No.2
- 回答日時:
>私は他者をどの程度失ったのか・・・
miko-desiさんの、「孤独」の認識と
上記をどのように認識してあるのかが掴めません。
情報不足で、何とも言えない状況です。
>孤独とは肯定も否定もされないもの。私と無関係の世界との関係。
なのかと思って。
私の考えは無関係と言うより、互いに交わらない世界を持つ相手との関係だと思います。
想像するに、内面が相手との世界と共有であれば
相手が流れ込んでくるので、私は耐えられないと思います。
そうですね、もっと詳しい補足を入れます。
孤独とは疎外感によって、それは価値感の相違によって感じたり、感じさせられるものですね。
自分の気持ちより関係の積み重ねのことを日常といいますね。
自分の中にあっても平常心である状態の方が少ないです。
自分と、そんざいするであろう私の心?の関係も常でないです。
No.3
- 回答日時:
補足コメントを見ました。
精神は時空間を超えている、とするならば、
・・・常に思い続けること・・・で・・・孤独という言葉は・・・
・・・消えてくれる・・・と・・・思います。
ありがとうございますヤヤズさん。
前の質問などでもお礼が滞らせるという不逞にも関わらずありがとうございます。
そう、私の想像力は過去も未来も皆「今の想いの集合」ということになっています。
孤独は感謝や恩返しすることを忘れてしまう時になるのかな。
ネコはああみえて恩を忘れない、現状に満足していると全身で示してくれました。
人間も満足したら「ゴロゴロ」ってなればわかりやすいのになぁ。
No.4
- 回答日時:
No.1 gouzigです。
補足を読みました。
そのようなテーマだったのですね。
人間は自分の力だけで生きてはいない。
多くの人達の助けを得て生きている。
そして、多くの人に迷惑をかけて生きている。
私自身、そういう思いを強くもって生きています。
多くの悔恨と反省があります。
>人間は自分の力だけで生きてはいない。
多くの人達の助けを得て生きている。
そして、多くの人に迷惑をかけて生きている。
本当そうですよね。私も直接には他者からの善意と、
知らされて無い多くの他者の辛苦に支えられて生きてきているのですね。
生きている内に恩返しできることをと考えます。
妖精は早すぎる死を迎える夭逝(ようせい)でもあって、「未完の美」がある。
それなので特攻隊に20歳前後の優秀な若者が選ばれてしまった。
もう人生の折り返しを過ぎ、何の美しさで偲ばれるか?というと私には何もない気がする。
子供が自立してくれること以外には何も本当には望んでないかもしれない。
我慢ばかりさせてきたけど子供をどうにか守って
「お母さんの子供で良かった」と言う言葉を貰ったから。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
他者とは自分以外の者。
遺伝子とは関係ない。人間は複雑系の典型的な例だ。複雑系では二者の過去のの経験の違いがどんなに小さくても、その違いは時間と共に指数関数的に増大してしまう。だから、自分以外の全てが他者なんだ。自分の価値観で譲れない物を共有している場合には他者であっても同胞であり得る。
孤独とは、自分の価値観を共有できる者が周りにいないこと。孤独の発見は自国にいるよりも他国にいる場合の方が発見し易い。だから孤独は理屈で認識できる物じゃない、経験で認識できる物だ。経験は事実を語るが、理屈はすべて後付けだ。
哲学は事実と理屈を反転させるから危険だ。また、初期条件や境界での値など、同じ境界条件を満たす場合でも、解は一意に決まってしまうと言うことは自明じゃない。そこを哲学好きな理屈屋はしばしば誤解してしまう。確率論的方程式は解の一意性が成り立たない具体的な例だ。だから、理屈をトコトン押し進めても、事実と理屈の関係を反転できるようにはならない。
自分の中でいろんな不運はあるだろうが、自国で孤独を発見したら、あんたは理屈屋であり、経験を何よりも大切な価値観として中心に据えてきた正常な日本人じゃないね。だって、日本人は日本と言う人類史における特異点に生を受けたんだもの。自分が人間である前に日本人であることを自覚しなくちゃいけないね。
猪突師匠~こちらまでありがとうございます!
複雑系の本をちゃんと全体を理解するほど完読していないままです。
ポイントのつまみ食いばかり。
哲学書でも街の道順を覚えるのでもそうですが、
時間の対象性の破れが私は頻繁に起きます(自分で言ってる意味はわからない)。
乱数的にです。これは自在性といえるのかどうか。
>孤独は理屈で認識できる物じゃない、経験で認識できる物だ。
非客非分離の互具互融の振る舞い(複雑さへの関心 P142~)という箇所をよく読んでます。
見る者と見られる者との自他の区別がそこでは消失し・・・仏も地獄も引き受けつつ差しさわりが無い「不可思議議境」心によりながえながら、かえって心から離れる「花は紅、柳は緑」といえるところである。←もはやこの心境になる経験とは?ただ自然が美しければいいんだって読めます。自然を美しいと感じる心さえあればなのでしょうか。
哲学は難解で、理屈は後付できる。
やはり実践、経験で語るべきというのはその通りと思います。
>確率論的方程式は解の一意性が成り立たない具体的な例だ。だから、理屈をトコトン押し進めても、事実と理屈の関係を反転できるようにはならない。
自然に解も理屈で反転させるとか操作したいのも人間の都合にはある?
生物とか自然は思想で成り立ってませんものね。完成もない未知と余地と謎が多いです。
それでもこれからも師匠の師匠であるのですから弟子は大切にしなければ。
>自分が人間である前に日本人であることを自覚しなくちゃいけないね。
私が日本人である自覚は薄いと思います。自覚しなきゃと意気込む必要も感じなく。
日本上げも下げもしませんが、やはり日本人が一番誠実!日本社会が一番健善なことは実感してます。なんだかんだいっても世界的にみて格差は少なく、最大多数の最小不満。
冗談でいったものの職場も多国籍で私はタイと日本のハーフと信じられてます(笑)
私は全体という設定でないと、私とあなたという関係は苦しい(宇多田ヒカル)
関係は気持ちの現われなんかじゃない、関係あるのないので
想うことを理性で制限できないという人間の性です。
No.6
- 回答日時:
お礼の補足ありがとうございます。
孤独の認識、それなりかもしれませんが理解しました。
>私は他者をどの程度失ったのか・・・
失ったものは失った本人にしか、はかり得ないものかと思います。
この問題は、得られなかったもののようにも思えますが
得るものは未知数でありますから、これもはかり得ない。
自分の答えは自分の中にあると聴きます。
全ては、miko-desiさんが持ってあるのかと思います。
他者論の補足、面白うございました。
終いに書かれてあるものも、miko-desiさんがお持ちかなと。
この質問を立ち上げてもらい、昨日は分からなかった事で
今日に分かった事があります。
私の自らの孤独の理由をようやく理解して、孤独ではなくなりました。
やはり自分の中に答えは有るようです。
孤独に感じる感覚は同じかもしれませんが
その人の孤独の理由は、それぞれに違うように思えます。
ふっと理由に気がついて納得してたら、孤独ではなくなっていました。
答えを探しだせるのは、自分自身でしかないようです。
この質問の深さの答えって、自ら得るしか得られない。
見つかる事を願っています。
日本の八百万の神様や和の精神文化を守りたいです。
西洋人からしたら「モノにも神が宿る」ということなど理解されません。
モノには意識も感情もないからですね。
八百万の神はモノを人格化しているのではなく何もかもが「神の胎内にあるもの」で
スピノザの凡神論に近いと説明すればいいのかな。
もともと日本に無駄なものがなかった時代からの継承だからこそなのでしょうけど、
全てが「私を生かしてくれている感謝する対象」であったんだろうな。
何もかもが感謝の対象であれば自然と「今が一番幸せ」と思えてくるのではないか?
心からの満足感を得るには、「心ない他者」にも感謝??
君子危うきとて遠ざからず。が、いいのかな。
No.7
- 回答日時:
補足文「レヴィナス----」を見て考えました。
こうして考えていると、普段何も考えていないから新たな気付きが有って楽しいです。今回は、孤独とは自身の存在を他者に認められ、そして受け入れてもらいたいと言う“求めごころ”なんだなあ、と思いました。
そして能動的ではなく受動的な精神状態であるとも。
また、「絶対的な真理」の世界を垣間見たいのならば、“場”から離れることが必用ではないでしょうか。
“他者”と同じ世界、リング、土俵、にいるから戦う事になってしまうのだと思います。
>「絶対的な真理」の世界を垣間見たいのならば、“場”から離れることが必用ではないでしょうか。
“他者”と同じ世界、リング、土俵、にいるから戦う事になってしまうのだ・・・
非常に説得力のある言葉です。
孤独だと助けてくれる人の選り好みを減らせるようで、その他者はどこかしっくりいかず
「間に合ってます」強がっていっちゃいそうですけど。
それで自分を守ったつもりになる。
でも、そう決めたのは先入観とか潜在意識という私の中の他者かも。
現実の情報を正しく伝えるものというか「嘘をつかない私」を辿ると
頭でっかちの理論ではなく感覚ということかな。
No.8
- 回答日時:
お礼ありがとうございます。
>心からの満足感を得るには、「心ない他者」にも感謝??
おそらく私は、このことに対しては「許す」を手にしています。
自分も相手も、人をとことん許しています。
つまり、許すことを自身が強く持つことですね。
人として人を許せる人間でありたいのが、私の望みだからです。
そうですね、私もピュアで気が弱いのでつい許しちゃいます。
「許すことは与えること」といったのはヒカルちゃん。
与えて余るほどのものを、とりあえずまず私に与えよ!←求めよされば与えられん
「他者をモノとして扱い、そして自分もモノに成り下がる。
相手にだけ人間であることを求める世界が弱者趣味を生む。
冷めた発想は科学で昇華させるのが適当」そういったのは誰だったろう??
「先を急いでおりやす、あっしにゃあ関係ねえっこってす」ヒューー
風と共に去った人。
No.10
- 回答日時:
>私が日本人である自覚は薄いと思います。
自覚しなきゃと意気込む必要も感じなく。miko-desiさんは日本人の親に育てられ、日本語を話し、日本の学校に通い、日本人と共に育ち、日本に住んで、日本語で考えている。そのあなたが人間とは何かなんて考えている。実は、人間とは何かじゃなくって、日本人である自分て何なのかを考えているんでしょ。人々は、生物学的な人間とは何かについて解った気になれるけど、文化や価値観の現しおみとしての人間なんて解るはずがない。日本人は日本人であることを思い知らされるだ。また、日本人であるとこが解ったからと言って、アメリカ人や中国人やイラク人が何たるかを解るようになったわけでもありませんよね。だから、自分たちの存在を語るときに人間を語っても、そのたったの一部の側面である生物学的な側面を語ったに過ぎなくて、自分を理解する多大な部分が欠落していることになってしまいますよね。
大阪人であることを思い知らされての自覚ならよくします!
命を貰ってる食べ物や係わる人もなかなか美味しいと思ってます!
それでも旅をして違った環境に自分を置くと
改めて自分の光と影とかにも気が付けるようになって、
自分で自分の世界を大きくすることがありますよね。
不完全な周囲を責めたくなるのは自分に対しての理解が不足してるのかもとかですね。
それと人との出会いは私の人生でも世界を変えてくれます。感謝感謝、感動感動です。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
似たような質問が見つかりました
- YouTube youtubeでのコメントがみられない 3 2022/10/06 10:30
- 教えて!goo 質問者と、どのように向き合うべきか 10 2022/04/23 20:09
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
-
働いたら何かいいことあるんで...
-
自己中の反対言葉
-
二極化思考について
-
独我論はなぜ間違っているので...
-
幸せとは、他者との差
-
《オタク》は 他者性を避けて...
-
自分のドメインが他者のサイト...
-
働いたら、はたを楽に、してい...
-
孤独の発明
-
実際にはその場にいない他者の...
-
よくわからない気持ち
-
ヘーゲルの自己意識にとっての...
-
「自己満足」という言葉につい...
-
Google Keepのメモ帳って他者か...
-
哲学 自己評価について 考え方
-
レヴィナスの他者の「顔」につ...
-
国民主義と民族主義の違いを教...
-
高校のテスト前日に勉強するた...
-
家族経営の会社で働くと言うこと
-
質問です。元カノはそこまで元...
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
-
自己中の反対言葉
-
実際にはその場にいない他者の...
-
住宅街や分譲地が増えてからそ...
-
他者の質問や回答を見てると
-
「自己満足」という言葉につい...
-
私は気遣いやマナーやルールや...
-
レヴィナスの他者の「顔」につ...
-
私は常に『論破されたい』と願...
-
自分のドメインが他者のサイト...
-
他者を理解するというのはどう...
-
対人恐怖症が治った方、寛解さ...
-
山月記 尊大な羞恥心について ...
-
言葉の遊びが嫌いなら、どうし...
-
独我論はなぜ間違っているので...
-
「私は私の世界である」を完全...
-
「約束は破る為にあるんだ!!...
-
妬みや恨みをなくしたいです。...
-
唯我論は批判されている?
-
神は 無根拠である。
-
二極化思考について
おすすめ情報
この質問を思いついた経緯ですが、若気の至りで一度堕胎しています。
それで遺伝子的に半分の私を殺したことになりますが、私は他者をどの程度失ったのか、
別の遺伝子的に半分の私の子供は育っているので
堕胎した子の孤独を救ったことになってるでしょうか。
孤独とは肯定も否定もされないもの。私と無関係の世界との関係。
なのかと思って。
レヴィナスの他者論というのがあるそうです。「史上最強の哲学入門」で知りました。
科学物理学は「観測可能な範囲の学問」でその外側は不可能、理解できない、思いどうりにならない、完成を拒むものの存在で、それを哲学的に「他者」としてました。
面白かったのが「あいつって馬鹿だよね」とカッコでくくって遠くから馬鹿にする存在が他者で
「『あいつって馬鹿だよね』なんていってるあいつ自身が馬鹿だよね」と馬鹿にし、
それを又否定する他者が「『《あいつって馬鹿だよね》って言ってるあいつが一番馬鹿だよね』って言ってるあいつが馬鹿だよね」と馬鹿な他者の連鎖が存在する!
これを終わらせ他者を私と同じ程度に人間であると思っていてはいけないのかどうか。でした。
誰にも否定されない絶対的な真理への探求の旅は終わった?というのです。
他者という異形の怪物に降参しなければならないのが、どうにも悔しいのです。