人生のプチ美学を教えてください!!

テレビで殺人事件があるたびに解説者が言う事ですが、
「殺人事件は減少しています。警察が把握している事例
は少なくなっています」と解説していますが、どうでしょうか。

実際は殺人事件と認定されない事例もあるのではないで
しょうか。また表に出ていない殺人事件もあるのではと
思ってしまいます。

確かにそれは殺人事件として認定されないから数としては
少なくなっています。しかしそれだけで少なくなったとは言
えないと思うのですが。どうでしょうか。

A 回答 (9件)

No.3です。



お返事、ありがとうございました。何か、色々と勘違いされているようですので、もう一度、書かせていただきます。


まず、これは私の言葉が悪かったのですが、「殺人の隠蔽」というのは、犯人が誰だかわからないようにする、とか、罪を別人に擦り付ける、という意味ではありません。
そうではなくて、本当は殺人事件であるのに、殺人事件ではないと警察に誤認させる、ということです。もっと具体的に書けば、本当は殺人事件なのに、事故と認識させる。病死と認識させる。自殺と認識させる、というようなことになります。

ですので、お返事で書かれたような、「他人に罪を擦り付ける」というのは、警察統計の殺人事件件数には一切関与しません。
本当はAさんが犯人なのに、Bさんが犯人として逮捕した、としても、その事件の存在は認知されているわけですから。勿論、冤罪は重大な問題ですが、殺人事件の件数と冤罪は全く無関係の話となります。
少し前に「餃子の王将」の社長が殺害されました。報道を見る限りでは、犯人の目星もついていないようですが、これは明らかに「殺人」ですので、ちゃんと殺人事件としてカウントされています。

そして、その本当は殺人事件なのにそうではないように見せかける、というのが難しくなったわけです。
それが前の回答で記したことでした、死体を発見されないように隠し、行方不明扱いにする、としても、かつてのように自宅の床下に隠す、みたいな方法は集合住宅になって難しくなりました。どこかの山中に埋める、としても、あからさまにトラブルなどを抱えていた人が失踪し、そこから怪しげな車が山に向かった、なんていうのは各所の防犯カメラや幹線道路の監視システムを使えば足跡がたどれます。そして、それをたどった結果、遺体が発見され「殺人」と判明しやすくなった、というわけです。


また、精神疾患などを持った人が事件を起こし、無罪になった場合。
これもちゃんと統計にはカウントされます。「事件の件数」と「犯人の有無」「有罪・無罪」は無関係だからです。
精神疾患で犯人が無罪となったとしても、その人が罪になることをしたという事実は変わりません。精神疾患の無罪というのはあくまでも「責任に問えない」というだけのことなのです。
ですので、犯罪件数にはカウントされます。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございました。
殺人事件を事故や自殺に見せかけるのは当然、事件が
発覚してから殺人事件としてカウントされます。
また他人に罪を擦り付けるのは、事件として一応成ってい
る訳ですからカウントはされるわけですね。

ありがとうござ゛いました。

お礼日時:2014/03/08 08:53

んー、どこからメスを入れましょうか?


確かにグレーゾーンは外されているのが現状でしょう。
検察は、殺人の動機付け、証拠を立証、凶器の確保をしなければ
いけないというのが原則ですから・・・。

例えば、同居の嫁さんがお風呂のフロアーに石鹸を塗って滑り易く
しておいたところへお姑さんが入室。 どうなるかは想像付きますよね。
「あまりにも遅いので、見に行ったら浴槽で亡くなっておられました。」
よくある常套手段です。 発見時にシャワーを流しておけば・・・。
階段の上がりたても同じこと。 火災に関しても、怪しい類い。

また、最近では精神科、心療内科に通っていた経緯があるだけで
精神不安定、薄弱、判断能力が無いとみなされ無罪に・・・。
恐らくカウントされないのでしょう。 可笑しいと思いませんか!? 

それよりも、人を憎む、羨むことは何時の時代にもあったとしても、、、
例えそれが殺意に変わったとしても、、、一線を越えてはならない!と
道徳倫理を教育の中で教えていかないと、死刑の抑止力だけでは
持たないのではないかと思います。
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減少しています。


ただし、それは警察能力の向上とか、日本人の倫理観の向上とかではなく、単純に人口減少からくる物理的な理由です。

>実際は殺人事件と認定されない事例・・・
参考までに
日本での年間の失踪者数は8万人。
そのうち所在がわかったのが7万2000人。
8000人が毎年、消息不明です。
自殺や名前を変えて生存がほとんどでしょうが
中には殺されている人もいるでしょうね。

しかし、誰もカウントできないので本当のところは闇の中です。
多いかもしれない、意外に少ないかもしれない。・・・誰もわかりません。
警察も犯罪者も答えられないでしょう。
「宇宙の外側はどうなっているの?」と同じぐらい答えがありません。

ちなみに
元ヤクザが、匿名で何かのドキュメントで語っていましたが
誰にも気づかれずに殺して、誰も入ってこない山の中に埋めれば
ほぼ完全犯罪は成立するそうです。
アリバイ偽装も自殺に見せかける偽装も不要だそうです。
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>しかしそれだけで少なくなったとは言


えないと思うのですが。どうでしょうか。

どうしてそうとはいえないと思われるのでしょうか?
専門家の見方は一応尊重するべきです。

確かに日本も国際化が進み、以前よりも治安が良くなったとは必ずしもいえないと思います。しかし、ここは素直に警察の地道な努力に敬意を表すべきだろうと思います。
暴力団の撲滅に一定の成果がみられ、
さまざまな科学的捜査、分析も進歩し、コンピュータによる、データを駆使した広域取締りも進んでいます。さらに監視カメラによる社会の目も緻密になっていますので、殺人事件が減少しているというのはうなずけないこともありません。
しかし、これで安心できないのは事実です。不況と所得較差の拡大による貧困の広がり、家族崩壊による愛情に飢えた子供たちの増加など、犯罪減少の阻害要因も増えているのは確かです。
やはりわたしたちは従来のよき日本にあったご近所同士の目配りを、人間はみな兄弟という観点で犯罪のない世界をめざし努力を続けるべきでしょうw。
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そもそも多い少ないの問題じゃありません



自分自身を葬る自殺にしたって 【殺人】とあまり変わらないし

一人でも大事な命です

五木ひろし
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殺人件数の減少。



事件として扱われるのは、死亡してしまったから。だとすれば、
救命救急のレベルUPが、「死なせずに済む」ことが増えた要因もあるかな。

傷害事件と殺人事件。
刃物・拳銃・殴打によるもの含めケンカ等
事案の結果が、どうなっていたのか。
その統計で、傷害事件が増えて殺人事件が減った。のか
双方が減ってきているのかでも、違ってくると感じます。

殺人に見せないような事。
クルマの事故、強迫による自殺に追い込む等、
無いとは言えない。「殺人事件」としての件数は
減ってきても、結果を含め命を奪ってしまった件数は、
どうなっているのか・・・。
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殺人事件であるのに、警察が見逃してしまう。


その可能性については、否定できません。

ただし、それは今も昔も変わりません。司法解剖や行政解剖などが極端に少ないのも昔からです。
現在の方が隠しやすくなった、というわけではないのです。


というか、むしろ、殺人の隠蔽というのは以前よりもむずかしくなったと言えます。
例えば、昔は一戸建てなどが多かったですから、事件を起こした後、被害者の遺体を床下に埋める、などすればなかなか見つかりません。
しかし、現在は集合住宅が多くなりました。集合住宅では床下に埋めるなどは出来ません。すると、自宅から移動させねばなりません。そうすると見つかるリスクが高まります。
さらに、自動車などに乗せて移動したとしても、街中のいたるところに防犯カメラが設置されているので、怪しげな動きをすれば発見されますし、幹線道路などにもそういうシステムが設置されています。さらに、携帯電話の記録であるとかでも、不審な動きは察知されるようになりました。
まだあります。
確かに、解剖に回されることはすくないです。しかし、一度、解剖などに回されれば、医療の発達などで、ごまかす、ということは難しくなりました。


ということで、警察が見逃す可能性というのは否定できないものの、しかし、それは昔から一緒。
むしろ、かつてよりも追跡システムなどが発達したことにより、隠蔽が難しくなったとすらいえます。
その上で減っているのですから、減少傾向にある、と結論付けることは可能でしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。そのとおりですね、警察の能力
が高度になったということでは、犯罪もしにくくなったことも
ありです。

しかし警察以上の能力を発揮して殺人事件を隠蔽する犯罪
者となると高学歴の者しか浮かばないですね。

また東日本大震災で起きた津波で全て押し流されてしまえば
遺体は海の底で判別は不可能になります。

あのように広範囲に起きた災害の時や太平洋戦争の時など
人が大勢死んでしまう時には殺人事件は見つかりにくい。

また第三者による犯人の偽装工作などもそこに入ると思います。
つまり被害者の身近にいる人物に罪を擦り付ける事例です。
これは殺人事件の範疇には入りますが、冤罪という事例でいけ
ば一旦事件は差し戻されてから捜査のやり直しになりすね。

お礼日時:2014/02/03 11:09

確かに見えない殺人事件も相当数あるとは思います。


しかし、それは昔も同じこと。
昔も見えない殺人事件は同じ割合であったかと思います。

昔はほとんどが明るみに出て、今は隠れているということもないでしょう。

よって、明るみに出た殺人事件が減っているなら見えない殺人事件も減っているはずです。
したがって全体的に殺人事件は減っています。

この要因はやはり教育。
教育が高度・広範になるにつれ殺人事件は減ります。
これはどこの国も同じです。

殺人犯の学歴や学業レベルを調べてみると
やはり中卒、高校中退、卒業していたとしても学業習熟度は非常に低い
人間、つまり成績の悪かった人間が多いです。
東大、早稲田、慶應をはじめ高度な教育をする一流大学といわれる卒業生や
在校生でが殺人事件を起こすという割合は極端に低いです(ないとは言いませんが)。

高等教育偏向論ではなく実際こうしたデータがある以上
やはり高度な教育が平安な人間社会を保っているといってもいいでしょう。

また、高学歴になればなるほど物事を高い抽象度で考えることができ
視野も広くなります。

ここで言う抽象度というのはこういうものです。
「ポチ」より「犬」のほうが抽象度は高く、犬より「動物」のほうが、それより「生物」のほうが
より抽象度は高いです。
つまり周辺視野が広いということになります。
ファミリーレストランのウェイトレスは注文を間違いなくとるよう注意していればいい。
店長はそれより抽象度を高くウェイトレスがちゃんと仕事してるか、コックがマニュアルを間違えてないか気にします。
さらに上の地区統括長は担当地区店舗の売り上げや客の流れ、メニューの人気度など
を気にします。
もっと上の営業本部長は全国から集められるデータをもとに次の一手を考えます。
さらに上の社長は社員全員の幸せを考え、会社の方向性を決めていきます。

社長がウェイトレスの仕事ができないはずはありません。
一番抽象度の低い仕事から知っていて初めて社長が務まるわけです。
とすればこの会社の中で一番仕事に熟達している人間が社長になるわけです。
当然頭もいいからできる業です。

つまり広い目で全体を見ることができる人ということになります。

殺したいと思っても、いや待てよ、そうすると俺にどんなメリットとデメリットがあるんだ?
あいつを殺すとすっきりする、だが生涯びくびく生きていかなければならない。
あるいは捕まって人生を棒に振る結果となる。家族も肩身が狭いだろう、子供の将来もある。
あー、だったらやめたほうがいいな。あんなヤツを殺すことで俺の人生、家族の人生を
台無しにすることはない。
これを導き出すまでに0.1秒とかかりません。
だから殺人などしません。

平たく言えば、やっぱり殺人事件を起こすような奴は頭が悪く
頭がよければ下らぬ個人的な感情から人生を棒に振るような
マネはしない、考えりゃわかるだろ!
というところなのでしょう。

日本の教育が少なからず高度・広範化しているのが
殺人事件減少の遠因です。
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たしかに、ご指摘の通りかと思います。


犯罪は巧妙化してきます。
ですが、監察医制度が実質的に機能しているのは大都市だけ。
それ以外の場所で、計画的に、巧妙に殺人が行われることを考えると怖いです。
あとは、警察関係者がどう判断するか。。。
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