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細かに書くと論文レポートのようになってしまうので、それは興味のある方は検索してもらうとして。
武術ではなく「武士道」の話です。
武士道にとって「刀」は魂と武勇、ひいては日本人の道徳体系、「義」「勇」「仁」「礼」民族性まで含有する武士道の象徴でした。
(というか、過去の話ではなく今の日本人の国民性自体が武士道精神に根ざしています)

つまり刀は日本人のバックボーン、根っこ、すごい精神性を含んだモノだったわけです。
そんなものが実際に家にあった時代、刀に触れるだけ、見るだけで精神が研ぎ澄まされて高揚したでしょうね。
しかし、今はそんなものは家にありません。眼の前にないから忘れるし精神が研ぎ澄まされることがないんです。
なんか、そういうものがあればいいのになと、ふと思ってしまいました。

現代の日本においてもし「刀」があるとすればそれは何だとおもいますか。

A 回答 (7件)

わが家には「長船」の名刀が一振あります。

もちろん登録証付きです。

抜けば玉散る氷の刃、おっしゃる通り、刀身を目の前に露わにしただけで精神が研ぎ澄まされ、
静かな雰囲気の中に凛とした気が漂います。その意味では、たしかに日本人の魂なのだろうな
と感じます。

今日の日本ではこれに比べられるほどビシッとした精神の拠り所となるものは見当たりません。
しいて言うなら座禅、黙想、あるいは水垢離とか。モノではもはや見つけられません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり刀のように「代表格」はもうなくて、精神の拠り所は個々人が思い入れのあるようなモノ、クリスチャンにとっての十字架とか、イチローが肌身離さず身に着けている高校時代の、、、とか、そういう「スピリッツ」の宿ったものを自分で探すしかないのでしょうかね。

お礼日時:2013/04/05 23:51

それは拳です。



武士道こそ日本人の精神と考えられているようですが、江戸時代においても武士の全人口に対する比率は10%未満だったはずです。

>そんなものが実際に家にあった時代

たった10%しか持っていないということは、江戸の中心ならばともかく地方の農村になれば現代人がTVや店頭で見るよりも帯刀している人を見ることさえ少なかったと考えるほうが自然でしょう。

農耕民族である日本人にとってのバックボーンは僅かな人しか持つことができなかった農作業や漁業、手工業に従事する労働者のゴツゴツした拳に有ったのではないでしょうか。

それは「まじめに働いてきた証」であり、己の誇りであったと思います。

武士の場合、働く代わりに修練を積むことで拳の代用品として見た目で分かりやすい刀を拠り所にしたということで日本人のバックボーンと言うなら「真面目に働いてきた証」である拳のほうが合っているように考えます。

『ゴツゴツしている』に限らず、啄木の『はたらけど はたらけど猶 わが生活 楽にならざり ぢつと手を見る』ではありませんが日本人は過去を振り返るとき自身の手を見つめ、拳を握り締める動作を多くするという話を過去にどこかで見た気がします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
じっと手を見る。
いいですね。もちろん刀と同じで「コブシ」に宿った精神を理解していなければ意味が無いですが。

お礼日時:2013/04/05 23:40

No。

2

じゃあ
……酒?
お猪口と徳利に入ってる日本酒!

それか…
扇子とか能面とか
(三味線の)バチ
鼓とか尺八
(お箏の)爪

とかとか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
お神酒ですね。扇子でも「人間50年」とか書いてあれば精神が宿る気がします。
思い出しましたが、検察官の付けるバッチ。これを付ける瞬間に人が人を裁くことの責任と重大さをいつも思い出させてくれる、、、みたいな。
自分に何かを語りかけてくれるようなものがいいですよね。

お礼日時:2013/04/05 23:44

厄介な古道具。



夫の実家にもありますよ。
置き場所ないし、手入れの仕方もわからないし、手慣れない人が触ると危なそうだし、捨て方がわからないし、捨てるにはちょっと惜しい気もするし・・・。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ぜひ、「武士道」がどんな精神なのか、検索してみてください。
きっとその刀を手にとってみたくなると思います。

お礼日時:2013/04/05 15:34

>現代の日本においてもし「刀」があるとすればそれは何だとおもいますか。


代わりになる代物は無いでしょう。

明治維新以前においても武家でなければ家に刀はありませんから、
農民、商人は見たこともなかったハズですが、
大東亜戦争の時、戦地で終戦を迎え捕虜になった(庶民)兵においても
日本刀を差し出すことに抵抗を示したそうです。
銃はパッと放棄しても、日本刀に関しては持ち続けたいという意思を示したことから
皆、日本刀の持つ特別な意味合いを理解していたのでしょう。
なので米国兵は
・抵抗したら射殺されるのは判っているハズなのに
 それでも嫌がるってことは、これは貴重品なものなのか?
と興味深々で土産に持ち帰ったようです。
(大半は大量生産の安普請、到底、理解出来なかったでしょうね。)

現在の人が美術館などで日本刀を目にしても、それだけでは意識は変わらないでしょうが、
実際に真剣を手渡されれば「魂」が形成されて行くと思います。
渡し方によりますが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうです。
モノではない。「魂」ですね。
私の質問文に抜けていた大切な言葉をありがとうございます。
モノ自体がどうこうではない。「魂」
でも「魂」なんだけど、それを具体化した「モノ」
「刀」ってそういう偉大さがあったわけです。

私はThinkPadとか想像してしまうのですが、どうも「刀」に比べると弱いんですよね。

お礼日時:2013/04/05 15:33

鉛筆orシャーペン

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

鉛筆を見ることで自分の生き方、精神をリアルに思い描ける人もいるでしょうね。
なんか、こう、神棚に上げて大切に手を合わせるような品物でないことが残念ですが。

お礼日時:2013/04/05 15:30

>現代の日本においてもし「刀」があるとすればそれは何だとおもいますか


日本国憲法と天皇陛下でしょう。

もちろん、これらに特段の意味を見出さないひともたくさんいますけど、大半が農民や商人だった日本人の国民性は武士道精神が根ざしている、なんてファンタジーに対比するんですからこんなものでしょう。

日の丸や全労組や経団連や東大でもいいでしょうし、形ある何かということでしたらネクタイとか腕時計で。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
農民や商人は刀を持っていなかったから武士道に表される「道」とか「精神」をイメージできなかった。そんな感じじゃないですかね。
もちろん、そのような教育を受けてはじめて持てるのが刀なのでしょうが。
自分の生き方、姿勢、矜持、人生、を知った上でそれを貫くために必要な、使う武器。
刀ってまさにその通りのものですが、今の社会人男性が高級腕時計を身につけて自分のプライドの拠り所にする、というのがすごく近い感じがしますね。
どんな馬鹿でもお金さえあれば買えてしまうただの商品、っていうのが残念かな。

買えるようなものではない憲法や天皇陛下というのもわかる気がします。
たとえば、「従軍した人にだけ市民権が与えられる」制度であれば、自分は国を守るために命を掛ける人間だという象徴でその表彰状とかバッチとかが自分の「刀」となる。 そんなことを想像しました。

お礼日時:2013/04/05 15:27

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