ん。ブラ、お前もいつか死ぬんや。死ぬまでに、桃の味知りたいんやったら今、食うしかないぞ」
ブラ「俺は死なんて怖くない。神を信じてるからな」
覚った人「(これは一層、困難になった。ブラは、桃を食えんまま死ぬかもしれん。いや、桃だけでなく、他の旬の果物の美味さ全てを知らんまま死ぬんかもしれん。どうする。これは一大事や。)・・・ええか、ブラ、桃なんてもんはもうどうでもええ。旬の桃、あれはたしかに最高に美味いが、食べられんでも死にはせんのや。だから別に、桃に執著するな。もうええから、桃やなくてもええから。。今ある旬のもの言うたら、、せや、苺はどや?これも最高に美味いぞ。」
ブラ「いや、みんなのためにも桃の嘘は暴かなあかん。桃の嘘を暴く事、それは俺の残り少ない人生をかけて価値のある事なんや」
覚った人「(こいつ、なんでこんな狂うてしもたんや・・・でもまぁ、最高に美味い果物の味を知らんまま死んでも、その人生が無駄やったってことはない。少なくともこいつは、食べたい思った時が一瞬でもあったから、余計に執著してしもたんや。こころの中では食べたい思てるはずや。桃が食べもんやゆう事さえ分かってしまったらなぁ。解決するのに。こいつは桃が、見る物とか聞く物や思てんのや。)桃はなぁ、見たり、聴いたりするだけやったらあかんねや。嗅ぐだけでも触るだけでもあかんねん。。。分かるか?えええ匂い、ええ見た目、ええ肌触り、食べたなるやろ?お前の口は何のためにある?よく考えるんや。」
・・・今ココ
ええか、覚りっつうもんは、自分で行うねん。乗るとは行う事。
言うことは無い。自分でやれ。口であれこれ言う事とは関係がないんや。
引用:染みついたもの――云々と踏んでいる。:
今、君は、自己批判を他人に向けて延々としてるだけ。神に延々忖度してるのは君とちゃうんか。御心のままにしてくださいーってか。あほか。それを自己放棄という。
自分を捨て去るな。皆が悲しむ。
じゃあな。今夜はこれで。おやすみよ。
それを大化城言うねん。おんなじゴータマ・マジックやねん。
こいつ師匠直伝やん。いつどこでなろうた。
*
ひょっとして 次は二度目か。
▲ (ヨハネ福音 6:51-58 ) ~~~
わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。
▲ (きみはヨブを見たか) ~~~
神はヨブが試されることを悪魔に許した。
ヨブは試された。
悪魔は困惑させられた。
ヨブが神を自由に(神のために)礼拝すること 神を自由に(神のために)愛することを見出したからです。
神がヨブに何か〔力〕を与えたもうからではなく 神ご自身がヨブから去りたまわなかったからであります。
ヨブは言っております。
主は与え 主は奪う。主はみこころの通りになされる。
主の御名はほむべきかな。(ヨブ記 1:21 )
と。試練の火はかれに迫った。しかし その火はヨブが藁ではなく金であることを発見した。その火はそのものから不純物を取り除き 灰には変えなかった。
(アウグスティヌス:『Sermones 共観福音書説教』 マタイ 説教91 茂泉昭男訳)
▲ (愛は) ~~~
愛は死のごとく強し。(雅歌 8:6)
と言われるわけは 愛は われわれがかつてなかったものになるように われわれがかつてあったものを殺すからである。
愛はわれわれの中にはたらいて われわれの中なる或るものが死滅するのである。
(同上『詩編講解』122・12 今 義博ほか 訳)
▲ (大人の食べ物) ~~~
そのときはるかに高いところから
私はおとなの食べ物だ。
成長して私を食べられるようになれ。
食べると言っても 肉体の食物のように
おまえが私を自分のからだに変えるのではない。
逆に おまえが私に変わるのだ。
というみ声を聞いたように思いました。
(同上『告白』7・10 山田晶訳)
▲ ~~~
私の体験に於いて 神は 私に私自らを示そうとし給うた。
(同上『書簡集』21:1 金子晴勇訳)
~~~
No.21
- 回答日時:
引用:両親に対しては 病床に臥したときから わたしの最大限のチカラを出して接するということをやった:
それはえーことや。当たり前のことやけど、当たり前をできることはええ。
だが次や。俺は昔、君がここで、100年を超えて生きることが出来るかもしれんとかアホな希望をのたまってたのを憶えているが、気が変わったんか?
引用:自分については すでにゆだねている。:
それは(神への)信仰の話やろ?死んでも生き残る思てんのか?
おれは、それを、目を瞑ってるって言うてる。正直になってない言うてる。
目の前からパンチ飛んできて、びびって目を瞑ってるだけ。殴られて終わる。君は死ぬ。居なくなるんや。この世からな。一般他者に残るものと言えば、此処に連ねたクソみたいな批判文書だけ。誰も振り返らない。
えーんかそれで。何かを残せとは言わん。
ほんまに、後悔なく死ねるんか?ここでクソみたいな批判展開しながら、明日死んでもえーんか?10年後もこうしていて、それでちゃんと死ねるんか?
後悔があったとしても、それをもちゃんと受け止めて、自分を受け止めて、人生を受け止めて死ねるんか?
それやったらええよ。存分に批判したらえーやん。神への信仰に基づいて、目汚しやけど、他人に迷惑かけて、自分の時間だけでなく他人の時間と人生をも労費したことを、他人にゆるされながら死んだらえーねん。そんな自由、俺はいらんけどな。
哲学の徒は おしまいから始める。つねに。何事においても。
ブディズムの批判と ほかの思想についての取り扱いとは ちがうんぢゃ。
まだ最近の気づきだが ふつう一般の思想については 非合理をも大きくふくめた経験合理性を基準にして批判すればよい。
だが ブディズムについては 原典やさまざまな――間違いをもふくむ――解釈について批判しても 済まない。何かがのこる。
しかもこの批判しづらい(批判の矢が素通りしてしまうような)何かとは 日本なら千数百年のあいだ人びとの生活と《想像裡としてのあたま》に染みついてしまっている何かだ。
ところが やはり批判というものは 経験科学として推し進めればよい。とは思った。暖簾に腕押しであっても 基本的な学問の問題として扱い批判しておくことが肝心。
染みついたもの――つまりは さとりをめぐる曖昧な解釈やそれでも 開祖ゴータマ氏については つねにどこまでも命を懸けて擁護し忖度してゆくといった観念とその実際のエートス(ナラハシ)――は いまわたしの推察にあっては やがて色褪せてゆくであろう。と踏んでいる。
No.20
- 回答日時:
その通り、俺は死を怖れている。
大切な人が死んで行き、何も為せないまま死ぬかも知れぬ自分の人生の末路を怖れている。俺は覚っていない。
だが、皆が覚ってるとか言うペテンを述べて、自分のことから目を背けてる馬鹿とは雲泥の開きがある。
目を覚ませよ。
えーかげん。この繰り返される質問が、皆のためになるとも、bragelloneのためになるとも思えん。馬鹿の永久機関やんけ。しかも何時か唐突にプッツリと止まる、クソな機関や。
両親に対しては 病床に臥したときから わたしの最大限のチカラを出して接するということをやった。
その一・二年を経て 他者一般に対しても 死〔のおそれ〕からは自由となった。
自分については すでにゆだねている。
No.19
- 回答日時:
全て自由なわけないやろ。
死からは逃れられん。君は死ぬ。俺も死ぬ。釈迦も慧能も大昔に死んだ。ただ、釈迦も慧能も死を恐れずに死んだ。君はどうや?俺は夜、完全にひとり身に成った時には自殺するかもしれんとふと思った。
思った翌朝に、俺は全然未達やなと思った。
なのにここに来てみれば、バカが先達への的外れな批判を繰り返して悦に浸ってる。がっかりする。なんで俺はここにいるんやと思う。つまらん。
話にならん。話題以前の、心構えの問題として、君は間違ってる。
自分の話をしようぜ。ぼんくら。馬鹿なら馬鹿なりに進む方向もあるやろ。
馬鹿が進む方向まで間違えたら救いが無い。
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