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人間は躊躇いなく虫を殺したり動物実験を行ったり普段から生き物を食べたり、たくさんの命を奪っています。
殺生は悪とされていますが、それをはじめに決めたのは自分が殺されたくなかったから、ではないですか。
善や悪というのは人が決めたものです。
普段牛や豚を食べている人が動物実験に強く反対をしていることがありますが、殺される側にとって理由なんて関係なく命が奪われるのは一緒です。
殺しは悪で、どうしても殺す場合には合理的な理由が必要だというのは、そう言わないと生き物をむやみに殺すことになってしまい人間に都合のいい自然が壊れてしまうからと、やはり人間が決めたことだと思います。
本当は動物は他の命を奪いながら生きていくのに、人間は人間だけの平和を求めて勝手に殺生を悪としました。

私は他の生き物を平気で殺す人間に恐怖を覚えました。
自分も今まで多くの命を奪ってきたのでこのように正当化して考えないと本当に罪悪感に押しつぶされそうになります。
ここ最近このようなことを延々と考えてしまい、答えが出ず、人間は悪だと思って周りの人も怖く見えてしまったりします。
上に殺生は悪ではないと正当化した意見を書きましたがやはり罪悪感はあるし、でも殺さないと生きていけないし、という具合にとても苦しいです。
自分のことを客観的に見たら他の生き物の死など別に興味はなく自分が善良な人間だと思いたいことと、他人が悪に見えてしまい怖くなることに苦しんでいるのかなとも思います。
善悪は所詮人が決めたことだと思いたいのに結局はその感覚に囚われていて矛盾していることはわかっています。
とにかく苦しいです。
たすけてください

A 回答 (19件中1~10件)

記載されていることがすべて、正しいとも間違っているとも言いがたい無いようですけど。

あなたの思想は、仏門などでよく用いられている宗教的なお考えだと思います。

そちらの方向に進んでみてはいかがですか。?

同じ意思をもってぃる方々のお話を聞くことや、聞いて頂く事は、悲観から救われる第一歩なのでしたら、それは正しい進路かと思いますけど
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貴方の苦しみは『人間そのものや、自分自身』を達観出来た時解消する問題です。

結論だけ書いてあとは貴方の進むべき方向性のみを書いてみますので、参考になるなら有り難い事だと思います。

元々人間は貴方と同じで『悩むように出来ています。』此処のところがよくよく、分かる時私の言いたい事が分かりますので、参考になるものを載せてみます。

こう言った苦しみを『失楽園』として、聖書は教えています。失楽園の反対語は『天国』ですが、この天国と言う意味は、心安らかで幸福感に包まれている『心の状態』を指していると思います。

貴方は今『(意識)地獄に入っています。』この状態が、天国から追放された状態、と思います。

この二つは『同じ人間でありながら、どのようにもなる事』が出来る事を聖書は教えています。

天国に一番近い存在は幼子、とありますが是がヒントです。この状態は『心が一つの者として働いている状態を指しています。

思春期頃『自分の裸を人に晒す事が出来なくなる頃』人間の脳は『機能分化』完成して、その二つに分かれた機能(心)が脳内で相争う事があります。この争いが、聖書における『原罪』という意味になります。

脳卒中のために左右の脳の機能の違いを、体験から話している脳科学者の動画を載せてみますので参考にして下さい。

『脳卒中、ジル、ボルト、テイラー博士』と検索をしてみて下さい、動画が出てくる筈です。

この動画で語られている内容は聖書の内容とするなら、それは『神との和解』をしている真っ最中という意味です。仏教的な解釈をするなら『自性を徹見』している最中、つまり『見性成仏』をしている最中という意味です。

貴方の苦しみが解放されているところが、この動画の中に存在しているという意味ですので、貴方もまなんで、心の対立が無くなった状態『涅槃』を目指して、もう少し苦しみ抜いてください。

又『エックハルト、トール 苦しみからの終焉』という動画からも得るものがあるかも知れません。

又道筋が長くなるかも知れませんが、鈴木大拙博士の著作からも学ぶことが出来ます。かく言う私の場合は、鈴木大拙博士の本から学ぶ事が出来たと思っています。
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おはようございます。



人が決めた事なんて、どうでもいいと思いますよ。

一番大事なのは人の意見ではなく、貴方の心。
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人として、まっとうな考えを持つと、苦痛にさいなまれるものです。

人の気高さを、自己発見すれば、当然のことです。
食べ物を前にした時、人としての気高さに沿った行いをしますと心に言いなさい。決めなさい。
出来る範囲でいいのです。あなたがそれを責めるのは、出来る範囲内なのに怠けるからです。
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まず、あなたがそれを考えたり悩んだりする事や、


何も躊躇わず殺生ができる人がいること、
また、殺される側の動植物や人間がいること…

そのすべてが地球という[ひとつ]の生命体のなかで
とても長い時間をかけて行われる、生から死へ向かう生命活動の一部なんだと思います。
人間の体にも悪性の腫瘍が発生したりそれを治そうとする力が働いたり…
環境破壊をする国があれば、声を上げてそれに反対する人達もいる。

人間、動植物すべては地球という生命活動の一部でしかないですし、そのなかで発生するあなたの悩みや揉め事は自己意思のようで実はそう思わされているだけかもしれません。

ただ、それをネガティブに捉える必要はあまりなくて
逆に言えば、一見犬死にしたかに見える動植物や、生まれて
すぐに亡くなってしまう赤子などにも、それぞれ役割があるという
事なんだと思います。

だから、あなたが今悩み苦しむ感情の動きも、
地球が誕生から終末に向かうまでの必然的で
必要で、正とか誤、善悪などという白々しい理論では
太刀打ち出来ない大きな流れの一部なのだと思います。

ここからは聞き流していただいて結構ですが、
私はあなたのように思い苦しむ人が好きです。
※変な意味じゃないですよ(((^^;)

自分の見える範囲に引き合う人や同じ声が聞けなくても
必ず同じ感性を持った、地球の仲間がどこかにいます。

あなたは異端でも変わり者でもありません。

最低限、自分の回りの命は粗末にしない、したくない。
そして、石だろうと人が産み出した有害な物質であろうと
目に見えるものすべて地球の[自然]だという感覚になると
善悪や正誤ではなく何が自分に必要かわかり始めるかもしれません。

偉そうに書いてしまいましたが、
私自身もとるに足らない職場の事や、家族、お金、
はたまた地球や宇宙の起源に頭悩ませることはしょっちゅうです。

ただ私は、自分に涌き出た感情も、森や動物と同じ[自然]の一部なんだな

と、考えるのがとても楽に感じています。

何が正解かはわからない…
逆に言えばだからこそ人は悩みながらも
探求して生きていられるのだと思います。

まぁ、頭でっかちの独り言とでも思っていただければ…
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外れているのかもしれませんが、地球上に生物が出てきたのはずいぶん昔のことでと思います。

初めの生物というのは地球上にあった物質(当然この物質は生物由来のものではない)を利用して自分と同じものを増やしていきました。数が増えてくるにつれて利用する物質も大きく異なってきたと思います。そのうち効率が悪い物質よりも他の生物を食べるほうが簡単であるという生物が出てきました。このころは草はありませんから草食とか肉食という区別はなく、ただ他の生物を殺して食べるという生物が出現しました。これが殺生の起源です。このように殺生の起源は非常に古いものです。人間も当然殺生をしなければ生きてはいけません。草食でも殺生です。いまは特に人が人を食っている現象がはびこっていませんか。老人をだましたり子供をいじめたり、みな殺生です。戦争を輸出している国はどうでしょう。
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そうだよね。

戦時に人を殺すのは、英雄で、平時に人を殺すのは、罪で、死刑なんてあったりする。
中絶は、良いのか?

「命の重みってなんだ?」

に苦しんでいるのですね。
私もそうして悩んだ時期がありました。
私の場合は、時間と経験が解決してくれました(いわゆる1+1=2みたいな解決ではないけど)。
いや、そういう意味では、今でも解決してないし、悩んでいる最中なのかも?

今は、しっかりそのテーマについて、向き合って、ゆっくりじっくり悩んでください。
答えは、人さまざまだと思いますが、あなたなりの答え?考え?妥協?が見つかるはずです。

また、このテーマでなくても、世の中?人間社会?は、そのほとんどがパラドクサル「矛盾」です。
宇宙に理由はないはずなのに、人は理由を求める。
なぜいじめが存在するのか?
幸せは、不幸せを知るから感じられる感情なのか?
裏があるから表がある。裏は表なのか裏なのか?
A国とB国の戦争、どっちが善でどっちが悪?
など。

とにかく、今はじっくりそのテーマを考えてみてください。

ちなみに、私も経験があるからってのもありますが、
あなたは正常な精神の持ち主だと思いますよ。
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「生」とは、死を避けたところに残るものではありません。


より良い生とは、より良く死ぬことと同じです。
人の遺伝子の最後に回数券のようなくり返し配列が(50回ほど)
あり、一回細胞分裂するごとにくり返しが1つ減って、なくなると
それ以上細胞分裂できず、新陳代謝できずに老化して死ぬように
なっています。

生物は、有性生殖以前の「突然変異による多様化と、その淘汰に
よる選択」という人まかせで遅い進化に対して、交配する事で、
遺伝子の配列をシャッフルして多様性を生み、また交配のための
種内の競争による選択という、すばやい進化を可能にしたのです。
そこにおいて、世代交代しなければ個体数が増える一方なので、
自ら寿命を制限しているのです。

その世代交代のための死は、自ら死ぬのであれ、自然界の生存競争
であれ同じ事です。
たとえば、中世までは日本国内でも多くの国に分れ、殺戮し合って
ましたが、最も多く殺したであろう織田信長を英雄視する事を否定
する声を聞いた事がありません。

社会性が発達し組織化・分業化が進むと、その内における相互依存
が強まり、その内では「殺すのは悪」という常識が醸成されます。
しかし、その社会性の外に対して、ペットの場合のように感情移入
して『可哀想だから』といった殺生への拒否反応を示すのは、正し
いとは言えない。
自然破壊をし、生態系の持続性を損なわない限り、適正に自然選択
するのが、自らの命にさえ自殺機能を備えた生命として正しい。

死は世代交代を意味し、その有性生殖において愛は生じ、親や子供
は存在するのです。
人は往々にして不死に幻想を抱きますが、人も愛さず、子供もいない、
そんな社会が魅力的には思えません。
逆に愛があれば、自己の肉体の限界を超えて、意志(=精神的充足)
は広がります。
生と死は対立概念ではなく、「より良く死ぬことが、より良く生きること」
なのです。
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善悪は所詮人が決めたこと、というのはその通りですね。


これは人間独特の道徳観ですから、ここで思い悩むのは人間であるゆえんですね。

道徳観は人間しか、おそらく持っていませんし、他の生き物は、自分たちが何をしようが、何をされようが思い悩むことは、おそらくありませんから、そういう意味ではあなたがほかの生き物にしたことについて悩むのはあなただけです。
人間同士であれば、お互い思い悩むことになるので、法律、道徳などの線引きがないと社会が混乱してしまいますので、それらが存在しています。復讐心というのも人間独特だと言われます。

こういった線引きをしたために正しい、正しくないが生まれているのですが、動物にはその線引きがないので、動物に対して正しいも、正しくないもありません。

基本的に動物は、生物学的には遺伝子を残すための生存欲求しかないので、遺伝子を残すためなら、進んで自分が犠牲になるし、ほかの動物を殺します。ここには善悪という感覚は介在しません。

そして、生存欲求以外の欲求でほかの種を殺すということは、人間以外では、まずありえません。
ということは、ほかの種を無意味に殺してこそ、人間だ、とも言えます。
これを悪と定義するのなら、人間は悪です。悪でなければ人間ではないとも言えます。

あなたは人間は悪であってはいけない、という固定観念があるようですが、人間は悪でなければいけないという結論が正しいのかもしれませんよ。
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 あなたの視点は常に自分が殺す側だということ。

これがあなたの苦しみの原因。

 牛や豚を哀れんで罪悪感をもたれておられるようですが、あなたも殺される側であって豚小屋の住人なんです。命を張って守るべきものを守ったらいい。
 
 
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