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なぜ長嶋監督はミスターと呼ばれているんですか?だれが言い始めたかとか由来をご存知の方教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

僕は長嶋茂雄と金田正一の対決は見たことありませんでしたが、ユーチューブで見れるのですね





Wikipedia には以下の解説がありました:


1958年4月5日の開幕戦(対巨人、後楽園球場)では大物ルーキー長嶋茂雄から4打席連続三振を奪い、プロの意地を見せた。開幕戦直前、長嶋がオープン戦で左腕投手を打ち崩し「開幕戦でも金田投手を打ち崩せるかもしれません」との報道に金田が激怒したという。しかし、結果4連続三振を奪ったものの、試合後、金田は顔をこわばらせ「あの小僧、モノになるかもしれない。三振は全部フルスイングだった」と述べている。次の対戦でも最初の打席で三振を奪い、長嶋のデビューから対戦5打席連続で三振に仕留めた。長嶋対金田の対戦は1964年までの7年間で打率.313、18本塁打を記録し、金田から最も多くの本塁打を打った打者となっている。翌年は王貞治が入団し、開幕戦(1959年4月11日)で対戦し、2打数2三振を奪っている。
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ミスターの由来そのものは前の回答者が書き込まれていますので割愛します。



長嶋茂雄氏がなぜ「ミスタープロ野球」になったか。由来の中には、実は「ミスター・ジャイアンツ」より前に名付けられたという話もあります。

当時は職業野球(プロ野球)よりも、依然として大学野球(特に東京六大学野球連盟)の人気が高かった時代です。何しろプロ野球の試合が六大学の前座に追いやられることが珍しくなかった時代です。

もちろん、それ以前にも大学野球からプロへ進む選手はいましたが、当時の立教大学・長嶋茂雄&杉浦忠&本屋敷錦吾(立教三羽ガラス)は大学野球が自信を持って職業野球に送り出せる逸材であったのは間違いありません。

プロ入り後(本屋敷の成績は割愛します。少なくとも前評判通りのプロ成績でないのは間違いありませんし)、杉浦は評判通りどころか前評判をはるかに上回る実力を発揮し(入団2年で65勝16敗)南海の、パ・リーグのエースとなったのですが、それ以上の衝撃を与えたのは長嶋茂雄のデビュー戦(対国鉄)。もちろん、語り草にもなっている「国鉄・金田正一からの4打席連続三振」。この試合の瞬間、職業野球と大学野球の力関係は明らかに逆転しました。

まだ大学野球のスター選手はプロのトップより実力は上だと妄信的に信じられていた時代です。それが、大学野球のスター長嶋が、国鉄金田の投球に手も足も出ない(これが見逃し三振ならまだ長嶋のミスと片付けられるでしょうが、全て空振り三振です。それも豪快なフルスイング。あの長嶋がプロのボールに全く当たらない、というイメージを植え付けるには十分でした)。この試合以降、認識として職業野球は「プロ野球」となり、大学野球以下の学生野球はすべて「アマチュア野球」という扱いになったとされます。
※「ノンプロ」と呼ばれる社会人野球の概念が生まれたのはこれから少し後。苦肉の策とも言える呼び名です。

プロ野球が国内最高の野球組織として認知されるきっかけになった、長嶋の対金田の4三振。たった1人の大学あがりのルーキーの4つの三振が、プロアマの実力差を見せつけることになった。ある意味、長嶋茂雄のこのデビュー戦こそ、プロ野球中興の時…と解釈することも出来るわけです。

ミスタープロ野球の名前について、長嶋茂雄の成績もパフォーマンスもすべてプロに貢献した、という理由もあるでしょうが、デビュー戦からプロ野球の地位向上に貢献したのですから、長嶋茂雄=ミスターは当然とも言えます。むしろ、長嶋茂雄がミスターであったからこそ、他球団にそれぞれミスターと呼ばれる名選手が生まれたとも言えます。

(タイガースの藤村富美男の扱いは?となりそうですが、実のところ大阪・阪神タイガースにおいて、ミスタータイガースは誰か?と問われて明確な答えは出ないと思います。少なくとも藤村に加え、在籍時の田淵幸一や掛布雅之もそう呼ぶファンはいるでしょう?明確なミスターは阪神にはいないのかもしれません。他球団も同様です。でも巨人に限れば、長嶋茂雄氏以外にミスターを名乗ることが出来る人物はいません。長嶋以前の選手はミスターと言うよりは神様でしたし)
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元々はミスタージャイアンツで、それが広まったのは、エポック社のミスタージャイアンツ野球盤でミスタージャイアンツのキャラクターが使われたからだったと思います。

ミスタージャイアンツのマーク自体は球団がそれ以前から使っていたような。ウィンドブレーカーの胸に付いていた気がします、もっとも、当時からアンチだったので自信はありませんが。

さすがエポック社、しっかりまとめてありました。ここのミスタージャイアンツ野球盤の所にあるのがそのキャラクターです。この野球盤、死ぬほど遊び倒しました。大学の頃は飲みながら24時間ぶっづけでやったことも。
http://epoch.jp/ty/yakyuban/history/data02.html
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ミスター ジャイアンツならかわいいけど、ミスタープリ野球とかも言われてます



ミスター ジャイアンツ、ミスター プロ野球というと王貞治でなく、長嶋茂雄ですが、

ミスター タイガースって言うと、藤村富美男 村山実 掛布雅之 の3名.の見解があるそうです

ミスター ジャイアンツをもじって言ってるだけだから、仕方ないですね
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最初は誰なんでしょうね。

恐らくは読売系のマスコミ(スポーツ記者)だと思いますが。
64年には既に「ミスタージャイアンツ」と冠の付く映画まで製作されている所から、
その頃には既にある程度浸透していたと思われます。
※ミスターは元々ミスター”ジャイアンツ”です。

巨人が無敵状態だったいわゆるV9時代(日本シリーズ9連覇)の4番バッターですからね。
文字通り巨人の「顔」であり、当時の巨人人気が今の比では無いほど高かった事から、
その時代のプロ野球の「顔」でもありました。
今のプロ野球ではあり得ない程の国民的スターだったんですよ。

で、長い間に「ミスター」と略される様になるわけですが、
そこは微妙な配慮があったように思います。
第1次監督時代あたりから読売系の人間はとかく彼をミスター"プロ野球"と呼ぶ事が増えていました。
当然ながら他球団系の人間からすればそこまでは受け入れがたい訳です。
で、表立った論争を避ける為に略したのではないか、と。
「ミスター」と呼ぶ限りはどちらか明示していないのでつっこまれませんから。

とはいえ、2013年の今、長嶋さんの威光はかなり薄れており、
現役時代のすごさを知る人も高齢化しています。
かく言う私も「ミスター」と言って最初に脳裏に浮かぶのは鈴井(貴之)さんになってしまいました(笑)。
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日本では、その団体とか業界とかを代表する(いわゆる顔)人をミスター○○って言うだろ。


長嶋は、かつて巨人の顔、ミスタージャイアンツと言われていた。
それがだんだん略されて「ミスター」になっただけ。
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この回答へのお礼

そういう慣習があるんですね!!しらなかった。勉強になります。

お礼日時:2013/05/09 00:26

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