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いつもお世話になります。

知り合いに霊能者さんがいまして、能力はとても高いし実績もある方です。
慈悲深い方だとは思いますが、悪口とか不平不満 霊視自慢が頻繁です。

悪口や不平不満 自慢は良い波動ではないと思うのですが、霊能力が高ければ霊格も高いものなのでしょうか?

霊格と人格はほぼ同じと思っていますが、人格が優れてるとは思えません。

守護神様も凄い方なんだそうですが、高級霊が低い波動を持ってる方と引き合うものでしょうか?

私は関わって体調を崩したので、距離をおいています。

よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

霊格≒人格≠霊能力


人格と霊能力は全く比例関係にありません。

>守護神様も凄い方なんだそうですが
信仰対象がすごい神仏でも実際にその人を守護・指導している神霊が本物かどうかは
判りません。勝手に神仏の名前を自称している輩(やから・性質の良くない奴)が
本名を隠して嘘ついている場合があります。

私の書き込みに何度も登場してもらっている天台宗の人(故人)は神仏と会話できる
方でしたが謝礼は多くても少なくても文句の無い人でした。ただし
霊能力があり神仏との仲取り持ちが出来る事は部外者には公言しませんでしたし
知り合いからの紹介が無いと門前払いでしたけどね。

この方が依頼を受けてある人の屋敷神に祈祷に行ったら、狸行者が過去に
祈祷したことがあったらしく神仏が狸行者のつけた汚い念で動けなくなっており
泣いておられたそうです。つまり狸行者は屋敷神を動けなくするほど
力は強いけど決して正しい神仏の力じゃなく低級な輩の力でも力が強ければ
力の弱い神仏に勝ってしまうのが神霊の世界です。
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この回答へのお礼

ご回答下さり、ありがとうございました。

比例はしない これが正解なんでしょうね。私自身が、比例するはずだと思い込んでいたんでしょうか…。

本名を隠してるのを見抜くのも、簡単ではなくて騙されてしまう方もいるんですね。だから、ご自身をしっかり保たないといけない。

>>天台宗の人(故人)は神仏と会話できる 方でしたが謝礼は多くても少なくても文 句の無い人でした。

人のお気持ちそのものに感謝をされる 素晴らしい方ですね。能力そのものよりも、お人柄が素晴らしければ、自然と守護される方も、お人柄に見あった方になるのかもしれませんね。

わかりやすいご回答 ありがとうございました。



ご回答くださいました皆様 貴重なお時間をさいてご回答下さり、ありがとうございました。色んなご意見、大変参考になりました。

お礼日時:2013/09/06 18:04

あると思います。

が、本物の基準は違いますが・・・
 例をあげると、檀家の寺の和尚様がダメダメでも、本山の偉い人を実際に見ると、やっぱり違いますから。
 しかし、大きく分けても2つくらいはカテゴリーが違うと思います。
 例えば、神社は、お払いはしても除霊等はしません。思うに、そういったことで汚れるのを嫌ったからだと思いますが、こういう代々続くものは、上に行くほど徳も人格もあるように思います。(ただし、内部の汚職とかは別だけど)
そして、体技とともに神を降臨させるものも、神の器となるべく、人格や力を蓄えなくては行けません。
 馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれませんが、相撲などは国技であり、神事でもあります。横綱がシコを踏むことで悪いものを払うわけですが、記憶が正しければ、あの東北の地震の時、春場所が中止になりました。
 炊き出しするよりシコを踏め!と、腹がたちましたが、相撲の歴史を知る力士なら、そんな思いになったに違いありません。
 もし、あなたの理屈があってるなら、ヒトラーのような独裁者にも聖なる守護天使が守りについてしまうことになります。大天使に守られながら、大量殺人する人間なんて想像出来ますか?
 もちろん、キリスト教の神様は、モーゼのように人殺しをした人間でも神の僕として召されますが、それでも、一度指名を受けた時点で悪いことは出来ません。
 では、あなたのまわりのその方は、どうなのか?ですが、ミーハーな例をあげると、漫画雑誌HONKOWAの霊能者、寺尾さんの台詞に
「この仕事は、いろんな因縁をひろってしまう」
と、言ったふうなものがあるように、段々仕事をしてるうちに汚れて行くのです。看護師さんは、病気を治す訳ですが、ノロウイルス等、何かの拍子で院内感染の媒介になるように、除霊と言う仕事は、汚れるのでしょう。
 日本の仏教では、それらの仕事は聖(ひじり)と言う旅の僧が担当をし、神社ではミコ、オシラサマ、イタコと呼ばれる人間が担当しました。
 テレビに出るオカルト有名人を観察するとわかりますが、占い師などのテレビ寿命は驚くほど短いのです。
 例外として、細木さんは、いい頃合いに姿を消しながら復活してますが、そんなものは希なことです。
 しかし、占い師を観察していて思ったのは、テレビから姿を消す前に、決まって先祖の霊の供養とか、神に会ったなどと話始めます。
 これらの人は、力に旬があるのだと思うので、ちょっとおかしくなったと思ったら、愛情をこめて離れてあげるのが一番です。
 うまくゆけば、相手にされなくなった時点から、元に戻る場合もあります。
 でも、個人的には、基準の決められない霊格何てものは、使わないでほしいのです。
 オウム真理教の浅原だって、信者からすれば、霊格が高い事になってますが、某雑誌のデビュー記事から見ているけれど、ビートたけしとのバラエティ共演の時代までは、霊格なんてなかったけどあの時期までが、本人もまわりにもよかったのでは、と、思うのです。
 90年代、いろんな事件がありましたが、おかしくなるちょっと前には、第三者が神として崇め出す傾向があります。しかし、霊格とか、能力があるとか人にふれこみ布教する人間が、霊能力なんて全くない、と、言うことが多いのです。
 あなたも、ここで質問するくらいですから、人の守護霊が見えるとか、当てられる訳でもないとお見受けしましたが、それでも、その、不確かな霊格とやらを語っています。
 それは、霊格に本当に語られるような順位のあるものなのでしょうか?
 恐山のイタコにも会ったし、偉い坊さんを生で見たりもしたけれど、私には、坊さんの袈裟の様な分かりやすい徳の順位を感じた事はありません。
 しかし、人間界でも霊界でも偉いさんと縁のない私でも、長い人生の中には、何回かは『きた』と、感じる瞬間や出来事はありましたよ。
 でも、そんなんは万馬券みたいなもので、そうそうやっては来ません。
 拝み屋を生業としている人間は、古来、旅を主にし、定住はせず、人里を離れて暮らしてきました。
 それは、変に神格化されることを避けていたのかもしれません。
 これが生活の糧ですから、多少吹っ掛けられたりすることもありますが、人の不幸を拾って回る汚れ仕事なのだから、仕方ないこともあるのだと思います。クローリーにしても、ラスプーチンにしても、ろくでもない死に方だし。
 この世で一番尊く、卑しい仕事。占い師や呪い屋、拝み屋に言われる形容詞だけれど、あなたの知ってる人の末路も、私の末路も、まあ、それなりに悲惨でしょう。まともに神秘を追いかける人間は、そんなものなんですから(詐欺師は別)、ネット批判までしないでやってください。昔から言われるように、頼みをして金を渡しても、家には入れない。いかがわしい連中。そこまででやめとくことです。
 なぜなら、何回かに一度は、神が来て、本当に困ったときは、それらが助けに入るものだから、深追いはあなたの為にはなりません。
 最近、ちょっと不穏な雰囲気で、90年代の騙された人たちの事を思い出すので、長文になりました。すいません。
 家に入れるのは、神仏の関係。拝み屋は、冠婚葬祭と祭の時。それを守って生活していれば、結構平和に暮らせるのですが・・・ね。
 
 
 
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この回答へのお礼

ご回答下さり、ありがとうございました。

勘違いされてるかもと思ったのですが、私は批判をしてるわけではないです。その方の実績も存じ上げています それと、私は何も見えません。

大変なお仕事だとは思います。体を壊される事もあると思います。

拝み屋さんや霊能者さんが、卑しいお仕事だとも思ってません。誰にでも出来る事ではないですもん。

ただ、人格とそういう能力は比例をするのか?って事が疑問だったんです。

此方の質問でご気分を害されたかもしれませんね にも関わらず沢山書いて下さって、ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/06 17:09

霊格と人格は比例しません。


私が小~中学生の頃、母の両親が暮らしていたアパートの近くに霊能者(拝み屋?)の女性にお世話になっていましたが、私はその女性のことを「この人は本物だ」と感じました。
優れた霊視能力とハンドヒーリング能力を持っていました。
私には持病があり、発作を起こしてその人のところへ行くとすぐに治ると別の人に言われて行き始めましたが本当にすぐに治まりました。
また、発作を起こした原因についてその人が言うと、その光景が私の脳裏にパッと浮かびました。
母が覚えていないような小さな事が多かったです。

ところがその女性、ものすごーくお金に執着心があったようで…(笑)
私には聖母のような顔をしておいて、裏で母に「○○のバッグが欲しい」とか「宝石が欲しい」とかいろいろ要求していたそうです。
強い力の持ち主だったのにどうして行かなくなったのかなあ…と思い、数年前に聞いたところ、母はやはり貴方と同じように考えており、「物や金をねだるのは偽物だと思い行かなくなった」と言われました。


立派な人もいらっしゃいますけどね。比例はしないと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答下さり、ありがとうございました。

凄い方がいらしたんですね。ご経験を書いてくださって、わかりやすいです。

能力と欲ってのは、全く別物なんですよね。

この方もお金に執着してるのかもと、思いました。くれくれではないですけど、金額設定してなくて少なかったりしたら、悪口のおんぱれーどでしたから。

人柄見ないと駄目ですね。

お礼日時:2013/09/06 10:10

霊格ってなんでしょうね。

誰がそんなものあるといい始めたのでしょう。
高級霊というのが霊格が高いというのであれば、人間はどこまで行っても人間の霊格でしかありません。
霊格が高ければ人間でありえないでしょ。例えば仏教の区分けに当て嵌めれば、仏の世界の霊格があれば仏になります。最も低いのが天部、菩薩、如来となります。
一定期間、如来や菩薩が下位の世界に顕現することはありますけど、役目が終われば元に戻ります。その際も「死」という形式は取りません。
唯一釈迦が行きながらにして悟りに至り、その最後の仕上げとして涅槃に入ったとしていますけど、それはあくまでも人である釈迦が悟りに至ったという事で、仏陀が釈迦に顕現したわけじゃありません(釈迦は生まれる前からブッダだったと解釈する宗派もありますけど)
つまり霊格の高いものが人間界に顕現しても、その役目がなんなのかと考えたとき、人を導くのに一生かかっても終えない程度の仕事をするとは思えませんね。
人間で生まれ、人間として一生を過ごすということは人間という霊格しか持って居ないという事です。

コレは経験でもあり、他の多くの人の意見でもありますけど、霊能の強い人には我侭が多いです。
それは神仏や霊と関わる状況において自分という物をしっかり持っていないと負けてしまうからだろうと言うのが私と情報をくれている人々との共通の認識です。その我侭を人によっては貶す人も居ますから、真の霊能者というものを理解できない人には欠陥人間だと見えるんでしょうね。

霊感と霊能とは違います。中にはというか多くの場合霊感と霊能をゴッチャにしています。ちょっと人より霊感があると自分は霊能者だと思い込む者が多いんです。
霊感というのは誰にでもあります。霊感は感じるだけ(見えるとか聞こえるも含む)です。古代人には他の感覚器官と同様に普通にあったのでしょう。しかし人類は知恵を得た代わりに感覚器官が衰えてきました。その中で最も減衰したのが霊感です。しかし時々人一倍感覚器官が発達した人が生まれますよね。ワインソムリエとか聴香師とか・・。同様に霊感も時折敏感な人が出てきます。つまり霊感が強いということは『先祖返り』なんですよ。

霊能というと、自分から働きかけることが出来なければ能力とは言えませんね。江戸川コナンの様に絶対音感があっても音痴では能力が高いとはいえません。だから霊感も霊能に含める人もいますけど私は分けています。
霊能は自分で霊を処せられる能力でなければなりません。コレには生来持って生まれた能力か、或いは霊との関わりによって与えられた場合とがあります。
ではなぜ高級霊(神)が人間に霊能を与えるのでしょう。
私達は解脱を目指しています。つまりこの世の修行を終え、人間界の苦行をしなくて住む世界に行くために生きています。人にはそれぞれに課題が与えられています。一番よいのはどういう人でしょうか。それは凡夫です。普通に生きて僅かばかりの苦労と幸せを感じ、普通に人生をまっとうして穏やかに死んでいく。これが最高なんです。
でも霊能者は霊能を持ち、生きている人ばかりではなく故人となった霊とも関わりを持って人生を過ごさねばならない。コレは幸せでしょうかね?自分の好きなことだけではなく他人事に巻き揉まれて尽くしていかねばならないのは、それだけ過大が大きいという事です。
つまり霊能を持っている人は優れた人ではなく、霊的に言えば落ちこぼれと言うことです。だから本来は人一倍人に気遣い、質素倹約を持っておきなければ課題が消化できないんですけれどネェ・・・。

私の両親の知人に有能な霊能者が居ました。でもその人が亡くなるときとても悲惨でした。体中が死んでも心臓が動き続けていたんです。実はこの霊能者の家には、様々な神像や石や化石などが神棚に飾られていたんです。
つまりそれらに宿る下級霊が彼に霊能を与えていたんですね。私の父がそれらをすべて浄霊した途端、彼の心臓は止まりました。つまり霊能は必ずしも高級霊だけが出来る特権では無いと言うことです。
考えてくださいキリストも釈迦も修行の途中で、この世の栄華を与えようと悪にそそのかされています。
つまり奇跡は神だけが行うわけじゃない、悪魔だって奇跡は起こせるということです。

生きている人間にとって、自分を導いているのが高級霊なのか低級霊なのかを判別する事は非常に難しい事です。
常に自分が課題を課せられているんだという謙虚さを以って自分を律していなければダメという事です。
つまり霊能者は自己をしっかり維持するためにわがままだが、人格がおとっていては霊格も上がることが出来ないということです。
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この回答へのお礼

ご回答下さり、ありがとうございました。

すみません 分かりにくい所が沢山あって…。

ただ、霊能者さんを欠陥人間だとは思ってないですよ。しっかり自分を保とうと思えば、我儘にはなるかもしれませんが、それで悪口や不平不満を言うのは、人としてどうなのか?とは思います。

他にも知ってる方はいますけど、能力高くて人柄も素晴らしくて、我儘でもないです その方は。こういう方もいるから、余計に霊格と人格は比例するんじゃないのかな?と。

兎に角 ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/06 09:57

霊能力と性格は比例しないと思います。



霊能力の一部って要は技術(テクニック)なんですよね・・・技術力のある人が性格がいいかどうかは別の問題ですから。

αの状態からA→B→C→Dを行うとβの状態になるとか知っててちゃんと行える。以上終わり。という身も蓋もないもの もあるそうなので。
実は人格と関係ない といった話を聞いた事があります。

能力と性格は別よ~ 要注意~
なんで他のものは判ってるのに霊能力だけ別だと思うの~?
絵が上手な人が上手くなるほど性格がよくなるとは限らないのに~。それと一緒よ~ 
だそうです。
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この回答へのお礼

ご回答下さり、ありがとうございます。

やっぱり比例はしないものですよね。
確かに高い技術力があるからといって、お人柄が優れているとは言えませんものね…。

仰る通り 他の事ならわかるのに、霊能になると途端にわからなくなる。私自身、特別視してるのかもしれませんね。

お礼日時:2013/09/06 09:22

とりあえずいくつか。



第一に親が立派だからといって、立派な親が面倒を見ている子供達まで立派とは限らないです。
その「すごい守護神」にとっては、数多くの面倒を見ているうちの一人なのでしょう。

第二に、霊視はそのほとんどがサイキック次元の能力で、狐や狸が得意とするものです。
本当に高級な能力は霊体と関わるもので、幽体離脱して遠くの土地を見てこれるとか、患者の側まで実際に行って、治療出来るとかです。
原形の次元と関わるものとかも、高級な能力ですね。

そんなところでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答下さり、ありがとうございます。

わかりやすい例示ですね 確かに親が立派でも子供も立派とはかぎりませんね。その方は、『観音様に守護されてる』とか、歴史上の人物が夢に出てきたとかで、その方達に守られてると話します。

霊視ってそういうものなんですか?
その方は、離れた土地の風景とかはみえたりします。幽体離脱してかはわかりませんが。

離れて正解だったんだなと 思えてきました。

お礼日時:2013/09/05 23:37

霊格と人格は同じじゃないと思います。



そう見えるかもしれないけど、実際に霊能力が高くても、単に獣霊に操られている場合もあるからです。

もしかして、その人は、そういう状況なのかなと思いました。
人格者は、不平不満を言ったり、自慢などしないですよ。

その人自体には、力はなくても、バックに付いているのに、力があってそのように見えているだけの話で、
尊敬できないような霊能者は、近寄らないほうが賢明です。

距離を置いて正解ですね。
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この回答へのお礼

ご回答下さり、ありがとうございます。

霊格と人格って、同じじゃないですよね。
同じだと仰る方が、調べた限り殆どだったので、どうなんだろうと思っていました。

霊格が高いから能力高い 霊格と人格が同じなら、私が未熟だから我慢しないと駄目なのかとか、考えこんでしまいました。

仰る通り、人格者はよろしくない事は言わないものですよね。一緒にいて、元気が無くなっていくのを実感しました。

能力よりも、人としてどうかを重視していきます。

お礼日時:2013/09/05 23:26

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