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長崎市のグラバー園に行きました。
この自動電話とは一体何でしょうか?

「自動電話とは何でしょうか」の質問画像

A 回答 (4件)

御質問文では「自動電話」と表記されていらっしゃいますが、


添付写真では「自働電話」と表記されていますね。

謎を解く鍵は正に「自働電話」にあるようです。

先ずは手っ取り早く Wikipedia で日本の公衆電話の歴史を辿りますと、
1890(明治23)年12月に東京・横浜に電話局が設置、電話業務開始と同時に、
東京15か所、横浜1か所の電話局内に一般市民のための電話所設置。
当初は電話局内に設置されていましたが、
1900(明治33)年に新橋駅中等待合室前・上野駅駅長室前などの通路に設置。
電話ボックス型は同1900(明治33)年に京橋に設置された六角錐型のものが初見。

当時の公衆電話は「自働電話」と称されましたが、
1925(大正14)年にはダイヤル自動方式が採用され名称に混乱を来たすとして
「自働電話」が「公衆電話」と改称された経緯があるようです。

上記を踏まえ改めてグラバー園の自働電話を検索してみますと、

〇九州大図鑑>グラバー園の電話ボックス によりますと、
http://daizukan9.blog63.fc2.com/blog-entry-109.h …

この公衆電話ボックスは、明治33年東京・京橋のたもとにわが国最初に設置したものを復元しました。当時は公衆電話を「自働電話」と呼んでいました と記述されています。

何故、明治33年当時の我が国初の公衆電話ボックスがグラバー園に復元されたのか
謎は残りますが、「1868年、トーマス・グラバーが長崎市南山手のグラバー邸から
高島の小島の別荘へ海底ケーブルを引き、日本初の私設電話を設置した。」ことと
関係があるのかもしれません。

ほか「自働電話」用語使用例
〇『電話初歩/高原伝三郎等著/電友社/大正2』
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936475/204

以上のとおりですから、
復元された明治33年当時の電話ボックスの「自働電話」表記は、
(ダイヤル自動方式が採用される以前の)当時の「(現在の)公衆電話」を
表す用語だったようです。

以上 疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^
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これは電話ボックスが撮影ポイントとして有名なものです。



明治33年に日本で初めて、東京の京橋に設置された、
公衆電話のボックスを、長崎のグラバー園に復元して、
設置したのです。

明治のこの頃は公衆電話を自動電話と呼びました。
しかし当時は勿論交換手呼び出し式でした。
呼ぶと金を投入するよう言われ、、金を入れると通話先を
呼びだしてくれました。

現在の自動電話の意味は先賢の答え通りです。

この電話ボックスの中の電話は当時のものではなく、
現代のもので通話が出来ます。

明治の頃公衆電話をなぜ自動電話と読んだのでしょうか。
英語名を和訳する時こうなったとの説があります。

グラバー園の公衆電話で検索すると情報が得られます。
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受話器を取って、ダイヤルすると、局内交換機に自動的につながって相手と通話できる方式。



それ以前の電話は、受話器を取ったら、右側にあるクランクを回してマグネトー式発電機で発電して交換手のへヘルを均して接続し、電話交換を依頼していました。こういう電話機にはそもそもダイヤル(プッシュボタンもない)がありませんでした。
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交換手を介さない方式。

現行の方法。
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