この人頭いいなと思ったエピソード

現在の中国では北と南では通訳が必要なほど言葉が違いますが,
昔,三国志時代にも通訳はいたのでしょうか?
多民族国家ですばやく命令を出さねばならない時に通訳を介してたら遅くなる気がします。又,一人で何か国語(方言)も話せるとは思えませんし。
どうでしょう?

A 回答 (3件)

ちなみに,『学研漢和大辞典』によると,「通訳」という言葉(意味も今と同じ)は『後漢書』にすでに見られるそうですから,少なくとも三国時代の直後には通訳は存在したもののようです。

文脈を見ていないので,どのような人の間で必要とされた通訳なのか不明ですが。
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通訳を介してタイムラグができるとしても,通訳を介さなければそもそも伝わらないわけですから,やはり通訳はいたはずです。

あるいは,(中央と言葉の異なる)地方の偉い人たちは,基本的に中央の言葉が使えなければやっていけなかったのかもしれません。それなら政治的な命令系統において「通訳」は不要だったということになりますが,それ以外の場面で通訳が必要とされることがなかったとは考えられません。

ご参考までに,やや時代は下がりますが,日本書紀には,607年に小野妹子を遣隋使としたとき「鞍作福利」という人を通訳(当時は「をさ」といった)につけたという記事があります。さらに下って10世紀には,旅行者向けに「中国語-チベット語」「中国語-コータン語」(コータン語は西域で話されていたイラン系の言語)の会話練習帳が作られていて,敦煌から出土しているそうです(「サンスクリット-コータン語」とかもあるらしい)。言葉に関する状況は,昔も今も変わらないと考えて間違いないと思います。
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中国のことは分かりませんが、一般論として古代でも、中国に限らず言葉が違えば通訳がいたことは間違いありません。

(通訳という職業人がいたかどうかは別として)ローマ軍がヨーロッパに攻め込んだ時、現地にはラテン語を理解する人は一人もいなかった筈です。スペイン人がはじめてメキシコ(マヤ、アステカ帝国)やペルー(インカ帝国)を攻めた時、原住民はスペイン語を理解出来ないし、スペイン人は原住民の夫々の言葉は理解出来ません。日本にフランシスコ・ザビエルがカトリック教を伝えたときもザビエルは通訳が必要だった訳です。

地球上のいかなる地域でも、孤立した例外中の例外の民族でないかぎり国境の人々と交流があり、場合によっては混血もしています。彼らが貴重な通訳になるのが普通です。アメリカ・インディアンのように手話によってほぼ全部族が理解しあっていたケースもあります。スペイン人を助けたのは難破してインディオに助けられていたスペイン人と二カ国語(マヤとアステカ)が出来た原住民の女性でした。スペイン語→マヤ→アステカという三カ国語の通訳となった訳です。

中国でも同じようなことがあったと推測できますが、ひとつ事情が違うのは彼らは
筆談ができたということです。種子島にポルトガル人が漂着したとき、領主との会談はポルトガル人に同行していた中国人を介した筆談(ポルトガル語→中国語→
書かれた中国語)だったといわれます。昔の日本人は中国人の出身が(方言)どこであれ、筆談が出来たのです。
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