1. ▲ (ヰキぺ:釈迦) ~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6
§ 生涯
§§ 悟り
2. 35歳のシッダールタは、ガヤーの近くを流れるナイランジャナー川で沐浴したあと、村娘のスジャーターから乳糜の布施を受け、体力を回復してピッパラ樹の下に坐して瞑想に入り、悟りに達して仏陀となった(成道)。
3. 「解脱したとき、「解脱した」という智が生じました。
「生は尽きた。梵行は完成した。なされるべきことはなされた。
二度とこのような状態へ(至ることは)ない」と了知したのです。
(パーリ仏典, 経蔵中部 ボーディ王子経)
4. この後、7日目まで釈迦はそこに座わったまま動かずに悟りの楽しみを味わい、さらに縁起と十二因縁を悟った。8日目に尼抱盧陀樹(ニグローダじゅ)の下に行き7日間、さらに羅闍耶多那樹(ラージャヤタナじゅ)の下で7日間、座って解脱の楽しみを味わった。22日目になり再び尼抱盧陀樹の下に戻り、悟りの内容を世間の人々に語り伝えるべきかどうかを考えた。
5. その結果、この真理は世間の常識に逆行するものであり、「法を説いても世間の人々は悟りの境地を知ることはできないだろうから、語ったところで徒労に終わるだけだろう」との結論に至った。
6. ところが梵天サハンパティが現れ、衆生に説くよう繰り返し強く請われた(梵天勧請)。3度の勧請の末、釈迦は世の中には煩悩の汚れも少ない者もいるだろうから、そういった者たちについては教えを説けば理解できるだろうとして開教を決意した。
7. 釈迦はまず、修行時代のかつての師匠のアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタに教えを説こうとしたが、二人はすでに死去していたことを知ると、ともに苦行をしていた五人の沙門(五比丘)に説くことにした。
8. ワーラーナシーのサールナートに着くと、釈迦は五人の沙門に対して中道、四諦と八正道を説いた(初転法輪)。五人は、当初はシッダールタは苦行を止めたとして蔑んでいたが、説法を聞くうちに解脱した。最初の阿羅漢はコンダンニャであった。法を説き終えた結果、世界には6人の阿羅漢が存在した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
9. さて 《さとり》の中身は 何でしょう? おしえてください。
つまり 中身はありますか? という問いです。
つまり 何もないのではないか? 何もないのに ただ《目覚めた(ブッダ)》と言ってみただけなのではないか?
10. つまり 人びとはこれを真に受けて それはとうといものだと 何の根拠もなしに・また根拠がないからこそ 受け留め へんな言い方だがあたかも正負の正の意味での・誉れ高きいけにえの小羊としてのように受け容れるようになっている。だけなのではないか?
――これが問いです。
11. つまり 《さとり》の中身は 何でしょう?
なければ 世界史上まれにみるペテン師であったと考えられます。
集団催眠のごとくであり それは 人びとも自分たちのほうから積極的に(?)その催眠事業に参加して行っている。と分析すべきでしょうか。
12. 自分に対してマインドコントロールをおこなうことは 自由なのでしょうが それによって ものごとを見るふつうの目が曇らされているなら 哲学の問題になります。
13. たとえば 上に引用したくだりについてなら なぜゴータマは梵天勧請を受け容れたかの理由がさだかではありません。そういう子供だましの話に人びとが乗って行ってしまっていることは 理性も感性もダメにされている証拠だと考えられるからです。――これは 社会公共にとっての問題です。
14. すなわち人びとは ゴータマ・ペテンマジックによって骨抜きにされ 二千年以上にわたってみづからすすんで たましいまでもふにゃふにゃに成ってしまった。のではないか?
15. もしお釈迦さんは ほんとうだ・本物だと言うとしたら 《さとり》の中身を明らかにしなければならないでしょう。けれどもそれは 《世間の常識に逆行するものであり 世間の人々は悟りの境地を知ることはできないだろう》[5]というものだと言う。うんぬん。
A 回答 (28件中21~28件)
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No.7
- 回答日時:
「無量義とは一法より生ず」
その一法が悟りの実態ですが
常識に、思い込みに、浅い知識に囚われ、慢心になり、サングラスを掛けている凡夫には一生解らないでしょう
質問者さんは「五千の上慢」の一人かと思われます。
偉大な凡夫なら一瞬で解りますが、
ま、偉大でなくても少々の勇気(信)のある凡夫なら解りますが
その一法(悟り)の説明書が法華経です
まあ、知恵第一の舎利弗ですら、最初はチンプンカンプンだったんだから、
解らないのが当然かも知れません。
舎利弗は知恵でなく「信」で分かったんですよね。
以信代慧「信を以て慧に代う」と言われています
★ 「無量義とは一法より生ず」
その一法が悟りの実態ですが
☆ を 分かる言葉で説明されたし!!
★ 常識に、思い込みに、浅い知識に囚われ、慢心になり、サングラスを掛けている凡夫には一生解らないでしょう
質問者さんは「五千の上慢」の一人かと思われます。
☆ ぢゃあ 末法にならずとも 凡夫には最初から無理だったわけですね。
★ 偉大な凡夫なら一瞬で解りますが、
☆ そんなこと どこに書いてあるのですか?
あなたが 《偉大な凡夫》なんですか?
《一瞬で解かった》のなら その内容を出来る限りで言葉にしてみなに説明するのがよいのでは?
★ ま、偉大でなくても少々の勇気(信)のある凡夫なら解りますが
その一法(悟り)の説明書が法華経です
☆ というそこを明らかにしてほしい。
★ まあ、知恵第一の舎利弗ですら、最初はチンプンカンプンだったんだから、
解らないのが当然かも知れません。
☆ 分かった範囲で 明らかにしてみてください。
★ 舎利弗は知恵でなく「信」で分かったんですよね。
以信代慧「信を以て慧に代う」と言われています
☆ で その分かった中身は 何ですか?
No.6
- 回答日時:
>★ 日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す
☆ といったふうに 《さとり》の中身の説明は 代々受け継がれて来ているのでしょうね。
当然です。
また、【身延離山】につきましては、現『日蓮宗』が謗法であり、ご利益が無いばかりか、地獄の業因といいますか『偽ブランド販売の罪』とでもいいましょうか、『身延山久遠寺』、『池上本門寺』、『中山法華経寺』、『清澄寺』、『誕生寺』等々の寺院、末寺、住職、信徒を全て悪の権化ですので成仏は出来ません。これを戒めるために、資料として添付いたしました。
>けっきょく・要するに それは何なんですか?
法である所の『南無妙法蓮華経』。
>なんだかもったいぶったように映るのですが 気のせいでしょうか。
気のせいです。
難しく考え過ぎです。⇒素直じゃないのね。
>◆◆ 日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す
☆☆ といったふうに 《さとり》の中身の説明は 代々受け継がれて来ているのでしょうね。
◆ 当然です。
◆ また、【身延離山】につきましては、現『日蓮宗』が謗法であり、・・・これを戒めるために、資料として添付いたしました。
☆ と言われましても。・・・
次が 大事です。
☆☆ >けっきょく・要するに それは何なんですか?
◆ 法である所の『南無妙法蓮華経』。
☆ それで理解せよ・・・というのは あまりに酷ですよ。
◆ 難しく考え過ぎです。⇒素直じゃないのね。
☆ これで分かれ・・・というほうが きびしい・・・。
よいサイトをおしえてください。
No.5
- 回答日時:
No.4です。
>☆ ぢゃあ その試験に合格した人はみな さとりについて分かっている・・・んですかね。
もちろん。
>☆ これにも理由があるんでしょうが われわれには分かりかねるというのが 実際ですね。
【身延離山】
1. 六老僧
① 日昭 弁阿闍梨
② 日朗 大国阿闍梨
③ 日興 白蓮阿闍梨
④ 日向 佐渡阿闍梨
⑤ 日頂 伊予阿闍梨
⑥ 日持 蓮華阿闍梨
2. 背景
身延に草庵を築いた日蓮、日蓮門下は、宗門として幕府より認めて貰っていない事もあり、その生活を数少ない信徒の布施で賄っていた。しかしながら、身延の草庵での暮らしも弟子が増えるに従って、信徒の布施だけでは賄いきれなくなっていた。その為、日蓮の身辺の世話をする弟子を残して、多くの弟子が鎌倉あるいは駿河への活動拠点を移し弘教・生活をしていかざる得なかった。
3. 身延離山
身延の地頭波木井実長と学頭日向による、宗祖日蓮大聖人の教えに背く数々の謗法によって、第二祖日興上人が身延山久遠寺を離山して正応二年(1289年)春に駿河の国(静岡県)富士郡上野郷に移られたこと。
① 日興上人の身延入山
弘安五年(1282年)十月、日蓮大聖人御入滅にあたつて一切の付嘱を受けた日興上人は本門弘通の大導師として一宗の総貫主に就かれ、身延山久遠寺の院主別当となられた。弘安五年十月二十一日、大聖人の御遺骨を奉じて池上を出発され、十月二十五日に身延山に帰山し、弘安六年一月に百か日忌を修された。しかし、百か日忌以降、五老僧は身延には登山せず、墓所輪番も行わず、自然に身延を捨てた形となった。したがって、日興上人とその弟子のみが身延山を守るようになった。
② 日興上人と波木井実長の関係
波木井実長(日円)は南部三郎光行の六男で波木井三郷の地頭だった。甲斐源氏の南部の一門で四十九院の関係によって日興上人から折伏を受け入信した。
③ 日興上人と五老僧の関係
大聖人から本弟子と定められた六老僧の中の五老僧は、次第に日興上人から離れ、墓輪番制も守らなかった。日興上人はその怠慢を責められて、警告を発せられている。美作房御返事には「何事よりも身延沢の御墓の荒れはて候いて、鹿かきせきの蹄に親り懸らせ給い候事、目も当てられぬ事に候・・・・・・師を捨つるべからずと申す法門を立てながら、忽ちに本師を捨て奉り候はん事、大方世間の俗難に術なく覚え候」と述べられている。また五老僧は、日興上人が立正安国論の反響や幕府への運動の状況を知りたがっていたにもかかわらず音沙汰もなく、全く没交渉になっていた。そのうえ、五老僧は世間に迎合して天台沙門と名乗るなど日蓮大聖人の教えに背いていった。
④ 民部日向の登山
弘安八年(1285年)ごろに民部日向が登山してきたため、日興上人も喜ばれて学頭職に迎えたが、鎌倉風の世間に迎合して軟化した教学を身につけていた日向は、波木井実長に四箇の謗法を許した。日興上人は再三、戒められたが聞き入れず、それが身延離山の大きな原因となった。
⑤ 身延離山の動機
1. 波木井実長(日円)の信心
波木井実長は鎌倉に在住していることが多かったため自然に鎌倉の軟風に染まり、立正安国論の厳戒についても、ゆるやかに考えるようになった。特に日向が学頭になると弱信の姿が現れ始めた。
2. 波木井実長の謗法
身延離山の根本原因は日向が認めて波木井実長が数々の謗法を行ったことによる。原殿御返事には「総じて此の事は三の子細にて候。一には安国論の正意を破り候いぬ。二には久遠実成の如来の木像最前に破れ候。三には謗法の施始めて施され候いぬ。」と述べられ、また同書に「この事共は入道殿の御失にては渡らせ給い候はず、偏に諂曲したる法師の過にて候えば」と指摘されている。また富士一跡門徒存知の事には「一、甲斐の国・波木井郷・身延山の麓に聖人の御廟あり而るに日興彼の御廟に通ぜざる子細は彼の御廟の地頭・南部六郎入道は日興最初発心の弟子なり、この因縁に依って聖人御在所・九箇年の間帰依し奉る滅後その年月義絶する条条の事。釈迦如来を造立供養して本尊と為し奉るべし是一。次に聖人御在生九箇年の間・停止せらるる神社参詣其の年に之を始む二所・三島に参詣を致せり是二。次に一門の勧進と号して南部の郷内のフクシ(福士)の塔を供養奉加・之有り是三。次に一門仏事の助成と号して九品念仏の道場一宇之を造立し荘厳せり、甲斐国其の処なり是四。已上四箇条の謗法を教訓するに日向之を許すと云々。此の義に依って去る其の年月・彼の波木井入道の子孫と永く以て師弟の義絶し畢んぬ」と実長が犯した四箇の謗法が明かされている。
⑥ 身延離山の決意
学頭日向は地頭・波木井実長に謗法を行わせたのみでなく、絵曼荼羅を書かせたり、一日一夜の説法をして布施を受けたり、大師講で学頭として読み上げる啓白文で国禱を行っている。そのためついに日興上人は謗法の地には住まずとの大聖人の御遺命を守って身延を捨て、清浄の勝地を選んで移る決意を固められた。
⑦ 身延離山の経過
正応二年(1289年)春に本門戒壇の大御本尊をはじめ大聖人の御遺骨、御本尊、御書等の重宝を奉持して身延を離山された日興上人は、駿河の国(静岡県)富士郡河合へ立ち寄った後、南条時光の懇請により上野郷の南条家に入られた。そして翌正応三年(1290年)十月に大石ヶ原に大坊を建立して移られた。
4. 身延相承書
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらめべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬午九月 日 日蓮 在御判
血脈の次第 日蓮日興
5. 池上相承書
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当たるべきなり、背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり。
弘安五年壬午十月十三日 武州池上
日蓮 在御判
>任用試験の合格者が そんなにたくさんいるとしても まったくその中身について人びと一般に知られていない。・・・ざんねんですね。
勉強すれば良いのですよ。
勉強しないから何も分からないのですよ。
一般の人でも、知っている人は知っているでしょうね。
平成に、創価学会が日蓮正宗より破門された時に、かの中村元先生は絶賛していましたからね。
また、創価大学には、中村先生のお弟子である菅野博史先生もいらっしゃいます。
★任用試験につきましては、『大白蓮華』任用試験特集号を参照してください。
ええっとですね。
★ 日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す
☆ といったふうに 《さとり》の中身の説明は 代々受け継がれて来ているのでしょうね。
けっきょく・要するに それは何なんですか?
もしこの場では――長かったりして――書き込めないとすれば 詳しく説明したサイトをおしえてください。
なんだかもったいぶったように映るのですが 気のせいでしょうか。
No.4
- 回答日時:
No.2です。
>その命題で分かるんですかね?
分かるでしょう。
>分かるとして ふつう一般に理解できるように表わすなら どうなりますか?
長くなるので割愛します。
が、、、
勉強していれば分かる事ですよ。
まして、創価学会って世界にどれだけいるのですかね!?
正確な数字は私にも分かりかねますが、創価学会員に入会し初期の段階で『任用試験』なるものを受けますので、そこで教えられますよ。
因みに、、、
日蓮系にも多々ありますが、現在で言う『日蓮宗』、『日蓮正宗』、または同系列では、いくら『南無妙法蓮華経』とお題目を唱えても『仏』に成る事はありません。
偽物ですから、、、。
★ ~~~
長くなるので割愛します。
が、、、
勉強していれば分かる事ですよ。
~~~
☆ そうですか。
★ まして、創価学会って世界にどれだけいるのですかね!?
正確な数字は私にも分かりかねますが、創価学会員に入会し初期の段階で『任用試験』なるものを受けますので、そこで教えられますよ。
☆ ぢゃあ その試験に合格した人はみな さとりについて分かっている・・・んですかね。
★ ~~~
因みに、、、
日蓮系にも多々ありますが、現在で言う『日蓮宗』、『日蓮正宗』、または同系列では、いくら『南無妙法蓮華経』とお題目を唱えても『仏』に成る事はありません。
~~~
☆ これにも理由があるんでしょうが われわれには分かりかねるというのが 実際ですね。
任用試験の合格者が そんなにたくさんいるとしても まったくその中身について人びと一般に知られていない。・・・ざんねんですね。
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