

科学でも宗教でも辿り着けないこの世の真理について知りたいと、最近強く思うようになりました。
この世界はどのように生まれてどうして存在しているのか?
人が生きていることに意味があるのか、無いのか? 等々
そんな事ばっかり考えていたら、日常の色んな事がどうでも良くなってきました。
興味の湧かないことに興味の有る振りを演じながらこの先ずっと生きていかねばならないのかと思うと辛いです。
この世の真理なんて、興味をもって調べたからと言って分かる類のものでもないので常にイライラして、満ち足りないような状況です。
私はどうすれば社会と折り合いを付けて生きていく事ができるでしょうか?
東京オリンピック開催の知らせに飛び上がって喜べるような人が、心底羨ましく思います。
No.16ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
「J.クリシュナムルティ」という人の本を読めばいいと思います。現代社会の持つ問題点について、非常に鋭い視点から分析しています。非常に難解なことを英語で説いているので、翻訳と相性が合わなければ苦労すると思いますが、最近ではネットでも読めるようになっているので、まずはそちらで読めば良いと思います。
「真理」というのは、一朝一夕にたどりつけるようなものではないです。かといって、科学や宗教のように、時間をかけてコツコツと積み上げていくようなものでもないです。
現代社会は非常に複雑な構造をしており、まじめにコツコツと働いているつもりが、いつの間にか他人を蹴落とすような結果につながったり、搾取と奉仕の区別が非常にあいまいだったり、悩むことも多いと思います。
自分自身の内面と、この複雑な現代社会の構造を、交互に、しかも徹底的に追求していくと、自分の抱えている悩みが、実は現代社会が抱えている構造的な矛盾点と、密接にリンクしている、ということに気づくと思います。
つまり、自分自身の問題というのは、実は社会全体の問題でもあるのです。
ですから、「真理」の追求というのは、どんな仕事にもまさるほど、やりがいと価値のある行動だと、個人的には思っています。あなたがそれに取り組むのであれば、それは非常に良いことだと僕は思います。
ご回答ありがとうございます。
J.クリシュナムルティの本を検索してみたのですが、非常に興味深く思いました。
人々の存在している理由が魂を成長させるため、と言っている人はたくさん居ますが、
意識の向上した魂が宿る人間の心とはどのようなものか
突き詰めて考えて考えている人は中々居ないように思ったからです。
(まだ本の紹介文しか読んでいませんが;)
今の社会は何かおかしい、でも何がおかしくてどうあるべきなのか、
そういった問いへのヒントを与えてくれるようにも思いました。
興味のある物から何冊か読んでみたいと思います。

No.17
- 回答日時:
私も中学・高校時代はそんな事ばかり考えてる傾向ありました。
(笑)一番てっとり早いのは哲学の本でもお読みになる事だと思います。私も哲学科に行こうかな?と思ったけど、ちょっと理屈っぽすぎてしっくり来ず、今は芸術方面の勉強しています。
>興味をもって調べたからと言って分かる類のものでもない
そう感じる事もあると思いますが、そう思って何もしないと本当に何も分からないままです。人間意外と物事深く考えて、色々なもの残して来ていますから(笑)、自分の求めてるものに会って、そこそこしっくり来る瞬間あると思います。
周囲の方とのギャップも感じている様ですし、進歩なく非現実的な事に1人で浸っているだけだと、生活に支障出てきませんか?(自分が中高時代フラフラしてたもので(^_^;))早めに消化した方が良いかと思われます!
自分がそういうもの追いかけていれば、自然と似た様な事考える人が集まってきます。そうすれば無理にオリンピックを喜ぶストレスもなくなります!
No.15
- 回答日時:
>興味の湧かないことに興味の有る振りを演じながらこの先ずっと生きていかねばならないのかと思うと辛いです。
これも世の中の真理の一つです
皆、同じように何かを我慢し生きています
出来ない人間は社会不適合者として、はじかれます
>東京オリンピック開催の知らせに飛び上がって喜べるような人が、心底羨ましく思います。
同感です
但し、生きている間に自国で見れるのは1度なので(前回の東京オリンピックを見た人は2回目ですが、もう流石にないでしょうね)見てみたいのも人の心理です
飛び跳ねることでもないけど(笑)
No.14
- 回答日時:
目の前にあるのに、どこか、遠いところへ探しに行ってるような気がします。
>東京オリンピック開催の知らせに飛び上がって喜べるような人が、心底羨ましく思います。
ちょっと笑ってしまいました。私も同様に思うからです。
でも、それが、彼らにとっての真実であり、真理なのでしょう。
>私はどうすれば社会と折り合いを付けて生きていく事ができるでしょうか?
すでに折り合いはついている。
ですから、演じる必要はないと思いますね。
あなたには、あなたなりの、真実があり、真理がある。
それを曲げる必要もないし、何かに、合わせていく必要もない。
要するに、あなたは、あなたらしく、あなたとして、存在すればよいのでは?
それでは、社会と折り合いがつかない、とあなたはお考えのようですが、
私は、それで、折り合いはついている、と思います。
ご回答ありがとうございます。
自分が自分らしくあろうとすれば、
他人との分離感に悩まされることになりそうですが、
それも含めて、受け入れるしかないのかもしれないと思いました。
No.13
- 回答日時:
太宰治の「人間失格」を読んでごらんなさい。
あなたと同じように>興味の湧かないことに興味の有る振りを演じながらこの先ずっと生きていかねばならないのか
と感じている主人公が出てきます。
太宰治本人の事にも思えます。
私も若いときそんなことを思った時期もありました。
別に周りの人と同じ事に一喜一憂する必要も無いと思いますよ。
深く人生の意味を考える事も大切ですから。
ただ、すぐに答えが欲しいと焦らずに、生きていく中で自分でつかみ取って行くものだといずれわかってきます。
No.12
- 回答日時:
>>この世の真理が知りたい…このままじゃ社会不適合者
未だ、真理など知らない者ですが・・
真理が分からないと、社会不適合なのでしょうか?
何だかなあ~
当たり前の事を、当たり前にする・・
それで、社会に適合出来ると思うのですが如何でしょう。
例えば、挨拶。
人と会ったら、挨拶をする。
当たり前の話です。
が、上手く生きられない・・と言う人や、その様な雰囲気を醸し出している人の多くは、挨拶をしない人が多いです。
私など、挨拶は、駅で定期を見せる(最近はスイカカードですがね)が如く、ある種の約束・義務程度の考えて居ます。
まあ、その程度。
真理・・
そもそも真理とは、何ですか?
その様に、大上段に構えてしまうから、疲れるのではないですか?
>>科学でも宗教でも辿り着けない・・
どうして、その様に思うのでしょう?
理由は?
多分、あなたのアプローチの仕方が違うのでしょう。
一石さんは、もう少しの所まで行っていた・・と言う人がいますね。
唯、残念な事に一石さんには、師がいなかった。
で、最後の所が突破出来なかったとね。
宗教?
多くの教典があります。
それは、真理に向かう、あるいは向かい方が書かれているそうな。
まあ、お金儲けもある様ですが、基本は箏でしょう。
が、多くの人・・信者は真理に届かない?
何故。
それは、教典を、自分の都合の良い様に解釈するから・・と聞いた事があります。
教典の中に入って行く。
その様な人が殆どいないのだとか・・
まあ、ある種の命がけの行ではある様です。
本気で求めているなら・・
師はいるでしょう。
師と出会えるでしょう。
師がいないと、大変ですよ。
真理に至る・・システムを自分で全て構築しなくてはならないですからね。
しかし、最後は自分です。
どれだけ、真剣に求めているか・・に尽きます。
ご回答ありがとうございます。
タイトルが分かりづらくてすみません。
真理を求めすぎて日常が疎かになって、社会不適合者になりそうだという意味です。
教典をありのままに読むのは難しいですよね・・・
No.11
- 回答日時:
『わたしは、哲学者として言いますが、……』、と言う人を知っています。
哲学の教授でもなんでもない、ただの主婦です。僕の解釈では、その人は“自己重要感”を欲しているのです。ある意味、このサイトが成り立っているのも、“自己重要感”が満たされるからです。大事なのは、「ほんとうに重要な人物かどうか」ではなく、「自己重要感が満たせるかどうか」なのです。正しいかどうかも、そういう一面があります。生きている意味があるかも、そういう面があります。我々には主観しかありません。客観が大事だどしても、その客観は誰かの主観でしかありません。絶対に主観より優先すべきかどうかは疑わしい限りです。
『何のために生きるのか?』と尋ねても、だれも正しく答えてくれません。それを探す道のりこそが人生です。今はこう考えている、という仮そめの答えでいいのです。
人間関係に悩む人は、「自分に対する他人の評価を(自分で)コントロールできる」と考えている人です。その証拠に悩んでいるではありませんか。「他人が下す評価はコントロールできない」と初めから考えていれば、悩まないはずです。同じように、「他人の感情をコントロールできる」「他人の感情の責任は自分にある」という感情幻想を持つ人は、無限の混沌に陥るでしょう。はなから無理なのです。
他人からこんなことをされた、他人からこんなことを言われた、というので悩むべきではありません。『自分はこうしたいのに、なかなか出来ない』と自分の事で悩むなら、おおいに結構です。悩みがなければ成長もありません。他人の言動を反省しても仕方ありません。自分の事で悩みましょう。
イライラするのは、他人のせいではありません。自分が「何かを当たり前としている」ことの裏返しなのです。「親ならこれくらいのことをしてくれて当たり前」、「友達ならこうしてくれて当然」。「人生(青春時代)は楽しくて当たり前」、「自分の人生には意味があって当たり前」。「誰かが自分を必要としてくれて当然」。そう考えているから不満なのではないでしょうか。
仏教では、一切皆苦…人生は思い通りにならない、としています。また、人生には意味がない、ともしています。
僕がまとめるなら、「人生に意味はないが、意味があってほしいという願いはある」です。
参考URL:http://www4.plala.or.jp/k-k/komoku021.html
No.10
- 回答日時:
真理というのは日常生活のいろんなところにその片鱗があります。
もちろん騙しもありますが、一つ一つ自分のものにしていきながら少しずつわかっていくものです。
一気に、こうである、といった答えにたどり着くことはありません。
そのためには、いろんなことに興味を持って、毎日を精一杯生きることが大切だと思います。
いろんな体験をし、いろんな知識を得、そして自分の頭で考える。
世の中いに対する興味を失ったところで、何の変化もありません。
その状態で物を考えても、上っ面をなぞる空虚な言葉しか出てこないでしょう。
能動的に生活してこそ近づけるものだと思います。
No.8
- 回答日時:
はぁ・・・
答えるのも億劫なのですが、何故心霊学を追求なさらないのですか。今は超心理学と呼ばれている心霊学の、高級霊言と呼ばれているものに幾らでも書かれているでしょう。心霊学が物理的に正しいことは、初期の物理的心霊現象の証明が既に存在しているのですよ。あなたは名だたる物理学者や生理学者よりも、どこの馬の骨かも分からないこのサイトの回答者を頼るのですか。それではあなたの現実世界に広がる限界と同じ回答しか返って来ないのですよ。
『人は死なない』の本で有名な、東京大学病院救急救命医、矢作直樹先生も言ってるでしょう。スピリチュアリズムが正しいと。
何度言えば分かるのか。
人は何度同じ質問をするのか。
『シルバーバーチの霊訓』六巻77ページにはこうある。2050年から2150年の間に、人は原子力を正しく使えるようになる、と。そこまで社会が向上すれば、こんな質問も減るのだろうか。
とりあえず『コナンドイルの心霊学』でも読んだらいかがですか。それしか突破口はありませんよ。
ご回答ありがとうございます。
高級霊言は読んだことがあります。
人間はより高次の存在に成長する途中の存在であるとか、
我を張らず愛に生きることが大事とか。
素晴らしい言葉が書かれていて、感動することも多いのですが、
私は零感なので、それが真実なのかどうか確認する術がありません。
高級霊言を読んでみての感想は、「こうだったら素敵だな」です。
回答者様オススメの本も探してみます。
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