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アリストテレスにとって徳に必要なのは卓越性と中庸になると思います。ですが、この二つに関係性はあるのでしょうか。具体的に言うと、卓越性があれば、中庸も備えることができるのでしょうか。半分Yesで、半分Noの気がします。例えば、知識や技術があれば、極端に陥らないという点において中庸をある程度心得ていることになると思います。しかし、知識や技術があっても、それでも勇気を欠いて行動に移せないということもありえます。
そのため、卓越性は中庸を含むが、中庸はそれ単体で鍛錬をする必要もある。このような理解で合っているのでしょうか。どなたかご教授ください。

A 回答 (4件)

この質問は、わたしの手に余るので、


いいサイトをご紹介します。

http://philos.fc2web.com/aristote/ethica2.html

勇敢さも、それが過ぎれば蛮勇や無謀となり、不足しすぎれば臆病となる。
そして、中庸というのは、その中間ではなく、場面、場面に即した「いい塩梅」ってことになるのではないでしょうか。
この見極めが大切。

わたしのいい加減な説明よりも、
ご紹介したサイトをよく読み、できたら、さらにアリストテレスの『ニコマコス倫理学』を読み、
ご自身でこの問題について思索を深めてください。
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この回答へのお礼

ニコマコスを読んでも、論文を読んでも、どうも明確に答えられていないように思えます。誰も疑問に思われないのか。それとも避けているのか・・・。回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/30 04:38

すみません、ソ連の崩壊やドイツ、


ベトナムの統一も試練があったけど、そう無謀なものでなく
平和のうちに交流が行われたことによります。

生命体は個人勝ち抜き選じゃなく、
一人ひとりが運命の乗客であり
どの船に乗るかで不良も優等生も行く先が決まる。

>中庸はそれ単体
で道が開けたというものではないでしょうね。
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無血改革ですね。


封建制を政府(幕府)が卓越した勇気を持って取っ払った。
これが出来たのは歴史上日本だけですが。
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生命を構成する物質に目的はない。


「目的はない」がゆえに、放っておけばランダムに
なっていくという方向性(エントロピー増大)が生じ、
それは淘汰として進化(開放系として反エントロピー)
につながる。
それは淘汰の反力としての生きよう(強化+増殖)と
する方向性であり、単細胞から人類まで同じ原動力が
働いた結果であり、人類だけ「徳」などという特別な
ものを持ち、他の生物とは異なる特殊な存在であると
考えるのは、西洋的な宗教的考えである。

人類は、個体の進化の先に、脳の発達による社会性
(分業化+組織化)によって、かつて単細胞生物が
分業化して多細胞生物へと進化したように、組織化に
より生存のための力を強化した。
そこにおいて、そうした個体の生命性の社会的拡張を
自覚化できるだけの認識の深まりを怠り、自己チュー
な意識のまま他律的に社会的行動をとらせるための
アメ(お金、出世)やムチ(法規、モラル)を発達させた。
「徳」や「善悪」といった先験的価値も、そうした
ものであり、バカ(低認識)につける方便(西洋的な
モラリスティックな哲学)である。
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