1つだけ過去を変えられるとしたら?

何年か前のNHKの番組だったと思うのですが、たぶんオーストラリアでうさぎが一斉にフェンスに激突死しているシーンを見ました。「私は動物は自殺はしない。」と思っています。
私の考える理由は単純なもので、死に向かう遺伝子を持つ生物がいたところで、子供を残せないので淘汰されるだろうというものです。もうひとつ体ごと自分の心を消し去ろうとする行為が自殺ではないか?つまり心の認識なしには成り立たないのではないか?というものです。
番組に関しては途中からちらっと見ただけで説明的なものは一切聞けませんでした。ネットで調べてみたのですが、それらしき記事は見つかりませんでした。
私の知っていることは天敵のいないオーストラリアに持ち込まれたうさぎが異常繁殖したこと。フェンスでうさぎの生息域を制限したことぐらいです。
確かにフェンスに激突し死ぬうさぎを見た記憶はあるのですが、あれは何だったのだろうと白昼夢でも見たような不思議な気分です。もしご存じの方がいらっしゃるなら教えていただけませんか?

A 回答 (10件)

考えることは人間の環境変化に対応できなかったのではないでしょうか、以前アメリカで数千羽の鳥が、フェンスがあると知らずに突出して大半が死んでしまったことや、音で驚いて壁に衝突したこともあり。

人間の環境の変化に動物がついていけないことが要因ではないでしょうか、そもそもウサギのフェンス自体人工物ですからね。本当に不思議です。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。確かにgoomsnocさんの言われることが一番納得の行く説明だと個人的には思います。何らかの恐怖が動機となり逃げる行為が、結果的には人間の目には自殺に見える。つまり生きるための懸命な行為が結果的に死に結びついているシーンをたまたま私が見たという可能性です。恐怖というのは人間的発想すぎるのかもしれませんが、少なくとも不快を動機として高等生物の多くは、活動しているように私には見えます。ただよくわからないのは、番組ではそのうさぎたちを眺めている人の姿も一部写されていたように記憶しているのですが、「みんなが見てはいけない光景を見てしまった。」といった態度で、ある人は口を押さえてうずくまり、ある人は呆然としてたように思います。本当に不思議です^^もう少し番組を見た人がいないか待ってみます。

お礼日時:2013/12/28 22:31

番組を見てないのでわかりませんが、


自殺ではなく、制限された環境に問題があったとは考えられませんか?
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この回答へのお礼

それは十分に考えられることだと思います。というか、個人的にはそれ以外に考えにくいとさえ思っています。ただ動機(おそらく何らかの不快)が出来れば知りたいです。番組を見た印象では、人為的にうさぎの数を調整するために、大きな爆発音によってフェンスへの激突死を誘発する行為が行われた。と言った種類のものにはみえませんでした。ただ番組の一部を見ただけなので、何か思い違いがあるのか?確かめたいのです。

お礼日時:2013/12/28 22:40

すいません、その番組は知りませんので答えられないのですが、自殺する動物としてはレミングスの『死の行進』が有名です。



典型的な自殺は、多細胞生物の『アポトーシス』です。

一個体としての直接の自殺遺伝子と言えるものは、全ての生物に存在し得ないと思いますが、環境の悪化(個体数の増加により生存数の限界を突破した場合や生存域の減少等)で、個体数の調整をしなければいけない場合に、解決策の一つとして自死(と言うより狂い死に?)も在りうると思います。(他には共食いや長距離移動等)

社会性生物では、天敵に対しても正面から向かって行き、玉砕とも取れる死を行う場合があります。


個体の死が必ずしも群れや種にとってのマイナスとは限らない場合に、自死は起きると考えられます。

ただ、まぁ、死のうと思って死ぬ訳では無いでしょうから、そう意味では『アポトーシス』以外には「自殺」はしませんね。
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この回答へのお礼

レミングに関しては私も多少知っていますが、私はおそらく「生存のための懸命なあがきが人の目には自殺に写る。」という捉え方をしています。
アポトーシスについてはプログラムされた性質であり、私は人間で言えば「暑くなれば汗をかく」タイプの意識を通さず発動する性質だと思います。これは機能としての性質と考えます。自殺とよべるかなあ?
蟻や蜂のような分化の違う生物においては、人間の目には””自己犠牲”に見える行動もある。それがプログラムされたものなのか?不快を動機としたものなのかは素人の私にはわかりませんが、例えば蜂であれば刺した針が抜けなくなって内臓ごとちぎれて死ぬだけだと思います。田舎のコンビニ等に行くと、店の中に蚊などの虫が入らないように、店の外側に捕虫ライトが設置してあることがあります。虫が光に集まる性質を利用し、電撃で感電死させる。違った方法による蚊取り線香みたいなもの。ただこの場合の虫の行動を自殺と捉えてもピントがずれているように私は思います。

「個体の死が必ずしも群れや種にとってのマイナスとは限らない場合に、自死は起きると考えられます。」という部分にも少し疑問を感じてしまうのです。
いわば自己犠牲ですね。あるいは種が生き残るための生息数調整本能のようなものがある。という考え方でしょうか?この部分がどうもよくわからないんです*笑い*

例えば高等生物はあえていえば未熟児のまま子供を産み落とします。誕生の瞬間から成獣として行動する個体はたぶんいない。考えてみれば哺乳類であれば、母親のお腹のサイズは限られているのですから、そんなに大きな成獣は産み落とせない*笑い*つまり未熟児で生まれてくる子供を放ったらかしにしたら、外獣に食われて終わりです。種の保存が途絶えます。
つまり哺乳類という進化は、新たな生命形態という可能性を手に入れたとともに、子供が外獣に食われやすいというリスクも獲得したことになる。では子供を親が守るという性質はその補填作用として生まれたものとして考えるべきなのでしょうか?そのからくりが私にはどうもよくわかりません。つまり個より集団を優先する性質も存在するか?否か?

人間についてはもう少し複雑なものと私は考えます。本能という言葉は意味不明なので*笑い*なるべく使いたくないので性質という言葉で表現します。適切な言葉を知らないのは素人の悲しさです*笑い*
人間の中にはプログラムされた性質、不快によって発動し不快の解消(あえていえば受動的快かな?)によって終息する性質。能動的な快(欲かな?)で動く性質など種類の違う性質があるように思います。まあ素人としてはこの程度の分類しか出来ないのですが、時には性質同志が反発対立することもある。つまりもう少し複雑に思います。人間においては個の快の追求より集団のルール、タブーが優先される部分があって当然と私は考えます。つまり人間以外の動物について聞きたいのです。
0fool0さんが自殺ではなく自死という言葉を使われる気分はわかります。自殺とは自分を殺すことか?自分が死ぬことか?難しいですね^^細かく観察すると私はよくわからなくなるんです。でも自死という言葉をあえて使う方は好きですよ^^きっと素敵な方だと思います。

お礼日時:2013/12/29 00:42

獣医をしている友人にも聞いてみましたが、動物が人間のような理由で自殺をするという例はあまり聞いたことがないそうです。


自然界で一つの個体が集団で死に至る原因には諸説あるそうですが、一番可能性が高いのは、何かから逃げる動作の結果として自分の望んでいない場所などに追い込まれて、結果自滅と言える死に至るというものです。特にうさぎは単体としては逃げることが得意ではない動物で、集団で逃げる方がより生存の可能性が高いと本能的に仲間についていった結果、そのようなことが起こったということは考えられるとのことでした。過去にも雷におびえたシカの一団が崖から集団で落下して死んだなどの例はあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。わざわざ獣医さんにまで聞いていただけたなんて感激です。
獣医さんの言葉は非常にわかりやすく私には納得の行くものでした。素敵なご友人をお持ちでうらやましい。可能性のレベルでまだ良くわかってないことがあると認識しました。一つ一つ生物学者さんたちが検証することで、日々いろんなことがわかっていくのでしょうね^^
私も頭のなかで考えてばかりいず、ちゃんと本などを読まなくてはいけませんね*笑い*
ずいぶん長く生物に関する本を読んでない。だめだこりゃ*笑い*

お礼日時:2013/12/29 01:01

うさぎはフェンスによって閉じ込められたストレスから、自殺したのではないでしょうか。


インドネシアで高級コーヒーにするための糞を取るため飼育されているジャコウネコが、狭い檻に閉じ込められ、おかしな行動をしているそうです。野性的な動物が自由を奪われると、精神に異常をきたし、さらに悪化すると自殺する可能性があると思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってすみません。どのように伝えればいいのかが良くわからず遅くなってしまいました。
うさぎは西洋人が移住した時代に持ち込んだもので、天敵がいないため異常繁殖し、農作物を、荒らすようになったらしいです。そこで作られたのがラビットフェンスと呼ばれる、総延長3236kmにも及ぶ人間の領域とうさぎの領域を分けるフェンスだということのようです。
まったくその生息面積については知らないのですが、当てずっぽうで言うならオーストラリアは広いですのでひょっとすると日本全土より広い面積を与えられている可能性すらあります。つまり少し状況はジャコウネコとは違うようです。
ジャコウネコの精神障害の可能性ですがあるかもしれませんね。ただジャコウネコの精神というものがいかなるものなのか、少し人間になぞらえて考えると違うかもしれません。もう少し動物の意識を勉強しないと今の私では想像すらつきません。
ジャコウネコの場合自殺(自死)については、すこし疑問を感じます。
むしろ人間の幼児同様どれほど虐待されようとただ耐える立場で自殺(自死)すら出来ないのではないでしょうか?個人的感情を語れば話を聞いただけで悲しいです。

お礼日時:2013/12/31 07:50

>意識を通さず発動する性質だと思います



自殺は意識でするものという考えな訳ですね。

人間に於いて正しいと思いますし、そもそも人間の様な自死は他には見られませんからね。

だた遺伝子で説明出来るのはアポトーシスだけだと思います。


>個体の死が必ずしも群れや種にとってのマイナスとは限らない場合に、自死は起きると考えられます

が、良く判らないと言う事ですが、確かに『自死』の表現は間違っていますね。

この分野はまだ研究中なので、私も遺伝子データ等を示す事は出来ませんが、真の社会性生物には自己犠牲を発揮して群れの利益を守る事例は沢山見られます。

面白いのは哺乳類の「ハダカデバネズミ」が真の社会性を持ち、天敵の蛇等が巣に侵入した時には、身を挺して巣穴を体で蓋をするのです。

まぁ、それを『自死』と定義するのは無理がありますが・・・

死ぬ可能性が高くても、其の行為を行う事により群れが保たれ、近位の遺伝子(つまり群れ)が繁栄するので結果的に『種』としては繁栄すると言う事で、死にたくて起している行動ではないですね。


>例えば高等生物はあえていえば未熟児のまま子供を産み落とします

細胞分裂以外では母体よりも小さい子供を産みますね。

でもその分、数を産みます。

>では子供を親が守るという性質はその補填作用として生まれたものとして考えるべきなのでしょうか?そのからくりが私にはどうもよくわかりません。つまり個より集団を優先する性質も存在するか?否か?

・・・ここは突っ込ませて貰いますが・・・、通常、成長率の低い種は其の分、数を産みます。

親が子育てをする種は逆に生まれる子供の数は少なくなります。

・・・で、ここから突っ込みますが・・・、貴方がそう考えるのは、親からの『庇護』を充分に受けていない事からの発言では無いですか・・・・?(ご気分を害したのでしたら謝罪します)

>人間においては個の快の追求より集団のルール、タブーが優先される部分があって当然と私は考えます。
>つまり人間以外の動物について聞きたいのです。

同調圧等は人間独自かもしれません。

人間のような私刑(リンチ)はある意味独特です。

群れのリーダーに断り無く行われるし(これは人間以外に聞いた記憶が無いです)、少なくとも本来の人間の習性とはかけ離れています。(だから人間とも言いますがw)

人間以外の動物は、幾分シンプルでしょうね。

それすら全てを理解されている訳ではないですが・・・・
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この回答へのお礼

>遺伝子で説明出来るのはアポトーシスだけだと思います。
そうですね^^言われるとおりと思います。ただ言葉の定義がおそらく少しお互いの感覚の中でずれているだけでたぶん同じことを思ってます。私は意識に自殺(自死)の意味を求めているようです。生物学的定義を知らない素人ですので、ご勘弁を。

>個体の死が必ずしも群れや種にとってのマイナスとは限らない場合に、自死は起きると考えられます
については具体例を提示していただきありがとうございます。
私のような素人は結構ネット情報を見ます。ただ伝聞のようなうわさ話レベルのものと、本当の情報の区別をつけるのは難しいんです。0fool0さんに関してはまだほんの短い交流ですが、「ああ、この方の語られる情報なら、おそらく間違いあるまい。」と思っています。「ハダカデバネズミ」についてはどこかで読んだ記憶があるのですが、真偽がわからず保留にしてきました。以前どこかで書かれませんでしたか?やっと本当なんだと思えました。私には感情としてはむしろ嬉しい事実だったんですよ。これは本当です。

自死という言葉は生物学の分野で使われだした言葉なのですか?
私の出会いは10年以上前になると思います。尊敬する知り合いが「それは自殺でなく自死だよ。」と言いました。その時は意味がわからなかったです。ただその言葉の意味を折につけ考えてきました。数年前ココちゃんのことを考えた時、「あっ人間は自死だ。」って思ったんです。ネットの日記サイトにそのことを書いて数人の友人がその言葉を使ってるのを見た時は嬉しかったです。
ただこれもネットですが某Q&Aサイトの哲学板でこちらも私の尊敬する方が「自死なんてない。」とつぶやいたんです*笑い*その人の言葉の意味を考えるのが好きだった私は、それ以来言葉の意図を考え続けてます。どうして賢い人はぼそっと一言つぶやくんでしょうね*笑い*私みたいにあらん限り喋ってくれればわかりやすいのにと思います*笑い*
「何か穴があったのかな?」と検証してますがよくわかりません。「戦争は集団自殺ではないか?」なんか論理的にはまだうまく説明できない直感的な思いなんですがこのようなものも拭い去れない部分もあるのです。

>では子供を親が守るという性質はその補填作用として生まれたものとして考えるべきなのでしょうか?そのからくりが私にはどうもよくわかりません。つまり個より集団を優先する性質も存在するか?否か?
あっとこの部分については少し誤解があるかもしれません。私にからくりがわからない部分は母性本能的なものが先なのか?子供をお腹から生むことが先なのか?同時なのか?といった卵が先か鶏が先かみたいな変なループに発想が行っちゃうんです。まあ圧倒的な知識不足が土台にあるんですけど*笑い*哲学板だろうと心理学板だろうと、たまに私は妙に鋭い発言をするらしいです。だからよくわかってると思って話してみると何もわかってないことがバレる。素人は発想がむちゃくちゃだからそんなことが起こるのでしょうね*笑い*だからあまりわかってるだろうと期待しちゃダメですよ。例えば哲学書なんて一冊も読んだことがない人なんですから*笑い*
それにこれはネットの悪影響でしょうが、あるブログの感想欄に「種は第一に自身の生命維持をはかり、第二に種の存続を図る。と(誰だったか忘れましたが)、私でも名前を知っていた有名な生物学者が言っていた。」と書いてあったのを読んだことがあったのです。「そうなんだ。」と著名な有名人の名前を持ちだされると信じてしまうのが素人の浅はかさです*笑い*私は利己主義信奉者ではないです。たとえ動物の世界がそうだったとしても人間にそれは適用できない。このように思っています。それが自殺(自死)する生き物としての人間に課せられた課題だと思っています。

>親が子育てをする種は逆に生まれる子供の数は少なくなります。
そうですね。亀の子は多いですもの。哺乳類じゃないですけど。パッと思い浮かびました*笑い*でもだとすると、未熟児で子供を産むことと子育ては因果関係で考える種類のものではないということかもしれませんね。どうなんだろうじっくりこれから考えてみます。私はしつこくあきらめずに考えるだけで、頭は悪いです。すぐに賛同しなくても気を悪くしないでください。考えるのに時間がかかるんです。じっくり考えて納得がいけば間違いは改めます。「たぶん間違ったことを言っていた。」とは思うのですが,,,。

私はこのような丁寧な間違い指摘が大好きです。間違った理屈を組み立てても意味が無い。それまで組み立てた理屈がすべて崩れても、間違いは修正しないと先には進めない。
エントロピーは拡大する。そういった性質そのものを神と呼んでしまってもいいことで、宗教的な神は信じてはいませんが、宇宙には性質があるんじゃないか?こんな風にはたまに思ったりもします。まあ物事はどこまで拡大して考えようが、身近な事象で考えようが結局左程変わらない気がするので、基本的にはあまり宇宙にまで飛び出したり神について考えるような大きな空想ごっこは好きではありません。私の基本は現実を生きることで、遊離した空想ごっこは嫌いです。
ただびっくりしたことがこれまで3度ぐらいあります。あることを一生懸命10年以上考えていた時、突然考えたこともなかった答えが頭のなかに勝手にひらめいた時です。「これは私が考えたことではない。」という気持ちで怖かったです。音楽家や芸術家が「天から降りてくる。」なんて表現を使うことを「何だかインチキクサイなあ。」と思っていた私は実際に体験してびっくりしました。検証してみると自分に都合の良い解釈を排除して真摯に物事に向き合うと、答えが勝手に浮かび上がる外部要件が勝手に出来上がっていくということではないかと私は理解しています。もちろんそうやって得た答えが正しい保証もないのですが*笑い*バカですからどこかに穴はあります。
そんな意味でも思った事は何でもズバズバ指摘してください。私の生物学的知識はあまりにもいい加減なので今の思い込みを壊さないと先には進めない。
>貴方がそう考えるのは、親からの『庇護』を充分に受けていない事からの発言では無いですか・・・・?
うーん。難しい質問だ*笑い*母親は『庇護』過多で、父親はとんでもなく怖かったですね*笑い*特殊といえば高校生になってから「親戚の家で暮らした。」ぐらいですかね*笑い*夫婦があまりにタイプが違うので、四六時中喧嘩をしてたんです。喧嘩の口実に私を利用するので、見かねた親戚が引き取ってくれたわけです*笑い*
「こりゃあ、家を離れたほうがいいぞ。家へ来い」「おっちゃんがそう言ってくれるならお言葉に甘えようかな。」ぐらいの感じで、親戚の家では大臣待遇で大切にされました*笑い*なんかグレてとんでもないことをしていたとか、そんなドラマチックなことは何一つないです。平凡な子供でした。期待に答えられなくてすみません*笑い*ただ両親共に自分以外がない人で、私をだしに使うけど私は全く見てなかったんです*笑い*
「ああ、人との関係の中を生きなくてはこうなるんだ。」と反面教師的に教えてもらいました。それとこれは勢力争いであって「話の中身に意味は無い。」って感想かな。
もともと、私なぜだか楽天家なんです*笑い*どうしてなのだろう?おそらく友人、親戚に恵まれたんでしょうね。今は親とも上手くやってますよ^^
0fool0さんこの質問には一応答えましたがあまり筋の良い質問ではありませんよ。
もちろん私は虐待と呼ばれるようなひどい思いを味わった覚えはありません。ただ人が諍うのを見ていて悲しかったし、馬鹿げて見えた。後は私をだしに使うので、「自分のせい(でも原因がわからない)でこの人達は喧嘩してるんだ。」という思いは強く、抜け出すのに苦労はしました。背負い込む癖は今も少しあります。
ただ虐待された子は親になって虐待する。これは偏見です。虐待されて育った子供でも、物心がついてからの精神活動のあり方によって如何様にでも変化する。むしろ苦しい思いをしたから優しい人もいる。傾向としてなら間違ってはいないかもしれませんが、あまり言って良いせりふとは思えません。今後気をつけましょう*笑い*
ただ私のお礼に悪意を感じられたのならごめんなさい。まあ私は少しバランスが悪い部分があるかもしれません。それが性格の悪さとして顔を出すのかな*笑い*
でも悪気はないです。それが恐いって*笑い*
でも、あなたとの出会いは最近の私の中では一番のピカピカ星です。生物学以外の話も色々してみたいぐらいです。すごく幸せな気分です。いつもありがとう^^

お礼日時:2013/12/31 08:14

すいません追加です、と言うか修正です。



>人間のような私刑(リンチ)はある意味独特です。

群れのリーダーに断り無く行われるし(これは人間以外に聞いた記憶が無いです)、少なくとも本来の人間の習性とはかけ離れています。(だから人間とも言いますがw)


についてですか、知能の高い生物、例えばチンパンジー等はリーダーから隠れて、色々やります。

えぇ、色々w

バレ無い限り。
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この回答へのお礼

あちゃあ。チンパンジーくん「人間」してますね*笑い*
序列があるということは比較で物事を判断すること。優劣意識はあるってことですね。じっくり意味を考えます。この手のことを考えるのは難しいですね。人間の心を尺度にしてしまう。
人間で言えば見あげればコンプレックス。見下げれば優越感というところでしょうか。さてこのループから抜け出すには*笑い*
私なりの今よりましぐらいの答えは持っていて0fool0さんには伝えたいのですが、生物学からそれるのでやめときます。

お礼日時:2013/12/31 08:17

とても丁寧なお礼をありがとうございます。



しかし逆にプレッシャーを感じてしまったりもしますw

>自死という言葉は生物学の分野で使われだした言葉なのですか?

どこが最初かは知りませんが、私が知ったのは多分医学用語か生物学用語で、アポトーシスでです。

細胞自死(アポトーシス)と言う書き方ですね。

殺すのでは無く、死ぬと言うのがしっくり来て、いい命名だと私も思います。

最初に言い出した人は誰でしょうね?いいセンスですよねw

>「自死なんてない。」

これは哲学としての発言でしょうが、状況や背景が無いとサッパリ判りませんw

>「戦争は集団自殺ではないか?」

これは私も同感です。

色々な説・及び側面があるので、一つを正解とは出来ないと思いますが、私は戦争の起きる大きな要因の説明を『生息域の衝突(及び維持、拡大)』と思っています。

本質的には『生きる』為ですが、既に箱庭が一杯の場合には誰かを追い出さなければいけません。

ですので数の調整方法として、戦争を起すのではないか?

個体個体は自分が生きる為ですが、種としては『間引き』の意味が強く感じられます。

まぁ、自殺と言うよりは『共食い』の方がしっくり来ますが。

だって殺しあう相手は、生物的に婚姻が可能な同種なのですから。

ちまみにこの共食いはワニや岩魚等、一環境での最強の生物に見られます。

逆に戦争はアリ等の社会性生物に見られます。

>では子供を親が守るという性質はその補填作用として生まれたものとして考えるべきなのでしょうか?

これは答えなくていいのかも知れませんが、一応面白い話として、アフリカのタンガニーカ湖とマラウイ湖のシクリッドがあります。

狭い箱庭の中で長期に渡る繁殖の結果、多くの種が子育てをし、また其れを利用する等の非常に複雑な生態系を形成しています。

ポイントは子育てにエネルギーを傾ける事で繁栄をすれば、子育てを選択し、数を生む事で繁栄すれば生み捨てるのでしょう。

これは時に磨かれた結果でしかないかと私は思います。(正解はないでしょうね)

>たとえ動物の世界がそうだったとしても人間にそれは適用できない。このように思っています。それが自殺(自死)する生き物としての人間に課せられた課題だと思っています。

実は私の思考形態、思考方法の前提は『人間も同じ生物のルール上にある』が基本になっています。

ですので私は逆に考えて、(人間以外の)動物が自殺するとしたら、自死するとしたら、それはどの様な環境やどの様な条件か、いかなる場合か?等を考えます。

ですので、人の自殺(敢えて自殺です)と動物の自己犠牲等の隙間を模索します。

>未熟児で子供を産むことと子育ては因果関係で考える種類のものではないということかもしれませんね。

人間は『生理的未熟児』と呼ばれる子供を出産をします。

他の動物(哺乳類です)では生まれてから五分で立てるまで成長させてから出産します。

逆に肉食動物は襲われる危険が少ないからか、寧ろ巣を離れ過ぎた個体から他の肉食動物に襲われて死んだりします。

人間が未熟児で生めるのは、未熟児でも繁栄に影響が無く、且つ、繁栄の為に脳の拡大を選択した為でしょう。

>貴方がそう考えるのは、親からの『庇護』を充分に受けていない事からの発言では無いですか・・・・?0fool0さんこの質問には一応答えましたがあまり筋の良い質問ではありませんよ。

はい、ご指摘の通りです、申し訳ありませんでした・・・

しかし、質問の裏の本質を本人も気付かずに質問していた場合、会話が明後日の方に行ってしまいます。

ですので時に私は突っ込む事にしています。(だから人に嫌われるw)

確かに質問とは掛け離れた返しですので、ルール違反とも言えるでしょう。

しかし、死を扱う質問は、自分を投影して質問されている場合があるのも事実ですから・・・。

かと言って、人に不快感を与えるのは私の本意では無いです。

軽々な発言でした、すみませんでした。

>ただ私のお礼に悪意を感じられたのならごめんなさい。

悪意等は微塵も感じませんよ。

貴方の発言には全く一切、悪意等は感じられません。

むしろ、切実な渇望を感じます。

自分に真面目な方だと推測出来ます。

私に答えられる事でしたら、お手伝いをしたいと思います。

出来ない事は出来ませんがw


私の方こそ認めて頂き、「こちらこそありがとうございます。」です。
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この回答へのお礼

馬鹿さ加減がバレてしまいますが、私は英語がすごく苦手でアポトーシスの日本語の意味を細胞自死だと教えていただきはじめて知りました。私は自発的細胞死程度に何となく理解していたので驚きでした。ただこの言葉は少し好きではありません。私の分類では人間の自死とは性質の違う死です。プログラムされた性質としての死です。性質の違う死を同用語で扱うのは混乱の始まりではないかと思います。例えば現在、あまり生物学でも心理学でも本能なんて言葉は使われていませんが、これは生物学に大きな問題があると思います。最初に性質の違う本能をひとまとめに本能という言葉に封じ込めたことによって、本能という言葉はいかなる使い方も可能になった。無意味な言葉になった。闘争本能なんて本当にあるかどうかもわからない言葉が、一般社会では広く使われています。性欲を本能と呼ぶのも人間の本能と考えれば間違いではありませんが、動物的本能と同種に考えている人が多い。用語はもう少し丁寧に使う必要があると思います。私が”欲”という言葉を使わず”快”という言葉を使うのも、”不快”との関連の中で考えることが多く、そのためには”快”が都合がいいからです。”欲”という言葉に封じ込めると、AとBが同じに見えたり(違いを見落としたり)、AとBが別のものに見えたりといった見落としをしてしまう。言葉って重要なのに生物学用語は少しルーズです。

>「自死なんてない。」・・・・状況や背景が無いとサッパリ判りませんw
そうなんですよ*笑い*某Q&Aサイトの哲学板で、先日「共同体指定のない質問や回答は何も語ってないのと同じだ。」とけんかを売ったばかりです*笑い*個人も共同体の最小単位と考えるなら、個人についての質問や回答か、人間全体についての質問や回答か、民族、国家などの共同体を想定した質問、回答なのか、それによって意味も変わる。困ったことに哲学サイトという場は案外、状況や背景もふくめそこら辺が明確にされない発言が多いんです。難解なんでなく言葉不足なんです*笑い*教えてgooではありませんよ*笑い*

>戦争の起きる大きな要因
この部分については私はその説明では少し論拠として弱いと思います。人間については生物学者でなくても考察を重ねていますので私にも語る能力はあると思います。
一つの要因。
人間は物心がついた瞬間から、比較で物事を判断する。そこには常に見上げる、見下げる意識がついてまわる。見上げればコンプレックス。見下げれば優越感。
アメリカの公民権運動の指導者「マーチン・ルーサー・キングを暗殺した人は、貧しく何の希望もない状況の中で生きてきたコンプレックスの塊で、唯一自身の拠り所と出来るものが、黒人に対し自分は白人であるという人種差別的な優越感だった。その心理がキング暗殺という凶行に彼を駆り立てた。」とする分析が一般的に定着しています。その分析が正しいかどうかはわからないですが、劣等感が大きいほど その苦しみから開放してくれる優越感を求める。そして一度優越感が得られる、さげずむべき外敵を見つければ手放すまいとそれに固執し、自分に都合の良い理屈で武装し、過激化し、相手を攻撃する。こんなことは西洋東洋の別なく、個人、国家間といった事の大小にも関係ない、諍いにおける人間心理ではないでしょうか?
私は国家間の言い諍いに差別用語が飛び交う心理(例えば小日本だとか、チョンと言った蔑視の含まれる言葉)はこの手のものだと認識しています。自分への劣等感の裏返しが他者攻撃に移行する。本当にどんな些細な事であっても自分自身は何らかの分野におけるプロであるという自負のある人間は、自己性愛者でもない限り他人の批判に無駄な時間を費やさない。批判で得られるものは、所詮かりそめの優越感による鬱憤ばらしぐらいのものだからです。それによって何の成長もありませんからね。何かのプロは自分磨きに夢中ですよ*笑い*
言葉は悪いですがそれは「負け犬の遠吠え。」なわけです。人間が比較で物事を判断する以上どんな分野にも優劣は生まれる。核のような巨大な格差装置は人類として取り外さなくてはならないと思いますが、比較がある以上どんな些細な事でも何らかの自分の得意分野を見つけて勝たなくてはならない。この事実からは逃げ出す事はできない。逃げれば負け犬です。他人批判の憂さ晴らしです。まず比較で物事を判断する特性+それに伴う劣等感及び優越感という人間的精神活動の問題が戦争原因としては大きいと思います。格差社会における被害者意識を持った集団の不満の向けどころが外部共同体に向かう問題ですね。

二つ目は実感の問題。
このままのスピードで森林伐採が続けば150年もすれば、世界中の森林はほとんど無くなります。多くの人も全く気づいていないわけでもない。資源は有限ですからね。
にもかかわらず、私も含めた多くの人々はどうして生き方を変えないのか?
「何故?」
私には答えはものすごく簡単なことだと思えます。
今、この時「息が苦しくないから。」
今、この時、息が苦しければ、人々はデートよりも仕事よりも遊びより先に、アマゾンにだって飛んでいきますよ。
「息をするために。」「酸素供給源を守るために。」「生きるために」
知識や情報では、本当には人は動かない。“実感”しない限り。

人間は文明の名のもとに、自らの作り出した人口空間の内側に自然を飼いならし所有しようとしてきた。「人間中心主義」これが文明の意味でしょう?ただそのことによって“実感”が隅々にまで届かないまでに、共同体(人口空間)が肥大化してしまった。

本来、人間も“動物”である以上、“実感”の届く範囲なんて、せいぜいアマゾンの未開の地で暮らす原住民のような、お互いの顔の見えるサイズでしかないと私は思っています。
“親子”という共同体。“家族”という共同体。“夫婦”という共同体。“狩り仲間”という共同体。“村社会”という共同体。それらすべての共同体がずれること無く連続性を持って、“実感”の中に存在する共同体というのはおそらくこの程度のサイズまでだと私は思う。
ただこの間も書いたように人間はパスタもマグロも食べたいと欲を持つ。社会は欲を追求すると拡大してしまうんですよ。今更「原始社会に戻って生活しろ。」と言っても無駄なことで、手に入れた快を手放せないのが、快で動く人間ならではの性質であり宿命だと思います。
アウシュビッツの看守だって、恋はしただろうし、子供に電話して優しい言葉をかけたりもしただろうし、休みの日には友だちと遊んだかもしれない。
アウシュビッツ(国家)という“共同体”での自分の立場を考えて選びとる“快”があり、恋人との二人の共同体で選びとる“快”があり、子供との家族という共同体において選びとる“快”がある。恋人や家族という身近な共同体における“快”の選択が愛に基づくものであったとしても、これでは意味が無い。これはアウシュビッツという特殊状況内部で発生した特殊な問題ではなく、グローバル化した世界において程度の差はあれ人間は所属する共同体によって”快”の使い分けを行っている。共同体の連続性の限界の問題だと思います。
南アフリカのアパルトヘイトを扱った映画「サラフィナ」には、とても優しい女主人が登場する。彼女は誠実に誠意を持って周りの人に接している。それが彼女の信条だ。召使の黒人に対しても誠意と召使として最高の愛情を持って接している。しかし女主人は黒人召使の恋人が、アパルトヘイトをやめさせるために、日々殺されるか、生き残れるかの現実の中を生きていることを知らないし、おそらく知りたいと願っていない。
グローバル化した世界においては共同体同志の関連性はとても希薄だ。職場での同僚は私の家族について知らないし、家族は職場での私の様子を知らない。ましてや国際社会といったとんでもなく大きな共同体など実感の届くものではない。連続性が欠落している。
このような社会の拡大と実感の連続性の途切れの問題が二つ目です。
3つ目はこの間「進化は人間によって作り出せるのか?」のあなたの回答へのお礼の中に書いた、愛と恐怖の発動要件の違いです。愛は身近な共同体で発生し遠くに行くほど実感の外側になってしまう傾向にあり、恐怖はむしろ実感の届かない、遠くの共同体に向けて発動しやすい傾向にある。私はこの3つの要素の複合体として判断しています。

>ポイントは子育てにエネルギーを傾ける事で繁栄をすれば、子育てを選択し、数を生む事で繁栄すれば生み捨てるのでしょう。

実はこの部分が私が一番混乱している部分なのです。この間,「獲得形質の遺伝はない。」という指摘がありました。なるほどと考えたのですが、そのように考えるとどうも腑に落ちないのです。子育ては遺伝ではなく学習なのか?うーんよくわからない*笑い*

>実は私の思考形態、思考方法の前提は『人間も同じ生物のルール上にある』が基本になっています。
これについては一番書きたかったのですが文字数制限でどうやら書ききれそうにはありません。残念です。簡単にだけ書いておきます。人の心が社会システムを動かす部分もある。ただ社会システムを変わることで人の心が動く部分もある。これを語っている人が実はほとんどいないんです。某哲学板でも、久しぶりにそこのドンとちょっと長期に渡る意見交換をしたいんですが、2週間ほど見には行くんですけどドンが最近参加してないんです*笑い*
ともかく良いお正月をお迎えください^^

お礼日時:2014/01/01 07:09

すでにご存知と思いますが「ラビット・プルーフ・フェンス」というのがオーストラリアで作られていたそうです。


長大なもので、繁殖しすぎたウサギが一定の地域から出ないようにするのが目的でした。
うさぎフェンスへの激突は事故だと思います。うさぎの数が多ければたまたま衝突するうさぎもいそうです。
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おかしいなぁ・・・・



一度書き込んだと思うのですが、反映されていません・・・

何処かでミスをしたかな?


→ポイントは子育てにエネルギーを傾ける事で繁栄をすれば、子育てを選択し、数を生む事で繁栄すれば生み捨てるのでしょう。

>実はこの部分が私が一番混乱している部分なのです。

一度長文を書いたので心が折れてます。

試しに人間では北極圏と赤道直下では同一のルールでは子育て出来ません。以上・・

→実は私の思考形態、思考方法の前提は『人間も同じ生物のルール上にある』が基本になっています。

>人の心が社会システムを動かす部分もある。ただ社会システムを変わることで人の心が動く部分もある。

ここも沢山書いたんですよぉ・・・

社会性生物には、社会システムを堅持する思考も存在する。

それが群集心理であるし、同調圧力になる事もある。

KYなんてのは其の象徴。
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