単二電池

 《ひらめき》とは そこで何が起こるコトか?

 1. 霊感・インスピレーションに限ったヒラメキについて 問います。

  1‐1. 直感であり 直観です。イメージのようなものを得ることだと見ますが 後者は どちらかと言えば 概念をともなってすでに思考にもつながっているのかも分かりません。

  1‐2. イメージだけの直感にしても しかるべき良い内容のものは やがて概念をやはりともなってそこから直観へと自己を渡しすでに世界観となるような広がりを得ることになるかも分かりません。

  1‐3. おそらくこのときひとは おのれの《もっともわたくしなる庭》にあって おのが《固有の時》の中にあそんでいるのではないか?――孤独であって孤独ではない。孤独関係という世界が開けた。

 2. これは――いま突飛なことへ思いが飛躍したままを言うのですが―― 量子相互作用なるユラギが 決してそれを認識しうることは出来ないところで起きているゆえなのか?
 (この問いは あそびです)。



 3. さてその昔 アブラハムなる男は 《父祖の土地を去って行け》というヒラメキを得て そのとおりに――どこへ向かうのかも分からずに――出かけたと言います。七十五歳にもなって。
 
  3‐1. それは この地上における人間の生は 謂わば――精神の遍歴とも見られるような――巡礼の旅であるということが示されたのだと捉えられています。定住の生活においても そうだという意味だそうです。

 4. そこで このとき起こったことは 次だと思われる。
 
  4‐1. ヒラメキは おのれに分からないところからやって来る。夜中に盗人が襲うかのごとく。

  4‐2. そのヒラメキを受け取りその中身を読み取って その指し示すところに従うのは 人間としてのおのれの成す意志行為である。

  4‐3. すなわちこの《ヒラメキを受け容れた》というのは――それを《非思考において信じた》と言ってもよいと思われるのだけれど―― 最後の段階には 人間の意志行為が伴なわれており これはじつはすでに経験思考にもとづく経験行為である。

  4‐4. ヒラメキを得て そこに《〈伝統〉を去り行く》という言葉による表現を得るなら すでに思考をおこなっており その思考の結果 取るか捨てるかの意志決定がおこなわれている。

  4‐5. この意志決定において《行く》か《行かない》か いづれをえらぶかは 人間の自由意志による自由な――あるいはおのれの心の恣にする自由な――行為である。と言えるか?



 5. あらためて 問いはこうです。

  5‐1. ヒラメキを得てその指し示すコトを 受け容れるか拒むか これは 人間の側の意志行為だと考えられるが 果たして そのどちらをえらぶかは 人間の自由意志のよくするところだと言えるか?

  5‐2. 言いかえると 《行く》をえらぶ場合も《行かない》と決める場合も すべて《わたし》の自由裁量に任せられているか?

  5‐3. 言いかえると ヒラメキの指し示す行為を人間がどう受け容れるかは むしろヒラメキの側においてすでに決まっている。という見方も出て来るのではないか?

  5‐4. あるいはその決まっていることは 人によってそれぞれである。だろうか?

  5‐5. いえいえ まだまだ舌足らずです。《わたし》が《行く》をえらぼうと思ったとしたら それは ただただわたしの自由意志による選択行為だとのみ言えるものか?

  5‐6. ヒラメキが帯びるところの・人に選択をうながすチカラのほうが 人間の自由意志による決定力よりも強い。のではないか?



 6. あらためて 問いはこうです。わたしの自由意志は ヒラメキのちからに勝てない。のではないか?

  6‐1.  あるいはつまり もともとわが自由意志なる心の声であるがゆえに ヒラメキが起きる。のだろうか?

  6-2. 直感と直観とを分けたところで イメージ・ヒラメキと思考・ヒラメキとを捉えましたが これをさらに オソレ(畏れ)・ヒラメキとコギト・ヒラメキというふうに言いかえると 分かりやすいかも知れません。コギト・ヒラメキには 自由度が残されている。オソレ・ヒラメキにはひとはあらがうスベはない。か?



 暑い中に思索をお願いするわけですが 思うぞんぶん飛躍をもたのしみつつご回答をお寄せください。

A 回答 (22件中11~20件)

こんばんは ブラジュロンヌさん



>☆ このとき肝心なのは 《霊感が自分に通用するの》なら 《他人にも通用する》ように 運休することが合理的で妥当なことだという情況把握をしっかりとすればよい。そういう説明をもって説得すればよい。

予想どうりのご回答です。

私の感覚では 運休と云う行為により 世界は別のベクトルに進んだと思うのです。その場しのぎはできたと思います。
でも 個々の人々の生命に対する認識が変わらない限り 別の時空間で同じことが起こると思います。
もちろん 「そう感じるから」という 無根拠な感覚です。

まさに 霊感は迷宮なのです。考えても駄目です。
後に 歴史のように 結論だけが得られるのです。
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この回答へのお礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~
 私の感覚では 運休と云う行為により 世界は別のベクトルに進んだと思うのです。その場しのぎはできたと思います。
 でも 個々の人々の生命に対する認識が変わらない限り 別の時空間で同じことが起こると思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは 違うと思います。つまり 《その場しのぎ》が出来ればじゅうぶんです。ヒラメキの効用はあったのです。

 《個々の人々の生命に対する認識が変わらない限り》というのは 《別の時空間で》と捉えられているとおり 別の問題です。

 《生命観や人間観》が変わるかどうかは いまのヒラメキ論とは別です。

 あるいは 別としない場合というのは そのまさに生命理論や人間の境地についてヒラメキがあればよいという問題です。



 ★ まさに 霊感は迷宮なのです。考えても駄目です。
 ☆ 直前のあ_ほなさんとのやり取りでも出て来ましたが 要らないものは捨てればよいのです。どうでもよい内容のヒラメキは 要りません。


 ★★ (回答No.10) ブラジュロンヌさんがおっしゃるヒラメキは 十分に役に立っているので安心してください。
 ☆ これは ウソだったのですか?

お礼日時:2014/07/31 07:55

ここで言われているヒラメキとは、夢見や白昼夢と同等のものか、規模の小さなそれだと思われます。


アボリジニは今でも夢を非常に重視し、先祖や地霊、つまり信仰の対象からのメッセージと受け取ったりしているそうです。
文明化、理性化されていない世界、社会では、そのようなものに特殊な価値を与えて祀っているようです。
おそらく原始の時代にはどの民俗も似たようなことで啓示を重視して居たでしょう。それが、人間の習性、未知のものに対する怖れと興味が為すわざなのでしょう。
現代日本のような文明化した社会でも、夢は謎の多い現象です。人はなぜ夢をみるのか、夢とは何か、その半ば解体した思考と偏った像は何を意味しているのか、わかって居ません。その夢を象徴や啓示、或いは預言と捉えて分析する人もあるようです。近代では、ユングなどは熱烈に、理性的に夢を研究した一人です。

ブラジュロンヌの言うヒラメキには例えばどんなものがあるのか、具体的に言ってもらえれば、もう少しかわった答えも用意できるかもしれません。アブラハムの様な、具体的な内容です。

さて、そのヒラメキを実際の行為として踏襲するか否かですが、現代人ならばそれはそれとして踏襲しないでしょう。理性が働くからです。
一方、とあるアフリカの部族では、昨日の夢でお前に殴られた、だから仕返しをする、と言って本当に夢に出て来た人を殴ったりする習慣があるようです。かなり馬鹿げた話ですが、ヒラメキ?にそのまま従うという行為は、今でもあるのです。聖書では、啓示の通りにイサクを殺そうとしたアブラハムの話があったでしょうか。
当然、そのようなことは今の社会ではまかり通りません。実行すれば気狂い扱いでしょう。

同じように、ヒラメキというものもヒラメキに止めるべきことであり、ユングの様に理性的に説明出来得ない限りは、現代では通用しない、個人的な事柄のものとしておくべきと思われます。
もっと言えば、理性を信仰している現代には、ヒラメキや啓示、夢などは、力を失った古代のアークのごときものと言えます。

ところで、ユングの言う無意識からのメッセージと言う捉え方は、アボリジニのそれとそっくりです。現代人には見えない無意識の深淵があるのかもしれませんし、そういう世界観もまた認められるところではあります。ヒラメキにも、何か重要な意味が隠れている場合があるのかもしれませんし、もっと抽象的な像で、何か心の居場所となるような空間を、提供するものであるかもしれません。しかしその場合でも、そのままにヒラメキをうけとることは、原始的な習性になびくことと同じであると思います。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 そうですね。
 むろんヒラメキ全般について考えてもらってけっこうなのですが どうも てふ_てふさんと言い あ_ほなさんと言い どちらかと言えばあまり効用のない場合のヒラメキをあつかっておられる。

 まづそのような印象が先に来ますね。
 つまり この問いの焦点は 次のようなことがらにあると言えばあります。
 ☆☆ (趣旨説明欄) 5‐1. ヒラメキを得てその指し示すコトを 受け容れるか拒むか これは 人間の側の意志行為だと考えられるが 果たして そのどちらをえらぶかは 人間の自由意志のよくするところだと言えるか?
 ☆ すなわち どうでもよい内容のヒラメキならば 捨てればよいという意味合いがすでにあります。

 焦点はさらにこの自由意志が ヒラメキの指し示すことをこばむ場合 いやだと言う場合 それは どういう事態なのか? ここにあると言えばあります。
 ☆☆ (趣旨説明欄) 5‐6. ヒラメキが帯びるところの・人に選択をうながすチカラのほうが 人間の自由意志による決定力よりも強い。のではないか?
 ☆ こういったところに関心があったのは 事実です。




 さて てふ_てふさんとだいたい同じ趣旨で 次のような種類のヒラメキを取り上げておられる。
 ★ ここで言われているヒラメキとは、夢見や白昼夢と同等のものか、規模の小さなそれだと思われます。
 ☆ 基本としてはわたしは それらは よく検討して有効活用するか さもなければ捨てればよい。こういう考えなのですが ひととおりおつき合いしてまいります。



 ★ おそらく原始の時代にはどの民俗も似たようなことで啓示を重視して居たでしょう。それが、人間の習性、未知のものに対する怖れと興味が為すわざなのでしょう。
 ☆ この見方考え方について コメントをはさむならば:
 すなわち アブラハムが《行け》と言われて行った。という夢物語をここで取り上げたのは すでに触れたように《有効活用》があればよい。という意味です。

 言いかえると 何も《神のお告げや 指示命令》を持ち出さなくても話は成り立ちます。つまり 自分の心の中で日頃何かとその現在の生活について 考えるところがあった。このまま生きていてよいか? わたしのこの世に生きることとしてのツトメは何だろう? と考えていたところ ひとつの解決として 場を変えよう・いまの場を移り去ろうと思いついた。これでもいいわけです。

 けれども ふつう自然科学者によくあるようによきヒントを得るのは 思索とは別のところでヒラメキとしてであるという事実もあります。それと同じように考えて不都合はない。こういう扱い方になっています。

 (アブラハムは 人生のツトメを考えていたところ その直接の答えではなく まづともかく場所を移動せよというヒラメキを得た。これは ヒラメキでしょう。こういうふうに捉えられます)。




 ★ その夢を象徴や啓示、或いは預言と捉えて分析する人もあるようです。
 ☆ 夢一般の問題ではないのです。直感あるいは直観(これは すでに考えとして世界観にまでいたるような内容を秘めている)とふつうに言われるようなヒラメキを取り上げ しかもそれを有効活用する場合を焦点としています。

 《預言と捉え》たなら それをどのように実際の生活や社会に活用するか。ここに集中します。そもそも夢=預言とは何か? という問いは 二の次です。有効活用がある場合(ありうる場合)を問うています。




 ★ アブラハムの様な、具体的な内容です。
 ☆ そのほかにも例を挙げよということですか。

 《サウロよ サウロ。なぜわたしを迫害するのか?》という声を のちにパウロと改名する男は ダマスコへ向かって街道を行くところで聞きました。それまで ユダヤイズムのキリスト派信徒たちへの弾圧に熱心であったこの男が その声を 突然聞いたという事態でした。その後かれにとっては有効活用が出来ました。




 ★ さて、そのヒラメキを実際の行為として踏襲するか否かですが、現代人ならばそれはそれとして踏襲しないでしょう。理性が働くからです。
 ☆ これは 納得が行きません。ひとつに 《どうでもよいもので 捨てるものがある》。ひとつに そんなことを言ったら 益川さんだったか小林さんだったかのアイディアは 風呂の中でヒラメキとして得たとかいう話までもを全面否定することになりますよ。《理性がはたらいて》そのヒラメキにしたがって理論づけたのですから。




 ★ 聖書では、啓示の通りにイサクを殺そうとしたアブラハムの話があったでしょうか。
 ☆ これは 神にいけにえとしてささげるためにころすという場合です。その必要がなかったという場合です。


 ほかにもいろいろ書いてありますが その志向性として 次の質問趣旨を無視しているのではないか? と考えられますが いかがでしょうか。 
 ☆☆ (趣旨説明欄) ~~~~~~~~~~~~
  1. 霊感・インスピレーションに限ったヒラメキについて 問います。

  1‐1. 直感であり 直観です。イメージのようなものを得ることだと見ますが 後者は どちらかと言えば 概念をともなってすでに思考にもつながっているのかも分かりません。

  1‐2. イメージだけの直感にしても しかるべき良い内容のものは やがて概念をやはりともなってそこから直観へと自己を渡しすでに世界観となるような広がりを得ることになるかも分かりません。

  1‐3. おそらくこのときひとは おのれの《もっともわたくしなる〔ものの〕庭》にあって おのが《固有の時》の中にあそんでいるのではないか?――孤独であって孤独ではない。孤独関係という世界が開けた。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

お礼日時:2014/07/31 07:47

こんばんは ブラジュロンヌさん



>つまり 意味のあるヒラメキは じゅうぶんふつうにあり得ます。特に自然科学者が得る場合が多いのではないでしょうか。コギト・ヒラメキ。

論理的に説明ができそうなヒラメキですね。

私が言う霊感は 論理的根拠がないものです。敢えて言うと「そう感じたから」です。
相手の人は必ず問うと思います。「何故 してはいけないのですか?私がするのは自由でしょう」と。

世界は決定論ではないのですが。
自分の意志でしか 変化は起きないと思います。
他人に「誰が論理的に考えても不幸になる事をしなさい」とは言えません。
それは 不幸な人に「貴方は不幸だ」と言うようなものです。

例えば

何かの人為的災害が起こるとする時 運休すれば災害は起こらないのですが。
「そう感じたから」では 損害が大きすぎると思います。
誰でも 運休すれば何も起こらないのは当たり前だと思うのではないでしょうか?

まして 霊感は自分だけに通用すのに 他人に通用するとは思えません。

>ふつうヒラメキと言えば 思想にかんする知恵のようなものが得られると思います。単純にそういった内容のものをここで取り上げています。

ご期待に応えられなくて申し訳ありません。「思想にかんする知恵がない感覚です」
ブラジュロンヌさんがおっしゃるヒラメキは 十分に役に立っているので安心してください。

私はどのような人も意味のある生き方をしていると信じたいと思います。
誰もが自らの信仰の許に 自由意志で生きるのが 一番よいのではないのでしょうか?
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この回答へのお礼

 こんばんは てふ_てふさん。ご回答をありがとうございます。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 例えば

 何かの人為的災害が起こるとする時 運休すれば災害は起こらないのですが。
 「そう感じたから」では 損害が大きすぎると思います。
 誰でも 運休すれば何も起こらないのは当たり前だと思うのではないでしょうか?

 まして 霊感は自分だけに通用すのに 他人に通用するとは思えません。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ このとき肝心なのは 《霊感が自分に通用するの》なら 《他人にも通用する》ように 運休することが合理的で妥当なことだという情況把握をしっかりとすればよい。そういう説明をもって説得すればよい。

 そのように活かしてこそ ヒラメキが有効である。と思うのです。





 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
 私はどのような人も意味のある生き方をしていると信じたいと思います。
 誰もが自らの信仰の許に 自由意志で生きるのが 一番よいのではないのでしょうか?
 ~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ おっしゃること ごもっともです。
 そう言われれば 返すことばはありません。


 ★ ブラジュロンヌさんがおっしゃるヒラメキは 十分に役に立っているので安心してください。
 ☆ そうですか。それは 安心します。

 となりましょうか この質問としては。

お礼日時:2014/07/31 00:25

あんたなりの気遣いに、


心配無用、
でもありがとう、
こう言っておこう。


 《黒き明星を名乗る人類の裏切り者》は そのような未来の歴史をまぬかれる。ってことですかね。

未来の歴史じゃない。
未来に絶望する幻想だ。
幻。
幻影の覇者ゾロアークと言うポケモン映画があるちん。
せれびいが活躍するってんで初日に映画館で見たちん。
わたちの弟子どもは全員破門だと決心させる不出来で、定番コースの滅びの宴だ。
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この回答へのお礼

 つづけてのご回答をありがとうございます。



 ★ ~~~~~~~~~~~
 未来の歴史じゃない。
 未来に絶望する幻想だ。
 幻。
 ~~~~~~~~~~~
 ☆ ぢゃあ いまという時にも ま・ぼ・ろ・しなのではないの?


 まぼろしと そのほろびとを いま無理につくり出しているみたいぢゃん?

お礼日時:2014/07/31 00:17

6についたあんたのお礼で、志が判った。


あんたも頑張れ。
私もあくまでも赦されざる悪を名乗る。
ずっとやるわけではないがな。
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この回答へのお礼

 つづけてのご回答です。

 ★ 〔悪を名乗ることを〕ずっとやるわけではないがな。
 ☆ ここが かわいい。

お礼日時:2014/07/31 00:13

あんたに対してはもう言わなくてもいいことなんだけどな。


生命の中でも人間だけは神の愛に気がついた。
とでも言うなら、それは人間の中でも自らの信仰にたどりつき、感謝からやがて愛が芽生える、自らを自覚して生きる人間そのものだ。
君達は人間だと言う教育を受けても、実際には人間であることすら悟って無い生きる屍が、
人間だけは神の愛に気がついた。
これを。
ブッダだけは神の愛そのものを体現する。
こう解釈してるチン。
東洋哲学の不明はそのような自覚の無さにある。
これは俺様がもう何とか出来ていて、あとはいつ本でも出版して名乗りを上げようかというだけだチン。
処刑されたイエスさんは、私に言わせれば、神を敗北させた罪人そのものであり、光を与えようとするジラーチちゃんにとって迷惑千万の論外デチン。
神国日本に置いてキリシタンがかつて虐殺されたのは、神の意志かどうかは、俺が判らないと言うならばジラーチちゃんはとぼけるだろうが、成り行きから言ってまあまあ理解できる。
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この回答へのお礼

 ご回答がつづきます。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~
 君達は人間だと言う教育を受けても、実際には人間であることすら悟って無い生きる屍が、
 人間だけは神の愛に気がついた。
 これを。
 ブッダだけは神の愛そのものを体現する。
 こう解釈してるチン。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 ☆ これを別の表現でわたしは言っています。

 ゴータマという男ひとりだけは変わっていて 《おれさまだけが 神の愛そのものを体現する》と言って 気がくるったので 人びとは大事に見守るために そのペテンにかかってやった。ゴータマ・ブッダという尊称までをあたえてやった。

 人びとは 二千年ものあいだ ペテンにかかったふりをして来ている。


 すなわちその心は ひとは 生まれつきすでにブッダである。こう言っているという意味です。

 人びとは はにかみ屋というのでもなく おくゆかしいので わたしのようなハレンチな人間でないと あからさまには言いません。

 おくゆかしい人は けれども 何かとあつかましい人たちによってその圧力のもとに押され続けています。往々にしてそういう事実があります。中には ときとして 犠牲になる場合さえあります。長崎高校一年生の女子の事件でも 被害者は あまりにもつつましく 加害者女子にゆづってやった。ゆづり過ぎた。

 だから もうそんな犠牲はひとりも出すことはないよというために かの人は 十字架上にはりつけになったとかそうでもないとか。・・・





 見方と表現が 少しづつちがっている。かも知れない。

お礼日時:2014/07/31 00:11

これだけは言っておく。


私は自分で質問をたててな。
おっさん臭いオカマ相手にクソだ何だと罵声を浴びせ、深酒に酔うオカマバーの雰囲気が結構好きでな。
あんたでは酔えん。
誉めてるつもりだよ。
頑張っているようだが、人類の裏切り者として黒き明星を名乗る私としては、あんたはこのまま人類の一員として、無理心中に巻き込まれることになるよ。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。



 ふうむ。

 《人類は 無理心中に落ち入ることになっている》っていうことですかね。

 《黒き明星を名乗る人類の裏切り者》は そのような未来の歴史をまぬかれる。ってことですかね。

 



 たぶん もうすでに言わば転轍機は操作され終わっていると思うんだが。

 進路は 変更されているはずなんだが。

 韓国と中国が わが日本をほとんど言われの無きことで悪しざまに言い出したときから――つまりその声が異常に大きくなって来たときから―― 地獄行きの線路は回避されたのではないだろうか。



 このわたしが ここで みなから褒められるようになったとき その進路変更が じっさいに現われることになる。とは言うものの それが ダマシであったということにならないとも限らない。褒め殺しというヤツもあるから。


 むつかしいけれど。

お礼日時:2014/07/30 23:23

こんばんは ブラジュロンヌさん 



霊感(れいかん、英: inspiration)は、神・仏が示す霊妙な感応のこと[1]。また、神や仏が乗り移ったようになる人間の超自然的な感覚[2]。あるいは霊的なものを感じとる心の働きこと[3]。 理屈(理知的な思考過程など)を経ないままに、何かが直感的に認知されるような心的状態[4]。

また、こうした本来の意味から転じて、芸術家・哲学者・科学者などが説明しがたい形で得た着想、ひらめきのことも指すようになった。

とウィキペディアにあります。

私は 霊感は心が写しだされた状態だと思いますね。

>つまり どこかあらぬ方向へとへんなヒラメキが行ってしまった場合の問題。ではないでしょうか?

人間が極限の心的状態に陥った時 自分の心が写しだされるのだと思います。
だから 自分の心が今どんな状態であるのか認識するまで分からないから 危ないと思います。

例えば

火の玉に追いかけられたから 死に物狂いで逃げたとすると。
自分が危ない状況であるという暗示であり そこから 安全な状態に戻ったということだと思います。

聖霊を観たとすると。
自分の心が喜びに満ち溢れた状態だと思います。

もう一つ

自分の世界の中に どうしても異質な者が存在した場合。
それが 人間であったとすると その人の心の状態を感じているのかもしれないと思います。

私は 霊感は五感の認識を超越した感覚だとしか思えません。感情の状態なので 意味はないのだと思います。
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この回答へのお礼

 ★ 私は 霊感は五感の認識を超越した感覚だとしか思えません。感情の状態なので 意味はないのだと思います。
 ☆ ん? いや それは おかしい。――おっと まづは こんばんは。ご回答をありがとうございます。――つまり 意味のあるヒラメキは じゅうぶんふつうにあり得ます。特に自然科学者が得る場合が多いのではないでしょうか。コギト・ヒラメキ。


 《霊感》というふうに オカルト気味に言うから そういう方向へ行ってしまうんですよ。



 ですから アブラハムが 父祖の地を去って行けというヒラメキを得た場合を例に出したぢゃないですか。

 言いかえると そのヒラメキだけを取ってみると たしかにその神のお告げのような《霊感》は あやうい場合もあるかも知れない。つまりですから そのあと そのヒラメキを言葉にして表現し活かす場合だともおことわりしています。そういうことではないでしょうか。




 ★ 私は 霊感は心が写しだされた状態だと思いますね。
 ☆ このご説明がいまひとつ分かりづらいですね。

 ★ 人間が極限の心的状態に陥った時 自分の心が写しだされるのだと思います。 / だから 自分の心が今どんな状態であるのか認識するまで分からないから 危ないと思います。
 ☆ つまり ここで取り上げたいヒラメキは たしかにそのあとで活かすことのできる内容だとなります。

 そうであれば 《心が写しだされた状態》であっても構わないでしょう。


 たとえば
 ★ ~~~~~~~~~~~~
 火の玉に追いかけられたから 死に物狂いで逃げたとすると。
 自分が危ない状況であるという暗示であり そこから 安全な状態に戻ったということだと思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この場合でしたら そのいまの情況やそこにおける自分の立ち位置と状態 これらについて気を付けなさいと言っていると取って 注意すればよい。そういう問題だと思います。


 次の場合も 同じようなことではないかと思いますよ。
 るのかもしれないと思います。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~
 自分の世界の中に どうしても異質な者が存在した場合。
 それが 人間であったとすると その人の心の状態を感じているのかもしれないと思います。
 ~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これだと いまかかわっている問題をめぐってその相手方のことについて注意をしなさいと言っているのではないかと。


 ふつうヒラメキと言えば 思想にかんする知恵のようなものが得られると思います。
 単純にそういった内容のものをここで取り上げています。



 どうも かみ合いませんか?
 

 

お礼日時:2014/07/30 20:37

忙しい中で暇つぶしだよ。


それなりに、配慮してくれたまえ。

人間だけは神の愛に気がついた。

こうであるといいんだがね。
実のところジラーチたんと幼馴染の間柄まで、自己を取り戻した、私自身の聖霊セレビィのみが頼りでね。
私は勝利を確信している。
同じくポケモンのビクティニとはやはり俺の事だ。
この、「実在する妖精の捕まえ方」路線を伝授したからこそポケモンの成功は有るのだが、生かしたからこその成功に、借金の返済余力がない誰かさんはもう見限っていてね、定番コースの滅びの宴だ。
いやー、値下がり確実で株式相場に乗るならもうかるよ。
借金を踏み倒しても堂々としていられるほどの、悪の正義が判れば、黒き明星の私としては頼もしい限りだが。
あんたを見てれば判るよ。
所詮人類は滅亡から逃れられないのだ。
永遠が理解できる、ときわたりESPを普通に使いこなす私にとって、肉体の滅却はどうでもいい。
しかし死すべき君達の苦痛を神は記憶にとどめない。
そう言う訳で君達は、自らを滅して終焉を知る。
終焉を自覚する自分自身がいると言うのなら、それこそが確固とした、現在を自覚する絶対の自分自身だ。
そんな現在と言う刹那から永遠は発祥する。
人類の絶望こそ永遠を知る私を心地よくさせる。
私だけが神を記憶にとどめれば、永遠の神の愛は実現する。
この位のど根性で、悪を名乗る勇者が私のほかにもいればな。
頼もしいんだがな。
あんたすら不合格なのが悲しい。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
 終焉を自覚する自分自身がいると言うのなら、それこそが確固とした、現在を自覚する絶対の自分自身だ。
 そんな現在と言う刹那から永遠は発祥する。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは すでに過去のことなんぢゃないの?

 ★ 人類の絶望こそ永遠を知る私を心地よくさせる。
 ☆ 《絶望》というのは 人間が持った希望が絶滅するわけです。人間の考えがすでに無力と知るわけです。

 つまり 絶望を言うときには すでに《絶望の絶望》を見て取っているわけです。また そうでなくてはならない。


 すでに火の中をくぐり抜けて来た者のようにでも いまここに立った。なのに その過去にこだわっていやしないか?


 あるいは あたかもおのれはあたらしい衣裳を着けて ここにいるが 世界にはまだなお《過去の世界》にとどまっている人間がいる。として この古い人間をいじくるのを 自分のたのしみにしてやいないか?



 だから
 ★ この位のど根性で、悪を名乗る勇者が私のほかにもいればな。
 ☆ 《悪を名乗る》ことしか出来んのかよ? と言ってやっているわけだ。

 うしろ向きにしか いま・ここに立っていないぢゃないか? と。


 あるいは確かに 後ろ向きは ただしい。けれども 後ろ向きにわれわれは前へすすむ。のだ。あなたは 前を見ていない。見えていない。のではないか?




 また
 ★ それなりに配慮してくれ
 ☆ てやれなかったよ。あぁ。

お礼日時:2014/07/30 00:24

こんばんは ブラジェロンヌさん



なにを 迷走していらっしゃるのですか?
直感や直観は 全て経験からくるヒラメキだと思います。
霊感は別ものですよ。

もしかして 第六感の霊感の質問でしょうか?
私は感性だと思いますね。

よく子供の時にいたでしょ。喜怒哀楽が暴走している子供が。
それをコントロールする方法が 生命に対する慈悲、慈愛の心です。

例えば
自分の姿を観るには 鏡に写して観るしか方法がありません。
自分の心は 他のものに写して観るしかありません。ミラーニューロンです。
 
心が喜びに満ちていれば 世界はそう観えます。これが 神の世界。
同じ世界でも 心が恐怖に満ちていれば 別の世界に観えます。これが 地獄の世界。
同じ世界なのに その人にとっては全く別の世界なのです。

もし 神の世界で自分と違う何かを感じたら。もし 地獄の世界で自分と違う何かを感じたら。
なんなのでしょうか?自分の認識を超えた感性とは?
誰も何も言わないのに 誰もいないはずなのに(霊)。

喜怒哀楽を自在にコントロールできれば 世界は思うのまま。
何故なら 感情という 無数の新しい世界を観る虫めがねを自由に操れるからです そういうふうに思うだけですが。私は自由にはできないので。
感情の暴走を止めるのは 生命に対する慈悲、慈愛の心のみ。
でも それを超えた感性=第六感(霊感、予知夢、虫の知らせ、デジャブー、ドッペルゲンガー)。に遭遇するかも。
そこでは 心が穏やかになって 自分にとって 常に最善の選択がなされる。

聖霊でない霊が視えたり、感じたりしたら 危ないと思います。神の世界でない感情の世界にいます。
すなわち 愛憎という感情の暴走を止められなければ危険だと思います。
自分の感情は鏡でしか観れませんから。

不思議ですね、第六感は。幻覚とか。シンクロニティーとか。磁場とか。時空間のエントロピーとか。なのか?

まあ 何もない人生(心穏やかな人生)が幸せな人生なので気にしない方がいいですよ。(^-^)
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この回答へのお礼

 てふ_てふさん 分っかんない。

 こんばんは。まづは ご回答をありがとうございます。



 霊があると言う。ただし ヒラメキは すべて 経験事象だと言う。ただの感性だと。

 聖霊とは違う霊もあると言う。これは ダメ。地獄の世界だからと言う。






 一般に ヒラメキには オソレ(畏れ)・ヒラメキとそしてコギト(われ考える)・ヒラメキがあると見る。

 コギト・ヒラメキは だいたい特には自然科学者に起きると見る。

 オソレ・ヒラメキは 人生観・社会観・世界観などなどにかかわる。哲学・倫理・思想ですね。


 ですから これらのヒラメキはみな やがては言葉にして表現していますから 《こわい》ことはありません。ふつうの思想や世界認識に落ち着きます。



 そうしてそこから議論を一歩すすめるとしたら:

 これらヒラメキに対して・つまりそれが示すことがらを《わたし》は こばむことが出来るか? という問いです。

 ヒラメキのチカラに《わたし》は あらがうことが出来るか?

 できる。が すでにやり取りのあったところの答えです。

 ただし こばむなら やましさ反応が起きるだろうと。それだけわが心ないし意志に合った内容をヒラメキは もたらしてくれるものではないかと。






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 喜怒哀楽を自在にコントロールできれば 世界は思うのまま。
 何故なら 感情という 無数の新しい世界を観る虫めがねを自由に操れるからです
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 ☆ これは 大きなテーマですね。

 そしてこれは むしろ【Q:これが さとりだ】なる質問のほうに合っているように思います。

 悪霊に憑かれた男の心を取り戻すといった事例です。

 そう見ると 今回のご回答は 全体的にもだいたい分かりやすいように思えました。



 つまり どこかあらぬ方向へとへんなヒラメキが行ってしまった場合の問題。ではないでしょうか?
 ミラーニューロン現象も たしかにかかわっているように思います。

 ちょっとおもてなしが少なかったかも知れませんが 問題じたいは そういうことではないでしょうか?

お礼日時:2014/07/29 18:25

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