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あの京大生の中に中核派?公安がでてくる騒ぎになってますけどどういう事ですか?あの京大ですよね・・・まあ中核派というのもよくわかりませんが・・・ だれか教えて下さい

A 回答 (6件)

昨日、法学部志望で京都大学に興味があるという子のために書いたものです。



京大の雰囲気を教えてください。 【OKWave】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8824040.html

京都大学、とくに法学部がいかに政権によって圧力を受けてきたか、という歴史が理解されなかったようで、それがなぜあそこまで大学の自治(研究の自由)を尊重するのか、という線引きを法的に解釈してもらえない限り、京大で法学を学びメリットは無いだろうと、残念に思っています。

沢柳事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E6%9F%B3% …

滝川事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E5%B7%9D% …

当然ながら、中核派だろうか革マル派だろうが民青だろうが、信条の自由は尊重しますが、違法行為があれば、「総長を通じた指示によって警察による逮捕を求め」ます。デモで乱暴を働いた奴は、そりゃ捕まえてください。

しかし、以前のように「令状」(行政府の請求に対して裁判所・司法が許可し発行する)に書かれた学生寮の住所が間違えているとか、そういういい加減な令状で捜索することは、過激派以外にも害悪ですので、そんな雑な行政府による治安・公安の運営は認めません。

それだけのことなのです。三権分離を厳密に運用して安寧秩序を維持するよう求める。それが、京都大学にしか残っていないとすれば、そのほうが大学および研究者の将来に不安を抱きます。

東大ポポロ事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7% …
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私は京大を1969年に卒業しました。

45年前です。
このご質問で、当時の大学紛争のことを思い出しました。

近年の若い方たちには想像もできないでしょうが、前年頃から全国各地で大学紛争が激化していました。
中でも東大紛争は、安田講堂を学生が占拠し、東京の他の大学にも連鎖的に飛び火し、連日のニュースを賑わせていました。
当時の学生過激派の代名詞として、核マル派だとか三派系全学連という言葉がポンポンと飛び交っていたものです。
そして年が明けて早々、東大紛争は最終局面を迎えます。
安田講堂の封鎖解除に警視庁機動隊が出動したのです。
催涙ガス弾と放水が飛び交う戦場のような有様を、テレビで見ていました。

ところが京都にいた私にとって、それは対岸の火事ではなかったのです。
京大の学生自治会の主流派は、共産党系の「民青」で、表面的には話し合いを尊重する穏健派でした。
ところが京大教養部が、過激派の三派系全学連主導で、無期限バリケード・ストに入ったことから、事態は動き始めました。

東大紛争への機動隊投入が前例となることを恐れた学生運動家の
「国家権力から大学の自治を守れ」という「大学治外法権」の主張が根底にはありました。
教養部封鎖中の学生を支援しようと、京都市内の他の大学から、ゲバ棒で武装した過激派の学生たちが、大挙して京大に向っているとの情報が入って来ました。
学内の争いならともかく、よその大学の連中に、わが母校・京大を荒らされてたまるか、という気運が自然発生的に全学部のほとんどの学生間にみなぎってきたことを覚えています。
要は、東大の二の舞にはなりたくないという気持ちでした。
襲撃してくる学外の過激派を本部構内には入れないようにと、正門を閉め、防御のためのバリケードを周囲に張り巡らした、大学による「逆封鎖」でした。

到着した他大学過激派との攻防は大変なものでした。
京大側の大義名分は、非暴力に徹することでしたから、相手の投石やゲバ棒に対して、バケツの水で応酬するだけです。
最終的にはなんとか何とか押し戻したわけですが、再度の攻撃を想定し、雪がちらつく中、焚火を囲んで構内で夜を明かしました。
今、冷静にあの当時を振り返ってみると、戦争と言うものは、人々を狂気に駆り立てるものだと、実感できるのです。

あの時単なるノンポリ学生だった私でさえ、「かけがえのない母校を守らなければ」と心の底から行動したし、実際に守り通した時には大きな満足感に浸り、気持ちは昂り興奮していたことを思い出します。
これらの行為は「京大民族主義」とも言われ、賛否両論があるものの、学生運動のイデオロギーとは関係なく、あれだけ多くの学生が純粋な気持ちで終結したことは、評価できると思っています。

以上は、歴史的事象に過ぎませんが、最近の事件の底流にはこれらの事柄と同じようなものがあるのかも知れません。
半世紀近く経って、昔の学生運動の過激な主張は、ほとんどなくなったと思っていましたが、まだこういう学生もいるのだなと改めて感じました。
しかし、昔もそうでしたが、大半の学生はイデオロギーとは関係のない人たちが多数派のはずです。
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共産主義は武力による金を求めますから過激な行動に出ます。

中核派も過激な闘争を歴史に残しています。反抗期でしょうか。悟と生産力を増やし自分達の通貨を作ることにたどり着くと思うのですがささとりの浅い人達です。
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中核派とは全学連など学生運動の一派です。

共産主義と暴力革命を目指す過激派集団です。東大、京大をはじめ、国立大学の学生寮は昔から中核派などの巣窟でした。今でもそうです。昔ほど過激なこと(安田講堂立てこもり、成田闘争など)を控えるようになったので目立たないだけです。オウムが名を変えて未だに続いているのと同じです。
その後東大の駒場寮は廃止になり、東北大学の明善寮などは学生を退去させましたが、今回問題になった京都の熊野寮などは、彼らの治外法権になりはてています。大学自治の美名のもとで大学が管理を放棄しているからです。そもそも国立大学の学生寮は入寮期間が2,3年に決められています。それを過ぎたら退寮しなければなりません。にもかかわらず、中核派の根城になっているということは、大学がみて見ぬふりをしているからです。大学も彼らが怖いのです。うっかり手を突っ込むと何をされるか分からないのです。以前はそういう暴力(中には殺人)事件も多々起きました。ここまで行くと、自治もへったくれもありません。警察の介入は仕方のないことでしょう。
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京大だからでしょう\(^^;)...



60年70年安保闘争のころは、
京大も東大も、早稲田も慶応も、民青(共産党)から中核・カクマルと
過激派学生ゴロゴロいました。
コミックイブニングの「学生島耕作」を読むと。よくわかります。
まだ、学生寮居座ってたのか\(^^;)...

中核派も、平均年齢は65歳超え年金世代が主力ですが、
滅びいく学生伝統芸ですね。まー滅んでも。かまわんが( ^^) _旦~~

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
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あの京大には、昔から中核派がいるんです


たまーに講義を妨害したり、過激派同士で争ったりして騒ぎを起こします

たまーに警察が出動して、教養部の前に装甲車が止まっていることがあっても、
まともな学生や研究者は、そんなものと何の縁も無く普通にすごしているのです

今回は公安に手を出して、ちょっと大きく騒いだようですが、それだけのことじゃないですかね

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京都大学で11月4日、京都府警の「私服警官」が大学構内に無断で立ち入ったとして、同大学の学生とみられる男性らに取り囲まれ、教室に連れていかれる騒ぎがあった。京大は、大学と京都府警との間の取り決めに反するとして、「事前通告なしに警察官が立ち入ることは誠に遺憾」とコメントを発表した。

報道によると、キャンパスでは当時、東京都内のデモに参加した京大生が公務執行妨害容疑で逮捕されたことに対する抗議活動が行われていたようだ。取り囲まれた警察官は、過激派などの捜査を担当する京都府警警備二課に所属していたという。
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