アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

残念ながら、亡くなられた川上とも子さんをしのび、「ヒカルの碁」を見ていた所、突然思いだしたので、今回、突然みる事にしました。

この作品が放送され時は、とっても恥ずかしくてみられなかったので、ちょっと、今なら見れると思い期待と川上さんの声が聞けると、全話一気に見ました。

所が、見終えてその、何と言うか、はっきり言って、何が言いたくて何が少女革命だったのが、当方のおバカなお頭では理解できませんでした。

どういう意味合いの、どういう作品なのか、今まで色々なアニメを見てきましたが、当時、この作品が偉い噂になった理由が、今もって理解できません。

最終的に、TVではウテナはどうなったんでしょうか。消えちゃった。が、正しい認識。

では、何処から消えたの。

現実世界から。
それとも、妄想世界から。アンシーって、一体何なの!?

分からない事だらけで、更に、劇場版も見てしまい、ますます、分からなく、理解に苦しんでしまいました。
ヒカルの碁のヒカルの声を担当されていた川上さんの声が、また聞けると思ったのですが、それ以前に、失礼ながら内容を見てうなってしまいました。

何方か、今更ですがネタばれをお願いします。

A 回答 (3件)

「好きなアニメ」3本の指に入ります。


当時話題になったのは、簡単に言うと「不条理さ」と「過激な設定」この2点によるところが大きいのではないかと思いますが、それはそれとして、それ以上に奥深さとセンスと、しっかりとした「魂」のある、他に代えられない作品だと思います。


で、こういう作品を楽しむ場合は、1つの「答え」を期待しては駄目です。作り手すらも、わかっていない可能性は充分あります。かの宮沢賢治は作品が難解であることで知られますが、当の賢治すらも「自分もどうしてそうなっているのかわからない」と認めているくらいなのですから。でも、決して「ちょっと何かの真似事をしてみた」というような安易なものではなく、本人にとっては紛れもない「真実」なのです。優れた作品とはそういうものなのかもしれません。
見る人それそれが想像力を働かせて「答え」を見つけないと駄目です。日本の子供向けアニメはそこまで「頭を働かせないといけない」ものはそう多くはないかもしれませんが、文学や映画なんかの世界では、そういう作品はそう珍しくないと思います。


一般的な見方ですが、この作品は登場人物の繰り返される台詞からもわかるように「革命(卵の殻を破ること)」というのが1つのテーマになっていますね。この世界において登場人物達のテーマでもあり、裏を返せば「作り手」達の目指すテーマにもなっていると思います。
で、以下は自分の見解です。この「革命」の解釈ですが、ある見方によっては「殻を破った」とも言えますし「殻にとどまった」とも言える・・・という点があると思います。まぁ物事の見方なんてすべてにおいてそう(例えば本人の考え方次第で自分は幸せとも不幸とも言えたり)ですから、そういう多角的に見た「世界」の心理というのもこの作品の1つのテーマなんだと思います。そこが、この作品の「言いたいこと」をわかりにくくしているというのもあるかもしれません。「言いたいこと」の1つが「視点を変えれば、物事は180度変わる」なのですから。

思春期の若者達が、苦悩や愛憎やコンプレックスを募らせ、前にも後ろにも進めなくなってどうにもならなくなって、戦いを挑みますよね。これも個々の中の「革命」(要するに打開願望)を表しているのだと思います。多くの決闘者は決闘後も殆ど何も変わらないようですが(これも納得ですね、人はそう簡単には変われないものなのですから)、自身の中で変化が起きているようにも見えます。それは「革命」とまではいかないのかもしれませんが・・。

で、この作品において1つ達成された「革命(殻を破る)」がありました。それは「叶うことの無い愛(同性愛)」。これは明らかにそうだと言えると思います。
アンシーは最後の裏切りで「あなたは私の王子様にはなれないの。あなたは女の子だから。」みたいに言います。(この言葉は、多くの女性なら経験的に納得出来る部分もあるのでは。確かに女性を救うのは男性、もしくはそれが無理なら自分自身。女性が女性を救うというのはあまり現実的ではないかもしれません。)これは、アンシーが最後の最後までウテナを兄以上の存在と認められなかった、根本的な理由でもあると思います。でも、最後には(精神的に)2人は結びつくという結果に至りました。これが1つの「殻を破る」です。
暁生は、最後ウテナを革命出来なかった敗北者だと判断していました。ただ、それが成功か敗北か見抜けないこと自体が、「殻を敗れていない(ある世界に閉じ込められている)」とも受け取れます。それはアンシーの暁生に向けた決別の言葉にも表れていますね。そしてアンシーは「(暁生と同じ)今の世界」から外の世界に旅立ちます。
つまり暁生のいる世界の1つの特徴(あくまで1つです)としては、「女の子と女の子が愛し合うなんてあり得ない」世界。現に、樹璃はそれで最後まで苦悩し続けていましたよね。ウテナとアンシー2人が「世界の果て」を打ち破って、その世界から外の世界に飛び出た・・・とも解釈出来ますね。


基本的には劇場版で達成された「革命」の意味も、テレビ版とほぼ同じかもしれませんね。最後の最後だけはあんなわかり易い終わり方でしたし・・・。


・・・・という風に、個人的にも好きな作品なので色々例を挙げていると長~くなりますが、こういう他者の「感想」を少し聞いて頂ければ、「楽しみ方」のコツがわかって、hull55さんなりに見えてくる部分もあるのではないでしょうか。楽しんでみてください。ご参考までに。

この回答への補足

補足として、劇場版はTVシリーズは別ルートの作品なんですね。

TVの延長かと思い見ましたが、全然違う内容だったので、ある意味驚きました。

ただ、TV以上にウテナが女の子らしくなった気がして、劇場版の方は個人的にあまり好きじゃありませんでした。
ウテナはあくまでも、男の子の雰囲気と、女子の雰囲気。双方を兼ね備えた不思議な雰囲気。中性的な魅力が或る意味好きなんですがね。

と、言うか、この年齢で、王子様。と言う言葉は、はっきり言って子供ぽくも聞こえてしまいます。

当時、みておけばよかったと後悔しています。

補足日時:2013/11/09 07:07
    • good
    • 0
この回答へのお礼

人それぞれ、作品に対する思い入れはあるんですね。

自分も、決して、この作品が嫌いな訳でも、低レベルの作品だと思っていません。

ただ、当時あれだけヒットし、これだけの話数が或る作品も、早々出る訳ではないので、内容的にとっても気になっていた作品の一つです。
また、ウテナの声優さん、川上さんのファンでもあるので、ヒカルの碁を見ながら気にしていた作品でした。

で、要約、見る機会が得られたので一気に見ましたが、ちょっと、みるまでに時間がたちすぎた気がします。
年齢的に、ちょっと抵抗感が生まれてしまい、正直な話、内容が良くわかりませんでした。
その為か、本当はラストは感動的なんでしょうが、どうも今一つ、感動と言う概念は感じなく、逆に、何が言いたいのか。
良くわからなく、そのまま、劇場版も見てしまったのがまずかったかもしれません。

でも、キャラクターとしてのウテナは、今までに。そして、これからも、無いだろうと特別な存在としてお気に入りのキャラクターです。
アンシーの方は、ちょっと個人的に、あの姿は良いのですが、性格の方がどうも自分には苦手な方なので・・・・

ともあれ、回答頂き、ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/09 07:14

【注意】


この回答は公式でもなんでもなく、私の見解です。
貴方が見た直後の感想も正解ですし、他の回答も正解です。
あくまで、こういう考え方もあるんだな程度にとどめてください。


アニメ版に関して言えば、テーマは自立心の再生ではないかと睨んでます。
アンシーは依存の象徴であり、かつての暁生のように
影であることで光を際立たせることが彼女の存在意義でした。
しかし、はっきりとした個を確立してしまった以上、
彼女は自分自身のためだけにしか影が作れないことを恐れてしまいます。
だからこそ、彼女は個を与えたウテナを葬ろうとしたのです。
しかし、ウテナが彼女の台になった結果、彼女は晴れて個を持った人間になれた。
ただし、代償として台となったウテナは誰からも忘れ去られる陰になった。
だからこそ、個を得たアンシーはかつての自分のような存在をウテナと同じように
個を与えるべく、自分の居場所だった箱庭から飛び出した。
これこそが、監督が訴えたかった革命ではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですね。おっしゃる通り、答えが無いのが答え。だったりします。

または、人それぞれ受け止め方の解釈が答えだったりします。
たとえば、洋画で有名な「2001年宇宙への旅」みたいに、見た人の受け止め方が、あの答えへと繋がるとか。

何かが新しく生まれる過程手を、独自の考え方思想で表現すると、どうしてもこうなるのかもしれません。
作り手の答えは、既にある。

ただ、それを伝えるのではなく、答えはあるけど、別の人がみた場合の別の答えもありうる。

的な、回答です。

ただ、回答頂いたな内容を拝見すると、ほぼ、自分が受けたイメージと同じです。
でも、自分には、ウテナとは、何かを改革する力と言うか運命を持った存在の少女である事は確かだと思います。
だからこそ、ラスト近くで、暁がどうやっても開けられなかった扉を、ウテナは偶然にも・・・
それ以外にも、明らかにウテナだからこそ、出来た。あるいは、手に入れられたシーンなど、彼女の運命的な力が、私には感じられました。
だからこそ、少女革命の申し子・ウテナの訳なんだなと。

でも、シリーズの途中で感じたんですが、もしかしてウテナ達って、一度死んでませんか。
劇場版の方では、特にそれを強く感じていました。

死んで生まれ変わりの為の前段階。
的な、イメージも強く感じました。

遅くなりましたが、回答、ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/09 07:25

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4015067.html
のベストアンサーをどうぞ。

>最終的に、TVではウテナはどうなったんでしょうか。消えちゃった。が、正しい認識。
>では、何処から消えたの。
>現実世界から。

当方は「大人になれない少女が創造した虚構世界に閉じこもっていた少女が、精神的な革命を起こして、大人になるために、虚構世界から消えて現実世界に戻った」と解釈しています。

この回答への補足

TVシリーズを見た時、当初ウテナとは、たと違い、特別な存在だと思っていました。
その理由は、彼女だけ、他の女性と違い、王子様を意識していたからです。
それはある意味、世界を救う為に生れてきた特別な存在。
すなわち、世界を守る為の騎士の様な存在だと思っていました。

だから、妙にアンシーにこだわっているんだなと解釈していました。

所が、ラスト近くでは、全く違う存在である事が、分かり始めてから、この作品の意味が見えなくなりました。

だけど、それが映画だと、ウテナはすでに死んだ存在であり、あの学園は、誰かの意識の中に作られた幻想。
すなわち、深層意識であると分かりました。

それが誰の深層意識なのかは、ラストではっきりとします。

でも、やはり、理解するには、ちょっと描写的に無理がありすぎな気がします。

それが面白いか、凄いかは分かりませんが、当時、宝塚が少女達のあこがれの世界だったように、やはり、このアニメも、そんな世界を意識して作られたのかなと、当時の世相を思い起こしました。

それともう一つ、この時代からですかね。ヒロインの髪の色がピンク。の、原点なのは。

余計な事ですが、ベストアンサーランはとっても参考になりました。
複雑と言うより、独自の世界と意識を詰め合わせたアニメで、ちょっと今更ながら、みたのが年齢的に遅かったかなと反省しています。

遅れましたが、回答ありがうございます。

回答、全然ないかも。と、思っていたので、とっても嬉しいです。

補足日時:2013/11/08 18:46
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!