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パチンコ競艇競馬競輪一応一定期間やりましたが、どうも魅力が湧きませんでした。もちろん現地観戦しました。結局努力して買い続けるのも疲れたのでやめました。タバコも似たような感じで、かっこつけるとか落ち着かせるとかいう理由で努力してすっていましたが、疲れてやめました。酒は眠りよくするためだけにたまに飲みます。

そういうわけで、ギャンブルに嵌る心理というのが分かりません。どういうトロ子が魅力なのでしょうか?

A 回答 (6件)

こんな研究があります。


スイスのフライブルク大学のフィリオらの実験では
サルのドーパミンを司る脳細胞(ニューロン)から記録を取りました。
ドーパミンは快感や快楽を引き起こす脳内物質であることが
知られていますが、フィリオらは、サルに5つの映像を見せました。
5つの映像にはそれぞれ、100%、75%、50%、25%、0%の確率で映像提示後にサルにジュース(ごく少量です)が与えられます。
さて、サルのドーパミンニューロンが最も強く反応したのは
どの割合でジュースが与えられる時だったでしょうか?
実は25%と確率が低いときに最も多くのドーパミンが出ていました。
ドーパミンと薬物中毒の関係も近年明らかにされており、
ドーパミンの放出がそれに関連する事象に対して中毒を引き起こすようです。
そして、少なくともサルでは、勝てることが分かっているときよりも
ほんの時々にしか勝てないときにそのドーパミンが最も多く放出されます。
リスクをあえておかす行動は現代の環境では不適応行動と考えられがちですが、進化の過程を考えればリスクを冒すことは適応的だとも言えます。
我々の進化の過程には、いつおとずれても、えさがある場所、
などほとんどなかったと考えられます。
ですから、低確率でもいいからえさのありそうな所を沢山見つけ出す
ことが適応的な行動だったのでしょう。
もしも75%の確率でえさがあるところにしか興味を示さなくなっていたら、その場所がなくなってしまったときに、次のリスク行動に移りにくくなりますが、25%程度でもっとも興奮するように脳が出来ていれば、一カ所にこだわりすぎる事なく、えさ場を広範囲に保とうとしてリスクを冒して、知らない場所を訪れたりするでしょう。
そして、人間は低確率でもリスクを冒して行く生き物だったから
ここまで繁栄したのではないでしょうか。
つまり、サル時代のなごりが現代にギャンブルという形になって現れたという事だと思います。
現代はリスクをあえて冒して行く環境ではないので、だれも脳が本来リスクに快感を感じるとは思わなくなってしまっているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

生存本能に必要なものだったんですね!
そういう歴史的な発展あるいは本能の発動がある。気づかされました。たしかに、5割をきるということが自分の意思で実現すると言うことは、なんというか、勝利感、快感、歓喜そんなものとつながってきますね。

お礼日時:2008/03/05 23:43

ギャンブルされて最高どのくらいの金額勝ったでしょうか?



若い時、会社の同僚に競馬好きの人間いました。
一回ものすごい金額勝ったそうです。あれで病み付きになり、辞められなくなったといってました。

私も以前パチスロにはまりまして・・・
もともと動体視力がよかったので、ゲーム性事態も楽しく、そのころ射幸心をあおる機種がたくさん出始めておりまして、私も三千円で三十万ほど買ってしまいました。そんな経験をしてしまいますと、またそんなことが有ると言う可能性感じてしまって、損しても繰り返し行ってしまうわけです。射幸心ですね。

ところで、パチスロは、5号機となり、今お客さんは離れていってる状況のようです。職場の近くにパチンコ屋が何件もあるのですが、お客は以前の25パーセントほどしか入ってません。時々のぞいちゃうんですが、以前のようには、私もしません。ギャンブルは、元手が何十倍何百倍にもなる可能性があるからリスクがわかってながら手を出してしまうのであって、そういう可能性がないならやる意味ないわけで、
他の方も書かれておられますが、ギャンブルは、やはり、射幸心をあおられればられるほど、夢中になる人が多くなると思います。
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この回答へのお礼

やはり、その「勝利感」でしょうかね。その幻想に酔う(回答者さんのような能力が自分にあると妄想して)そして、何べんもやる。その悪癖。つまり、学校のようなものかもしれませんね。勉強してものになる意思も能力もないくせに学校に行く、そして、適当に流して卒業する人が大部分と言うことになる。そして、ギャンブル業界は利益を得る。

やっぱり、なんとかならないのかな~と思いますね。

お礼日時:2008/03/05 23:40

難しい理屈はわかりませんが、


ギャンブルの魅力は、やった人にしかわからないでしょう。

恋愛の何処が素晴らしいのですか? というのも、同じかも。

いくら、ホルモンがどうの、勝ったときの快感がどうのと説明しても、この快感物質は、人によって、分泌される量が違うわけですからね。

どれも、努力するものではなく、あがらっても、はまっていくもの。

どういう活動に快感を感じるかは、人によって違うわけで、理屈ではない。 繰り返すとこの快感物質の効果は減少していき、さらなる刺激を求めて、最後には破滅の道を辿るわけです。

病的な人の場合、ホルモン療法も可能です。

質問者様に、ギャンブルに対する反応物質が不足しているのなら(悪い意味ではないですよ)説明されても、想像すらするのは無理でしょうね。

オタクの人の気持ち、全財産を一般の人には無駄のように思われるものにつぎ込むのも、そこに、快感があるからではないですか?  ギャンブルと共通するものがありますよね。

質問者様が好きな事があって、それをやってる時が楽しいのなら、同じように、ギャンブルが好きでやってる時が幸せという人がいてもいいわけで、内容に、高級だの、低級だの、ということはないでしょう。
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この回答へのお礼

想像でなく、体験しても快感物質は沸かなかったのですよ。もともとないのかもしれませんね。結局趣向の合わないものは理解しがたいと言うことなのでしょう。

お礼日時:2008/03/05 23:37

これはタナトス(死の本能)で説明がつくのではないか、と私は思っています。


リビドー(生、あるいは性の本能)の逆ベクトルですね。
タナトスは一見すると破壊・攻撃という様相を呈するわけですが、その本質は安定です。
私がよく例に引くのは「割れた茶碗」です。
容器として茶碗の形態を保持することにもエネルギーを要すると捉え、割られて構成分子の段階にまで粉々になることによって、これ以上分解されようのない安定を獲得できる。

ギャンブルというのは、「不確実性」というものに金銭(=自我的な得)を賭けることによって、自らの生命の保持をおびやかし、その方法で安定を目指そうとするものだと推測できます。
ですから、負けが込めば込むほど(表面的にはどう見えたとしても)快感となります。

ですから原因としては、当然ですがリビドーの枯渇が考えられます。
相対としてタナトスの占める割合が増えるわけです。
生命力の衰退している人はギャンブルに取り付かれやすい、ということが言えるでしょう。
尤も、これはリビドーを求めながらも得られないことに対する反動である場合が殆んどですから、ちょっとしたきっかけでベクトルが戻ることも自覚次第ですがよくあることです。
「疲れて→やめる」というパターンをとったのは当たり前のことではなく、精神的に健全な部分が残っていたからです。
本当にタナトスの力が強い(リビドー勢力が弱い)と、疲れるという感覚自体がギャンブル継続の原動力となっていくでしょう。
ギャンブルだけに限りませんが、タナトス・リビドーは、どちらも本人のエネルギーであるという点では、元々同じもので、私たちはその危ういバランスをとりながら日々を過ごしているのだと思われます。

因みに、
・エス(本能)的欲求は
タナトスー破壊
リビドーー愛情
・自我的欲求は
タナトスー攻撃
リビドーー友愛
・超自我的欲求は
タナトスー知識
リビドーー慈愛
のような形態をとります。
さらに、それらの本質としての物理的要素では、
タナトスー安定
リビドーー保存
ということになります。
 
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この回答へのお礼

タナトスの超自我的になると、いきなりいい方面にいきますね。
タナトスの発動ですか!なるほどと思いました。そして、おそらくそういう面もたぶんにあると思います。ギャンブルで身を持ち崩すと言うのは、ある意味「安定性」なんですね。

お礼日時:2008/03/05 23:35

射幸心・・偶然の利益や幸福を得ようとする心(国語辞典より抜粋)



パチンコ=1千円で10万円とか?大当たりの興奮が味わえた・・1万円になっただけで嬉しくないですか?掛け金以上の利益。
競艇競輪・・やはり1枚の当たり券が利益をもたらす・・外れたら掛け金が0になるけれど、次こそは・・と思ってしまう。応援とゴールの瞬間の一喜一憂も興奮しそうです。
酒タバコは嗜好品なので、無理してまでもは続けられないと思います。
ギャンブルも、酒も依存症があるくらいですので、ムリに続ける必要はないと思います。

手を出すきっかけはそれぞれでしょうが、
嵌るのは思わぬ利益が出て興奮(脳への心地よい刺激が強いらしいです)→その興奮、幸福感が忘れなれない。→再び体験したい。

また、今までの損を1度の大当たりで回収したいという欲も働くと思います。(そして、また次の資金稼ぎ・・?)
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この回答へのお礼

賭けは、正当な努力なしに不当な利益が転がり込む(しかも合法的に)という願望ですね。そこを遊びとして政府も奨励する。非日常性なのかもしれません。当たるとはまるものでしょうかね。私は初めて買った馬券で5千円ほど勝ちましたが、それで今日見失いました。

お礼日時:2008/03/05 23:31

ギャンプルとはやはりわるくなることです。

リスクの感覚がなくなるのですから。なにかまなぶことはありますが、それよりも興味ないならないで、いいでしょう。
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この回答へのお礼

リスクの感覚と言うことが大事ですね。マヒ状態そのものでしょう。

後に皆さんの回答にお礼を書きます。

お礼日時:2008/03/01 09:32

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