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こんにちは

中国大返しには、

なぜ翌日に計報を知ることが出来たのか
なぜ迅速に毛利側と講和が結べたのか
なぜ多くの味方を得ることが出来たのか
なぜ食料を調達できたのか
なぜ高速移動が出来たのか

の5つの疑問が存在する中、

なぜ中国大返しが出来たのですか?

秀吉が明智を殺すことをもともと計画していたという説もあるらしいのですが

それは本当なのでしょうか、、、?

それは、織田信長を見限っていたのでしょうか

教えて下さい!

A 回答 (13件中11~13件)

>なぜ翌日に計報を知ることが出来たのか



これについては「太閤記」では明智方の使者を捕らえたからとありますが、これは資料価値が低く、定説と言えるものはありません。

>なぜ迅速に毛利側と講和が結べたのか

この時点で既に毛利側は織田家との全面戦争には勝ち目が無い事を悟り、大大名の面目を守りつつ何とか講話する事を考えていたからです。

>なぜ多くの味方を得ることが出来たのか

秀吉が織田家の宿老の中で最も迅速に「主君信長の敵討ち」を大義名分に掲げて光秀と対戦した事で、様子見をしていた勢力が雪崩を打って秀吉に加担したのです。

>なぜ食料を調達できたのか

これについては秀吉が水攻めをしていた高松城が陥落寸前として信長を援軍として呼び寄せ「信長様が援軍に来たお陰で陥落しました」とゴマをする予定で準備していた物資を利用できたからと言うのが定説ですが、それ以外に秀吉が堺の商人と親しく、軍事費や物資の提供を受けていた事も分かっています。

>なぜ高速移動が出来たのか

これについては一日で70キロを移動したとされていますが、最近ではそれは先鋒の騎馬兵の事であって、歩兵部隊はもっと時間がかかったのではないかと見られています。

>秀吉が明智を殺すことをもともと計画していたという説もあるらしいのですが
>それは本当なのでしょうか、、、?

あり得ません。結果を見れば秀吉はうまく立ち回って主君信長の仇を討ち、その後に天下人となった事で本能寺の変から最大の利益を得たわけですが、何か一つでも歯車が狂えば秀吉自身が破滅していた可能性も低くありません。
秀吉がそのような計画を立てる必然性はないのです。
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その中国大返しに類することが、後の柴田勝家との合戦の際にも発動されている



その際には、沿道の村々に先触れさせておいて、移動経路には松明をもった案内係を配置したり、途中に飲食の準備をさせておいた

兵馬は道に迷うことも、自前で食事の準備をする事もなく、移動に行軍に専念できた
ヒョッとしたら物資の事前集積も行っていて、より身軽な状態で行軍速度を稼いでいたのかも知れない

全ては、情報と兵站面に関する理解と注力のなせる技
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「秀吉が明智を殺すことをもともと計画していたという説もあるらしいのですが」


意味不明というか、筋が通らないけど・・・・

明智の謀反の黒幕が秀吉又はその周辺という話の事かな?
謀略説としては、昔からあるが信憑性は極薄

明智の使者が毛利方と間違えて秀吉の陣営に迷い込んだというのが言われているけど
確かにその点は胡散臭いモノがある
でも、秀吉さんは情報とか物流というモノに対する見方がそれまでの、戦国武将とはかなり違って重視していた事から考えて、平素より各地に情報網を構築していたと考えても間違いはない
その情報網によって明智の謀反を早期に探知できたと考えても良いと思われる

その情報網の存在を隠蔽するために欺瞞として、密使が道に迷ったと言うような話を作ったとも考えられる

そう言う観点で考えれば、食料やその他物資調達でも迅速な移動でも秀吉の情報網や物流網がフル稼働したと考えれば無理な話ではない

毛利との講和も明智に加勢がなくて、秀吉には加勢があったのも、情報を持つモノと持たざるモノとの違いとも言える

そう言う常識で考えても中国大返しは説明が付く、敢えて無理筋の謀略説を持ち出す必要性は薄い
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