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私は自然科学中心の唯物論で世界をとらえています。それ以外は考えにくいです。
もし唯物論以外の世界観をお持ちの人で「私の世界観はこうなっている」というのがありましたら教えてください。
私が特に知りたいのは
(1)あなたの世界観では物質は存在しますか?

(2)物質以外のもので心とか神とかはすべて物質がもとで発生していると私は考えています。
例えば人間という物質があるので心や神が発生している(あるようにみえる)のだと思います。
物質に基礎をおかない物質以外のものがありましたら教えてください。

(3)自然科学の結論(成果)は受け入れてますか?
例えば、地球は丸いとか生物は進化する、物質は原子や分子から成るなど

(4)唯物論で考えるとどうしても解決できない問題がありましたら教えてください。

A 回答 (8件)

>仏教の考え方ですね。

私の中で唯識論と唯心論と観念論がごちゃごちゃになりそうです。

唯識は少々、もしくはかなり難しいです。私の引用先の最初の20%くらいはすべて理解する必要があります。

>ga111さんは唯識論で世界をとらえていらっしゃいるのでしょうか。唯物論とはなんか排除しあう理論の気が私はします。

実際には、唯物論で生活していますけど、唯識は唯物論を包含しえる、と思っています。 無意識と意識の関係など。ある個人の脳の活動状態(脳生理学)、無意識と意識の関係(行動心理学)などは、唯物論でかなり説明できる部分があります。

しかし、脳の活動状態を知るには大掛かりな装置が要りますし、心理学は専門家の判断が必要です。現実的には、いちいちそういった解析をするわけにはいきません。あなたや私の認識や意識的行動、無意識は唯物論だけでは知ることができないと思います。
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この回答へのお礼

再び回答いただきましてありがとうございます。
やはり唯識論は難しそうですね。

私たちの意識を現在の唯物論(自然科学)では明らかにできていないのは仰るとおりだと思います。

精神的な病気も脳の神経伝達物質の作用の不全ということもわかってきましたし、好奇心に関係する遺伝子も特定されました。唯物論に沿った研究は日々激しい競争の中で行われています。私は研究が進展していけばやがて唯物論で人間の精神が説明されるようになる日が来る気がしています。

唯識論はまだ人類にいろいろな知識がなかった時代に考えられたものです。現代ほど知識があったら、そうした考えは生まれたのかなあと思います。

反論ばかりになってしまいすみません。この質問をしたのは私と違う考えの人の意見を聞きたいということです。ga111さんの意見を聞けたのはありがたいと思います。

お礼日時:2014/04/14 22:11

唯識論、という世界観がありますね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98

優秀な科学者は、自然科学の結論(成果)をすべて受け入れているのではなく、過渡的にそれらの結論を受け入れている、、、という部分があると思いますよ。

なお、唯識論と唯物論は排除しあうものではないかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。仏教の考え方ですね。私の中で唯識論と唯心論と観念論がごちゃごちゃになりそうです。
ga111さんは唯識論で世界をとらえていらっしゃいるのでしょうか。

なるほど自然科学で言っていることの大概は仮説が確からしくなっているだけですものね。哲学をする時は自然科学の結果だからと言って無条件に受け入れてはいけないと書いてあった哲学入門書を読んだことがありましたのでお聞きしました。

唯識論はすべては空であって心にも実態はないという話ですよね。唯物論とはなんか排除しあう理論の気が私はします。

お礼日時:2014/04/14 19:52

#4の者です。



>人間ぐらいの大きさの現象と量子論はあまり関係ない気がします

人間も、量子(超弦)でできています。
「人間」という存在はなく、量子によってなる階層現象性(~クォー
ク~素粒子~原子~分子~細胞~個体(脳))を、表面的に捉える
事で、存在的確定性が派生している=あなたの言う通り「人間ぐら
いの大きさの現象」における「確かな存在」となっているのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
人間が素粒子から構成されているということはその通りだと思います。ですが、どんなに素粒子から構成されていても、大きさが違いすぎてもはや量子効果は人体では無視できるのではないかというのが私の考えです。
psytexさんは量子効果が人体でも作用しているとお考えなのですね。

お礼日時:2014/04/13 23:30

唯物論ではなく、識が根源であると考えます。

そして、「Aが存在する」とは「Aが認識されうる」と定義します。

>(1)あなたの世界観では物質は存在しますか?

物質は人によって認識されうるので、存在します。自然数など数学的対象も、人によって認識されうるので、存在します。


>(2)物質に基礎をおかない物質以外のものがありましたら教えてください。

自由意志による意思決定です。

>(3)自然科学の結論(成果)は受け入れてますか?

とりあえずは受け入れます。認識されたものの関係の叙述が自然科学だからです。

ただし、自然法則は、その法則がどんな状況でもあてはまると証明されたわけではなく、いまだ反証されていない仮定にすぎないので、「とりあえずは」受け入れるということにしかなりません。

>(4)唯物論で考えるとどうしても解決できない問題がありましたら教えてください。

唯物論は、(確率的であれ)決定論になりますが、人の意思決定を決める原因、つまりアルゴリズムは、実質、認識不可能です。特定のアルゴリズムを見たとたんに、そのアルゴリズムを無視した行動をとることができるからです。だから、正しいアルゴリズムでなかったことになります。よって、認識不可能なアルゴリズムを想定しなければばらず、これは、神秘主義に陥ります。唯物論は、人の意思決定については、神秘主義になります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。すごく興味深い回答だと思いました。


>唯物論ではなく、識が根源であると考えます。そして、「Aが存在する」とは「Aが認識されうる」と定義します。

>>(1)あなたの世界観では物質は存在しますか?

>物質は人によって認識されうるので、存在します。自然数など数学的対象も、人によって認識されうるので、存在します。


人間の認識は間違うことがありますよね。そして後になって正されたり。
そうすると間違った認識をしていた時に存在していたものは、その後認識が新しくなった時に消えて、新しく認識されたものが存在するようになるといことでしょうか。
私は存在は認識の影響を受けない気がするのですが。

また、別の例で考えてみます。
100年前にiPhoneは存在しないですよね。今、私たちはiPhoneを認識できてiPhoneは存在しています。
そうしてみると「認識されうる」とはその時点で認識できるかどうかが問題ということですよね。
では、今年新しい新種の生物Xが発見されたとします。その生物は100年前の時点では認識できなかったですよね。
しかし、100年前にその生物Xは存在していたかと言うと、普通は存在していたと考えるべきでしょう。
ただ、人間が認識していなかっただけです。そう考えると認識と存在は別の話の気が私はします。


>>(2)物質に基礎をおかない物質以外のものがありましたら教えてください。

>自由意志による意思決定です。

なるほど、これは難しい問題だと思います。自由意志は存在するのかしないのか昔から議論が行われていて結論はないようです。



>>(4)唯物論で考えるとどうしても解決できない問題がありましたら教えてください。

>唯物論は、(確率的であれ)決定論になりますが、人の意思決定を決める原因、つまりアルゴリズムは、実質、認識不可能です。特定のアルゴリズムを見たとたんに、そのアルゴリズムを無視した行動をとることができるからです。だから、正しいアルゴリズム>でなかったことになります。よって、認識不可能なアルゴリズムを想定しなければばらず、これは、神秘主義に陥ります。唯物論は、人の意思決定については、神秘主義になります。

これも大変興味い問題だと思いました。確かに唯物論だとサイコロの目のようなものでも物理的なパラメーターを決めてやれば次に何がでるかわかることになりそうです。ですがそのパラメーターの数はものすごく数が多くてとても計算できそうにない気がします。ですから表面上は確率的におきているとみなしてもいいと思います。人間の意志に関しても何らかのアルゴリズムと考えることもできそうですが、さきほどのサイコロとは比較にならないほどの無数のパラメーターを指定する必要がありそれはとても計算できそうには思えません。例えば脳細胞の配置やシナプスのつながりなどです。そして表面上は確率として取り扱うしかないように思えます。人によって回答が違うのは過去の経験の違いもあると思います。
さらに、この問題ではアルゴリズムを見たとたんに(アルゴリズムを知るということにより)その人のアルゴリズムは見る前のアルゴリズムから変化しています。違うアルゴリズムですから違う答えになるのも別に問題ありません。

この問題は自由意志の存在の有無とつながりそうですね。

お礼日時:2014/04/13 19:07

日常的な生活の結果として、感覚的に『自分の外に物体があり、


二次的に心が生じる』と感じる事を、「素朴唯物論」と呼びます。
そうした考えによれば、そうした外に独立して存在する物体は、
原理的に分析し測定する事が、「存在を確定する」事だと考え
られている。

しかし、量子力学の不確定性原理において、空間的な位置を
確定しようとすると、そこに何があるかを意味する運動量の
確率性が無限不確定に発散します(位置(S)と運動量(St)、
時点(T)と質量(Ts)の2対がそれぞれ相補的な不確定性を
なす)。
それは、物体が依存している時空において、時間軸(時間的
流れ=記憶(自我仮説)=過去=超光速)と空間軸(空間的広がり
=予測(時空仮説)=未来=光速下)の、感受表面(量子相互作用
(認識可能性)=現在=光速)からの相補分化(階層現象性の
表面的定性化による非光速性)しており、その仮想的延長に
おいて直交軸を成しているという事だ。

量子論的世界像において、有限的な存在性は認識する事で
生じており、心=宇宙であって、唯物論の基盤である物理の
極限において「唯物論=唯心論」に至ったと言える。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。すみません。お答えに対する否定になってしまいますが、私の率直な考えを申しますと、人間ぐらいの大きさの現象と量子論はあまり関係ない気がします。量子の効果を論じるには人間の大きさがあまりにも大きいと思います。
以下の物質波の式から野球の球の波長を計算すると10^-30(m)となります。
(波長)=(プランク常数)/(質量×速度)
電子の大きさが10^-15(m)ですからそれより10^15分の1の大きさです。そうするとさすがに無視していいのではないでしょうか。素粒子物理の大きさでは正しくても日常の大きさのものにそれをあてはめるのは無理な気がします。
これはもちろん私はそう考えるというだけのことです。

お礼日時:2014/04/13 16:47

すべての前提は不完全のまま存在しているというのが私の世界観です。


完全であることは存在の条件ではないと思うのです。



不完全、といっても土台のない海の上に人間は立つことができませんから
そこで初めて前提という舟を建造するわけです。
多くの前提は、人間社会を支えうるほどには強固なものですが
それでも前提は混沌の海に揺蕩う舟に過ぎず
足を踏み外したり、海を覗き込んで足を滑らせたり、
あまつさえ穴をあければ多くの人間は溺れてしまうでしょう。
ですから、人間は"ある程度の場所"をもって、引き返し、
あえて結論と呼んでいるわけです。



(1)特に唯物論は矛盾しないので、物質は存在していると考えています。
もっとも、私の考えでは唯物論は大きく強固な船の一つですが、
それでも絶対に沈まないということはありえないとも考えています。
ある致命的な不完全性を抱えているためです。(後述します。)



(2)元も子もないですが、「空間」は物質じゃないですよね。
あるいは質問者さんの考えでは「空間」は「存在」していないのでしょうか。

空間を物質で説明しようという試みは面白そうではありますが。
(そして物理学上、物質は折りたたんだ空間、という仮説もあるでしょうけれど)
素直に物質と空間が存在している、とした方がシンプルですし、
同様に、人間が分離して認識している非物質(空間・情報・時間など)を
あえて物質に集約して説明することに意義があるとも思えないのです。





(3)自然科学の結論と成果は受け入れていますし、
一定の確からしさを持っていますが
地球はマルではなく楕円で将来的に線形になったり、
生物は進化しない(自然淘汰されない)
こともあるという自然科学の帰結はおいておくとしても、今後は変更するかもしれない。
自然科学とは、確証性の原理によって"ある程度の状態を結論として"
とりあえず担保されたものに過ぎないのです。



(4)いろいろあるでしょうけれど、最たるものは
自然の斉一性の証明が帰納法でできないこと(グルーのパラドックス)
ではないでしょうか。唯物論と自然科学の前提はここに極めて深刻な
不完全性を抱えているのです。

すべての事象は突き詰めればまったく底の見えない海を探るようなものであって、
最初に書いた通り、溺死の可能性を高めるものです。
自然科学とは、確証性の原理によって、その海に舟を浮かべる行為そのものであって
同時に絶対ではないことを自認してしまっているのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。大変興味深い内容でした。
面白かったです。この回答をいただけてよかったです。

ただ、仰っていることは私が考えていることとあまり変わらない感じがしました。
wiz0621さんは厳密で慎重ですが、私はおおざっぱで単純に考えているだけのような・・・
それが違うのでしょうけど。



>すべての前提は不完全のまま存在しているというのが私の世界観です。

前提というのがもともと「○○が正しいとすると」というものですから前提自身が正しいとは限りませんよね。


>不完全、といっても土台のない海の上に人間は立つことができませんから
>そこで初めて前提という舟を建造するわけです。

なるほど、納得します。


>(1)特に唯物論は矛盾しないので、物質は存在していると考えています。
>もっとも、私の考えでは唯物論は大きく強固な船の一つですが、
>それでも絶対に沈まないということはありえないとも考えています。

仰ることはわかります。そうするとwiz0621は今どこにおられるのでしょうか?
どの船の上におられるのでしょうか?あるいは海の上ですか?

私でも「科学で言っていることは本当に正しいのですか?」と聞かれれば「最も確からしいと思うけど、本当に正しいかどうかはわからない」と答えると思います。ですが日常生活ではいちいち「科学は不完全かも」と考えていません。例えば、外を歩いていたら「急に重力がなくなって宇宙に放り出されるかも」なんてことは心配しません。何かを前提にして生活していると思います。それがwiz0621さんが仰る船なんだと思います。wiz0621さんも何かの船に(おそらく唯物論の船に)乗って生活されているのではないですか?



>(2)元も子もないですが、「空間」は物質じゃないですよね。
>あるいは質問者さんの考えでは「空間」は「存在」していないのでしょうか。

>空間を物質で説明しようという試みは面白そうではありますが。
>(そして物理学上、物質は折りたたんだ空間、という仮説もあるでしょうけれど)
>素直に物質と空間が存在している、とした方がシンプルですし、
>同様に、人間が分離して認識している非物質(空間・情報・時間など)を
>あえて物質に集約して説明することに意義があるとも思えないのです。

すみません。単純に私の考え抜けでした。物質でないものとして、空間と時間は考えることにします。
情報は定義次第のところがありそうです。

確かに何も存在しない空間には「空粒子」が埋まっていると考えるのも面白いかもしれませんね。
あるいは物のあるなしは量子化された空間の状態の違いなのかもしれません。


>(3)自然科学の結論と成果は受け入れていますし、
>一定の確からしさを持っていますが
>地球はマルではなく楕円で将来的に線形になったり、
>生物は進化しない(自然淘汰されない)
>こともあるという自然科学の帰結はおいておくとしても、今後は変更するかもしれない。
>自然科学とは、確証性の原理によって"ある程度の状態を結論として"
>とりあえず担保されたものに過ぎないのです。

なるほど、仰るとおりだと思います。


>(4)いろいろあるでしょうけれど、最たるものは
>自然の斉一性の証明が帰納法でできないこと(グルーのパラドックス)
>ではないでしょうか。唯物論と自然科学の前提はここに極めて深刻な
>不完全性を抱えているのです。

>すべての事象は突き詰めればまったく底の見えない海を探るようなものであって、
>最初に書いた通り、溺死の可能性を高めるものです。
>自然科学とは、確証性の原理によって、その海に舟を浮かべる行為そのものであって
>同時に絶対ではないことを自認してしまっているのです。

科学で主張していることは「結構確からしい仮説」ですものね。
科学が完全かと言われればそんなことはない。ですが科学以外に確からしい手法というのも他にない気がします。確かに今「○○の法則」のように言われていることも未来永劫正しいとは限りませんよね。
正しくなくなったらその時点で、その時点にあった新しい法則を考えればいい気がします。
斉一性の話は勉強になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2014/04/13 16:16

 (1)物質は存在します。


 (2)もともとある心や神を物質である人間は感知するので、“発生”ではないと思います。
 (3)受け入れます。
 (4)唯物論では「精神」は語れません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。物質があるから心や神が発生するという私の考え方とは違いますね。
唯物論で精神を語るのは今は難しいですけど、そのうち出来るようになる気がしています。

お礼日時:2014/04/12 13:40

私の世界観は、根本敬先生の「犬小屋発豚小屋行き」という一言で表されるものに非常に近しいものです。

つまり、糞の中で生まれてゲロの中で死んでいく、という清々しく健康的な思想であります。物質も心も神も自然も、膣腔と直腸の僅かな隙間程度の差しかないものと考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。根本先生というと漫画家ですよね。おじさんが出てくるやつですよね。どんなマンガなのかなあ。
あまり細かいことを考えてもしかたないということでしょうか。

お礼日時:2014/04/12 13:38

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