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ほぼ哲学的意味合いのテーマとしてお考えください。

そもそもなぜ「生命が生まれたのか」も問題になってしまい

ますが、それは「はずみや偶然」ということにしてください。

論点は「なぜ(なんのために)進化するか、そのゴールは?」

です。究極的な生物になることでしょうか?だとしたら「なぜ究極的

な生物になるのか、なってどうするのか」

多くの生き物からは「確かな生きる意志」を感じてやみませんが

それはなぜか、なぜ生きるのか…

 少なくとも「個体」としてはやがて消滅することがわかっているのに、

それでも「種」として存続しつづけようとするのはなぜか?

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A 回答 (12件中1~10件)

進化の意味を間違えていませんか。



進化というのは、環境に合わせて変化することです。
進歩という意味はありません。
進化論的に言えば、人間よりも鼠や牛の方が進化しています。
だから、究極的な生物と進化とは関係ないでしょう。
この辺り、間違って理解している人が非常に多いようで
残念です。

○進化している動物
一位:牛、山羊、キリン、豚、らくだ
二位:馬、サイ
三位:象
四位:鯨、海豚
五位:ネズミ、ビーバー
六位:アルマジロ、アリクイ、ナマケモノ
七位:ヒト、猿
八位:コウモリ
九位:カンガルー、コアラ
十位:カモノハシ、ハリモグラ

”「なぜ(なんのために)進化するか、そのゴールは”
    ↑
進化するのは、進化の定義から解るように、生き延びるためです。
「最後に生き延びるモノな何か。最強でも、最優秀でもない。
 環境に適合できるモノが生き残るのである」
従って、そのゴールもありません。
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この回答へのお礼

なるほど、言葉の意味を広くとりすぎていますね、ご指摘ありがとうございます。

サル→人の変化はやはり「進化」ということですかね。

確かにそのように言葉を正確に理解するとご説明いただく内容にうなずけます。

確かに今の人間の生活環境の変化は「人間」という種の進化(変化)というよりは

科学技術などの進歩によるところがほとんどですもんね。

う~ん、やはり自分の考え方を修正する必要がありますね。

とりあえず「なぜ種を維持し続けようとするのか(環境に適応(進化)してまで)」

という問題が残りますね。

お礼日時:2012/06/30 19:21

>生物は なんのために進化するか



環境に適応するためでしょう。

今いる環境が混雑しているとき、また過当競争があるとき、違った環境に移動することで、自らの生存環境を用意に確保できるからですね。

10℃~30℃の水温環境で過当競争があるときに、海底火山近辺の100℃の水温に適応進化することで、みずからの安全な生存環境を確保できる例などが好例だと思います。
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この回答へのお礼

端的でわかりやすい事例回答
ありがとうございます。

お礼日時:2012/07/05 00:04

我々人間の日々の営みは何らかの意識的な目的を持って、その動機にもとづいて行動し、日々その成果を確認しながらそれなりの究極の目標へ向かって努力を重ねつつ生きていいるというのはほぼ事実だろうと思います。

人間とはそういったことをしなければ生きられない精神的存在でもあるわけです(もちろん個体によっては例外もたくさんありますが)。
そういった人間的な存在と、自然、特に人間以外の生物とをいっしょくたに考えること(擬人化)が間違いであることは多くが指摘されるところです。

生物の存在は仰る通り(人間も含めて)はずみや偶然によります。いまある地球上の見事なシステムも数億年の試行錯誤を重ねてここにまで至ったものでその通り、そのなかで我々を含めて自然は宇宙のさらに大きな環境の中でなされるがままに生かされ続けているというのが真実なのだと思います。仰る「生物の進化」という現象も、様々な種の絶滅も、その中で、重力が地上の万物をその法則の中でとどめたり動かしたりしているように、いまある機能と宇宙からの恵みを存分にとりこみつつ生まれ、生き、繁殖し、争い、食い、食われて死んでいくという状況が延々と続いてきたなかでなるべくして起こった結果であり必然だったということをダーうインも言いました。

それらがなぜなのかという疑問はですから形而上からは何とでもいえますし、私見ではナンセンスです。
>多くの生き物からは「確かな生きる意志」を感じてやみませんがそれはなぜか、なぜ生きるのか…
それをいうなら、多くの生き物からは「確かな生きる意志」が感じられてしかたがない、ということでしょう。それはあなたが今は死にたくない、と思っているのと共通した生命の原始的な自己保存遺伝子の仕業なのだと思います。

>それでも「種」として存続しつづけようとするのはなぜか?

惰性でしょうね。
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この回答へのお礼

なぜ地球規模でいわば「生存システムの試行錯誤」が行われ、

バランスのとれた生命の個体数があるのか…

当初のテーマからかけ離れた新たな疑問です…

でも当初より記入の通り、今回のものは

どちらかというと「哲学」っぽい話です。

ある程度話が分岐してしまうことはお許しください。

お礼日時:2012/07/05 00:03

本能がそうさせています。

何故本能がそのような形になるかは、結果論としてそういう本能が「生き残った、この世界を支配した」からです。


具体的には、「性欲が強い」「食欲が強い」「疲れているときは休む意欲が強い」そういう本能を持った生物が、結果的に生き残りました。

多分、性欲も少なく、食欲や生きる気力も少なく、死に急ぐ生命体は、過去に存在したと思います。しかし、それらの生命はほとんどがいなくなってしまい、今地球上にいる生命の大部分は、「自分の死より他の動物を殺して食べて生きる道を選ぶ本能」「子孫を残す意味より性行為をする快楽を優先する本能」などを持った生命体がほとんどなのです。



「優秀な遺伝子」と言う考えは必ずしも正しくありません。例えばオオツノシカの角が大きくなったのは、角が大きいシカがメスにモテたから、そういう子孫が多くなりどんどん角が大きくなった。と言うだけです。

しかし、こういうタイプは環境の変化によってあっけなく絶滅してしまうケースがほとんどです。何故、大きな角のシカがモテたのかは、そのメスの美意識がそう感じさせたからでしょう。


つまり、今生き残っている動物は、優秀な遺伝子だったから生き残ったのではなく、「結果的に」デスマッチに生き残った。だけの話です。



そして、「生物は なんのために進化するか」「「種」として存続しつづけようとするのはなぜか? 」と言うのも、

結果的に、進化と言う名の「適応」が出来た生物が今生き残っている「だけ」。
結果的に、「種」の存続に貪欲な生物が今生き残って言いる「だけ」。


なのです。
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この回答へのお礼

種の存続は結果論、という点だんだんわかってきました。

しかし、(宗教的意味合いではなく)本当にそれだけなのか、

本当に私たちをとりまく「生命のカラクリ」のようなもの

何者かの意志が介在していないのか…

お礼日時:2012/07/04 23:59

進化を意図的なものとして捉えるなら、種として「生き残るため」でしょうか。



遺伝的多様性が環境の変化に適応したものが「進化」
これには意図はなかったが、遺伝的多様性のない生物は環境の変化に対応できず、全滅するリスクが高い。

それを意図的なもののように例えるなら、やはり種として「生き残るため」しかないと思います。

しかし、進化して環境に適応した結果、逆に遺伝的多様性は失われます。そして次の環境の変化で全滅する可能性は高くなる。

環境の激変を乗り越えるのは、多様性はあるが、あまり環境に最適化しなかった、やや古いタイプの生物。

それが新しい環境に適応して新しい種となる。

進化は決して一本道でなく、進化しては絶滅しを繰り返している。

動物で一番進化しているのは、チーターとからしいです。人間は頭でっかちで、一方身体が環境に適応しきれていない分、環境変化に強く、生息範囲も広げることに成功した生物なのではないでしょうか。

だから「究極的な生物」が目標だとは思えません。もっと日々の生存を懸けている多様性の結果が進化なのではないかと思います。
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この回答へのお礼

なるほど、やはり私が一種「目的」と思っていた「進化」はやはり「手段」

ととらえるべきですね。手段として「究極的生物」になることはあり得ても

少なくともそれが「進化」の目的にはなりえませんね…

お礼日時:2012/07/04 23:56

>それでも「種」として存続しつづけようとするのはなぜか?



「種」が存続するのではなく「遺伝子」が存続したいだけ
(生物は遺伝子に操られている、利己的な遺伝子)という
考え方もあります。

子孫を残すのが生物なら鉄の錆(自己触媒作用を持つ)も生物ですか
と高校の生物の先生に質問したら生物とはDNAを持つものと定義される
と訳の分からないことを言われました。
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この回答へのお礼

遺伝子は「種として存続したいわけではない」という感じでしょうかね。

どんな種であれ、究極的には「存続」という遺伝子目的に沿って行動

しているに過ぎない。つまり、その部分ではどの種かは問われない

と考えるのもおもしろいかもしれません。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/04 23:54

根本を成す物質には、特定の指向性はありません‥‥しかし、無目的ゆえに現象的に二次的に生じる必然的指向性、というのもあるのです。


その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。

一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束するのです。

「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。
であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。
生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。

しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。
原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。

お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。

本来それは、分業=助け合いに於ける“感謝のしるし”であるにもかかわらず、いつの間にか(助け合っているはずの人々と)それを奪い合い、お金をもらうために仕方なく働くようになってしまっているのだ。
(その錯覚の端的な例が、取引きに於いて、役に立つものをもらう=助けられている方ではなく、手あかで汚れた紙切れ(お札)をもらう方が、お礼を言う奇妙)
その結果としての“自己チュー”な意識において、死は絶対的な敗北となり、人生は必ず敗北に尽きるものになってしまう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/04 23:51

行動とは、必ず何か目的の為に行われるものなのでしょうか?



もちろんそれが意思の下において行われるのであれば、
どんな益体の無いものであっても、暇つぶし程度の目的はあるでしょうね。
ですが、意識下で行われない行動、例えば心臓を動かして
生命を維持しようとしたり、お腹の中の赤ちゃんに栄養を供給することは、
特に目的を意識しなくとも生きている限り自立的に行われるわけです。
(もちろん、残念ながら目的を持ってその行動を"終わらせる"ことならば
可能ではあるでしょうが。)
つまり、目的を意識せずとも、行動をすることは可能であるわけです。



よくある誤解ですが、実はダーウィンの進化論(自然選択)においては、
進化は生き残るために行われるわけではありません。
進化とは結果の単なる名称のひとつであって、目的は不要としたわけです。

どういうことかというと・・・

過去に子孫を作る能力と意思がある生き物と、
子孫を作る能力が無い生き物が居たとして、
我々の先祖でありえるのはどちらでしょうか?
当然、子孫を作る能力と意思がある生き物のみです。

つまり、我々の祖先は何代も子孫を作る能力と意思がある生き物のみで
あったわけですから、ごくシンプルに、我々もその子孫を作るという
形質を受け継いでいる、というだけの話なのです。


ではでは。
我々の子孫の鼻が長くなったとして、
他の鼻が短い人間の子孫とどちらが生き残りやすいか。

鼻が長い方が生き残りやすい環境と、短い方が生き残りやすい環境。
当然ながら未来のことはわかりませんから、将来どちらが実現するかは解りません。

ということは、生き残る、という目的を果たすために鼻が長くなるわけではなく
たまたま鼻が長い生き物が環境に適合した場合、子孫を作る能力(つまり生き残る能力)を
得ることが出来る。ただ、そういった環境では鼻が短い人間は子孫を作れない。
ということは我々の子孫は長い鼻を引き継いでいくというだけなんです。



結果として今の多様な生命が存在している、というのが進化。
とはいえこの進化論、皮肉な見方をしているわけではなくて、
生命にとって喜ばしい、まったくの福音であるとすら言えるでしょう。
そう、生命とは目的の為に存在するなどという、矮小な存在では無いのです。


つまり生命とは、何かをしなければならない、という目的に縛られた存在では無いのです。
もし、誰かに与えられた生来の目的や使命などというものが存在するのであれば、
それを達成できなかった生命は、まったくの無駄と断じられてしまうことでしょう。

ですが生命とは、目的ではなく結果であり、原因であり続けるのです。
生きている限り、何かをすることができる存在であり、
寿命を迎えれば、何を成したかによって語られる存在であるわけです。
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この回答へのお礼

なるほど、「目的格となるべきものはない」ときましたか。

でも納得です。さすがにダーウィンさんが生命のなんたるかの

すべてを解き明かしたとは思いませんが、うなずけるところは多

いですね。

 ただ、自然界の微妙なバランスの取れ方なんかをみていると

(宗教的意味合いではなく)「何者かの意図」みたいなものを

感じることはあります。神?う~ん、ちょっと違う…

お礼日時:2012/07/04 23:49

>それでも「種」として存続しつづけようとするのはなぜか?



それは簡単です。「種」として存続しつづける能力の弱い生物は、淘汰されただろうからです。言い方を変えれば、これまでの環境に対して「種」として存続しつづける能力のとても弱い生物は現在存在していない。弱肉強食の世界であり、それは今後も続くでしょう。

たとえば、人間が間違って、核戦争やウイルステロで全滅しても、放射能に強い生物(超強いのもいる)、そのウイルスのかからない、動植物、微生物は繁栄を続けるでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど、「種として存続できる理由」という感じですかね。

現在の私の疑問意図としては「なぜ種として“存続しようとするのか”

というか“存続していってどうしたいのか”」といったあたりですかね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/04 23:43

生きることに意味はなく、唯々、生き続ける、生き残り続けることを目的としているのが『生命』であると考えています。


そして、進化というものはそれを取り上げて大上段に構えるものではなく、単に“生き残るために必要な形質”を獲得してきた結果でしかないと思うのです。

何故生きるのか、についてですが、それは本能として遺伝子に組み込まれた情動であり、全ては遺伝子によってコントロールされているのだと思います。
実際に、個としてではなく種として残ってきているという事実も、この考えの裏付けにできるかな、などと考えています。

ただ、遺伝子の誤算なのか、そもそもの設計が自由過ぎたが故のバグなのか、進化の過程でホモ・サピエンスという知能の発達した種が生まれてしまいました。
この種は遺伝子による束縛を疑問に思い、そこから逃れようと一部のものは自殺という手段を取るような変わり種でありながら、種の総体としては他の種を圧倒し、見掛け上、全生命の頂点に位置するものとなってしまいました。

更に遺伝子の束縛である“生きる”という命題について哲学的な解明を試み、また、生物学的分野においては神である遺伝子についての解明を始めてしまいました。
更に、有機的な生命である遺伝子と似せた、無機的な人工知能というものまで開発しつつあります。

結果として、
(1)人類は最終的に遺伝子を解明し尽くし、永遠の生命を手に入れることで種としても個体としても存続しつづけるものとなる

(2)永遠に生きるということを生物の精神は許容できないことが分かり、個としての存続を放棄することになるが種としては存続し続ける

(3)個としての永続性の獲得は種としての終焉に繋がり(自然発生的な種全体においての恋愛感情の希薄化・消失、出生率の低下、などとして現れる)、最終的には消えていくことになる

(4)そもそもの発想が根本的に間違えており、実は遺伝子というものは“進化”によって生み出されたもので、人類は単に有機生命体と無機生命体との架け橋として生み出されたものに過ぎず、最終的には有機生命体は消滅してしまい、無機生命体が宇宙に広がっていく

とかなんとか・・・妄想するのは楽しいですね。
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この回答へのお礼

ご返答ありがとうございます。

今回のテーマを出し。皆さまから教えていただき

「ちょっと自分の知識が浅はかだったかな」と感じています。

ただ、日々人に触れあるいはペットをかわいがり、また

そのペットを見送る時のことなど思うと、「なぜ生きるのか」

「このペットはなんのために生き、なぜ死ぬのか」など時折

考えます。

お礼日時:2012/06/30 19:25

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Qなぜ進化する必要があるのか

進化するほどにその種が絶滅するリスクは高くなりますよね。
多少の変異をしたのち微生物のまま深海からエベレストの天辺まで生息範囲を広げていた方が絶滅のリスクは低くないでしょうか。
微生物が人間へと進化する必要があったでしょうか?

Aベストアンサー

返信ありがとうございました。
ようは現代科学の唯物的な考えと人生の意味や超越的存在の意志の有無などの哲学的な考えのすり合わせに苦労されている、というところでしょうか。

ご自身でもある程度結論は出されているようですが、自分なりの考察を書いてみます。


・進化心理学的には人生に意味はないのでしょうか。
あるないというより、扱っていません。あくまでも進化心理学は進化論の考え方から人間の心理が発生したメカニズムを解き明かそうという学問です。それに対して人生の意味とは個人個人が見出すものであり、感情的なものでもあります。全く別物なんです。それはそれ、これはこれ、というべきか。
仮に進化心理学が完全に正しいとして、私の感情は進化論的に機械的に生み出されたものだとします。好悪も優しさや怒りも全て生存のために生み出されたものだとして、それが私が見出す私の人生の意味に何か関係するでしょうか?私が「私の人生とはこのためにあったのだ!」と思うことにはどうでもいい話です。
科学というのは物差しみたいなものですから。私の身長が170cmであることと、私の生きる意味は直接的な繋がりはないですよね。まあ、もしかしたら好きな女性に「身長180cm未満の男なんて嫌い」と言われたら身長170cmの私に生きる意味はないんだ~、なんて思うかもしれませんけど(笑)。進化心理学もそんなもんですよ。


・なぜ進化論は進化に意味や目的がないと考えるのか
もともと自然科学は神の意志の否定から始まりましたから(ざっくりした言い方ですので完全に正しい言い方ではありませんが)、そういう考え方が強いのでしょう。
昔は全ての現象は神の意志による、という考えでした。例えば雷は神の怒りとか神の超能力である、と考えてそこで思考は止まっていたわけです。でもそれに対して、特定の何かの意志である、という観念を捨てて、客観的なメカニズムを分析し、観測してその原理原則を見出そうとするのが自然科学の基本です。雷であれば雷雲の中で上昇気流によって生じる静電気が~、といった感じで。
進化論についても、それまでは神様が生物をデザインして作りだしたのだ、という考えからの脱却の過程で、神に依存しない生き物の肉体の形成の原理原則を調べる過程で生み出された理論です。ですので、進化という現象そのものに関しては神の意志は想定しません。そして神の意志を想定せずとも進化は起きうると考えて良いだろうと現状のデータからは一般に考えられています。

とはいえ、進化に神(かなにか)の意志が働いていると仮定し、それについて研究することはけして非科学的なことではありません。もし神のような存在が実在し、その意志で世界に対して干渉しているのなら、その神や神の意志ですら自然現象の一部であり、研究対象となりえます。もしそうであるならば神の意志の実在を示す客観的な事実が存在し、それが発見されれば「進化にはなんらかの存在の意志が干渉している」という学説がでてくることでしょう。
ただ、現状の研究では「神の意志が実在し、進化に干渉している」ということを客観的に示すデータが見つかってはいないようです。ですので現状では「進化は神の意志なしで起きているのだろう」と言わざるをえません。
そこからさらに踏み込んで「進化に神の意志は絶対に関わっていない」と考えるかどうかは個々人のスタンスの問題ですね。


・矛盾なく説明はするけれども正しいと言えるか。
言えません。そもそも科学のやり方自体が「真実かどうかは分からないがデータと矛盾なく説明できるなら正しいと仮定する」というものです。人間の能力には限界がありますので完全無欠に真実を見出すことはできません。後々、新しい情報で古い考えが否定されることはよく起こっています。だからこそ、どんな理論も後年にどんどん修正されていくわけです。ここらへん、科学に直接関わってない人が陥りやすい落とし穴ですね。科学者は別に自分にも科学にも絶対の確信をもって研究しているわけではないんですよ。あくまでも現状のデータからするとこう言える、の繰り返しです。でもこれを繰り返すことで少しずつでも真実に近づいているのではないか、と考えるわけです。進化論が絶対的な真実はどうかはともかく、進化論が正しいかどうかの研究のなかで遺伝子やDNAのメカニズムが解き明かされ、様々な技術が生み出されていますし。



・>人間が作為的に選別しているのですからいわゆる自然淘汰とは違いますよね。
>しかし、進化論でその作為を見抜けますか?
>例えば一万年後にダックスフントの子孫が生き残っていて品種改良に関する情報がなかったらどうでしょう。自然淘汰と作為の違いを見分けることが出来るのでしょうか。

状況次第ですが原理的には恐らく可能かと思います。ダックスフントが発生した時期に短いスパンで急激に犬の骨格に変化が生じてるのは明らかですので、犬の化石なりなんなりが1万年後に十分発見できたのならば、そう結論付けることは可能かと思います。今でも家畜の育種改良は何千年前から起こっていた、というような研究はされていますし。無論、超能力を持った誰かが意図的に犬の育種改良の証拠を全て消してしまったとすれば難しいことですけど。その時は超能力を持った存在が実在したというデータを発見できるかどうかですね。



・先にご説明した通り結果は同じなわけですからそれを見抜けるかという事なんです。
見抜けるかは分かりません。状況次第です。もしも誰かの意図が生物の進化に干渉しているのならそこにはそれを示す事実が存在します。例えば1時期だけ不自然に生物の進化の速度が早い、遺伝のメカニズム的にありえない変化をしている、など。それを示す情報を見つけることができれば見抜くことは可能でしょう。見つけられなければ見抜けないでしょうね。
ただ、それを見抜く方法論としては現状の自然科学の考えがベストとは言えないかもですが、ベターではあると思います。
現実問題、人間は絶対的に正しい真実を見抜く超能力は持っていません。人間の今持っている能力を駆使して真実に近づいていくしかないんです。とにかくデータを集めて考察をする、そしていつか、より正しい理論が発見されることを祈る、それだけです。重要なのは進化論が絶対的に正しいかどうかではなく、そう議論し、研究をすることで新しい知見を得ることではないかなと思います。
実際、正しいかどうかは別として進化論を否定する学者や進化論とは別の理論を発表する学者、進化論に新しい理論を組み込む学者も多数いますから。
それに仮に本当は進化に意志が関わってるとしても、進化に意志が存在しないというスタンスから研究することも間違いではないんですよ。方法論としてはよくあります。答えがAかBか分からない時に、あえてAが絶対に正しいと考えて研究することで、本当にAならそれが正しいというデータがでるはずですし、正しいのはBならばAではない、というデータがでますから。


・進化論を含め科学では扱えないことを「無い」と言い切る根拠です。
これは言葉の解釈の問題かと思います。前述の内容である程度はご理解いただけるかな、と思います。



・>>必要もなにも、別に誰かが人間を必要として進化させたのではなく、細胞構造が変異していったら
>>人間になっただけですよ。

>どうやってそれを証明するのですか?
一応、されています。それが絶対的に正しいかどうかは分かりませんし、質問者様が納得するかどうかも分かりませんが。


・進化する目的は何かという事はすなわち生命が存在する意味は何かという問いなんですよね。
あくまでも進化論は進化のメカニズムに焦点を当ててるわけでして、私がどこかに歩いていく目的を調べることと、私の歩行のメカニズムを研究することは別な話でして。
自然科学とはHow(どうやって?)を追求する学問なのでWhy(なぜ?)を追求する学問ではないんです。このことを200年前から科学者が科学に携わってない人に説明するのに苦労している話が残っていますね。


ひとまずこんなところで。またこれに関して疑問などありましたらよろしくお願いします。

返信ありがとうございました。
ようは現代科学の唯物的な考えと人生の意味や超越的存在の意志の有無などの哲学的な考えのすり合わせに苦労されている、というところでしょうか。

ご自身でもある程度結論は出されているようですが、自分なりの考察を書いてみます。


・進化心理学的には人生に意味はないのでしょうか。
あるないというより、扱っていません。あくまでも進化心理学は進化論の考え方から人間の心理が発生したメカニズムを解き明かそうという学問です。それに対して人生の意味とは個人個人が見出すも...続きを読む

Q進化はなぜおきる

進化はなぜおきるのでしょうか。
進化は今後もおきるのでしょうか。
ヒトや犬や猫など、動植物は今後も進化を続けていくのでしょうか。

Aベストアンサー

進化は結果です。遺伝子は世代を重ねるごとにランダムに変化しています。その結果不利な変異が発生したものは子孫を残せません。子孫を残したものの中の一部が有利な変異を持つものができます。世代を重ねると有利な遺伝子の割合は増加します。これが進化です。
犬や猫は今後も進化を続けるでしょう。今生き残っている犬は人間から見てかわいいはずです。人間から見て「かわいい」という特徴が犬が生き残るための重要な特徴だからです。
人間も進化はすると思います。ただ、人間の進化は今後は性による進化しか起こらないと思います。病気に強いとか、頭がいいなどという特徴は以前は生き残るための重要なようそでした。しかし、今はよほどの遺伝的な欠陥がないかぎり医学の力や福祉のためだれでも生き残れます。子孫を残せるかどうかは異性と子供をたくさん作れるかどうかで決まります。今後の人間の進化はそういう方向に進んで行くと思います。

Q人間の定義とは?

人間の定義とはなんでしょう?自分なりに考えてみましたが、結局わかりませんでした。皆さんのご意見まってます。

Aベストアンサー

人間から生まれた動物、つまり人間の遺伝子を持つ動物は、遺伝情報が多少異常であっても人間ですよね。

ところで遺伝子の異常や後天的な病気や事故のためにさまざまな障害を持ってしまった人たちがいます。彼らのことをぼくらは当然、「人間」だと考えるわけですが、「人間とは~する動物である」という定義の仕方は、往々にして彼らを排除してしまいがちではないでしょうか?

脳死だったり脳死に近い人は遊べません。腕がつかえなくて火をおこせない人もいるでしょう。足が無ければ二足歩行はできません。道具が使えない人もいるはずです。考えることも、失敗することも許されない人だっているでしょう。でもその人たちも「人間」ですよね。

「人間とは~する動物である」という定義の視点は、平均的な個人の能力を判断の基準にし、しかも人間を一個体として完結した存在だとする人間観があります。それは近代的な人間観で、たとえばデカルトが「我思う、ゆえに我あり」と説いた自己完結的な人間観です。

ところで日本の哲学者で和辻哲郎という人がいます。彼は、日本語の「人間」という言葉が本来は「じんかん」と読まれ、「よのなか」を意味することを指摘したうえで、その語が今では個体としての「人」をも意味するようになっていることに注目します。そして「人間」という言葉には、ふたつの側面があると考え、「人間が社会であるとともに個人である」という結論を導いています。

では次に和辻の人間は社会であるということを考えてみたいと思います。これはたとえば、事故などのために意識不明に陥り、回復が極めて困難な状況に置かれている人を想像されるとわかりやすいと思います。彼/彼女は病院に収容され、医師から治療を受け、看護士にケアされ、家族や友人に回復の望みを託され、脳死ともなれば医療関係者やマスコミにも注目されるというかたちで、本人の意思とは関係なく、社会的な関係において「人間である」と定義付けられています。彼/彼女の存在はまさに「社会」そのものです。「社会」(=関係、人と人との間)であることによって、彼/彼女は「人間」でもあるわけです。これは極端な話をすれば、僕らは生まれる前から人間だったし、死んだ後もまだ人間であることができるということにもなります。生まれる前の赤ちゃんに声を掛けたり、亡くなった人に弔辞をおくるという行為は、胎児も死者も社会的な存在として認めた上で行う行為なのですから。

次に、和辻が提示した人間のもう一方の面、人間とは個人である、ということを検討しておきましょう。それはつまり人間とは、社会を形成する集団の一般性へとはまったく解消され尽くさない、絶対的な個人であるということです。ここで近代的な人間観を思い出してください。そこでは「人間とは一般的に、こうだ」ということが述べられているのであり、それは非常に抽象的で、個性の欠片もないのっぺりとした存在であることに気付かされます。しかし現実の世界において、だれもが少しづつ欠如した存在であり、どこかしらバランスを欠いています。Aという主張をする人もいれば、反AやBという主張をする人もいるし、Cという行動ができない人もいれば、その行動が得意な人もいる。そこでは、人間を定義するとき、一般的な性質や能力をもってよしとする姿勢は、とても非現実的な営みに堕してしまいます。

さて、人間は一方でひとつの社会であると述べました。またその一方では人間は社会に解消され得ない個人であるとも述べました。ふたつの定義は矛盾しているように聞こえます。しかし社会を成立させるためには個人が社会に解消され尽くさないことが大切なのです。というのも社会とは、個人が個人であることによって成り立っているからです。前に挙げた病院の場面を思い出してください。そこに社会が成立しているとすれば、ひとりの意識不明の患者の抽象的でない個人としての現実的な付き合いがそこに展開されていると考えるべきでしょう。家族との付き合いも、医者が行う治療も、看護士のケアも、会社の同僚や古くからの友人もすべて彼/彼女という一回性の個人に対してはじめて、現在の行動を取ることができ、関係を持つことができたわけです。そこにはまぎれも無く個人を媒介に成立した社会があります。

さて、そのような和辻の所見に照らして、「人間とは~する動物である」というような近代的な人間観を見てみると、人間の包括的な定義としては十分でないどころか、まったく見当違いなことを言っているように思えます。つまり和辻に従えば、人間とは、「社会」であり、「個人」でもあり、必ずそのふたつの側面を有していなければならないということになります。しかし、「人間とは~する動物である」型の定義は、そのどちらも充たしていないように、僕には思えるのです。

人間から生まれた動物、つまり人間の遺伝子を持つ動物は、遺伝情報が多少異常であっても人間ですよね。

ところで遺伝子の異常や後天的な病気や事故のためにさまざまな障害を持ってしまった人たちがいます。彼らのことをぼくらは当然、「人間」だと考えるわけですが、「人間とは~する動物である」という定義の仕方は、往々にして彼らを排除してしまいがちではないでしょうか?

脳死だったり脳死に近い人は遊べません。腕がつかえなくて火をおこせない人もいるでしょう。足が無ければ二足歩行はできません。...続きを読む

Q人はなぜ進化したの?

大の大人が子供のような質問をいたします。


前から不思議に思っていたのですが、

なぜ、地球上で、ヒト(人間?)だけが脳を高度に進化させる事ができたのでしょうか。

たしか、恐竜が栄えた期間は、人間よりも遥かに長いと習いました。


恐竜は、これほど長く地球上にいたのに、どの種も脳を進化させられなかったのでしょうか?
同じ地球上の種なのに…。


それとも、地球上の生物で、ヒト以外にも脳が進化した種があったのでしょうか?
絶滅して、あまりに長い年月が経ち過ぎて、その痕跡がないとか…。


もしや、ヒトは他のどの種にも属さないもので、地球以外から移住してきたとか…。なんてことないかな。



小学生の頃から思っていた疑問です。


皆さんのご意見、学説などをご教授して頂けたら幸いです。

Aベストアンサー

人類は確かに巨大な脳を手に入れましたが、あくまで「偶然」の産物ですよ。ほかの種が脳を巨大化させられなくても、不思議ではありませんよ。

また一方で、カラス、チンパンジー、イルカ・・・、高度な社会性や道具を使える知能を持つ種はほかにも存在しますよね。また、それらはヒトの持たない生物学的特徴(飛べる、泳げる、木の上で生活できる、などなど)を持っています。人のように脳を巨大化させることが、必ずしも進化的に有利とは限らないのです。

たとえば、ヒトは地上に降りて、二足歩行を行うようになり、手で道具を使う過程で脳が進化していったなんて話は聞いたことがあります。また、以前から読もうと思ってまだ読んでないのですが、下のような本も出ています。

火の賜物―ヒトは料理で進化した
リチャード・ランガム, 依田 卓巳
レビューはこちら
http://yoshibero.at.webry.info/201006/article_21.html

こういう学説もありますよ、程度に。
まだまだ専門家の間でもコンセンサスの得られているものではないのでしょう。


さて、あとはテキトーにコメント

>それとも、地球上の生物で、ヒト以外にも脳が進化した種があったのでしょうか?
>絶滅して、あまりに長い年月が経ち過ぎて、その痕跡がないとか…。

完全にないとは言い切れませんが、化石や遺物が全く残ってない以上、存在しないと仮定するのが科学ですし、おそらく本当に存在しなかったのでしょう。現在オーパーツと呼ばれているのモノの大半は偽物だったり自然物だったり当時の技術で十分可能だったりで、過去に高度な知能を持った別の種の存在を肯定しません。

>ヒトは他のどの種にも属さないもので、地球以外から移住してきたとか…。なんてことないかな。

ないです。霊長類との遺伝的な類似性、哺乳類全体でのシステム的類似性、あるいは様々な化石記録などが、すべて、ヒトが生命の進化の過程で生まれたことを示しています。火星由来説はあまりにもナンセンスです。

人類は確かに巨大な脳を手に入れましたが、あくまで「偶然」の産物ですよ。ほかの種が脳を巨大化させられなくても、不思議ではありませんよ。

また一方で、カラス、チンパンジー、イルカ・・・、高度な社会性や道具を使える知能を持つ種はほかにも存在しますよね。また、それらはヒトの持たない生物学的特徴(飛べる、泳げる、木の上で生活できる、などなど)を持っています。人のように脳を巨大化させることが、必ずしも進化的に有利とは限らないのです。

たとえば、ヒトは地上に降りて、二足歩行を行うようにな...続きを読む


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