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こんにちは。
私は音楽がとても好きです。それで、ここ2、3年、ずーっと考えていることがあります。
音楽について会話をしたりする時、例えば「この曲は良い」みたいな言い回しをしたりしますが、私はこの言い回しを聴くたびに「良い」とは何だろうか?と思うのです。

メロディが美しい?編曲が行き届いている?歌詞が心に訴える?「良い」という言葉を使った人によってその基準は違うのだと思うので、結局人それぞれなのでは、「良い」「悪い」なんて無いのでは・・と普通に考えると思うのですが、それにしてもあまりにも「良い」という言葉を使う人が多いので、わからなくなってしまいました。
「自分の価値基準で」良い、ということなら有り得ると思うのですが・・現状私は、音楽に関しては「良い」という言葉を使わず「好き」という言葉だけを使うようにしています。「良い」という言葉を使う時は、「僕にとっては、良い音楽かな」みたいな言い回しをしますが、あまり相手にニュアンスが伝わっている気がしませんし、会話がいちいち長くなって困っています。

「良い」という言葉を使っている人は、「好き」と「良い」をどう使い分けているのでしょうか?、「この曲、良くないけど好きなんだ」みたいな言い回しを聞くうちに頭がこんがらがってしまいました。「良くないけど好き」? ???という感じです。
メディアとかに植えつけられた先入観を全く無くして多数の人に聴かせた時に、沢山の人の心に訴えかける音楽=良い、なのか?とか、人を自殺に追い込むような音楽=悪なのか?(じゃあ「暗い日曜日」は「悪い」音楽なのか?)とか色々考えましたが、どうもしっくりきません。

「良い」って何なのでしょうか?
芸術関連でなくてもかまいません。意見をお聞かせください。「良い行い」「悪い行い」とは、「正義」「悪」とは?みたいな角度からでも結構です。

また、もしこの辺りについて述べているような本(哲学や芸術関連の本)がありましたらご紹介頂けないでしょうか。それと、こういった話は学問的にはどういう分野の話題であり、どういう哲学家の方が述べているのでしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

日本ではシンプルな、悪く言えば短絡的な善悪二元論が一般的な発想と言えます。


しかし、価値基準の座標軸はたくさんあります。例えば味です。単純に美味しいと
言ってしまえばそれだけですが、しかし詳細は無数にあります。少なくとも、甘い
辛い、酸っぱい、苦いなど、言葉上の表現でもいくつもでてきます。ぶっちゃけて
言うと形容詞の数だけ存在します。上述しましたが、結局、質問文で言っている
のは「価値基準(座標)」なのです。

日常的な場面で考えましょう。まず一つは、正義という言葉です。しかし、
意味合いとしては、英語の方が正しく表現されているように思えます。正義とは
justiceですが、justificationという類義語には正当化という意味があります。
即ち、正義とは正当化された事象であり、それ自体には善も悪もない。少なくとも
正義、正しい事の反対は悪ではないのです。

また、無価値と言う言葉が用いられますが、日本では殆どの場合、マイナスの価値と
して受け止められます。しかし欧米では、+でも-でもなく零の価値なのです。
だから「無」なのです。(例)鳩山は無価値か? いいえ、マイナスの価値です。


ここで有名な言葉に、「真・善・美」というのがあります。詳細はググって下さい。
他の回答者も言うように、価値に目を付けたのはカントですね。あとは日本の
哲学書だと「善の研究」(西田幾多郎)、価値論(牧口常三郎)などがあります。
後者は、日本最大の宗教団体である創価学会の初代会長ですね。創価の名前の
由来が、価値創造だと聞いた事があります。また、彼は「美・利・善」と言って
おり、この対比は面白いです。

哲学を志している者には、一定の信仰を持つ者が多いですが、学術として読むのも
非常に面白いですね。

単純に(・∀・)イイ!!と表現される場合、最近では語彙が少ないと感じます。
質問者のように、どういう「(・∀・)イイ!!」なのかを考えるだけでも面白い。

書籍になると突き詰める内容が多いので難しくなりますから、まずはググるだけでも
いいんじゃないかと思います。哲学の講義でも1冊の本を一回の講義で終わらせる事は
有り得ませんからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。大変参考になりました。

読み進めて、「それは違うのでは?」と思うところなく、回答文読み終わりました。ほぼ全ての文が参考になりました。大きなヒントになりそうです。「ここで有名な言葉~」という文と、その前の文との繋がりがまだピンと来ませんが、真・善・美について色々と知ったら繋がるのでしょうか。

とりあえずご紹介頂いた書籍、まずは真・善・美についてのカントの書籍に手を出してみたり、ネットで調べたりなどしてみます。ありがとうございます。

お礼日時:2013/09/16 12:04

人間は物事を理解するのに、大まかに分けて三つのパターンがあります。


これを仏教哲学のほうでは「智解(ちげ)情解(じょうげ)感解(かんげ)」と呼びました。

簡単に言いますと
智解は言葉で説明ができる理解の方法です。
情解というのは、好きとか嫌いとか、言葉では言い表すことが難しい理解の方法です。
感解というのは、それこそ感性としか言い現わしようのない理解の方法です。
そもそもが、言葉で表現できない、情解や感解を説明しようというのですから些か無理はご容赦願います。

ご指摘のように絵画や彫刻、音楽のように、言葉の代わりに情や感の世界を表現したものに対する個人的な受け取り方を、言葉で表現するのは非常に難しいこととなります。
ちなみに、絵や音楽の解説書を読んでも、肝心の説明されている絵とか音楽を知らなければ到底理解できないことでお分かり頂けますでしょうか。

善悪、良否、正不正は全く別な問題です。たまたま日本語で良いという言葉が広範囲に使われているだけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

智解・情解・感解の話、知らなかったです。参考になります。
現状では情解と感解の差がいまいちピンとこないのですが、調べてみます。

それとすみません、質問文と、回答してくださった文の関係がわからないのです。「個人的な受け取り方を言葉で表現するのは非常に難しい」とのことですが、これがまたわかりません。音楽的な技法や、楽典的なことに関しては指摘が出来るように思うのですが、これは「受け取り方」ではない、ということですか?
智解・情解・感解それぞれの具体例があまり浮かばないので、どうにもピンときません。
また、良否は別問題、と書かれていますが、私が聞きたいのは良否についてのつもりだったのですが・・

>好きとか嫌いとか、言葉では言い表すことが難しい理解の方法
「好き」「嫌い」という言葉で言い表して理解していると思うのですが、ここもよくわかりません。
噛み砕いて説明して頂けると幸いに存じます。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/22 23:35

人間の脳には、五感の相関した経験の蓄積において、次に感受した光や音などの先行感覚(情報性の高い)の類似パターンの刺激に対して、五感の総合したイメージを励起させるという働きがあります。



その最も分かりやすい例が、色でしょう。
物理的には、「色」とは電磁波の可視領域の、連続的な波長の変化に過ぎません。
「赤は青の反対」などという根拠は、どこにもありません。
その「波長の連続的変化」という一次元に、五感の相関した経験の蓄積において、特定の波長に対して条件反射的に(その波長に伴う経験の)印象が付加される事で、“多彩”さは生じているのです。

赤の印象を分析すると、火や血、肉、花などの異なる原因による長波長を伴う現象の経験(温かい、危険、食欲など)が、青には、水や空といった短波長を伴う現象の経験(冷たい、爽やか、静寂など)が、潜在している事が分かるでしょう。

この「総和機能」において、人生における快適な経験の総和における、視覚的刺激パターンが「美」です。
それゆえに、共通の環境の経験の蓄積において、共通の美的感覚が醸成されるのです。
成長期で好奇心旺盛な(しかし経験の蓄積の少ない)子供の頃は、ケバい色や動くものを好むし、世界の各地域によって、美的センスは異なってくるのです。
(砂漠地域では青や緑が好まれ、空白恐怖と呼ばれるほど装飾で埋め尽くす)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど。
今回の例にあてはめるなら、環境によって、そして個人の経験によって、好き、と感じるものは異なってくるということでしょうか。となると、やはり絶対的に「良い」音楽というのは存在しえない、という結論が私の中で固まってきました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/22 23:22

40過ぎのオバチャンです。



私の中では、良し悪しは客観的な判断基準、好き嫌いは自分の好み、ですね。
音楽は詳しくありませんので、良い悪いは言いません。好き嫌いだけです。

良い悪いを言うものについては、ある程度は客観的な価値基準を知っているわけですよ。
たとえば私は着物が好きなのですが、染めが丁寧だとか、糸がしっかりしているとか、織物の種類が非常に手の込んだものだとか。
これの価値が高いものが「良い」ものです。
下世話な言い方をすれば、一般的に高く評価されるもの、高く売れるものが「良い」ものです。
もっとも、この場合の「一般」とは、それについて知識のある人を指しますが。

好き嫌いは、前述の価値基準がどうだろうと好きか嫌いかです。

再度着物を例に挙げますと、素人とでも、ある程度見て勉強していると、物の良し悪しは分かりやすくなります。
たとえば人間国宝の方の作品でウン百万円するものを見たり、有名呉服店の商品でウン十万円の商品を見ると、やっぱり良いなぁと思います。
ただし、好きと思うかどうかは別なんですね。
良いけれど、タダでも欲しくない。数万円のこっちの商品の方が好き、となったりするわけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

No.7の方に対してのお礼の文章と似てくるのですが、「着物」と「芸術」ことさら現代における音楽はまた話が違ってくると思うのです。
>染めが丁寧だとか、糸がしっかりしているとか、織物の種類が非常に手の込んだものだとか。
>これの価値が高いものが「良い」ものです。
の種類、というのは、素材のことでしょうか?織物の知識が無いのでちょっとわからないのですが・・前の二つに関しては、「使用するにあたって」便利(長持ちする)もの、というのが根底にあると思います。「椅子」の話と同じです。

しかし音楽の場合はそういう概念が無いので、「良い」という言葉が難しいように思うのです。

>下世話な言い方をすれば、一般的に高く評価されるもの、高く売れるものが「良い」ものです。
>もっとも、この場合の「一般」とは、それについて知識のある人を指しますが。

「知識のある」がまた厄介で、どこから「知識がある」なのかの基準が無いですし、じゃあ仮に「(一曲通し)音楽を10万曲聴いた人」としても、個人によって聴いた音楽などに差が出るし、考え方も異なるため、評価が割れます。
例えば身近な例で挙げれば、AKB48。ちなみに私はあまり評価していませんし好きではありません。周りの人にも、評価にすら至らず無視している人が多い。しかし、一部の知人、あるいはTwitter等でも見かけましたが、ポップ・ミュージック系の作曲、編曲に携わるような人は、「曲が素晴らしい、良い」という。

>好き嫌いは、前述の価値基準がどうだろうと好きか嫌いかです。
以降の文、同意です。


回答ありがとうございました。


皆様に回答をして頂いて、私なりに考えて、お礼の文章を書くことで、色々なものを得ることが出来ました。回答してくださった全ての方に感謝致します。
旅行に行くためこれから3~4日ほどお礼がつけられなくなりますが、返事は締め切らずに回答は受け付けたままにしておきます。後でまたお礼は必ずつけます。

お礼日時:2013/09/16 21:03

良いという感じ方ですが、そこにはなにかしらの目的があってこその、良いなのかもしれませんね。

そして、目的が、その音のなかに内在しているのか、はたまた外在しているのか。あるいは無目的なのか。それから同時性なのか、時間を隔てているのか。隔てているのならば、記憶の美化、記憶の劣化などが関係するのか。

これをふまえて、ひとつのカテゴリーに答えを求めることは、はたして近道なのか。いろんなカテゴリーの本をたくさん読むことが、むしろ近道かもしれないと私は感じました。まず、本をカテゴリーで選ばないことが求められると私は考えますので、いま言えることは、急がばまわれ、です。

歌う男「ぼくは、内気だし、結婚しても浮気しないよ。」

町の娘「うれしい。わたしだけを愛してくれるのね。」

小鳥たち「ちょっとまって、結婚は浮気のはじまりよ。
浮気もできない男が、家族を養えるはずがないわ。」

※不朽の名作といわれるたぐいの、男と女の会話ですが、
うけとり方は人それぞれの心の中に・・・・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ごめんなさい、不勉強だからかと思いますが、最初の四行が意味を全く意味を解釈出来ません。目的?内在?外在?という感じです・・。
色々なカテゴリーの本を読むのが近道かも、という助言、ありがとうございます。

男と女の会話、しばらく考えましたがこちらも意味が解釈出来ません・・小鳥たちの「結婚は浮気のはじまり」の意味がわかりません。こちらはもう少し考えてみます。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/16 20:43

私の説明が足りない部分もあったと感じたので、再度書かせていただきたいと思います。



>これはそのまま「好き」で置き換えすると不自然になりますか?この考え方でいった時に、「良い」と「好き」の違いがいまいちピンときません。
>「落ち着く」という良い影響を与えてくれる曲が、なぜ何度も聞きたい曲にならないのか

そうですね、ピンとくる感覚は人によって違うので、掘り下げてみたいと思います。
「好き」と「良い」の違いですが、例えば、このイスは良い椅子だ。と、このイスは好きだ。では意味合いが違うことがわかると思います。

前者であれば、壊れにくいとか、緻密な彫刻が施されているとか、高級素材が使われているとか、人体工学に基づいて作られているとか、高級家具メーカーの製品だったりするとよく言われます。
後者であれば、決して良いと言えるものではなくても、子供の頃からずっと使ってるとか、安いペンキで塗ってあるけどこの色がいいとか、形は悪いけどガタガタするのが面白いからとか、好きな人が作ってくれたからとか、イスそのものの良し悪しに関係なく言いますよね。

音楽なんかも同じで、
ヴィヴァルディ代表作「四季」の春。良い曲ですよね、春らしく明るく華やか、跳ねるようなヴァイオリンの音色が春の訪れと喜びを表し、まるで花が一面に広がる野原のような素晴らしい曲です。
そして同じ「四季」の冬。こちらも良い曲で、冬の冷たく荒ぶ雪混じりの風のような、鋭くどこか悲しいヴァイオリンの旋律と、冷たくも美しい一面の雪を思わせる素晴らしい曲です。
でも私は冬は好きですが、春は別に好きではありません。「良い」曲なんですが、別に冬みたいに何度も聞きたいと思わないのです。
両方良い曲だけど、春は「好きな曲じゃない」曲で、冬は「好きな曲」。「良い曲」は「好きな曲」でないわけです。

つまり「好き」≠「良い」
好き=個人的に見た評価。良いとは別の評価軸で評価されるため、個人個人で基準が異なる。
良い=客観的に見た評価に非常に近い。一般的な評価基準を項目分けして点数付けていく感じ。

激しい曲が「好き」な人は、ある曲を落ち着く「良い」曲だと考えても、やっぱり激しい曲が「好き」だから、たとえ何言ってるかさっぱりわからないヘビーロックを好んで聞く人もいるでしょう。
マイケルジャクソンの曲が「素晴らしく良い物」であると知っていても、レディーガガの曲が同じ「素晴らしく良い物」であったとき、果たしてどちらを好んで聞くかは・・・「好み(好きかそうじゃないか)」で決まります。


>「歌詞の内容が良い」なら、「良い歌詞」とは表現しても「良い曲」とは表現しないのが私の感覚なのですが、これも私の感覚が変わっているのでしょうか。

こちらについては、別に変ってるとは思わないですよ。
私も「良い」歌詞だと思ったら、「良い歌詞だね」とか言ったりします。「歌詞ビミョー」とも言います。
だって、そう思ったならそうなんですよ。私も自分には嘘がつけないもので。


最後に、これに対してはおそらく、No.6の方の「真善美」で色々な見方をすると、とても面白いと思います。
私は自分の感性・直観が大事な盲目的な人間ですが、こうやって、色々な意見が集まる場所はとても好きです。こういう場所で新しく、面白い、これならばこれを証明できると感じるものを集め、さらに思考を巡らせることができるからです。
人間の感情、感覚、表現は非常に複雑で難解で、面白い。
だから、自分なりに時間をかけて、いろんな人の意見や考えから自分なりの答えを導き、自分を納得させることのできる答えを出すことができると思います。
私もまだまだ、たくさん、色々なことを考えます。答えを探して、考えが尽きないから、人生面白い。
まぁ、勉強苦手なことや要領が悪いのは治らなさそうですがね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

椅子の例、ありがとうございます。椅子においては「好き」と「良い」が置き換え不可能なことがわかりました。椅子には確かに「良い」が存在し得るようですね。丈夫な椅子とボロの椅子を比べた時、丈夫な椅子の方が普通に使うにあたっては便利に決まっていて、恐らく100%に近い人がプラスに感じるものでしょうから、「良い」という概念が成立し得るのだと思います。
しかし音楽ではそれは有り得ないので
>音楽なんかも同じ
とするのが難しいのではないか、と考えてしまいます。椅子と芸術は違うかと思います。例えば椅子だって、「芸術品として作られた椅子」なら、「良い」の基準がどんどんわからなくなっていきます。

また、No.3で回答してくださった際に、

>「自分には、良い影響があるから「良い」と表現している」
とおっしゃっていましたが、こちらの回答では
>良い=客観的に見た評価に非常に近い。一般的な評価基準を項目分けして点数付けていく感じ。
と回答なさっています。私にはこれはどうしても矛盾しているように感じられるのですが・・すみません。

また、「客観的に見た評価」「一般的な評価基準」とはなんでしょうか。具体的に存在するわけではないので、自分が「客観的にはこうだろう」「一般的な評価基準ではこうだろう」と判断することになりますが、それは100人いれば100人ともその判断は違うと思います。なら、それは結局自分で判断していることになると思うのです。
また、「一般的な評価基準」に従って評価したものを良い音楽とするのなら、ごく少数にしか愛されてない、「一般的な評価基準を項目分けして点数付け」た際に点数が低いとされる音楽は必然的に「良い音楽ではない」という理屈になりますが、これは私は納得がいきません。一般的な評価基準にあてはめられないような音楽も出てくるでしょうし。例えばJohn Cageの「4分33秒」(4分33秒無音の曲)。例えばメルツバウなどのような、メロディやリズムのないノイズ・ミュージック。こういった音楽に対してはどのような評価基準をするのでしょうか?

それと、私はヴィヴァルディの四季は好きではないです。本文中の
>「良い曲ですよね」 というのは、「私は好きですが、貴方も好きでしょう?」みたいな意味なのか、それとも「一般的な評価で言ったら『良い』曲だと思いませんか?」という意味なのか、どちらかわかりかねますが・・どちらでいっても私は「良い」曲とは思いません。すみません。

あと・・これはお詫びなのですが、
>「歌詞の内容が良い」なら、「良い歌詞」とは表現しても「良い曲」とは表現しないのが私の感覚
の「良い歌詞」は、今の自分なら「好きな歌詞」と表現します。不適切でした、ごめんなさい。


真善美、は一つのキーワードになりそうですね。

色々と考えるきっかけになりました。回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/16 20:37

良い、悪いという言葉はかなりあいまいなところがります。

何にとって良いのか、悪いのかという基準をまず考えなければなりません。芸術作品に関して何も前提にせずに「これは良い」といえば、やっぱり、その時期に最高の物だとされているよく知られた作品のよさの基準にもとずいて、それに近いよさを持っているというような意味だろうと思われます。それと、作品そのもののよさ、それを感受する人間の側から見てよいという2通りのよさがあると思われますが、これはお互いに関係があり、結局ひとつに合わさってしまうものでもあるかとも思えます。

いまどき何が芸術作品のよさの基準になっているのでしょうか。作品の側から言えばそれは作品の質が高いということですが、ならその質とは何だろうということになります。一般的にはよく出来ている、完成度が高いというようなことでしょう。受け取る側から言えば、心に響く、忘れられないような印象を受ける、というようなことでしょう。

ぐだぐだ書きましたが、隔靴痛痒、何も実質的なことは書いていません。ただひとつ、作品の完成度ということを書きましたが、これはモーツアルトとかべーとーべんとかいう古典音楽の大家が作った音楽を分析して考えられる、これは非常によく考えられて作られてあるように見え、「ちょっとでもいじることが出来ない」という緻密な完璧性のことを言っています。これは西洋のタブロー「絵画」や三島由紀夫の小説などにもいえることです。これはよさの一面を示していますが、もちろん完成度が高いだけでは人の心に響くことはありません。何が人の心を揺り動かすのでしょうか。多くの人が「美」だといっていますが、たとえばモーツアルトの音楽の美のことを納得できる言葉で分析し説明出来た人はまだ居ません。「美」というものが完成度に関わっていること、バランスとか大きさとか深さとか華やかさだとか性愛だとかいろいろいっていますが、そこのところは統一した理論はまだ無いと思います。要は、言葉では表現出来ないものなのでしょう。ちゃんちゃん。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>その時期に最高の物だとされているよく知られた作品のよさの基準にもとずいて、それに近いよさを持っているというような意味
なるほど、そういった視点はありませんでした。たしかに、少なくとも、クラシック音楽が主流であった西洋の歴史上においてはきっとそうなのだろうなぁ、と納得します。ただ現代では、かなり意味が異なっているようにも感じます。現代日本に生きている私には、「最高の物だとされている」というものは現代の日本には無いように感じられます。

>作品そのもののよさ、それを感受する人間の側から見てよいという2通りのよさがあると思われますが、これはお互いに関係があり、結局ひとつに合わさってしまうものでもあるかとも思えます。
「作品そのもののよさ」がある、という意見が出て、やはりそう考える方がいるのだと思って安心?しています。「ひとつに合わさってしまう」というのがちょっとイメージし辛いので、具体的な例を出して説明して頂けると嬉しかったかもしれません。

よく出来ている、完成度が高い←「ちょっとでもいじることが出来ない」もの が芸術作品のよさの基準、つまり質の高さの基準となっている・・というところや、人の心を揺り動かすのは多くの人が「美」だと言っている・・というところは、私にはピンときません。かつて西洋において絶対的な芸術とされたクラシック音楽を私自身が好んで聴かないからかもしれませんが・・。「ちょっとでもいじることが出来ない」かどうかも個々人の感覚な気がするのです。
それから、例えば、子供の絵が人の心を打ったり、下手糞な演奏が人の心を強く強く打ったり、などの例はどうなるのでしょうか。子供の絵や下手糞な演奏はそもそも芸術ではない、と言われると、今度は「芸術とは?」とどんどん話が広がっていってしまうのですが・・
私の場合、美しいメロディに感動することもありますが、粗雑なロック・バンドの演奏や、それこそいわゆるノイズ・ミュージックと呼ばれる無旋律のものにも心を打たれることもあるので、「美」で括るのには違和感があります。これらのような音楽は芸術ではないのでしょうか。

色々考えるきっかけになりました。考えるヒントを沢山頂きました、ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/16 10:32

>また、もしこの辺りについて述べているような本(哲学や芸術関連の本)がありましたらご紹介頂けないでしょうか。

それと、こういった話は学問的にはどういう分野の話題であり、どういう哲学家の方が述べているのでしょうか。

カントの 『判断力批判』 「美的(直観的)判断力」が美や芸術に対する哲学的アプローチですので、参考にされると良いと思います。
参考書籍
「感覚はどこまで考えることができるのか : 『判断力批判』におけるイマヌエル・カントの美的(直観的)基準理念についての研究」佐藤康邦 著 - ‎2010 放送大学
「カントの「判断力批判」における 美的判断の構造についての覚え書」 井上義彦 著 - ‎1975 長崎大学教養部紀要. 人文科学
など多数
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

カントは「純粋理性批判」を読もうとして最初の数ページで挫折した記憶があります・・「判断力批判」、参考書籍なども併読しつつ読んでみようと思います。ありがとうございます。

お礼日時:2013/09/16 08:31

前の方があげてくださったように、耳に心地よい、快楽をもたらすものは「良い」と表現します。


私の場合は、自分には、良い影響があるから「良い」と表現していると考えています。
例えば、この曲良いよね、と言う方がいますよね。このとき、歌詞に共感したり、感動できる、メロディが心に響く、訴えるものがある⇒良い意味で影響がある曲、良い曲。
逆に、この曲そんな良い曲?と言うときは、共感できない、メロディが好きじゃない⇒自分に良いものがないから良くない。となります。
好きも表現の一つですが、「良い」は感覚的な表現の一つで、感情的な「好き」とはまた別の面白い表現だと思います。だから私も、面白い作品は面白い、メロディや歌詞が好きだから好き、なんかこの曲は心に訴えるものがあるから良い。好きじゃないけど良い曲は、メロディも地味だし、何度も聞きたい曲ではないけど、落ち着くとか、歌詞の内容が良いと思う。場の雰囲気には合ってるから良いと思う。理屈っぽく言うとそんな感じでしょうかね。
あと、音が気持ち悪いとか、メロディが変とか、不協和音とかはいっても、悪い曲と言うことはあまり無いですよね。ただし、歌詞に曲があってない、曲に歌詞があってない、場所に曲があってないと、歌詞が悪い、テンポが悪い、メロディが悪い、曲が悪いとは言います。合わないのは悪い、と表現されてしまうのです。
日本語って面白いですよね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>自分には、良い影響があるから「良い」と表現している
これはそのまま「好き」で置き換えすると不自然になりますか?この考え方でいった時に、「良い」と「好き」の違いがいまいちピンときません。

>好きじゃないけど良い曲は、メロディも地味だし、何度も聞きたい曲ではないけど、落ち着くとか、歌詞の内容が良いと思う。
すみません、これもどうにもピンとこないのです・・「落ち着く」という良い影響を与えてくれる曲が、なぜ何度も聞きたい曲にならないのか、好きな曲にならないのかがわからなくて・・具体的に自分に置き換えが出来ないので、想像がつきません。
「歌詞の内容が良い」なら、「良い歌詞」とは表現しても「良い曲」とは表現しないのが私の感覚なのですが、これも私の感覚が変わっているのでしょうか。

後半部の「あと、音が~」からのくだり、参考になりました。「合わないのは悪い、と表現されてしまう」なるほどなぁ、と思いました。何か例外を頭に浮かべようとしたのですが、今はなかなか浮かびません。一つ、大きなヒントを得た感覚です。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/16 08:23

快楽主義


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%AB%E6%A5%BD% …

快楽を感じるものが「よい」とする考え。

 音楽に当てはめると、自分にとって快楽を感じられる音楽こそ「よい」音楽ということになります。つまり自分が好きな音楽は自分にとっていい音楽です。
 サザンなんとかのダミ声の‘音楽’は、熱狂的なファンにはいい音楽でしょうが、他人にとっては快楽どころか’公害‘にさえ感じれ、悪い騒音です。

>この曲、あんま良くないけどなんか好きなんだ

「他人の評価はあまりよくないけど、私はなんとなく好き」というほどの意味とも取れますが、言っている本人の真意は測りかねます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

基本的に今の私の考えと同じ、あるいはかなり近いようです。自分が好きな音楽=自分にとっていい音楽、これは私もそう考えています。だから「僕にとっては、良い音楽かな」という言い回しをするわけですけれど・・また、サザンがどうかはさておき、人にとって「良い」音楽なのが、他人にとっては「悪い」音楽だとも思います。

何というか・・普通の人が「良い」という言葉を使っている時、何かそこには「絶対的な良さ」というものが存在していることを前提としているような、そんな印象を受けるのです。

後、例えば作曲のアドバイスとかで「ここをこうすればもっと良くなると思うよ!」っていう言い回しをする人は多数いますが、これを例えば「ここをこうすればもっと僕の気持ちよい音楽になるよ!」と置き換えするのは難しいように思います。これも、やはり何か「絶対的な良さ」があるという前提の元での発言な気がするのです。

参考になりました。回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/16 07:55

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