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スキ―・ジャンプで、葛西紀明が銀メダルを獲得して、喜ばしいことです。
新聞の見出しに、「葛西7度目の正直」が躍っています。
これは、”三度目の正直”をもじったものと思われます。

正直は、”うそ、いつわりの無いさま。素直で正しいさま。”ですよね。
三度目の正直というのは、物事は三度目には期待どおりの結果になる、ということですね。
ところで、たとえば、三度目の愚直というならわかりますが、なぜこの諺で、正直が関係するのですか?

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A 回答 (6件)

これは「三度目は定の目」という諺が本来で、そこに「三度の神正直」という別の意味の諺が接木されてしまったのではないでしょうか。



「三度目は定の目」での「定(ジョウ)」は御神籤や占い・賭け事での「真実」「本当(の事)」「確実」を指しています。

また、「三度の神正直」の方は、三度続けて同じ「卦」や「お告げ」が出たら、それは神様のお告げが「嘘ではない」→「真実」「本当(の事)」「確実」という意味です。

ここで、「定(ジョウ)」の意味合いに限定されて、「神」を取った「正直」が継ぎ接ぎされて、「偽(いつわ)り」でない「真(まこと)」や「本当」が実現する、「三度目には期待どおりの結果になる」というミックス諺になっていったものと。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
「三度目は定の目」と「三度の神正直」との、二つの諺が接木されてしまった、ということですね。
三度目の正直について、現状の解釈の説明ばかりで、なぜ唐突に正直が出てくるのか、が訝しかったです。しかし、この諺を由来から説明して頂き、かなり納得できました。

お礼日時:2014/02/20 09:01

NO.4 です。

お礼ありがとう。少し気になる部分がありますので。
言葉には、ニュアンスという使い方があります。
例えば『○○も馬鹿なことをしものだ』は、○○の特定な行為を指して『馬鹿げている』と表していて、『○○は馬鹿だ』と全人格を否定しているわけではありません。

『葛西さんは、6回嘘を言っていた、ということなのですね』
これはとんでもない曲解でしょう。
そんな解釈をしたら、葛西さんは6回も嘘をついてきた=大嘘つきだと非難することになります。
「正直」を文字通りにしか解釈出来ないと、そうなりますね。
今回の「葛西7度目の正直」は、6度までは期待に応えられなかったが『41歳になっての7度目の挑戦でようやく期待に応えてくれた』という、賞賛のニュアンスで「三度目の正直」という言い習わされた諺をもじって用いたもので「嘘つき」等という酷評に解するのは、日本語を知らないもののタワゴトです。

『寝言みたいなこと、言うな』という非難は、寝言じみたタワゴトを指しているのであつて、現実に寝言を言を言ったと非難しているわけではありません。
この様な言葉の使い方を『仮借』とか『援用』などとも云います。
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この回答へのお礼

再度の回答・詳細な説明ありがとうございました。
私も自分を振り返ってみて、
<タワゴト>
を言っているな、と思います。しかし、この見出しにおいて、他の言葉があろうに(例えば、7度目にして偉業、など)、嘘を連想させる”正直”をわざわざ選択したのか、が依然不可識であります。

お礼日時:2014/02/19 19:53

悪い例えに「狼少年」が有ります。


人々を驚かして楽しもうとして『狼が来たぞ』と、嘘をつく少年が居ました。人々は、繰り返される嘘になれてしまって、少年の叫びを信じなくなりました。そしてある日、本当に狼がやってきて、少年は喰われて死んでしまいました。
この場合と逆に、何度も期待を持たされたが、チャンスの都度期待外れに終わった。何度目かにようやくその期待が現実になった・・・という吉報もあります。
『三度目』は語調合わせ。『七度目』は、回数上の事実を言い慣らされた諺にもじったもの。
この場合の『正直』は、期待していた事実の実現・・・と、解すべき言い回しです。
遂に期待に応えてくれた・・・という、賞賛でもあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
正直とは
<遂に期待に応えてくれた>
ということですね。
<何度も期待を持たされたが、>
が嘘なのですね。3回目には正しかった、すなわち正直だった、ということですね。
葛西さんは、6回嘘を言っていた、ということなのですね。

お礼日時:2014/02/18 19:15

》 三度目の愚直というならわかります


そうですか?それって、貴方はどういう風に解釈するのですか?
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/62183/m0u/% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました・
<どういう風に解釈する>
かについて、”一度、二度のみならず、三度も、変わらず同じことに挑戦すれば、良い成果が出る。”という意味のつもりです。

お礼日時:2014/02/18 10:45

三度目は期待通りの結果になる、とは、三度目には実力通りの結果になる、ということです。

すなわち、本当の姿が見られる。本当の姿―うそ、いつわりのないさま、ということです。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
<本当の姿>
すなわち、
<うそ、いつわりのないさま>
に繋がるのですね。

お礼日時:2014/02/17 21:57

うそ偽りがない。

ということなので、間違いなく必ず起こる、
ウソじゃないということです。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
<うそ偽りがない。>
ということですね。
<間違いなく>
ということでもあるのですね。

お礼日時:2014/02/17 21:55

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「2度のあることは3度ある」(失敗に関して)と言いながら「3度目の正直」。
「3度目の正直」と言いながら「2度のあることは3度ある」(失敗に関して)。
これって矛盾していると思うのですが?
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それともバイオリズムでしょうか?
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Aベストアンサー

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時と場合によってみんな考え方が違う。

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Aベストアンサー

あくまでも、という意味の「徹底的に」という所から転じて、「完全に」とか「中途半端ではなく(どこまでも)」という様な意味合いも持っています。


「あくまでも個人的な」
完全に個人的な

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「あくまで一例です」
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・・・すみません、この用法は聞いた事がありません。


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