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現代文の問題につまづいています...ザックリでもいいので僕に解答例を示していただけませんか?


近代文明の目指したもの、それは、神の軛から人間を解放することだった。この軛は「自然」という形で解釈された。神の作品としての「自然」、神の計画が実現されていく現場としての「自然」、例えば近代の二人の代表的思想家と言われるデカルトとニュートンにとって、「自然」は二様に解釈されたが、それでも「自然」が神の計画を内包するものであり、「自然」のなかに、創造主としての神の意志が内蔵されている、という考えにおいては、両者とも、明確に一致していた。「自然」であるということは、「神」の定めたことに従うということと、事実上同じであった。通常「近代」として規定される十七世紀においても、こうしたキリスト教的な神への信頼は揺らいではいなかった。
キリスト教にとっての、この安定した事態は、「文明」の発祥とともに変わった。「文明」という言葉の欧語である《civilization》は、十八世紀に誕生したが、その言葉の成り立ちからしてら目指すものを正確に言い当てていた。《civil-ize》つまり「都市-化する」というこの言葉は、「都市化」される対象が何であるか、そして「都市化」する主体が何であるかを言外に含んでいる。言うまでもなく、「都市化」れされるべきは「自然」である。「自然である」ことは、この文明というイデオロギーのなかでは、単に「野蛮である」ことにほかならない。たほう、野蛮なる自然を「都市化」する主体は、当然ながら「人間」以外にはない。もう少し厳密に言えば、A【神の軛から解放された】十八世紀ヨーロッパの人間にとって見えてきた「自然」は、もはや、デカルトにとってのように神の計画を描き込んだ書物でもなく、あるいはニュートンにとってのように神の力が常時働きかけている現場でもなく、人間の現実の生活の場であり、人間がそこから利を得、便利を獲得する対象に過ぎなくなった。そして、こうした目で眺められたとき、「自然」は、良く言えば、無限の可能性を秘めた搾取の対象であり、悪く言えば、人間の要求にとって一向に経済的でも能率的でもない、矯正すべき「未開」の対象と映ったのであった。「未開」の状態を経済的・能率的な状態へと矯正する、もっと簡潔に言えば、「自然全体の都市化」、それが「文明」すなわち《civilization》の目指す目標となった。したがって、以後、「反・文明」の思想が繰り返し生まれるが、それらは、色々の装いを凝らすとはいえ、何らかの形で、「自然」に随順し、「自然」のままに生きることをもって、その思想の中心とすることにもなった。
こうした状況のなかで、「自然」という概念の意味や価値は多層化し多極化する。例えば文明派からも、反文明派からも、「自然」とは「人為の入っていない状態」であるとされ、前者はそれを否定し、後者はそれに大きな価値を付与する。しかし、文明側とて、山の緑や、海の青さを称えるとこにおいては、「人為の入っていない状態」にも、反文明派と同様の価値を置く。より歯に衣着せずに言えば、それらが人間の生活にとって必要であるという限りにおいて、文明のイデオロギーは「自然」を肯定する。
反文明派にとっても事態は変わらない。例えば、臓器移植について、その反対の理由としてしばしば「自然に反する」が挙げられる。「自然に任せるべきところにまで人為が介入する」ことへの、ほとんど本能的忌避とも受け取れるが、では、そうした場合の「自然さ」というのは絶対的な概念だろうか。かつて、日本社会でのアンケートのなかに面白い結果があったのを思い出す。あなたが最も好きな自然の風景を挙げてくださいという設問への答えとして、圧倒的に一位を占めたのは、「秋風の渡る水田に黄金色の稲穂が揺れる」だったのだ、これが「自然」とは。誰でも、少し考えれば、この風景がおよそ「人為の入らない状態」から遠いことは判るはずである。同じように、禁欲は「自然」なのか、消毒薬は「自然」なのか、輸血は、臓器移植は、と問うていけば、「人為の入らない状態」と人々が思うものが、時代や社会や個人によって、実にまちまちであることな気付かされる。要するに、反文明派にとぅても文明派と同様、「自然」という概念は自分が価値を築きたいと思う(築きたくないと思う)もの(それはしばしば、比較的近い過去への懐旧、あの《good,old days》感が含まれる)に被せられる相対的な概念でしかない。
時間に関する問題の一つが、エンデが『モモ』などで提起した文明的時間にあることははっきりしている。この問題についてのエンデの指摘が、非常に鋭く、しかも寓話という表現形態を採ったために、その文明批評(あるいは文明批判)が多くの読者の共感を得ることができ、近代文明社会のなかに優れた形で侵み透っていったことは、あらためて指摘するまでもないことだし、そのことの意味は強調しすぎるということはない。
例えば、近代文明は「空間」を克服したと言われる。「空間」と「時間」とは相補的であるから、それは「時間」の克服でもある。東京-大阪の距離は「自然的」条件であるが、文明の所産としての鉄道は、それを十二時間、六時間、三時間(いずれリニアなら一時間)というように切り詰めてきた。文明派はそれを社会の(したがって一般化すれば「人間」の)欲求に従った開発であるとする。そして人間の欲求は人間に与えられた「自然」であり、その発露に忠実であるに過ぎないという。反文明派はこれこそ人間本来の生活からの時間性の収奪であるとする。私もどちらかと言えば、後者の立場にいる。
明らかに、人間は「三時間で東京-大阪間を移動したい」などという欲求を持つことはない。今三時間であるのは、今の技術がそこまでの可能性を許すからであるに過ぎない。その意味では、B【文明派の言い分のなかには詭弁がある。】しかし、では批判する側が根拠とする「人間本来の」生活とは何だろう。「本来」という語はヨーロッパ語では「自然」を意味する。英語の《nature》が「自然」でもあり「本性」でもあるのは知られた事実である。とすると、人間にとって「自然」な生活とは何か。ここでもまたあの「自然」という概念の意味の相対性が浮かび上がる。
ウシが草を食べるのが「自然」であるならば、人間が人為の手を自分の内外に加えるのも「自然」である。いや、人間が自分の手を使うことを否定すれば、それは人間という「自然」の否定にほかならない。ここでの「自然」は、相対性を持ち、意味の多層化した「自然」ではない。「この世に存在させられた」という意味での、したがってヨーロッパにおいて近代文明が出現する以前の、「自然」に相当する概念と受け止めなければならない。仮令「神」を持ち出すことはないとしても。
そうだとすれば問題は、人間の「自然な生活」などという形で、「本来」とか「自然」などという言葉に恣意的な価値を載せることにあるのかもしれない。意味の相対化された状態のなかで、人間にとって「自然・本来」の姿を言い立てるだけでは無責任である。
われわれにとって真の課題は何か。C【それは「自然」としての「人為」を「人為」的に問題とするという、無限の自己言及を誠実に行うこと以外にはなかろう。)】
(村上陽一郎『自然・人為・時間』)

問1 A【神の軛から解放された】とあるが、ここでの【神の軛】とはどういうことを言ったものなのか、四十字以内で説明せよ。
問2 B【文明派の言い分のなかには詭弁がある】とあるが、どういう点で【詭弁】というのか、説明せよ。
問3 Cについて、「自然」としての「人為」を「誠実に」問題にするとはどういうことか、八十字以内で説明せよ。

解答の参考とさせていただきたいので、字数は無視してザックリでもいいので教えていただきたいです。宜しくお願いします(><)
また、僕は現代文が苦手なのですが、もしおすすめの参考書やサイト、コツなどありましたらそれも教えていただきたいです(><)

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A 回答 (2件)

> 解答例を示していただけませんか?



何でそんな必要があるのか、そこから説明して貰えませんか?

自学自習に於いては、読んで解る解答解説付きの教材をやらなければなりません、
読んでも毎度理解できない解答解説の教材や、そもそも解答解説が無いような教材は、自学自習に於いて、使ってはいけません。
時間を大幅に無駄にします。
例えばそれが過去問であるなら、ろくに解けない、というのが過去問からのメッセージです。
それだけ判ったなら、市販の教材を地道にやって、解けるようになるよう、まず自分の学力を上げなければなりません。
現代文の学力は上がらない、というのは、嘘ですからね。
数学等で論理的思考力を鍛えるのをサボったから今更上がらない、そこからやり直さないと上がらない、という人なら少なくないかもしれませんが。

> 現代文が苦手なのですが、

苦手、というのは主観です。
それはそれでとても大事なことなのですが、しかし、客観的にも補わなければなりません。
例えば、英語数学理科社会なら河合記述模試で偏差値80だが、国語は苦手で75しかない、というのと、他は進研で45だが国語は苦手で35だというのとで、話が大きく変わるのです。
ちなみに、センター過去問を現代文だけ解いて、楽に安定して8割取れない場合は、基礎学力0のまぐれ当たりという意味です。難しかった年をどう考えるかはよく判りませんけど。
基礎学力0の場合は、出口の「好きになる現代文」などで文章の読み方や基礎的な解法を仕込まなければなりません。
現代文の場合は(他もそうかもしれないけれど)、こんなところで解答例を示して貰ったところで、それで自分ができるようには全くならないんです。
それでできるんなら、問題集買ってきて問題と解答解説を読んでいればできるようになるんでしょうし、メッシのプレイを見ていればメッシになれるんでしょう、大学なんて行っちゃいけない、人類の損失だ。
現代文は、事実上上記のようになっている教材が多すぎます。授業も概ねそう。
だから、そういう教材をべったりやっているなら、「伸びない」でしょうね。そりゃ無理だ。
やれば伸びる教材をやっていかなければなりません。
ただし、出口等の場合、論理的思考力が壊滅状態で中学数学辺りからもうボロボロ、なんて人だと、やっても伸びない可能性があります。
逆に、論理的に物事を考えていける人なら、やれば伸びるはずです。

繰り返しますが、大概、解答例なんて並べてみても、何の勉強にもなりません。
他人がどれだけ解答できても、あなたが解答できるようにならなければ意味は無いのです。
あなたが解答できるようになる勉強を積み重ねなければなりません。
コツは、上記のような少数の真っ当な教材に書いてありますし、従ってそういう教材をやっていくことがコツですし、こういう風に読んで判る解答解説の無い物をやっていったり、他人の解答解説を並べるようなことをしないこともコツでしょう。
一般的に、大学受験に於いて時間の無駄になるような勉強をすると、簡単に3年4年過ぎていきます。3年間4年間伸びません。マジです。
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神は何も言ってないだけだが・・?



神は人間のする事に手出ししない・・

なので 人間が 人間の力だけで解決出来る様に キリストを遣わされた・・

この問いが そういった神を無視して 人間が勝手に作ってるだけだが・・?
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