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忘れもしません。昭和51年12月18日土曜日。私は中学2年生でした。当時、性に人一番関心があった私は、「週刊プレーボーイ」や「平凡パンチ」やもう少しきわどい内容の本を読んでいました。この日の午後、担任教師と体育教師が、いきなり私の家にやって来て、「家宅捜索」を始めました。両親が在宅していないのを知った上での行動でした。しかし、私は既に、そういう類の本は処分していたため、彼らにとって「収穫」は、ほとんどありませんでした。すると彼らは、私を中学校まで連れて行き、校長室に閉じ込め、詰問を続けました。体育教師は「お前のような奴が一番怖い。精神鑑定を受けたらどうだ」などの暴言を吐きました。運動の苦手だった私のことを、彼は日頃から快く思っていなかったようです。解放されたのは、午後8時過ぎでした。その後、この体育教師は近隣の市の小学校校長になりました。担任教師は日●組に所属していました。二人とも既に定年を迎えています。この出来事について、皆様はどのような感想を持たれますか。また、教師から受けた仕打ちで、「これだけは今も許せない」という経験をお持ちでしたら、ぜひともお聞かせください。

A 回答 (8件)

それは怖かったでしょうね。


忘れられないのも無理からぬことでしょう。
教師だって、学生時代を経験して現在の自分たちがあるはずなのに、どうしてもっと広い目で、日本の未来を担う後輩たちの成長を見届けてやれないのか…と、こうした経験談を見聞きするたび、残念に思います。

学生時代の記憶を辿ってみたら、私にも、時々思い出してしまう事件がありました。

私が小学生の頃、当時の学内では、毎年、音楽発表会が開催されていました。
発表会といっても、鑑賞に訪れるのは保護者や学校関係者でしたが、学年別に披露される課題曲の仕上がりによって、音楽教師の評判が決まるところもあり、教師たちは話題性の獲得に向け、お互いに火花を散らし合っていたのが、子供心に感じられました。

その年も、私たちは本番に備え、連日、演奏の練習に励んでいました。
私たちより一学年上の先輩たちの課題曲の前評判が高く、私たちの学年を担当する音楽教師は、秘かに焦ってもいたようです。

課題曲は「白鳥の湖」で、私はエレクトーンを担当していました。
といっても、エレクトーンは主旋律を奏でるのではなく、曲の繊細な部分と重厚な部分を演じ分けるベース音的な役割を担っていました。

その日もいつも通りに楽器ごとの音合わせを終え、全体練習をしていましたが、教師がイメージする音色が出ないことに、教師は目に見えて苛立っていました。
そして、学年全員(数百名)が出揃う中、私を指差し、名指しで「あんたは身体が悪いのに、本当にエレク担当やってていいの?良い音が出せるの?」と、大声で、なじるように問いかけたのです。

確かに、私は生まれ持った病気の影響で、一般の生徒よりは体力がありませんでした。
そのことは、周りの生徒たちも周知の事実として認識してくれていました。
でも、その病気は、楽器の演奏に、直接的な影響を及ぼす類のものではありません。

教師の言葉は、そのことを知ってか知らずか、私には判別がつきませんでした。
しかし、とても悔しく思いました。
音楽教師が私にぶつけた態度はもちろんのこと、その発言が聞こえていないはずはないのに、状況を無視したままのクラス担任教師の態度にも、少なからずショックを覚えました。

その出来事は、親にはとても話せませんでしたが、私はその日の事件をキッカケに、学内だけでは飽き足らず、帰宅後も、猛練習に取り組むようになりました。
自宅には簡素なオルガンしかありませんでしたが、それをエレクトーンに見立て、来る日も来る日も、休まず練習を続けました。

そして、迎えた本番。
私たちは無事、大きなミスなく、演奏を終えることができました。
発表会へ訪れたお客様たちからの評判も上々で、アンコールなど頂戴し、かの音楽教師も終始ごきげんでした。

今思えば、その傷つく発言こそが、負けず嫌いの私を「教師の心配を的中させてなるものか!この発表会、意地でもミスなく成し遂げてみせる!」と駆り立て、演奏の成功へと導いてくれたとも言えるので、私は音楽教師に感謝すべきなのかも知れません。
そう前向きに解釈し直すことで、教師から理不尽な詰問を浴びた想い出を、自分の中でうまく昇華(消化)できればと、私は考えています。
いやな記憶の再燃で、自分をいじめ抜いてみたところで、何も得られないですから…。

こうしたトラウマに苛まれるつらさって、同じような経験を持つ人間同士しか、理解し合えない痛みかも知れませんね。
生きていれば色々とありますが、お互い頑張りましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。つらい思いをされたのですね。私は、あの出来事から何を得たのか、いまだに分かりません。しかし、「貴重な経験」だったのかなという気はしています。忘れることは決してできませんが、前向きに生きたいという思いは今後も大切にしたいと思っています。

お礼日時:2013/04/07 21:24

反社会的な行為をすれば、その当人のためにも社会的な影響からもそれ相当な罰を受けることは当然です。



しかしながら、その当人としてもできることできないことがあります。
その当人も子供のころは親に感謝し、親のためにとか周りの友達のためにとか考えていた。
誰でも基本は、「他人の為は自分のため。」このことを知っているのです。

だから、どのような行為も自分のためなのです。

秋葉原のあの事件でさえ、最終的には、その当人のため、社会のためになっています。

この回答への補足

誠に申し訳ありませんが、私の読解力では、お書きになったことの意味が今一つ理解しかねます。「担任、体育教師の行動は、彼らにとって、ためになった」ということでしょうか?

補足日時:2013/04/07 21:35
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感想です


ゆがんだ見方をすると、父親不在の家だから可能だったと思います
女ってなめられますからね。そんな家は軽く扱われると感じる事もあります
あなたの家が同じ教職家庭、とかだったら出来なかったであろうと思います
極端に言うと首相の息子だったら同じ事をする度胸が彼らにあったのでしょうか?ないですよね
もっとゆがんだ見方をすると、(失礼を承知で言いますが)あなたのお母様に興味が少しあり家を物色したにすぎないとも取れます 家の鍵を盗もうとしたのかもしれません あわよくば干してある洗濯物を物色したかったのかもしれません
だから誤解を招く行いを絶対してはいけないです
きわどい雑誌といいますが、その教師だって男なら同じような雑誌買ってたと思います
担任と家庭教師は男性ですか?
ゆがんだ見方をすれば多分その教師の息子や娘も教職についている可能性もありますね それが現実です
田舎での出来事ですか?それならば事を荒立てにくかった母親の気持ちも分かります
田舎ではそんな教師ですら町会議員や市会議員に当選できますから、それが現実です

私の思い出は。。教師のセクハラですかね。。中学生だった私は「先生は男だから仕方ない」と思ってましたが今思うと腹立たしいですね
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この回答へのお礼

ありがとうございました。これまでの回答の中では、最も私の気持ちを汲み取ってくださっていると思います。
担任(社会)、体育教師共に男性です。当時、30代でした。
「あなたのお母様に興味が少しあり家を物色したにすぎないとも取れます 家の鍵を盗もうとしたのかもしれません あわよくば干してある洗濯物を物色したかったのかもしれません」
実に鋭い指摘です。事実、担任は2階のベランダに干してある母、姉(当時高校3年生)の下着を見ました。後で母に「あんな物を干しているから息子(私)の気持ちがおかしくなるんだ」と言ったそうです。しかし、本当は、自分が見たかったのかも知れません。
「きわどい雑誌といいますが、その教師だって男なら同じような雑誌買ってたと思います」
担任は後日、「俺も子供の頃、女の裸の写真を集めていた」と明言しました。
関東(東京都以外)のM市です。田舎です。なお、現在私は、関西に住んでいます。
質問文でも触れましたが、体育教師はその後、近隣のN市の小学校校長になりました。住所は元々N市で、地域の各団体の理事なども務めていたようです。
セクハラと言えば、私もこの時、体育教師に「お前、勃起するだろう」「マスターベーションは、週にどれ位やっているんだ」などの暴言を浴びせられました(男性の男子に対するセクハラも、当然成立すると思います)。

お礼日時:2013/04/07 21:13

>あなたは広い心の持ち主ですね。



褒めて頂いた事には素直に感謝しますが、心が広くないため中学卒業後の人生で教師にボコられるどころではない数々の大きな闘い(暴力では無く)を経験たおかげで、中学での一件は些細な昔話(ネタ)になっただけです。

平穏な人生を送ることができていたなら、私も忘れなくなっているかもしれません。
(性格的に無理ですが。^^;)
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ウイッキーさんですけど。


【精神鑑定(せいしんかんてい)とは、裁判所が訴訟当事者などの精神状態・責任能力を判断するため、精神科医などの鑑定人に対して命じる鑑定の一。裁判所は、鑑定人の鑑定意見に拘束されず、自由に判断をなし得るが、これを採用し得ない合理的な事情が認められるのでない限り、その意見を十分に尊重して認定に用いなければならないとされている(最決昭和58年9月13日、最判平成20年4月25日)。】

>忘れもしません。昭和51年12月18日土曜日。私は中学2年生でした。
>体育教師は「お前のような奴が一番怖い。精神鑑定を受けたらどうだ」などの暴言を吐きました。

【精神鑑定】という言葉が世に出回っていない時期に、言われたんですか?よくそんなの覚えていますよね。大体、家宅捜索されて怒り込み上げるのは親の方でしょ。よくもまぁ受け入れモード型のご両親をお持ちだこと、素晴らしいですね。

>この出来事について、皆様はどのような感想を持たれますか。また、教師から受けた仕打ちで、「これだけは今も許せない」という経験をお持ちでしたら、ぜひともお聞かせください。

まぁ、うさん臭いですかね。

この回答への補足

説明不足でしたが、当時、私の父は米国に単身赴任していました。母は告訴も検討していましたが、それをすると、中学校で件の教師達が私に復讐することを恐れ、断念しました。「受け入れモード型」だった訳ではありません。ところで、「受け入れモード型」の両親を持っていたら、なぜ「素晴らしい」のですか?

補足日時:2013/04/06 22:32
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誰でも人は自分を中心に考えます。


自分は自分のことしかわからず、自己防衛本能もあるからです。
でも時には他人の目からみることはいろいろなことを知ります。
行為をした側、行為をされた側、それぞれで考えれば中立的な見方もできるようになります。
人生に幅ができ、人から尊敬されるようになります。

あなたの教師はあなたを心配していた。その教師はどうしていいのかわからなかった。
それを体育教師に相談した。
あなたの両親には相談してもむだだと思ったか両親がいないときに訪問した。

被害者として生きれば被害者としての立場しかわからなくなります。

しかし、指導する立場からみるようにすれば、あなたの地位は優位になるでしょう。

この回答への補足

私は「指導する立場」ではありませんでした。彼らの立場に身を置いて、考えることなど不可能です。「話が違う」と言われるかも知れませんが、あなたの意見ならば、世の中の犯罪被害者は、皆加害者を許さなければならないということですか?

補足日時:2013/04/06 22:38
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私が生まれる前の話ですね!


現代ではとても考えられないですね。

私の世代ではきわどい本を所有していても何も言われなかったですよ。
漫画も堂々持ち込めたし。
荷物検査もありませんでした。
噂では大人のおもちゃを持ち込んだ男子がいたとかいなかったとか・・・

私に直接では全くありませんでしたが、お世話になった先生私が卒業した後、部活の合宿にて盗撮して捕まったという話を聞いて裏切られた気持ちでいっぱいになりました。
・・・許せないですね。
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この回答へのお礼

御回答、ありがとうございました。ちなみに私は、大学で教職課程を取りませんでした。彼らと同じ職業に就くこと(無論、その時点では、教師になれるかどうか分かりませんでしたが)が不愉快でならなかったからです。

お礼日時:2013/04/06 22:42

>皆様はどのような感想を持たれますか。



※本当に率直な感想であり、決め付けする気はありません。

教師達がそれだけの事をするからには「エロ本を読んでいるという噂があったから」くらいではなく、もっと深い疑惑を生徒の普段の行動や言動から抱いていたように思います。

その疑惑の中には40年近く前の出来事を、今なお執拗に考えているような特異な性格も含まれていたのではないかと感じました。

いずれにしても教師側と生徒側、どちらか一方からだけの情報では事実を把握することはできません。

>教師から受けた仕打ちで、「これだけは今も許せない」という経験をお持ちでしたら、ぜひともお聞かせください。

中学時の教師の闇討ちで顔の形が変わるほどボコられ、そのとき鼓膜が破れたおかげで今でも左耳が少し不自由だったりはありますが、その教師の顔も覚えてないくらいなので「忘れられない仕打ち」ってほどではなく、もう許しているうちに入りそうです。(笑)

この回答への補足

「40年近く前の出来事を、今なお執拗に考えているような特異な性格」とありますが、それだけ私にとっては、忘れられない出来事なのです。
「中学時の教師の闇討ちで顔の形が変わるほどボコられ、そのとき鼓膜が破れたおかげで今でも左耳が少し不自由だったりはありますが、その教師の顔も覚えてないくらいなので」皮肉でも何でもなく、あなたは広い心の持ち主ですね。

補足日時:2013/04/06 22:49
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