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【教育現場全体における体罰に、賛成ですか?それとも、反対ですか?】

高校の体育会系の部活動に限らず、教育現場全体での【体罰】の賛否について、皆様からの御投稿をお待ちしております。

私は、教育現場全体における体罰に、賛成です。

最近の未成年者の事件・事故のニュースを耳にするたびに、現代の子どもたちは、あまりにも甘やかされていると思えて仕方がありません。


あまりにも身勝手な動機による事件…人として、「やって良いことと悪いことの分別すら、中学生・高校生になっても出来ないのでしょうか。」


以前、仕事を通して、何人かの中学生・高校生に質問をしたことがあります。


私:「家で、お父さんに叩かれたり、殴られたことはある?」


生徒:「ない。」


私:「もし、家で、お父さんに叩かれたり、殴られたりしたら、どうする?きちんと反省出来る?」


生徒:「そんなのムリ!多分、やりかえすし。大人の人が考えている以上に、ウチラの腹のなかってドス黒いし。」


実際の会話をなるべく忠実に再現したつもりですが、とにかく、現代の中学生や高校生は精神年齢が低すぎる、また、時には、子どもの教育よりも、まずは親の教育を先にしなければならないという場合も見受けられます。


叱られたら、すぐ泣く。それも、中学生や高校生にもなって…。


私が子どもの頃は、「男は泣くな!!歯を食いしばれ!!」と良く諭されたものです。


以上の点から、私は、教育現場全体における体罰に賛成です。


正当な理由があれば、それが、後々の生徒自身の成長、社会全体の利益(公共の福祉)に繋がるのであれば、昔の言葉で言う【愛のムチ】は許されて然るべきなのではないでしょうか。


この問題に関しても、賛否両論に分かれると思いますが、皆様からの御意見・御回答をどうぞよろしくお願い致します。


最後まで読んで下さって、ありがとうございます。

A 回答 (13件中1~10件)

反対です。


…というか「体罰には効果が無い」というのが、現在のところの私の結論です。

イジメを例にしますね。
昔のイジメは、認識として「社会的に憎むべきもの」でした。
あってはならないもので、行うものは糾弾されましたし、誹りを受けました。
子供のイジメということだからこそ大目に見られては来ましたが、それでも社会の和を乱す行為ということであり、親などは恥ずかしい思いを感じたものです。

白黒がハッキリしていましたから、対策も今に比べると果てしなく容易だったと思われます。
正誤はハッキリしていたし、イジメを行う生徒がいかに「自分の感情」があったにせよ、もしそれによって「イジメ」を行ってしまったならば誹りを受けること、自分が悪役になってしまうおそれがあることは、例え小さな子供でも肌身に感じられたはずです。
それくらいにハッキリした秩序というものがありましたので、イジメを罰せられるということは当人にとっても「了解済み」でもあり、その上で自分の感情と、社会的な秩序とのバランスに悩みながら、イジメを継続していたものと思われます。

「自分が悪いのだから、是正して欲しい」という感情があったはずなのです。
自分でどうにも出来ないからこそ、他者の力「権力」というものを借り、自分に言い聞かせていくという方法です。
昔の体罰は「問題を起こした者が心の何処かで望んでいた手段」でした。
それゆえに成立もしたのです。
もちろん中には、それを理解せず、闇雲に強権発動する先生もいたでしょうが、そういった先生はそのうちには淘汰されていったものです。
先生という立場は、それくらいに絶対的であり、同時に重い責任を課せられていたのですね。

今の現状は「自由意識」というものを大きく履き違えた、社会の大人たちの責任です。
自由には必ず「制約」が存在し、制約を守れないものには自由を行使させるべきではない、という「原則」を全くこころみること無く、教育現場で「自由平等」という意識を教えこんだ罪は大きなものがあります。
それに加え、自由の名のもとで「義」というものを疎かにし、無軌道な競争原理を展開してきた「バブル時代」があります。
その中で、社会的倫理観というものは崩壊し、霧散しました。
社会悪という概念も消え果てました。
そしてそれは、現在でも何ら変わること無く継続中なのです。

大人(親)の中にも、子どもたちの中にも、最早「自省」という概念はありません。
社会も「規範」を失っています。
そういった社会であり、教育現場でもありますから、もし「体罰」というかたちを取ってしまうなら、そこでの互いの関係性は「上書き」になってしまい、子供が自ら積み上げようとした経験は、その時点で「過去」になり、自己の成長という、一番必要なファクターを放棄したままで成人してしまうことになってしまいます。
「何も出来ない子どもたち」は、大人の「自由という嘘」と、競争原理と、そして大人の「怠惰」が生み出したものです。

…現在の日本社会は、こと教育という観点から見るならば「ズタズタ」というのが、私の偽らざる感想です。
あまりにも酷すぎますし、是正を促すには問題が大きすぎます。
政府も全くその点の反省はありません。
残念ながら、今のままの社会で「体罰」を奨励してしまうと、おそらく「恐ろしい結果」を招いてしまうだろう、というのが、私の偽らざる意見なのです。
問題は恐ろしく深く、そして厄介です。
我々の国は「泥沼に踏み込んでいる」ということを、各自が認識していくしか無いのでしょうけどね。
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No.11 tomban様の回答に一票入れさせていただきました。




ほぼ、同意見です。


私が勤務する老人ホームですら、【自由】ということの履き違え現象が、高齢者の間で起きています。


キチンとした教育・人材育成ができない日本人の、最重要課題ですね。
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私はどちらかと言われたら、賛成ですかね・・・


今の先生は生徒や親に遠慮しすぎていると思います。何も教育できなくなってる気も・・・
だがしかし・・・教育と暴力の境目が・・・どの程度が許されて、許されないのか?難しい問題です。
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ケースバイケースであると思います。



悪ふざけをする子に対しては賛成です。
故意に悪事を働き、言葉だけではどうしようもなかったりする子に対しては身体で表すべきであると思います。

真剣に一生懸命にやっている子に対しての体罰は反対ですし、体罰を行う指導者は最低の指導者であると思います。
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例えば、生徒から殴るそぶりをされた際に手を振り払うと“体罰や”と言われたり、喫煙をした生徒から“何を言われても変わらない。

変えたかったら、しばけや”と言ったり、授業中に廊下に居座って指導しても聞き入れない生徒の腕をつかむと、“体罰ではないか”と言うなど、生徒が「体罰」を道具にして挑発するそうです。
なぜこんなことが起こるかというと、「体罰=悪」という考えが学校教育の中に蔓延しているからだと思います。
教諭が手出しできないというのをいいことに、平気で物を壊したり、傷つけたりすることが増えたり、暴力や危険行為を防ぐための行為でも体罰と言われかねない状況が生まれています。

こういう挑発する生徒がいるようでは、学校環境を正しい方向に導く術を失った教師が、右往左往するだけで、ただ荒れるに任せるだけとなってしまいます。
教師が指導しても従わない・言うことを聞かない不良に対して、じゃあどうすればいいか?という問題にぶち当たります。
橋下さんは、問題生徒を隔離して専用のクラスで学ばせるのがいい・・と言い、物議を醸しましたが、体罰が許されないとしたら、もしかしたら究極的にはこういう方法しか防ぐ手だけはないのかも知れません。

こういう生徒の挑発は、昨今言われる「化けもの親」と同じ問題をはらんでいて、教師の資質を疑う、教師に何を言っても反撃しない、教師を利用して自分を利する方向に持っていくという狡猾な考えが根底にあるような気がします。
まずは、親子ともども持っている「教師=性悪説」という考えを払拭すべきでしょうね。
体罰を利用して、教師を貶める感覚が親子にある限り、体罰の行使は=教師を疲弊させるだけです。
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【賛成】



但し、職権乱用と言わんばかりの無意味な体罰は除外

あくまでも悪いことをした生徒を対象にゲンコツをガツンと

最近はちょっと触っただけでも「うわ、先生体罰じゃぁ~」って言うんだからバカか?と思います

そういう思慮分別のつかない子供に人権はありません
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100%反対です。


今の子どもたちの現状を悪く言う大人に問いたいのですが、子どもは大人の模倣をして学び育つものです。
「あなた方は子どもたちの模範となるような言動を意識してとってますか?」と。

大人が信号を無視するから子どもたちもルールを守らなくなる。
大人が子どもの目の前で人を悪く言ったりいじめるから子どもたちの陰口やいじめをするようになる。

こんな大人たちが「自分たちの言うことを聞け」と殴りつけて子どもたちは納得してしたがいますか?
体罰というのは私に言わせれば動物の調教と同じです。
コミュニケーションが取れない相手を力で従属させるもの。
子ども達とコミュニケーションを取れない能力もなく模範にもなれない大人のいいわけ・わがままです。

しかしどうしても難しい子というのはいるもの。
学校はもっと積極的に停学などの懲戒を行うべきです。
懲戒を渋るからたまりにたまった憎しみや恨みから一気に体罰や暴力事件に突っ走るのだから。
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>体罰に賛成ですか?反対ですか?



本来は懲罰を与える為に行うなら内容により反省の度合いにより教育的見地から行う身体的苦痛の含まれるという意味で体罰も必要だと考えます。

しかし、冤罪の無いことが前提であり、その体罰の強弱や行い方、体罰の与える影響、また、効果をTPOと共に十分に配慮して行なわねば悪影響や反作用&副作用のリスクが有ります。
人間が行なう事ですから、感情や見せしめや強弱の度合いの個人差等の問題があり、体罰に至る理由と加える罰のリミッターが守られ、抑制的に客観的に、已む得ない場合(他に効果的適切な方策がない場合に限定)のみ行われたのかどうかも必要な要素であります。

最初の試験とは違うのですが、必要性は認めるが、その体罰を与え加える様な人物、ケースは極・極稀であり、言って教えて分からぬ相手に身体で覚えさせる躾ける伝授するケースは最終最後のファイナルアンサーとしてはあるのかもしれない。

それを適切に行うような人物は少なく、短絡的に感情的に、繰り返し行われるのは体罰と言うよりも暴力的制裁・イジメ・見せしめ・リンチであり、真の教育的効果や相手の覚醒や反省や受容を促さないのでは・・・

また、言葉で生きざまで教え諭すそのような人物ならば体罰以外の説諭・訓示、心構えや日々の信頼関係や尊敬の念があり、自ずと身を以て訓え学ばせ指導する事が出来るのかもしれない・・・
つまり、体罰ありきではなく、場合によっては相手によっては罪科と反省度により、必要悪的に已む得ない・非常処置としてはあると限定的な効果を理解しますが、外科手術的な加療を適切に効果的に行える人物&ケースは少ないのでは・・・→「体罰は言葉&教育方法としてはありだが、実際には多くの人物&ケースでは使えないor使う事を前提にしない対処接し方が望まれる」と思います。
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賛成です。


但し、叩かれる理由はあらかじめ明確にする事。
宿題を忘れたら、提出すべきものをしなかったら、授業中におしゃべりをしたら。
叩かれたくなけりゃしなきゃ良いだけです。
教師や親は友達であってはいけません。例えどんな方法でもってしても、してはいけないことを叩き込むのが周りの大人の義務であり、子供の将来のためです。
無論、口で言ってきかせてすむなら手を出す必要は全くないですけどね。
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私は、教育現場全体における体罰には反対です。



まー女性教師が男の子に体罰ならいいけど。男性教師が女生徒にというのは、ダメですね。

それに、体罰容認されたら、
私が
「殴ってなぜ悪いか。」「それが甘ったれなんだ。殴られもせずに1人前になった奴がどこにいるものか。」
という機会が、なくなるもん\(^^;)...マァマァ


三十年以上、一度言ってみたいけど、まだ言えてない名セリフ
(ちなみに、親父に ぶたれた経験は、けっこう、あり)( ^^) _旦~~

zzzzzzzzzz

・アムロ:「ブライトさんはなんで戦っているんです?」

ブライト:「今は、そんな哲学など語っている暇はない。立てよ、おい。」

アムロ:「やめてくださいよ。そんなにガンダムを動かしたいんならあなた自身がやればいいんですよ。」

ブライト:「出来ればやっている。貴様に言われるまでもなくな。」

アムロ:「僕だって出来るからやっているんじゃないんですよ。」

バシッ(平手×1回)

アムロ:「ウッ、殴ったね。」

フラウ:「ブライト少尉」

ブライト:「殴ってなぜ悪いか。貴様はいい、そうやって喚いていれば気分も晴れるんだからな。」

アムロ:「僕がそんなに安っぽい人間ですか。」

バシッ(平手×1回)

アムロ:「2度もぶった。親父にもぶたれたことないのに。」

ブライト:「それが甘ったれなんだ。殴られもせずに1人前になった奴がどこにいるものか。」

アムロ:「もうやらないからな。誰が二度とガンダムなんかに乗ってやるもんかよ。」

フラウ:「アムロ、いいかげんにしなさいよ。しっかりしてよ、情けないこといわないでアムロ。」

ブライト:「俺はブリッジにいる。アムロ、今のままだったら貴様は虫けらだ。俺はそれだけの才能があればシャアを超えられる奴だと思っていたが残念だよっ。」
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