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内田百閒に『漱石先生雑記帖』という本があります。他の本にも収められているのかもしれませんが、この中にある『「百鬼園日記帖」より』に『虞美人草』について次のようなことが書かれています。

(抜粋)
・篇中で一番優待せられてゐる甲野が非常に浅薄できざな人格だといふ事。いやにむつちりして思はせ振りな哲学者気取りが鼻につく。
・宗近もいけない。あんな人格は小野さんでなくても軽蔑する。いや味のなささうないや味だらけだ。
・先生が善玉として描いた二人ともが今の心で読めばまるで贋物であるには驚く。
・小野丈が真面目な人格に、書くときの先生の予期を裏切つて、人間らしく描かれてゐる。小野のすることと云ふこと考へることは、大凡真面目で全人格的であるところが甲野よりも数等上の人格に見える。
・虞美人艸は晩年先生が非常にきらつてゐたのを、ただぼんやり其文章技巧の点からだと思つてゐたけれど、漸く先生の心持がわかつた。虞美人艸を書いた折はまだ先生も甲野をああいふ風に見る程度の人であつた。

う~ん、すごい斬り捨て方ですね。でも、質問は、百閒の意見をどう思うかではありません。(それも関係ありますが)

★漱石が晩年『虞美人草』を嫌っていたというのは本当ですか。漱石自身の文章で、そのようなものが残っているのでしょうか。

(漱石自身の詳しい言葉が残っていれば話は早いのですが、なかった場合、)

★漱石が晩年『虞美人草』を嫌っていたとすると、それは何故だと考えられるでしょうか。想像でかまわないのですが、回答者さんの考えるところを教えてください。

百閒が言うように、善玉を取り違えていたから、人物を見る目がなかったと後になって気づいた、からなのか。それとも別の理由があるのか。くわしい方のお考えをお聞かせください。
よろしくお願いします。

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A 回答 (6件)

☆内田百閒と漱石について



漱石が数多くの門下生を育てたことは、質問者さんもすでにご存じのことと思います。
しかも、門下生のひとつの大きな特徴として、大家の取り巻きではなく、それぞれに人並み優れた個性と才能のもちぬしでした。

門下生筆頭とされる小宮豊隆はこう書いています。

「漱石は人を刺激する事にも妙を得てゐれば、人から刺激を受ける事にも妙を得てゐた。是は漱石の頭脳が明敏で、相手の持つてゐる本質的な良いものを直ちに発見して、それが展開し得る可能性を尊敬する事が出来たせゐでもあるが、同時に漱石の頭が創造的で、他人の中の創造的な機能を活発に運転させるとともに、自分自身の創造への大きな刺激を受け取つた」(『夏目漱石』上 小宮豊隆 岩波文庫)

小宮らがそうした教師としての漱石に出会い、親炙したのに対して、岡山の中学時代、漱石の【ヨウ】虚集に心酔し、その作品を通して漱石に導かれていきます。
やがて習作の『老猫』を漱石に送り、
「筆ツキ真面目にて何の衒ふ所なくよろしく候」(明治四十二年八月二十四日付書簡)
と返事をもらい、その二年後、長与胃腸病院に入院する漱石に初めて対面します。

大正二年から五年にかけて、百閒は漱石の著作の校正を任されます。
百閒の経済的困窮に対する漱石の配慮でもあったのですが、百閒はその期待に十分応える仕事をする。
漱石の死後、全集編纂の際には、校正の担当者として、『漱石校正文法』を体系化し、漱石の用語法・かなおくり法に法則を導入するのです。

同年代の芥川龍之介や久米正雄らは、ある意味で、漱石を足がかりとして、文壇へ出ていきます。そうした彼らが脚光を浴びる傍らで、黙々と漱石の校正をしていたのが百閒でした。

「百閒が漱石著作について行なったような校正ということ、即ち漱石の全作品の味読と、発想法や文体の根本的理解に立ってその用語用字をたどり、漱石の冒した無意識の誤りを看過せず漱石の発想法にまで立ち戻ってこれを改めるという風な校正に、長年の間携わるということは、あたかも書道を学ぶ人が、古い手本を敷き写しにしてその筆勢をおのずと我身につけると同様に、漱石の文章に備わる「筆勢」即ち文体や発想法を自然に身につけることを結果したに相違ありません」(『内田百閒―『冥土』の周辺 内田道雄 翰林書房)

同書からの孫引きになるのですが、雑誌『新潮』昭和26年6月号に、こんな座談会の記録が紹介されています。

  安倍 内田さん何かありませんか。たとへば夏目さんをどういふ人とあなたは見てをられるか……。
  内田 どういふふうな人つて、私なんかには絶対的なものですね。
  小宮 内田君はその点は実に純粋だ。無条件に先生を崇拝してゐる。
  内田 どうも、批判も何もありませんね。
  小宮 それに較べると、僕なんかは生意気で不順で、悪いことした気がする。
  安倍 君の態度だつて純粋だよ。
  内田 僕なぞは口もきけなかつたやうなところがありますね。小宮さんなんか、先生と対話ができましたからね……。(笑)

この中に、座談会のような席上で、漱石のことをあれこれ語りたくない、という百閒の拒否感が、それとなくうかがえるような気がします。それくらい、百閒にとって漱石は「絶対的」な人だった。

質問者さんがあげられた百閒から見るところの『虞美人草』の問題点を、いちいち論評できるほど、私は百閒についても漱石や『虞美人草』についても、詳しいわけではありません。
ただ百閒と漱石の関係をこうやって見ていくならば、それは、漱石の発想から誰よりも詳しい人間がする批判、むしろ、後年の漱石自身の問題意識に限りなく近いものとして見ることができるのではないか、と思うのです。
そうした上で、再度質問者さんが『虞美人草』をお読みになり、考えていただければよいのではないか、百閒が投げかけた問題点は、そうしたものとしてあるのではないか、と思います。


以上、大変に長くなりました。
最後までおつきあいくださってどうもありがとうございます。
分かりにくい点、さらに詳しく知りたい部分などありましたら、補足要求お願いいたします。
なお、私自身は、一応文学研究の端くれに身を置こうとするものではありますが、漱石や日本文学の専門家でも何でもありません。
ただ、興味を持つ一般人であること、ある程度、文献には当たっていますが、正確さに関しては必ずしも保証の限りではないことをご理解ください。

この回答への補足

二回目の回答にある、八犬伝が出てくるあたり、どこかで聞き覚えがあったのですが、思い出しました。新潮文庫の「坊っちゃん」にある、江藤淳の解説「漱石の文学」で読んだことがありました。そして、今回あらためて読み直してみると、これがなかなか良く、自分の求めているものに合っていることに気付いたので(遅すぎますか)、漱石作品と平行して、「漱石とその時代」を読んでいこうと思います。
というわけで、結局、補足要求はいたしません。

それにしても、この度は本当にありがとうございました。
おかげで、この作品が抱える問題点がいろいろとわかりました。しかし、漱石がなんと言おうと、百閒がなんと言おうと、私は虞美人草を嫌いになれません。この小説は魅力に溢れています。

春はものの句になりやすき京の町を、……
……爪上りなる向うから大原女が来る。牛が来る。京の春は牛の尿(いばり)の尽きざるほどに、長くかつ静かである。

という陶然とするしかないような文章だけでなく。(←この言葉、使わせてください!)

補足日時:2004/04/27 21:34
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この回答へのお礼

素晴らしい回答をいただき、ありがとうございます。

おかげでこの作品の持つ特異性がよく分かりました。残るは百閒の提示した問題ですが、これについては、回答者さんのお言葉通り、自分で考えたいと思います。虞美人草をさらに読み、そして、漱石の跡を辿ることによって。

推測ですが、回答者さんは、読みの浅い私、これから漱石の跡を辿っていこうとしている私が、回答者さんの考えや既成の研究に引きずられすぎないようにと考え、どこまで書けばいいのかということに腐心されたのではないでしょうか。そうだとすると、配慮、まことにうれしく思います。

補足要求はしようと思えばいくらでもできるのですが(笑)、それは、回答者さんに迷惑であるばかりでなく、自分のためにもならないと思います。ただ、ご回答を十分に咀嚼しきれていない面もあるので、補足要求するかどうか、もう少し猶予をいただけますでしょうか。

というわけで、この質問はもう暫く開けておきます。その間、何かありましたら、他の方でも遠慮なくいらっしゃってください。(#5さん、再読が終わったら一言いかがですか)


回答者様には本当にありがとうございました。

お礼日時:2004/04/23 19:43

ごめんなさい!ごめんなさい!!


回答ではないので削除覚悟ですが、#3さんに感銘しましたので一言だけ。

作品としては然程思い入れも無く、どちらかと言えばソープドラマのようで好きにはなれないものだったので、書簡の事を物の本で読んだときに、自分の感じた事と併せて「なるほどねぇ・・・所詮新聞連載だし、万民に阿っただけの実験作品としてなら、さもあらん、だな」と咀嚼した程度でしたが、そこまで掘り進むべき作品だったのですね。
百の件も含めてご回答期待しつつ、また、ご回答の点を踏まえながら、私も再度改めて読み直してみたいと思います。

質問者様、回答じゃないのに本当にごめんなさい!
ただ、へぇボタンだけじゃ足りないほど知的好奇心を揺さぶられたもので・・・スルーしていただいて結構です(冷や汗)
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この回答へのお礼

※「へぇボタン」に「揺さぶられ」ですか…。#3さんの最近のキーワードですね。
それにしても、こんな素晴らしいものを無料で読んでよいのでしょうか。著作権はどこにあるの? 連載が終了したら単行本にしますか。

#1の回答はURLも含め、大変参考になりました。
再度の回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/04/21 21:50

☆『虞美人草』の一般的評価について



『虞美人草』に対する批判のなかで、もっともよくとりあげられるのが正宗白鳥の『明治文壇総評』の一節、

「宗近の如きも、作者の道徳心から造り上げられた人物で、伏姫伝授の玉の一つを有(も)ってゐる犬江犬川の徒と同一視すべきものである。『虞美人草』を通して見られる作者漱石が、疑問のない頑強なる道徳心を保持してゐることは、八犬伝を通してみられる曲亭馬琴と同様である。知識階級の通俗読者が、漱石の作品を愛誦する一半の理由は、この通常道徳が作品の基調となつてゐるのに基づくのではあるまいか」(正宗白鳥「夏目漱石論」)

という部分です。
犬江・犬川というのは滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』の八犬士の最初からふたり、つまり、馬琴が造型したような人物と少しも違わないじゃないか、と言っているわけです。

実はこれには元ネタがあって、それは白鳥の先生、坪内逍遙が書いた『小説神髄』だった。

「小説の主脳は人情なり、世態風俗これにつぐ…彼の曲亭の傑作なりける『八犬伝』中の八士の如きは、仁義八行の化物にて、決して人間とはいい難かり」

いまでもよく批評家が言いますよね。「人間が描けてない」。
白鳥は『虞美人草』は人間が描けていない、勧善懲悪の、古くさい作品だと批判したんです。

現代の私たちから見れば、わかりにくい点なのですが、逍遙や二葉亭らにとって、江戸期の文学というのは、否定し、葬り去るべきものだった。
だからこそ、新時代の文学は、新しい言葉によって書かれなければならない、と言文一致体の模索をしていったのです。

けれども、現実の社会は、過去とのつながりを決して断絶させることはできません。いくら江戸が明治に変わったとしても、社会が急激に変わったとしても、人々の生活は続いていく。
過去を切り捨て、拒否したところに文学は生まれるはずがないんです。
そうして二葉亭は『浮雲』の途中で筆を折り、逍遙はシェイクスピアの翻訳に着手する。正宗白鳥はそうしたか細い系譜の最後にいる人だった。
その白鳥が、勧善懲悪を許し難く感じたのも、無理はありません。

ただ、ここで考えなければならないのが、『虞美人草』が新聞小説だったということです。
江藤淳は『漱石とその時代 第四部』で、このように書いています。

「手はじめに、書き馴れた写生文から書き出すことはできる。その写生文を突然“文章”に転調して、文才を誇示し、鬼面人を驚かせることもできる。しかし、小説記者、つまり新聞小説の作者は、何よりもまず読者本位に筋立てのある「小説」を書かなければならない。そして、筋立てのある小説ということになれば、『野分』只一篇しか書いたことがない。つまり、このときの漱石にとっては、筋立てとはとりも直さず勧善懲悪、即ち「流俗より高い」場所に話者の視点と発話点を置いて、「賢愚、真偽、正邪の批判」を行うこと以外ではあり得なかった」

勧善懲悪をストーリーの大筋としつつ、英文学を学んだ漱石は、プルタコスの『英雄伝』に見られるクレオパトラ像を藤尾のモデルとし、甲野さんのイメージは『ハムレット』、誇り高い女が傷つけられて死ぬイプセンの戯曲『ヘッダ・ガプラー』、そして作品技巧的にはジョージ・メレディスの『エゴイスト』の低徊調が用いられている。

作家としてはまだ若葉マークだった漱石は、古今東西の文献的知識をもとに、このような作品からあちこちを借りながら、作品を綴り合わせていったのです。

さらに『虞美人草』の特徴のひとつでもある低徊調は漱石を大変苦しめたようです。その様子を弟子の森田草平はこう語っています。

「発端からクライマックスまで一直線に進んで行つて、更にクライマックスから大団円まで逆落としに落ちて行く――なら何でもない。少なくとも、どんどん片が附いて行く。が、あの小説はさうではない。低徊趣味で、最初は外郭の大きな輪を描きながら進んでいく間に、だんだんその輪が小さくなつて、最後にそれが一点に集中した時、大破綻を将来する――さういふ趣向である…『書簡集』を見ても、この作品の執筆中程、先生が人に向かつて執筆の苦痛を訴へてゐられることはない。が、これは文章と云ひ、作の構造と云ひ、これ迄に類のないやうな、アムビシアスな案を自分で立てられたのだから、どうも仕方がない」(『漱石先生と私』上 森田草平 東西出版社)

では、漱石が朝日新聞に連載していた当時の評判がどうだったか。
江藤の本によると、読者はまごついていたらしい。講談調の、毎日山場があって、人物が入り乱れるような新聞小説が紙面をにぎわしていた中にあって、

「漱石はこともあろうに“文章”による別乾坤を建立しようと腐心している。その努力は痛ましいのを通り越して、ほとんど徒労の域に近づいているというべきであった」

質問者さんが#2の補足であげていらっしゃる小宮宛書簡には、このような背景があったのです。

こうしたことを見ていくと、作品として完成させていくための内実が、このときの漱石の内側には未だ成熟していなかった、と言えるかと思います。
天性としか言いようのない、圧倒的な筆力で、古今東西の作品のさまざまなモチーフを綴り合わせていったにしても、たとえば『猫』や『坊っちゃん』のように、隅から隅まで自分のもの、それを自由自在に操っていく闊達さからはほど遠かったのです。
後年、「極度に嫌った」といくつかの文献に見られるのも、そのためではなかったか、と思います。

ところが『虞美人草』は作品として、こうした欠陥をもちながら、魅力を失っていない。
冒頭部の有名な京都の描写、「春はものの句になり易き京の町を…」など、陶然とするしかないような文章(江藤の言葉を借りると「写生文」)だけでなく。

さて、なんといっても一番書きたかった百閒にまだ到達できません(汗)。
大変申し訳ないのですが、以下はまた明日ということにさせてください。
内田百閒と漱石の繋がりについて書きたいと思います(うう、回答で連載をやってしまった)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

※「隅から隅まで自分のもの、それを自由自在に操っていく闊達さからはほど遠かったのです。」嫌っていた理由はこれですね。すっきりしました。

※小野と甲野が『それから』の代助になるというのはおもしろい。甲野→代助は、言われてみるとなるほどと思う部分もありますが、小野と甲野が結びつかないので、ちょっと意外でした。

※その後ある方面から示唆があって、私が孫引きした書簡は明治四十年のものだとわかりました。ということは、虞美人草執筆中になるのでしょうか。自分で書簡の件を持ち出しておいて、こんなことを言うのも何ですが、書簡というのは本来私的なものなので、書いてあることを必ずしも真に受けなくてもいいのではないか、アレなんかは勢いで書いただけではないか、と後になって思いました。自分で自分を卑下していても人から批判されたらムッとする、というのはよくあることですから。

※私が持っているのは新潮文庫の古いものなのですが(ウン十年振りの再読でした)、これにある本多顕彰という方の解説に、漱石自身の言葉として、「スパイラル(渦線状)形式」という言葉が出ています。

以上、補足要求ではありませんので、私の言葉を気にせず、残り十八回の連載を続けてください。



>さて、なんといっても一番書きたかった百閒
やっぱり…。

お礼日時:2004/04/21 21:26

書き始めるとキリがない領域なので、できるだけ要点を絞って回答してみたいと思います。


わかりにくいところ、さらに詳しく知りたい部分などがあれば、補足お願いします。

☆漱石が『虞美人草』を嫌っていたか、ということについて

まず、漱石が作家生活を送ったのは、わずか十年間です。
その間にあれだけの密度と深さを持った作品を、次々に発表していった。これは国内、海外を通してみても、あまり類を見ません。

漱石の評価の一つに、日本の文学者としては、「自我」の問題を、最初に意識的に極め尽くした、というものがあります。
言い換えれば、当時「自我」という認識そのものがなかった日本において、自分の内側に「自我」を発見し、真の意味で自分になることを模索していった、ということになるかと思います。

現代の私たちから見れば、「自我の探求」という言葉によって簡単に要約できるこのことがらを、漱石は、暗闇のなか、素手でトンネルを掘っていくように、ただひたすらに自身の奥へ奥へと掘り進んで行ったのです。
『猫』から『明暗』にいたるまで、次第に暗さと深さを増していく彼の作品の色調はその証左といえると思います。

さらに、漱石はたえず現在に不満であり、端から見れば病的と思えるほどの不安と焦燥につきまとわれていたといいます。それが同時に漱石を駆り立てるエネルギーでもあった。
おそらくは自分の作品に満足する瞬間もあったでしょうが、いつしかまた不満と飽きたらなさにかられ、次の作品、またその次、と書き継がれていく。作風も、ある時期ごとに著しく変化していきます。

『虞美人草』は漱石の作品中、唯一の失敗作、と見なされることの多い作品です。
その根拠としてかならず上げられると言って良いのが正宗白鳥の批判(後述)と、作品の執筆を開始してから1ヶ月半ほどが過ぎた明治四十年七月十六日付高浜虚子宛の書簡

「虞美人草はいやになつた。早く女を殺して仕舞いたい。熱くてうるさくつて馬鹿気てゐる。是インスピレーションの言なり」(書簡番号七七一)

および#1さんがあげられた小宮豊隆宛の七月十九日付書簡です。
けれどもこうした書簡は執筆時の苦悩の発露であって、作者による作品批判とは、いささか質を異にするものでしょう。

漱石にとって『虞美人草』は初めての本格的なストーリーを持った作品であり、大学教授の職をなげうって就いた専業の作家としての初めての作品であり、また同時に初めての新聞小説でもあった。
手探りしながら執筆している当時の苦悩の発露を、晩年、作品として嫌っていたことの根拠とする見方を私は取りません。

#1さんの参考URLからリンクしてあるビョンチャン・ユー論文に出てくる

>一九一三年には漱石はこの小説を芸術的な失敗と呼び、書棚から消えてくれるように望んでいると書いた。

が具体的に何を指しているのか、ちょっと手持ちの資料だけではよくわからないのですが、それを言うなら『虞美人草』だけでなく『それから』も晩年には好まなかった(中村光夫全集第三巻 「夏目漱石(夏目漱石の作品)」)ようですし、逆に漱石が満足した作品があったのだろうか、と思うのです。

作家の中には、あきらかにピークとなる作品を発表した後、「余生」に入る人もいます。
そのような作家ならともかく、漱石のように成長し続け、しかも短い歳月を文字通り駆け抜けた作家が、自作を「鑑賞」することはなかっただろうと思います。見るとすれば、常に批判の対象でしかなかったはずだ。

『虞美人草』の小野と甲野は、『それから』では代助となり、さらに『明暗』の津田へと変化していくことは、複数の研究者が指摘しているところです。
代助は甲野の人格主義が我執にほかならないことを知っている。
漱石の人間観の発展に伴い、作中人物も深化していっているのです。
そういうとき、深化を遂げる以前の作品を「完成品」として見た場合、粗が目に入らないはずはない。

特に『虞美人草』には固有の問題点がいくつかあったんです。
それをどこまで書けばいいのか、自分ではまだ見極めがついていません。
#2さんの補足欄で質問者さんがあげられている小宮豊隆宛書簡と関連させながら、書いてみたいとは思っているのですが。
このことと、内田百閒のことに関しては、明日帰ってからまた書きます。
ということで申し訳ないのですが、以下次回に続く、ということにさせてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なんだか自分の身の丈に合わない質問をしてしまったようで、また回答者さんにはたいへんな苦労をおかけしているようで、恐縮しております。
質問者(私)を意識すると、レベルを落としたくなるかもしれませんが、この際その辺は気にせずおもいっきりお書きください。(って、私の言うことではないか。失礼。)

回答者さんのお許しをいただくまで、締め切りませんので、安心してゆっくりお書きください。明日でなくてもかまいません。お仕事、お体の負担にならないようお願いします。では。

お礼日時:2004/04/20 19:20

単なる漱石の作品好きなので、回答のお手伝いになり得ないのは重々承知で書きこみます。


”虞美人草”を嫌っていたというのは驚きでした。
個人的にこの作品で、漱石を”文学者”というより”もの書き”という身近な人に思いはじめたので、少し残念な気がします。晩年の作品も味があるとは思いますが、初期の作品の、登場人物や出来事がある意味、”漫画チック”に描かれているものが好きなんだけどなぁ・・・。漱石の”テイスト”がより複雑なものに変わっただけ、っていうのじゃダメでしょうかね?ダメでしょうね(笑)。

この回答への補足

ちょっとこの場をお借りします。

私、「くわしい方」と言いましたが、これは気になさらず、虞美人草を読んだことのある方でしたら、どしどし、お気軽に、御回答ください。

それから、質問で言い足りなかった部分をもう少し…。
私は書簡集を読むところまでいっていないので、孫引きで申し訳ないのですが、ここのサイトでこんなのを見たことがあります。(漱石とは関係のない私の質問に対する、質問とは関係のない回答の一部)

「漱石書簡:小宮豊隆宛 8月6日
世の中の奴は常識のない奴ばかり揃っている。そうして人をつらまへて奇人だの変人だの常識がないのと申す。御難の至である。ちと手前どものことを考えたらよかろうと思うがね。あんな御目出度(おめでたい)奴は夏の蛍同様尻が光ってすぐ死ぬばかりだ。そうして分りもしないのに『虞美人草』の批評なんかしやがる。『虞美人草』はそんな凡人のために書いているんじゃない。博士以上の人物のために書いているんだ。なあ君。そうじゃないか。」

これが何年頃のものなのか分かりませんが、この書簡と、晩年嫌っていた、ということをどう結びつけたらいいのか、そんなことも気になっています。私、うっかり「通俗性」なんてことを言いましたが、漱石の言葉を真に受ければ、博士以上の人物のために書いたんだそうですね。全く御目出度奴です。私。

以上のことを踏まえても、踏まえなくても、どちらでもかまわないのですが、回答お待ちしております。

補足日時:2004/04/19 21:52
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この回答へのお礼

漫画チックという言葉は浮かびませんでしたが、似たことは私も考えていました。たとえば、甲野さんと宗近くんの二人が井上親子と度々遭遇するあたりの御都合主義。浅井君が孤堂先生の所へ行ってからの芝居がかった展開など、話を作りすぎている感がしないでもありません。いや、私がこれらを嫌いだというのではありません。むしろ好きです。でも、もしかすると漱石は、この作品のもつある種の“通俗性”(こう言っていいのかどうか自信なし)が嫌だったのではないか…と、自分なりに考えてはいました(字数制限で質問文に書けませんでした)。しかし私は後期の作品をまだあまり読んでおらず、それらと較べることもできないので、詳しい方の話をうかがってみたいと思った次第です。

「漱石の”テイスト”がより複雑なものに変わった」というのは重要な指摘だと思います。しかし、登場人物が類型的といえないこともない(自信なし)、出来事が漫画チックといえないこともない(自信なし)「坊っちゃん」を漱石が嫌ったという話を聞かないので、もっと別の理由もあるのではないかと考えています。なんて、私こそ初心者で、それこそ「ダメでしょうね」って感じなのですが…。

回答、ありがとうございました。

お礼日時:2004/04/19 20:00

こんにちは。



確かに漱石自身、「虞美人草」はあまり好んではいなかったようですね。実際、連載中に三四郎のモデルと言われた小宮豊隆に宛てて

『虞美人草』は毎日かいている。藤尾という女にそんな同情をもってはいけない。あれは嫌な女だ。詩的であるが大人しくない。徳義心が欠乏した女である。あいつをしまいに殺すのが一篇の主意である。うまく殺せなければ助けてやる。しかし助かればなおなお藤尾なるものは駄目な人間になる。最後に哲学をつける。この哲学は一つのセオリーである。僕はこのセオリーを説明するために全篇をかいているのである。だから決してあんな女をいいと思っちゃいけない。小夜子という女の方がいくら可憐だかわかりやしない。

と言う書簡を送っている事から分かると思います。
この「哲学」と言うのは、自ら提唱した「悲劇論」の事だと思いますし、(悲劇論に関しては下記サイトを御参考にされてみてください)確か、同じく小宮に宛てて、「『悲劇論』で展開されるセオリーを説明するために全篇を書いているのだ」とも言っておりますので、嫌な人格設定であり、ストーリー構成としてハムレット的悲劇を下敷きにしたこの「虞美人草」を、自分の好むと好まざるとに係わらず、一実験作品として書き上げたのではないでしょうか。

一応私論ですので・・・御参考になれば幸いです。
ところでちょっと思ったのですが、百が表示できるのですね。今まで幾度か百を紹介したのですが、こちらでは変換できているのに、実際に送信すると「・」コレで表示されるんですよ・・・ヘンだなぁ?

参考URL:http://www3.airnet.ne.jp/admhiro/soseki-museum/k …
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この回答へのお礼

こんにちは。

そうですね、確かに藤尾は嫌なタイプです。でも、それは最初から分かりきっていることなので、百閒の言う、「晩年非常にきらっていた」ということの理由にはならないと私は考えています。でも、もしかすると百閒の言うのが間違いで、最初からずっと嫌っていたのかな。そういえば、参考URLに執筆中の言葉として、「私は『虞美人草』に嫌気がさしてきた。」というのがありました。なるほど。

ご紹介いただいたホームページは読み応えがありますね。嫌いかどうかはともかく、この作品が“問題作”であることがわかりました。それに、回答者さんの「自分の好むと好まざるとに係わらず、一実験作品として書き上げたのではないでしょうか。」という言葉を解読するヒントもここにはあるようです。

もう一つ、“ヘンだなぁ?”の件について。私のブラウザーでは、「百が表示」「百を紹介」となっているのですが、回答者さんは「百閒が表示」「百閒を紹介」として、送信したのでしょうか。だとすると、確かにヘンですね。まあ、これは、カテゴリーが違うのでここでは追究しませんが。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/04/18 21:35

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Q虞美人草の藤尾の死

虞美人草の最後に藤尾という女性が死ぬ場面があります、あれほどプライドの高い女性が死んだのは、ショック死でしょうか、それとも、薬かなにかを飲んで死んだ自殺でしょうか??
虞美人草を読まれたことのある方、どうお考えになりますか?

とりとめのない議論を生んでしまいそうであれば、削除おねがいします。

Aベストアンサー

 こんにちは。
 私はショック死だと思います。理由は2つ。
 まず、藤尾くらいプライドがつよい人だと、「自殺」しないんじゃないかと思うからです。「自殺」は敗北だから。むしろ、生きて生きて、復讐の権化になりそうな気がするんです。
 つぎに、「自殺」するには、倒れた後、また息を吹き返す必要があるわけですが、藤尾みたいな人だと、その時点で、たぶん「自殺」はできない状態になっていると思うからです。つまり、狂っちゃっているんじゃないか、オフィーリアみたいに、と思うんです。

 で、私が残念なのは、藤尾を狂わせて、廃人として藤尾を生かしたほうが、文学作品としての凄みは増したのに、と思うんです。
 一方、それじゃ残酷すぎる、あのまま息を吹き返さずに死んだ方が、救いがある、とも思います。でも通俗的になってしまう。
 想像ですが、きっと漱石は迷ったかもしれない。で、発表媒体が新聞ということで、通俗的に受け入れられやすい結末を選んだんじゃないかと。
 ちょっと深読みですが、まあこんなこと考えるのも文学鑑賞の面白さなんで、機会を与えてくださったpsloveさんに感謝! です。

 漱石はこの後、通俗性を離れ、「凄い」作品を発表していきますよね。「行人」なんか、ここまでしなくても、ってくらいに。そして「明暗」で、本当に人間が救われる可能性を、ちょっと臭わせたきり、亡くなってしまう。大学生のころ、それが本当に残念で、人間に、本当に救われる方法を知られては困る何者かがいて、そいつが、漱石を殺したんじゃないか、とまで思ったものです。

 ご参考になれば。 

 こんにちは。
 私はショック死だと思います。理由は2つ。
 まず、藤尾くらいプライドがつよい人だと、「自殺」しないんじゃないかと思うからです。「自殺」は敗北だから。むしろ、生きて生きて、復讐の権化になりそうな気がするんです。
 つぎに、「自殺」するには、倒れた後、また息を吹き返す必要があるわけですが、藤尾みたいな人だと、その時点で、たぶん「自殺」はできない状態になっていると思うからです。つまり、狂っちゃっているんじゃないか、オフィーリアみたいに、と思うんです。

 で、...続きを読む

Q漱石全集と夏目漱石全集

「漱石全集」が岩波から、「夏目漱石全集」がちくまから出版されていますが、どう違うのでしょうか?
文庫本で小説は全部楽しく拝読いたしました。
興味が出てきて、漱石日記、私の個人主義を(これも文庫本)読んでいます。
今は、夏目漱石の価値観や思想観などちょっとしたことでも、もっともっと知りたい気持ちでいっぱいです。

Aベストアンサー

 こんばんは。

 仰る「ちくま」が、ちくま文庫版と仮定して回答します。

岩波:正字。旧かな。文字通りの「全集」。

ちくま:新字。新かな。難しい漢字などはひらがなにしてある。文学と評論のみ。

 『漱石日記』は岩波文庫版でしょうか。これは、新字、新かな、難しい漢字はひらがなに直してありますね。
 『私の個人主義』は、講談社文庫版かな。

 漱石の時代の雰囲気を知り、あわせて全部を見たいのであれば、#1さんの仰る通り、やはり岩波の『漱石全集』でしょう。いちばん新しいもの(第1巻が1993年)か、ひとつ前のもの(第1巻が1984年)がいいと思います。

 それからですね、
 集英社『漱石文学全集』の別巻『漱石研究年表』は、漱石の行動を、一日単位で年表にしたすごい本です。
 また、
 ほるぷ『初版本漱石文学館』は、初版本を、装丁まで忠実に復元したものです。
 また、漱石の小説は、ほとんど朝日新聞に掲載されたんですが、当時の新聞を、挿絵ごと、そのまま写真版で復元したものもあります。ゆまに書房『漱石新聞小説復刻全集』です。

 漱石のひととなりを知るには、『書簡』がお勧めです。漱石は書簡の名手で、素晴らしい手紙を数多く残しています。岩波文庫の、抜粋の『漱石書簡集』から入ってみてもいいかもしれません。

 漱石の全集は、たくさん出ていて、その歴史は、日本の全集の歴史を象徴してるといわれているんです。これを書くのに、青英舎『漱石全集物語』を参考にしましたが、そんな本が出るほどなんです。

 復刻版は、かなり大きな図書館でないとないかもしれません。最初は、岩波版『漱石全集』か、岩波文庫の漱石作品がいいと思います。

 ご参考になれば。

 こんばんは。

 仰る「ちくま」が、ちくま文庫版と仮定して回答します。

岩波:正字。旧かな。文字通りの「全集」。

ちくま:新字。新かな。難しい漢字などはひらがなにしてある。文学と評論のみ。

 『漱石日記』は岩波文庫版でしょうか。これは、新字、新かな、難しい漢字はひらがなに直してありますね。
 『私の個人主義』は、講談社文庫版かな。

 漱石の時代の雰囲気を知り、あわせて全部を見たいのであれば、#1さんの仰る通り、やはり岩波の『漱石全集』でしょう。いちばん新しいもの...続きを読む

Q漱石の「三四郎」「門」「それから」はどんなストーリーですか?

夏目漱石の本は「坊ちゃん」「草枕」「虞美人草」を詠みました。
しかし、内容や単語が難しすぎたのか、ストーリーにのめりこむほどの魅力は感じませんでした。

「三四郎」「門」「それから」の三部作は名作らしいですが、いったいどんなストーリーなのでしょうか?
簡単に説明してください。
できればその魅力も教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「三四郎」「それから」「門」は初期三部作と言われるものですね。
いずれも恋愛による苦悩がテーマだと思います。

本当に簡単に説明しますね。

「三四郎」は、インテリの男子学生の当時のフェミニスト的な女性への片想いのお話です。

「それから」は、主人公の男と、その友人、その妻の三角関係のお話です。

「門」は、不倫の末に、結婚した夫婦のその後のお話です。

すでにお読みになった作品の、単語などが難しいと感じたのであれば、他の作品も同様に感じると思いますが、
でも、文章の前後でなんとなく意味がつかめたりするものではないですか?
私は、漱石は、小学校高学年から中学生にかけて読んだので、意味のわからない単語、読めない漢字だらけでしたが、
それでも、彼の文章のトリコになって夢中で、わからないながらにも自分の感覚で楽しんでいました。

お読みになった「坊ちゃん」は、漱石の作品の中でも、一番読みやすく、おもしろくなかったですか?
私は、漱石の作品はこれを一番先に読んだのですが、声を出してゲラゲラ笑って読みました。
そして、「夏目漱石っておもしろい!」これが最初の感想でした。
そう思った私が次に読んだのが、
「こころ」でした。
これを読んでびっくりしました。
「坊ちゃん」とはまるで違う作品。
私は、ガツーンと殴られたような衝撃を感じました。

初期三部作もよいですが、
後期三部作のひとつである「こころ」もぜひお読みなってください。

「三四郎」「それから」「門」は初期三部作と言われるものですね。
いずれも恋愛による苦悩がテーマだと思います。

本当に簡単に説明しますね。

「三四郎」は、インテリの男子学生の当時のフェミニスト的な女性への片想いのお話です。

「それから」は、主人公の男と、その友人、その妻の三角関係のお話です。

「門」は、不倫の末に、結婚した夫婦のその後のお話です。

すでにお読みになった作品の、単語などが難しいと感じたのであれば、他の作品も同様に感じると思いますが、
でも、文章の前後...続きを読む

Q夏目漱石は森鴎外をどう思っていたか。

お世話になります。
森鴎外と夏目漱石、ともに日本を代表する作家です。
森鴎外のいくつかの小説には、夏目漱石の名前もしくは夏目漱石をモデルにしたと思われる人物が出て来て、森鴎外が夏目漱石を一目置いていた事が分かるのですが、逆に夏目漱石は森鴎外の事をどう思っていたのでしょうか?2人の間には交流はあったのでしょうか?
そのような事が分かる本などは有るのでしょうか?
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
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鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄にて、全体を窺ふ事かたく候得共(そうらえども)、当世の文人中にては先づ一角ある者と存居(ぞんじおり)候ひし、試みに彼が作を評し候はんに、結構を泰西に得、思想を其学問に得、行文(こうぶん)は漢文に胚胎して和俗を混淆したる者と存候。右等の諸分子相聚(あつま)つて、小子の目には一種沈鬱奇雅の特色ある様に思はれ候。(八月二十三日付け:引用は江藤淳『漱石とその時代』第一部から)
--------

鴎外は明治二十三年一月、『舞姫』を、同年八月『うたかたの記』、明治二十四年一月に『文づかひ』を発表しています。

後の漱石、当時はまだ金之助であった彼が読んだ「二短篇」がなんであったかは明らかではありませんが、この冒頭から、二作品を読んで高く評価した漱石に対して、子規が、それはおかしい、と反論した背景があったことがうかがえます。

江藤淳は『漱石とその時代(第一部)』(新潮全書)のなかで、鴎外の作品は、前年に帝大の英文科に入学してからの漱石の状況を考えながら、この手紙を以下のように解釈しています。

-----(p.202から引用)-----
「洋書に心酔」し、しかもそれを意志的・知的に理解しようと努力するうちに、いつの間にか虐待されつづけていた金之助の感受性を覚醒させずにはおかないものであった。つまり鴎外の小説の「結構は泰西」に仰がれていたが、そこにはまごうかたなき旧い日本――金之助が英文学専攻を決意して以来置き去りにして来た「日本」があったのである。

……『舞姫』に描かれた才子佳人の恋は、舞台こそ独都ベルリンに求められていたが、ほかならぬ晋唐小説の伝統を「文明開化」の時代に復活させた恋である。金之助が鴎外の「二短篇」に見たものは、いわば崩壊しつつある旧い世界像の残照であった。その光を浴びた彼の衝撃がいかに深かったかということは、のちに金之助が英国留学から帰国して発表した小説、『幻影の盾』と『薤露行』に痕跡をとどめている。この二短篇の雅文体の背後には、ほぼ確実に『舞姫』や『文づかひ』の鴎外がいる
------

つまり、漱石が英文学の研究から執筆活動へと移っていったのも、鴎外の存在があったことが、理由の一つであったと考えることができます。


後年、両者はそれぞれに、当時の文壇から離れた場所で、それぞれに仕事をするようになります。

このことを中村光夫はこのように指摘しています(『中村光夫全集』第三巻)。ここで「彼等」というのは、漱石と鴎外の両者を指しています。

-----「鴎外と漱石」p.160-----
おそらく彼等が表面冷やかな無関心を装ひながら内心激しい憤怒に燃えてゐたのは当時の文壇といふやうな狭い世界ではなく、むしろこの文壇をひとつの象徴とする或る社会風潮であつた。いはば彼等の誇り高い教養と抜群の見識とは、当時の我国民が無意識のうちに徐々に陥つて行つた或る根深い精神の頽廃を鋭く直観した。そしてこの抗ひ難い社会の風潮に対して勝つ見込のない敵意を燃やしてゐた。…

では彼等がここで生涯を賭して闘つた敵は何かと云へば、それは一口に云つて、近代欧米文明の一面的な輸入の結果たる所謂文明開化の時潮であったと僕は信じてゐる。…明治大正を通じて我国が存立の必要から強ひられて来た欧州文明の物質的側面の急激な輸入と、その結果として我国民の精神の深所に徐々に食ひ入つた或る微妙な歪みを指すのである。
-------

当時のふたりがなぜ交友をもたなかったのかは、さまざまな事情があったことと思います。

なによりも、漱石が専業作家として活動したのは、わずか十年であったことを忘れてはなりません。成熟するまでに時間がかかり、一人前になってからわずかな時間しか与えられなかった漱石は、自分の生命を削り取って作品に結実させていった、といっても過言ではありません。

二葉亭四迷没後、一時期は同じ職場に籍を置きながら、実質的には交遊がなかった二葉亭に対して、『長谷川君と余』(『思い出す事など』所収 岩波文庫)のように、実に心情にあふれた追悼文を残した漱石ですから、たとえば鴎外が自分より先に亡くなってでもいたら、間違いなく、何らかの追悼文を残したでしょう。

こういう位置にあった鴎外と漱石が、たとえ表面的には交遊がなかったにせよ、互いに反目したり、あるいは嫉妬したり、排斥したりということは、非常に考えにくいと思います。
漱石の弟子宛ての書簡にも、鴎外の名は散見されます。
ともに意識のうちにあったのは、日本や日本の文化の行く末であったことを考えると、互いに深い敬意を抱いていたと理解してかまわないかと思います。

まず、漱石と鴎外では、実際の年齢に五歳、差があります。
しかも、漱石が執筆活動に入った時期、鴎外はすでに押しも押されもせぬ大家の位置にあったことを、まず押さえておくべきでしょう。

漱石は明治二十四年、帝大の学生だった当時、正岡子規宛に以下のような内容の手紙を書いています。
--------
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き、申訳も無之(これなく)、是(これ)も小子嗜好の下等な故と只管慚愧致居候(ひたすらざんきいたしをりそうろう)。元来同人の作は僅かに二短篇を見たる迄に...続きを読む

Q穴が開く? 空く? 明く?

どれが正しいのでしょうか?
あき方によって区別するようならそれも教えてください。
こういう使い方の区別がわかる良い本もあったら教えてください。

Aベストアンサー

#3です。追加します。

どのような穴の空き方であっても、「空く」です。空き方による区別はありません。

Q夏目漱石の草枕(新潮文庫)を読んでいますが、注釈を読みながらでないと非

夏目漱石の草枕(新潮文庫)を読んでいますが、注釈を読みながらでないと非常に読みにくいです。

読みやすくしているバージョンはないですか?

Aベストアンサー

私も「草枕」を読んだことがありますが、読みづらかったです。
訳の分からない語句がやたらとたくさん挿入されていましたよね。

しかし、冷静になってよく見てみると、
読み流せる部分の比重が高いことに気づきます。
難しい語句のほとんどがムダ知識であり、筋書きに絡まないからです。

質問者様の場合、まずざっくりと最後まで読み通した上で、
分からない部分のみ後から読み直してみては如何でしょう。
律儀に注釈を引きながら読み進めるのもアリだとは思いますが、辛いです。
一読で理解する義務なんて無い訳ですし。


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