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日本の憲法はどのような歴史をおってきましたか。たしか以前は違う憲法が発布されていたと思いますから複数の憲法を回答することになり情報が大量でしょうが、分かりやすくまとめてお答えください

A 回答 (4件)

憲法、と一言で言っても、日本では


・『言葉』としての憲法
・『基本法』としての憲法、
・『国家の有り様』としての憲法
の3つの側面がありますよね。


まず、「憲法」という『言葉』が登場したのは、いつからかというと
古代の中国には『憲』という基本法の集まりがありまして、これに習ったものと考えられています。
日本最古の正史とされている日本書紀にも登場する「十七条の憲法」が有名ですね。
ただ、これは日本書紀編纂時に創作されたものと考える向きが多いようです。
(日本書紀の記述時にはあって、当時存在していない制度の言葉もさらりと入っていますので・・・)

次に、『国家の有り様を示した基本法』が登場したのはいつからか。
一番最初は中学校でも習った「大宝律令」と言われています。内容は古代中国の
唐の国から教えてもらった発想で作られており、以後、日本の考え方の
基本にもなっています。(現代の中国側では、ぜんぜん守られてないですけど・・)
その後も養老律令などで、何度か改定がありましたが、根本から変わることは
ありませんでした。これに『憲法』という名前がつけられたのは江戸時代。
『憲法類編』という法律集がまとめられてからではないでしょうか。



最後に、『国家の有り様』としての憲法。これは『大日本帝国憲法』が最初です。

実は古代日本の『憲法』という『言葉』や『法律集』とは本来全く別物なんです。
ヨーロッパ(帝国憲法はドイツ=フランスの発想、日本国憲法はアメリカ=イギリスの発想)
を元に作られたもので、これを翻訳語を決めるときに
分かりやすいように日本でも一番考え方が近い『憲法』とした、というのが実情です。

憲法というと、法律の親玉!くらいのイメージで語られることが多いのですが、
これは古代からの日本の発想であって、本来の意味では『権原』を示すもの、
つまり『国という組織が存在している根拠』くらいに重要なものであるわけです。
なぜこの発想が日本に無かったのかというと、必要なかったんでしょうね。
国を作った神の子孫(天皇)がいるんですから、作ったものはその子孫のモノ、
くらいに考えていたんじゃないでしょうか。
(これだと国家の運営上不具合があるので、憲法を作ってそれを明文化したというわけです。)




これでもバッサリ切ってまとめたんですが長いですか。
ええ、長いですね。というわけでさらにまとめます!


法律の親玉としての憲法は古代中国式。
国のあり方としての憲法は最初は天皇が居たので不要だった。(天皇=国だった。)
近代化にあたって、それを『大日本帝国憲法』にまとめた。これはドイツ=フランス式。
敗戦後、GHQが民主化にあって原案(アメリカ=イギリス式)を提示したけど、
官僚が必死に訂正して『日本国憲法』が帝国議会で承認された。


さらに3行でまとめると
いろいろあって中国=ドイツ=フランス=イギリス=アメリカ式が合わさって
最強に見えるけど、混乱して頭がおかしくなって死にそうになるところは
さすがに直した方がいいんじゃない?というところでしょうか。
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聖徳太子の十七条憲法を除いたら、日本には過去二つの憲法しかありません。


最初の憲法は明治22年に発布された「大日本帝国憲法」、いわゆる明治憲法です。二番目は昭和21年11月3日に発布された今の「日本国憲法」です。

大日本帝国憲法は、当時の帝国議会がイギリスやドイツなど、欧米先進国の憲法を参考にして作ったものですが、今の日本国憲法は占領軍総司令部(いわゆるGHQ)が原案を作り、ほぼその通りの内容で発布されたものです。GHQ原案と違うところは、原案では一院制の議会(衆議院だけ)であったものが、日本側の要請で二院制(衆議院と参議院)に変えられた以外、ほとんど全文がGHQ原案のままです。ですから、全文が英語の直訳です。憲法前文などを読むと、実にぎこちない、おかしな日本語で、言っていることがよく分かりません。一度お読みになって見ることをお奨めします。9条なども直訳の日本語文章が実に分かりにくく、法律文としては曖昧で不完全極まりないものです。そのためいろいろな憲法解釈が生まれています。明らかに憲法上は違反である自衛隊を合憲としたり、にもかかわらず集団的自衛権は憲法違反だと言ってみたり、支離滅裂です。この憲法解釈は内閣法制局がやります。

もうそろそろこういう不完全な憲法はやめて、新しい三番目の憲法をつくるべきですね。その際は他国の意見は聞かず、日本人だけで作りましょう。
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この回答へのお礼

色々な解釈が出来るってとこは聖書と一緒ですね。

お礼日時:2013/08/11 15:17

憲法というものは、国家の根幹を定める法規範です。


それは、領土、国民、統治の主体、政治組織
などを定めたものです。

だから、これが憲法だ、と明記していなくても、
国家が存在する以上、憲法は必ず存在します。
これを実質的意味の憲法といいます。

国家と憲法は表裏の関係にあります。
奈良時代には奈良時代の憲法があります。
江戸時代には江戸時代の憲法があります。
ただ、憲法と称していないだけです。

反対に、憲法という名前がついていても、憲法とは
言えないものもあります。
聖徳太子の17条憲法といわれるものは、
公務員の道徳的心得を示したものであって、
憲法という名前がついていても、憲法とは言えません。

近代における憲法というのは、国家権力の恣意を
封じ、もって国民の権利を守るもの、とされて
います。
これを近代的意味の憲法と言います。

この近代的意味の憲法と言えるのは、明治憲法と
現代憲法です。

1,明治憲法(大日本帝国憲法)
これはご存知のように、明治維新後、
文明国であることを示すための体裁として制定
されたものです。
その中身は、列強の植民地にされないように
することで貫かれています。
日本は、あの中国がアヘン戦争で惨敗したのを
見て、危機感を募らせました。
それで、憲法は天皇大権を中心にした臨戦態勢
の強いものになりました。
そのため、国民の権利は、現行憲法と比較すると
かなり制約されています。

2,現行憲法(日本国憲法)
戦争に負けた日本は、明治憲法を改正しようとして
草案を造りました。
これを松本草案といいます。
この草案をGHQに提出しましたが、却下されました。
マッカーサーは、日本人に任してはおけない、と
いうことで部下に命じ、草案を作成させました。
この草案は一週間で完成しました。
これがマッカーサー草案と言われるものです。

これを翻訳し、多少修正を加え、明治憲法の改正と
して国会に提出し、現行憲法が制定されました。
当時の国民は、米国人が造ったということは
知らされておりませんでした。

この憲法の特徴は次の通りです。
・日本が再び白人国家に歯向かうことが出来ないように
 軍隊を持つことが出来ないようにしました。
 前文と9条です。
 当時は、今では考えら得ないほどの人種差別が普通
 だったのです。
 後になって、社会主義国が台頭し、朝鮮戦争が始まると
 米国はこの条文を定めたことを後悔するようになり、
 軍隊を整備するよう、日本を指導しました。
・欧米キリスト教文化圏の価値観で、日本を染め上げようと
 しました。
 具体的には、権利中心の個人主義で貫かれています。
 天皇主権から国民主権に変え、人権保障を強化したのもその一環です。
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・推古天皇12年4月3日(604年)


摂政聖徳太子、現存する世界最古の成文憲法である 

十七条の憲法 

を制定。
今日も、日本民族の精神規範として親しまれる。

・明治大帝により、伊藤博文らが起草した

大日本帝国憲法

1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された。

1946年(昭和21年)第90回帝国議会で
大日本帝国憲法の改正案が可決され、11月3日に

日本国憲法

に名称変更の上、公布され、1947年(昭和22年)5月3日から施行され、

現在に至る。
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