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マルクスによれば、共産主義革命を実現するためには、一度プロレタリアートが権力を掌握しなくてはならない(プロレタリア独裁)のですよね。

このプロレタリア独裁が共産主義社会への過渡期となるそうですが、この独裁体制が一体どのようにして共産主義社会へと移行するのでしょうか?
マルクスは、プロレタリア独裁から共産主義社会へと移行するメカニズムをどのように考えていたのでしょうか。

A 回答 (4件)

無産階級と有産階級の階級闘争において、何もしなければ有産階級が無産階級を支配し続けることになる。



そこで、革命的手段(=暴力)で有産階級から資産を奪い、いったん、無産階級の資産にする。
しかし、「無産階級の資産」という言葉自体が形容矛盾であって、新たなる有産階級を創出するだけである。

その矛盾を解こうとして、「無産階級の独裁」というオーナーシップをぼかすアイデアを思いついた。
無産階級に属する個人に資産が移転するのではなく、「無産階級全体で全ての資産を独占するのだ!」ってな具合。

でも、無産階級に資産を独占させても、無産階級に属する大勢の個人間の対立が残る。
この対立を解消する手段として、共産党という「無欲な」「理想に燃えた」「平和的な」政党が代表管理人をやってあげよう、っという「旨い話」ですよ。

「旨い話」は「危ない話」ということで、信用する人はあまりいなかったのですが、中国だけは成功しましたね。

今、8200万人の共産党員が12億人の”人民”(=プロレタリアート=無産階級)のために代表管理人をやっているわけです。
土地所有者から剥奪された中国のすべての土地は、共産党の管理下(=事実上、共産党のもの)になったのですから、笑いが止まらない。
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No.1さん の指摘された中国ですが、



中国共産党のやったことは (1)まず毛沢東は国民総所得を各自に結果が平等になるようにして (2)共産主義思想を徹底して各自国民の所得を向上させ社会主義社会を実現しようとしたが 問題多発 西側資本主義諸国との国民差が拡大し続け (3)鄧小平の先富論を導入し 資本主義社会にしたのです。次に(4)富のトータルがある程度増えたところで社会主義化をおこない 共産化に移行する、というシナリオです。しかし このシナリオは だれも分かっていません。

現在は経済は拡大発展し中国政府の発表によりますと2012年度では年収9000万円以上の人は270万人に上り中国人平均年収は24万円になっています(さらに高額所得者は年収15億円の人は6万人ということです、1元=15円で換算)。全人口を13億人としますと、0.2%の人(9000万円/年人)が全収入の75%にのぼり、99.8%の人(5.6万円/年人)が全体の25%の収入になっています。さらに高額所得者については0.0046%の人(15億円/年人)が全体の30%の収入を得ています。要するに中国共産党が推し進めた資本主義政策は 大部分99.8%の貧困層とごく一部0.2%の富裕層という 他の資本主義諸国もびっくりのりっぱな資本主義国?になった ということです。さらに今後十年以上に渡って経済成長を続けていくように思われます。富の偏重を考えれば共産主義はどこかへ行っているようです。共産党は たんに 資本主義発展の官僚組織として機能しているだけで 主義などなんでもよかったように思われます(=開発独裁国家)。この現状を考えれば 貧困層の第二の平等化革命が起きそうに思われます。

仮に第二の平等化革命が起こり 結果平等化をおこなったとしたら世界との個人格差がまた拡大し また先富論がでてきそうです。根本に 平等化を進めると働かない人が得するという悪平等化が生まれそうです。このような根本原因の解明と対策が十分なのかどうか が一つの鍵になると思います。
ゴルバチョフが日本社会をみて これは理想の社会主義社会と評したとあります。しかし、その先の十分に基本的人権が尊重され 社会資本が蓄積され 各自の自由意思で 人生を渡ることができる といった理想の共産社会になるのでしょうか。
 
  
実験国家中国は 変身共産党(=官僚主義)の漢民族の普通の資本主義国家になるのでしょうか、それとも 理想共産国家になるのでしょうか。
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こういったご質問には、精通された方が答えるべきなのでしょうが、近頃滅多に登場されないようです。

私も「回答」する立場ではありませんので、問題となる点・参考文献の指摘にとどめます。

まず、「移行するメカニズム」と聞かれていますが、マルクスは、歴史をメカニカルに進展するものとは考えていなかった、と思います。かつてのマルクス主義者は、資本主義の没落は必然的で、それはプロレタリアート階級の勝利で終わる、と言っていました。その場合であっても、その必然性の意味は決して、メカニカルな進展を意味しているのではありませんでした。歴史の進展は、物質的法則のように予測可能な法則的運動をする部分もありながら、偶然としか言いようのない側面を持っている、ということはマルクス主義者の共通了解です。

次に、マルクスは、共産主義社会を目指すという全くの理想主義者ですが、あくまで現実主義者です。『共産党宣言』の後、地盤のない少数派になってしまったのも、その後着実に同調者を増やしたのも、その現実主義にあったのではないか。ここで言う現実主義は、目の前の現実にただ従う、という意味ではありません。簡単に言えば、資本論にあるように、事実に基づいた分析に依って得られた方策を押し立てると言うことです。プロレタリア独裁という考え方も、いくつかの革命運動の挫折の中で、ブルジョアジーが裏切るということを身をもって知ったということでもある、と思います。この面から見ても、プロレタリア階級が権力を獲るという現実を見ていないマルクスが、次の段階をメカニカルに示す、ということは考えがたいと思います。これには、政治スケジュールに上るのは遠い先という私の見解が入っているとも言えますが。

質問者さんが、メカニズムという言葉を、軽い意味で、おおざっぱな道筋という意味合いで問うておられるのかもしれません。機械的に進展するとまでは思っていない、と反問されるかもしれません。マルクスがどういうイメージを持っていたか、ということであるとするなら、『ゴーダ綱領批判』をお勧めします。綱領批判にこと寄せて将来的なことに触れています。その程度はとっくに読んでいるということでしたら、全く余計なコメントを差し上げたことになります。このコメントも捨て置きください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> 歴史をメカニカルに進展するものとは考えていなかった
マルクスは、歴史とは階級闘争の歴史であり、共産主義革命が実現することは「歴史的必然」と捉えてはいなかったでしょうか?
私は歴史的必然を持つという意味で、「メカニズム」という言葉を用いました。

> プロレタリア階級が権力を獲るという現実を見ていない
おっしゃることがよく分かりませんが、マルクスはプロレタリア独裁の実現を想定していない、ということでしょうか?

しかし、
> 『ゴーダ綱領批判』
には、資本主義社会から社会主義社会への過渡期にはプロレタリア独裁が発生する、と書かれていたと思います。
そして、社会主義には「低い段階」と「高い段階」があり、「高い段階」に至って社会主義革命が完了すると。

私の疑問をもう一度整理しますと、

「革命からプロレタリア独裁が実現するということは、まあ理解はできる。
しかし、プロレタリア独裁は依然として資本主義社会のはずである(プロレタリアが独裁権を握った資本主義社会に過ぎない)。

マルクスは、プロレタリア独裁から社会主義社会に移行すると主張するが、本当にそうなのだろうか?
もしそうなら、そうなる『歴史的必然』があるはずだが、それについてマルクスは説明をしていないように思える」

ということです。

お礼日時:2013/08/29 22:45

selflessさん、ちょっとくどいようですが、私は、マルクスがどう言っていた、いないを確定的に答えるような任にはありません。

私の理解した範囲からするコメントを寄せてみたにすぎない、ということをお含みおきください。

まずは、私の先のコメントで通じなかった点を確認しておきます。
>> プロレタリア階級が権力を獲るという現実を見ていない
>おっしゃることがよく分かりませんが、マルクスはプロレタリア独裁の実現を想定していない、ということでしょうか?
まさに、「想定」である、というのが私の言いたいことなのです。その想定の段階にさえ到達していないのに、その次の段階を「メカニカル」に述べるなどというのは、「空想」になる。この点で通じ合わないのは、私が「メカニズム」の意味を、字義通りにとっている所為でしょう。

>私は歴史的必然を持つという意味で、「メカニズム」という言葉を用いました。
私から見ますと、それも問題なのですね。ご質問の「移行するメカニズム」という文言から疑問を持ちました。「歴史的必然を持つ」を「メカニズム」という言葉に置き代え得ると見るということも、「必然」ということを機械的連鎖と見ているのではないか、と思うのです。そこは、ただの言葉の綾とみて、「必然」という表現にとどめたとしても、マルクスが必然と言った時、その「必然」観がやはり問題とならないか、と思います。といいますのも、

selflessさんの疑問は、低い段階から高い段階への必然性ですが、その前の段階の「共産主義革命が実現すること」の必然性をマルクスがどう言っているか。---マルクスは一杯言っているようですが、時代による変遷とか研究も多数に上るので、ここで取上げるのは遠慮したいですね。---selflessさんがどうお考えか分りませんが、私には全く質の異なる「必然性」である、と見えます。ポイントは、一に懸かって「ブルジョア的私的所有」が廃絶されるのは、どこをどう変革した時点か、ということであろうと思います。それはマルクスの時代と今では全く異なっているでしょう。概念的には同じとも言えますが、現実に為されるべき事は、マルクスの想定にはない変貌を遂げた資本主義経済体制を我々はもっている訳ですから、事象的には大きく変わると言うべきでしょう。この点は、色々と意見が分かれると思いますから、横に置いておきたいのですが、私の捉える「必然」の例としてだけ見てください。---ソヴィエトの崩壊、東欧の変革によってマルクスの言う必然性は、歴史的・事実的に否定された、と旧マルクス主義者は多く転向を遂げたかもしれません。しかし、マルクスの言う意味での必然性は、依然生きている、と私は思います。彼の言う「必然」は、自然に移行するものでもないし、メカニカルに進展することでもない、また、今が彼の言う永い陣痛であることを否定する根拠はない、と見ているからです。---当然にこの件で論争する気はありません、捨て置きください。---

話がだいぶ脱線したかに思われるかも知れませんが、「低い段階から高い段階へ」の件は『ゴーダ綱領批判』に書かれている程度のことでマルクスの時代は充分だ。必然性を示す根拠とか、「原動力」などといった事に関説する必要はなかった、と私は思っています。そのちゃんとした理由となると『ゴーダ綱領批判』を引っ張り出して見なくてはならないので、今はご勘弁を願うと言うことで。

以上、ご質問に対しては、まったく答えになっていないと思われるでしょうが、私のコメントし得る限界を示したことで、何等か役に立つ点でもあれば、と存じます。
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