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カール・マルクス『共産党宣言』第1章ブルジョワとプロレタリアを、「ブルジョワジー」を「グローバリズム」に置換ると、今の時代の縮図がそのまま描かれる。



グローバリズム(原文は「ブルジョワジー」)は、支配力を握ったところではどこでも、あらゆる封建的で家父長的で牧歌的な関係を終らせました。それは、人をその「当然な上位者」とつないでいる色とりどりの封建的絆を容赦なくひきちぎり、人と人の間に、むきだしの自己利益以外の、冷淡な「現金払い」以外のいかなる関係も残しませんでした。宗教的情熱や騎士道的熱狂や俗物的感傷の天上的な陶酔は、自分中心の打算の氷のように冷たい水の中で溺れ死にさせられたのです。グローバリズムは人格的価値を交換価値に解消してしまい、数多くの取り消されない特に許された自由のかわりに、ただ一つの良心なき自由、自由交易を据えたのです。一言でいえば、宗教的で政治的な幻想で覆いかくされた搾取を、むきだしの、恥知らずで、直接的で、粗暴な搾取と取り換えたのです。

http://real-japan.org/%E5%81%BD%E8%A3%85%E4%BF%9 …


マルクスの時代の縮図が、今現在も続いているとは・・・。しかも、当時は共産主義者がその縮図の打開に戦っていたのが、現在は保守主義者がそれと戦っているとは皮肉な話です。


右翼、左翼は経済政策や安全保障政策などの葉や枝先は全く違うが、根っこは近い存在である。これは何故ですか?

A 回答 (9件)

物事の考え方が中庸か極端か。



極端の方向が右か左か違うだけで極端に変わりはない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


>右か左か違うだけで極端に変わりはない。

これが、製品なら方向性の違う極端なら、全く別物になります。


しかし、製品と思想は違う。

思想の極端の共通性は、根源的な思想の共通性を生み出す。
と言うご意見でしたら、詳しく教えて頂ければ幸いです。

お礼日時:2014/07/11 08:42

>右翼、左翼は経済政策や安全保障政策などの葉や枝先は全く違うが、根っこは近い存在である。

これは何故ですか?

この質問が、「そのままこの質問の回答」になる。

思想が似るのは、至極当然の事であり、何も不思議な事はない。

読んで字のごとく、「右翼」も「左翼」も、同じ「翼」が元である。

これが、「右腕」「左足」であれば、初めから争う事も無ければ、交わる事もない。

「水」と「油」。
「白」と「黒」。
「光」と「影」。

どれも、「根っこが近い」、つまり、同じ本質、同じ性質が、互いの中に存在するからこそ、完全な対局に別れる事が出来る。

ただ、その元となる「本質」を重視した場合、どちらが正しくて、どちらが間違っていると言う事はないと言う事である。

対局する相手を否定する事は、自身を否定する事と同義。

右翼と左翼は、「矛」と「盾」の関係と同じ。
いわゆる「矛盾」である。

「本質」を失ったものは、いずれ、自身の正義も見失う事となるだろう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>読んで字のごとく、「右翼」も「左翼」も、同じ「翼」が元である。
>同じ本質、同じ性質

なるほど。


ちなみに、サッチャーやレーガンは、マルクスが否定している新自由主義を実行したグローバリストでありますが、この場合は、彼らは右翼?左翼?中道?どちらとも属さない?

(サッチャーはイギリス保守党。レーガンも保守主義者。彼らは、マルクス共産主義者と同じ理念を共有していない。右翼と左翼は方向性が全く違うので、普通はこうなる。これなら、私も疑問を抱かない。)

お礼日時:2014/07/11 09:44

※ 「ブルジョワジー」を「グローバリズム」に置換る。


勝手な置き換えをするから、訳が分からなくなる。
無理解ぶりが窺えます。
もう一度色眼鏡を外して、『共産党宣言』を読み返してみましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>※ 「ブルジョワジー」を「グローバリズム」に置換る。
>勝手な置き換えをするから、訳が分からなくなる。



これはつまり、マルクスの主張する「ブルジョワジー」と「グローバリズム」の本質は異なると言う主張ですね。


世間では「ブルジョワジー」とはどのような事を言っているのか、確認のためwikiを調べてみました。wikiを読めば読むほど、現在の「グローバリスト」が当時の「ブルジョワジー」だったのだと感じます。

そして、マルクスもその認識で「ブルジョワジー」を批判していると、私は理解しています。

しかし、先生はさぞマルクスを知り尽くしている方のようで、「マルクスの言っているブルジョワジーとは、wikiで書かれているようなブルジョワジーではない。」と言うご意見なのでしょう。



是非とも聞きたいです。
マルクスの言っている「ブルジョワジー」とは、何なのでしょうか?

お礼日時:2014/07/11 10:13

「右翼=既成権力者による独裁」か「左翼=労働者から出た


フリの権力者による独裁」かの違いですから、似ていると
言えば似ています。
ただし、本来の社会主義・共産主義と、現実の社会主義国・
共産主義国は全く別で、「労働者の国」と言いながら政府は
労働者を抑圧し、労働者も自分たち主導の社会などと思わ
ずノルマの範囲で質の低い生産に堕した。

結局、市民が真に自律的な社会性を有するなら、どのような
社会体制であれうまく行くし、自己チューなままでは、どんな
体制であれ腐敗するという事だ。
ただ資本主義は、そうした自己チューなバカ同士が目先の餌
に釣られて働き、争い合って進歩する、バカでも機能する必要
悪な社会体制だったので、「腐敗」仕方がマシだっただけだ。

そもそも社会主義思想は、その階級闘争が使用価値=物欲を
前提として起きるとする時点で、資本主義と同根なのだ。
右翼vs左翼などと、両端に分けるほどの違いはない。
私は、そうした分業化における“お金や出世といった馬車馬の
目の前のニンジン”が、人々の自律的な生(助け合いとしての
分業=愛による労働=生きること自体による充足)を阻害し、
お金をもらうためにイヤイヤ働かされる弱肉強食のジャングル
と化してしまい、真の生きる目的である精神的充足量の最大
化に反する結果を招いているという分析から、貨幣制に反対
しているが、共産主義といえども貨幣制に依存している以上、
極右・極左より極端だと言える。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど、左翼も右翼も、一部の代表者が多数の有権者の支持を集めないといけないので(社会体制によるが)一部の既得権益者(ブルジョアやグローバロスト)を打倒目標にして、それに搾取されている圧倒的多数を味方につけると言う構図は同じですね。

だから似るのですね。

ありがとうございました。



>市民が真に自律的な社会性を有するなら、どのような
>社会体制であれうまく行く

そうですね。賢い有権者の社会体制は民主制。馬鹿な有権者に一般投票権がある社会体制は衆愚制。
民主制になれるように、私も勉強していきます。

お礼日時:2014/07/14 18:52

多分、支配思想であることが同じ。



天皇陛下万歳、は言うに及ばず
社会主義も「支配」という軸で世界を
見ようとしてしまう。

支配を拒むには、皆で一緒に闘おう、と考えるけど
民衆は基本的に身勝手で個人主義だから結局
組織と言うヒエラルキーを自動生成してしまう。
人民の義務を誇張しすぎるから、民主主義以上の
権力構造が出来上がってしまう。

結局支配者と支配構造を生み出す魔法式なんだ。

そこが同じ。

どちらも正義を熱く語り過ぎるし、どちらも崇高を定義し、
被支配という絶対服従を要求するし、どちらも支配を
受け入れることで個人が幸せになる、という押しつけを
正当化する。

科学文明はとてつもなく発達したし、先進国では
高い社会の文化レベルを持つに至ったけど、人間は
一万年前の古代人と、殆ど違わないはずです。

現代の日本人が原始時代にタイムスリップしたとしても
喧嘩が強い奴、仲間を率いて暴れられる奴、女に
かしづかせられる奴は生き残るだろうけど、頭でっかちの
ホワイトカラーで、ちゃんとやってける奴は少ないだろうし。

女などもより美醜と若さが大事にされるだろうしね。
別に侮辱する気はないけど、39歳で中々結婚出来ない、
なんて、原始時代に送り込まれたら即座に変な高齢女として
どんな目に合わされるか知れないしね。

逆に、一万年前の赤ん坊を現代に連れて来てちゃんと
教育して育てれば、全く普通の現代人として成長すると
思うし。

右だろうと左だろうと、社会を形成し、高度に発展させて
行くには「支配」という駆動システムが無ければ進化しない。

小さくても大きくても組織の中に合って上位に立つか
下位に甘んじんるか、序列の中でどの辺りに満足するか。
或いは、全てを捨て世捨て人として一人で自然の中に身を
置いて、ただ一個の命として生涯を全うするか。

結局、人間自体が社会の支配と言う仕組みの中でしか
何もでき得ない、ということが二つのイデオロギーが
結局社会に対して及ぼす影響の基本構造が同じである
理由なんじゃないかなあ。

と、回答者はぼやいてみたりします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>影響の基本構造が同じである
>理由なんじゃないかなあ。

なるほど。ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/14 18:55

>右翼、左翼は経済政策や安全保障政策などの葉や枝先は全く違うが、根っこは近い存在である。

これは何故ですか?
⇒なるほど、面白い現象ですよね。

 私は経済や政治思想については門外漢ですので、的外れなことを述べるかも知れませんが、お許しください。つまり、「近い存在」なのは、「右翼と左翼」でなく、「極右と極左」なのだと思います。抽象的な言い方ですみませんが、円環の上の一点Aから左右に向かって線上をたどると、始めは離れていきますが、いずれまた双方ともA点に戻りますね。右翼も左翼も、始めは対立して、それがエスカレートしていく。どんどんエスカレートしていくと、すなわち互に極右化・極左化していくと、終いには似たようなところに(戻って)来る…、ということではないでしょうか。

 なぜかと考えるに、何でも「永遠に直線的な変化をすることはあり得ない」からだと思います。経済の「右肩上がり」は永遠には続きませんよね? なぜか。「この世は有限だから」ではないでしょうか。還元すれば、「無限を想定しない限り、永遠に相互離反・乖離していく現象はあり得ない」、ということだろうと考える次第です。
 ところで、「ウロボロスの蛇」というのをお聞きになったことはありますか? 物理学や天文学分野の術語で、蛇が自分の尾をくわえて円弧を描く姿で「極大は極小につながる」ことを表わしています。このことから私は、「ある点から直線的にどんどん遠ざかっていって、あるところ(特異点)を通過すると、出発点に近づいてくることになる」、と言えるのかも知れない、と考えています。

 このような考え方を「円環思想」と呼ぼうと思います。ここで問題となっている決まり文句「極左は極右に通ずる」はもちろん、「過ぎたるは及ばざるが如し」というような格言なども、この考え方と一脈通じるところがあると思います。
 さらに言えば、本来は直線的に並ぶ電磁波の可視光部分を「色素円環」に配列する場面に見られるように、円環的発想は、直線と円環、無限と有限、もっと言えば、乖離と集約、対立と合意、闘争と和平の接点を模索する発想とまで言えるのではないか、と考えております。

 以上、ご質問の趣旨から離れてしまったかも知れませんが、個人的解釈によるご回答まで。
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この回答へのお礼

>「右翼と左翼」でなく、「極右と極左」なのだと思います。

その視点は私も同感です。


そして、その説明とても参考になりました。
ありがとうございました。



*
屁理屈豆知識を言うと、世界基準で極右とは「自分たちの民族が良ければ、外国人はどうでも良い」と言う思想。具体的には、イスラエルとかが極右。であるが、そういう屁理屈はこの場合除外とする。日本的極右・極左は似ると言う感じの意味。

お礼日時:2014/07/14 19:02

>右翼と左翼は、何故思想が似る?



右翼も左翼も国民一人一人の幸福を最終目標に掲げているからでしょう。

問題は似非右翼、似非左翼、中立を装う似非メディアの存在ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


>右翼も左翼も国民一人一人の幸福を最終目標に掲げているからでしょう。

たしかに。
国民受けするお題目は、同じ理念で通用しますね。

お礼日時:2014/07/14 19:04

人々は善は善である、と考え、善が悪である事を知らない。

美は美であると考え、美は醜であることを知らない。善と悪、美と醜い、愛と憎、得と損、・と・ ・・ これら、相反する2っのものは、対立し、
規制、しあいながらも、一つの統一体をなすものである。・・
これは「老子」の二章であり、名は名にして常の名にあらず、の具体的説明になっています。
善は善である、は A=A であるが、それでは、存在にならない。A-A=同じである。
Aが1(イッ、なる、統一体としての) 存在となる為には、A×(1/A)=1 でなければならない。
Aを善と名付けると、その逆である1/Aは悪と名付けられる事になる。すなはち、善=悪 となる。
この考え方は、世界の在り方、起こり方、としての、道(とう)でもある。
道は道にして常の道にあらず、道=道 道-道=0 では、世界は起こらない、常でない道、 すなはち
(1/道)が一体となって、つまり、(道×1/道)=1 となって世界は現れる。
かって、理解出来た者が1人もいない難解な哲学、と言われる。老子の考え方の基本はそういう事です。
そしてそれは、インドの釈迦と同じ考え方なのです。

ブルジョワとグロ-バリズム、と置き換えるは、知恵を台無しにした、とマルクスが批判する、
アリストテレスの形而上学を継承する、西洋思想でしょう。
グロ-バリズムと置き換えられるのは、植民主義、帝国主義、ではないでしょうか。
ブルジョワをグロ-バリズムとおけば、プロレタリアは何と置くのでしょうか、一国主義、鎖国主義、
でしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>グロ-バリズムと置き換えられるのは、植民主義、帝国主義、ではないでしょうか。
ブルジョワをグロ-バリズムとおけば、プロレタリアは何と置くのでしょうか、一国主義、鎖国主義、
でしょうか?

マルクスの言っているブルジョワジーとは特権階級の事です。プロレタリアは労働者の事です。
現在のグローバリストは、既得権益者の事です。労働者は、非既得権益者の事です。


ブルジョアジーは特権階級の権利を行使し、政治に介入し自分たちの私腹を肥えさせる有利な法律を作ってきました。グローバリストは何をしたかというと、例えば、アメリカの2010年で政治献金無制限化を切欠に、多額の資金を政治家に献金し、その政治家を傀儡化し、自分たちが儲けやすいような法律を作らせました。


具体的の一例は、オバマケアによるアメリカ国民の保険未加入違法化や、米軍増派法案です。これは、製薬会社や保険会社、軍事会社の多額の献金による法改正と言う見返りです。



グローバリストとブルジョアジーは、本質的には同じと言うのはそういう意味です。

お礼日時:2014/07/14 19:21

根っこが同じか近いと感じるのは、結局は双方が共に「権力」の独占が目的だからでしょう。



まぁ、民衆に直には政治に口を挟めない様にしているシステムを堅持している状態を見れば自明の理でしょうが・・・・


左右自体は其の定義次第でどうとでも成りますし。

そもそもの歴史を紐解けば、右翼と左翼の明確な出現はフランス革命に其の起源を見ます。

そして其の性質は端的に言えば右翼が保守で貴族社会の「王権派」で、左翼が革新派で「共和主義」でした。

しかし現在では、都合によっての「ラベリング」程度の意味しか持ちません。

だって、(民衆の)誰も意味を理解していないし、また、政権が変わってしまえば左右が入れ替わってしまたり、しなかったり。

全くのコウモリですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/14 19:35

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