幼稚園時代「何組」でしたか?

おじちゃん、おばちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん…年上の大人たちは何故年下にご飯やお菓子をたらふく食べさせたがるのでしょうか。食べても食べても出てきます。適量というよりも、残す・残されることを前提に盛った量がきます。うちだけかとおもったのですが、全然関係ないイベントのお手伝いをしたときもそんなかんじでした。

なぜでしょうか?

A 回答 (4件)

私もジジババの年になってきました。



食べ物をあげるのは、愛情をあげることです。
私も昔はこんな風には考えない人でしたが、
子供を育ててると食べ物を与えることは、愛情をあげてることだというのに気が付きます。

それと気も使ってるんですよ。
それが相手の迷惑になるとは思っていません。
足りなかったら悪いから、多めに出すだけです。食べなければいいのです。

ジジババはあなたに気を使ってるのです^^
私だって多めに出しますよ。それが礼儀だと思ってるから
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この回答へのお礼

足りないよりは…という気遣いなのですね
ありがとうございます!

お礼日時:2014/05/30 12:38

私もジジババ年齢です。

久しぶりに見る孫が愛らしく喜ぶ顔が見たいのです。
ひもじい思いを知らない世代には分からないでしょうが、物が無く与えてもらえない時代を経験した者は自分と重ね合う気持ちもあり、そうですね、隣国の孤児が市場で溢された少しの食べ物を掠め取り生きている様は今から70年位の日本です。そんな時代を生きてきたから、もったいない、分け与える、そんな感じでしょうか。今では飽食している孫よりは、時々通ってくる痩せた野良猫に与える感情を感じます。
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この回答へのお礼

なるほど、やっぱり愛情表現なのですね
ありがとうございました!

お礼日時:2014/05/30 12:38

不思議ですね。



「ひもじい時代」を知っている年齢なら頷けます。
お腹いっぱいに小さい頃食べることが出来なかった、だからお腹いっぱいだべることが幸福の定義になっている老人たちもいます。

残すほどの量をおもてなししているという自己満足もありますよ。
ただ厄介なのは逆の立場でもてなす場合に「これだけ?」と見えるおもてなし精神として少なく感じることもあるようです。
あんなにあげたのに、自分にはこれだけ?
その前にきっちり適量を言い、残す時にも納得してもらうしか方法は無いようです。
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この回答へのお礼

こちら側として、いかに相手の気持ちを損ねず
伝える努力をしなければならないとおもいました
ありがとうございます

お礼日時:2014/05/30 12:39

ただ世話を焼きたいんです。


でもジジババだから高等な事はできません。今後を考えると金がかかる事もできません。
世話を焼きたいけど何かできないか、
となるとそのくらいの事しかできないのです
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
気持ちはとてもうれしいのです

お礼日時:2014/05/30 12:39

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