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心理や脳科学を勉強しています。
ヒトは快を求めて不快を避ける。快不快は大脳辺縁系で判断される
と理解しています。
その一方で,たとえば食欲などの本能的欲求があり,こうした欲求も大脳辺縁系で
生まれるとも理解しています。
そこで質問ですが,食欲は「快」を求める具体的な行動(表現)と理解すべきでしょうか?
それとも,食欲や睡眠欲,性欲などが「快」とは無関係なメカニズムで発生すると考えるべきでしょうか。
心理学も脳科学も素人なのて,質問自体がピントがはずれているかもしれませんが,教えてください。

A 回答 (3件)

的確な対応が出来たら「快」、的確でなければ「不快」のままです。



お腹がすいた→「食べる」=快
お腹がすいた→寝る=不快(腹は減ったまま)

心理も同じで、選択肢が的確でなければ「不快」のまま残ります。

欲求を満足させると「快」になりますが、食欲や睡眠欲・性欲などは
満足させるのが非常にわかりやすい形であるため(目に見えるから)
的確な対応が心理に比べて楽ではあります。

心理は、まず自分のことをよく分かってあげようとしないと的確なことができるに至りません。

食欲や睡眠欲・性欲に対処するのは、情報や経験は生きている途中で積み重ねていくでしょうが
心理については、情報も経験も不足しているので「快」に持っていくことができないのだと思います。

不快を避けようとするより、快の方向に向かうことです。
腹が減ったら食べるしか対応が無いように、心理も的確な方向は見つけ出さなければなりません。


>そこで質問ですが,食欲は「快」を求める具体的な行動(表現)と理解すべきでしょうか?
それとも,食欲や睡眠欲,性欲などが「快」とは無関係なメカニズムで発生すると考えるべきでしょうか。

食欲は生きていくために的確な選択をすれば「快」となります。
他もそうです。
的確な選択であるかどうかを、「快」「不快」で理解・判断できるように人間はできているようです。

この回答への補足

分かりやすい説明ありがとうございます。
ただ

>不快を避けようとするより、快の方向に向かうことです。
という点がちょっとわかりにくいです。

これは空腹(=不快)を避けるために食べるという行為をする、
わけではないという意味でしょうか。
そして(不快なためではなく)「食欲」という動因があり,
食べるという行為をした結果,(たまたま的確な選択となったので)「
快」が得られる,と理解すべきということでしょうか。
なんか揚げ足をとるようですみません。

補足日時:2014/02/26 23:30
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こんにちは。

食欲や睡眠欲や性欲が「快」に通じるメカニズムについて私は次のように考えます。

 生物はそもそもは‘食物‘が大量にある環境下で機械的に‘食物‘を取り込んで代謝をキープしていた。そこに進化の過程で感覚器や中枢が入ることで、より生息に適した環境に移動することができるようになった。さらに、食べて満腹したときに「快」に類する気持ちが生じる枠組みを進化の過程で獲得した方が、食べ物を求める方向にバイアスのかかった生き物に進化して、食べ物が少ない環境下で代謝をキープするということに関して有利に機能してふるいにかけられて生き残ってきた。

 昼と夜がある世の中では、可視光が見えるように視覚が発達した生物は明るい昼活動して暗い夜は休んだ方が効率的に餌を獲得することができ、そうでない場合と比べて代謝の能率がいい。そのため、夜休む、つまり睡眠欲が満たされたときに「快」と感じる方向に突然変異が起きた方が、代謝の能率がいい生活にバイアスがかかり生存から遺伝子の継承に有利になった。

 遺伝子を残す直接の欲求である性欲も、それが満たされたときに「快」という報酬が得られる方向に突然変異が起こった方が遺伝子の継承へのバイアスが強くなって、淘汰のふるいの中で遺伝子を継承してきた。

 人間はそういう生物としての枝分かれの先に進化してきた生き物であり、三大本能と「快」というものは深いレベルの大筋の枠組みとしてある程度結びついて遺伝子に組み込まれているのではないでしょうか。

この回答への補足

こういう考え方は納得できるものですね。
たしかに植物は,快も不快もなく,「食物を」ただ機械的に取り込んでいる。動物も当初はそうだったはず。だから食欲はあった(というとないと死んでしまう)。
それが進化の仮定で快という報酬があった方が,食欲という動因がより強く働く,というものですね。
ちょっとすっきりしました。
ありがとうございます。

補足日時:2014/02/27 22:43
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補足請求、ありがとうございます。



>不快を避けようとするより、快の方向に向かうことです。
という点がちょっとわかりにくいです。

>お腹がすいた→「食べる」=快
>お腹がすいた→寝る=不快(腹は減ったまま)

上記のように満たす方向へ向かうのが「快」であり、満たすことより避けようとして
(腹が減ってることを忘れようとして)眠りについても腹は満たされない。

食事は、空腹を避けるために食べるのでしたら、その行為は義務的になったり機械的になっていきます。
食事は、空腹を満たすために食べるのでしたら、より高い精神的満足として反映します。

子供のときの食事風景を思い出して、好きなおかずや嫌いなおかずを食べたことを
思い出していただけたら、嫌いなものは義務的・機械的に食す。
好きなものは食べているときに、心や気持ちまでも満たされる感覚があるのを理解できたらと思います。


人は環境で食欲さえも変化しますので、そのあたりは欲求段階説になりますから
ここでは割愛させていただきます。

欲求で快を得られるのは、避ける方向ではなく満たす方向にあるということです。
人が、その環境の中でよりよく生きるための機能かもしれませんね。

この回答への補足

空腹という状態を食べ物を食べることで満たす(欲求を満たす)ことで快があられる。
空腹を避ける(欲求を満たさない)ことでは快がえられない。
ということですね。
これなら明快で分かりやすいです。

補足日時:2014/03/02 19:26
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