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最近、古事記を読み始めたのですが、最初の神武天皇~の頃から国を動かしていたのは
天皇だったのに、いつから総理大臣が動かすようになったのですか?
天皇が政治をしなくなった理由はなんなのですか?

A 回答 (4件)


「神武天皇」は「大国主神(おおくにぬしのかみ)」から国を譲り受けて、大和を建国した初代天皇とされています。
「国」を譲り受けたのなら、その前に国が成り立っています。
最初に建国して治めていた人物こそが、名実ともに「御肇国天皇」で、大国主神こと「崇神天皇」です。

『日本書紀』の中で、唯一、出生地が明示されているのが応神天皇です。

「馬司(うまつかさ)」の所に行かれたとき「厩(うまや)の戸(こ)」に当たって出産されたというのは、聖徳太子すなわち厩戸皇子は、「厩戸(うまこ)」、つまり蘇我馬子だと言いたいのです。
(リンク) http://www.aqast.net/japan04-7c1.html


_ 「崇神天皇」もやめた、厩戸皇子もやめた。やめてばかりがある、それがれきし? でしょうか?
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歴史上で天皇以外の人が実権を持ち政治を行ったので有名な人物は聖徳太子でしょう。

以後は摂政とか関白とか、将軍とかが政治の実権を握ることになります。
 何故でしょうと言われるとその答えは難しいと思いますが、中国の王朝がどんどん変わるのを見て日本はそうならないように考えたのだと思います。そのおかげで現在の平和な日本があるのだと思います。
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1885年(明治18年)12月22日に、


太政大臣(三条実美)以下の太政官ヲ廃止し、
内閣総理大臣(伊藤博文)を首班とする内閣が設けられた。

これは、帝国憲法広布、帝国議会開設に備え、
日本を立憲国家とするため、強力な政府が求められたためである。
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久しぶりの歴史で、間違えがあれば訂正願います。



このテーマは考え方や認識の問題ですので、人によっては大きく異なる回答になるかもしれませんが、私なりにお答えします。

天皇が直接政治をしなくなった(言い換えれば天皇の命や承認によって、他の者が政治をするようになった)のは推古天皇のときからです。

その後、藤原氏は天皇家への政略結婚などにより摂関政治を行い、源氏台頭では征夷大将軍として政権を掴みました。

また、長く続いた徳川家の時代でも、天皇から政治させてもらうという許可の元で、代々政権を担って来ました。

ここで言う天皇からの許可はあくまで型式的なもので、幼い天皇などではとうぜんですがその成否を判断出来ませんので。

ちなみに、豊臣家は征夷大将軍の役職ではありませんでしたので、例外として押さえましょう。
(征夷大将軍は武士=つまりは源氏や平氏の血統でなければ就くことができない役職でした。)

ちなみに倒幕での政権崩壊も全て天皇の許可(担ぎあげなども含む)によっての出来事です。

明治天皇による天皇大権が始まり、直接的な政治の再開です。
(境目で起こった尊王攘夷運動や倒幕の密勅などの幕末史を調べれば、徳川家が目立っていたため薄れかけていた、天皇の政治的重要性が分かるのではないでしょうか。何だかんだ言って天皇なくして政権は成り立たない訳です。)

しかし、民権を推進する人達の手によって運動がおこり(自由民権運動)、この結果伊藤博文が初代内閣総理大臣となりました。

現在でもそうですが、内閣総理大臣は天皇の承認、許可がなければ就けません。
(実際は選挙によって国民から選ばれた国会議員の中から選ばれた人なので、型式的といえばそうなります)

現在の異なる点としては、憲法によって天皇は国民の象徴であることですね。

細かい点は述べませんが、あくまで過去の歴史で起こったことを羅列致しました。

※基本天皇に関する事には『最高敬語』を使うことが国語の正しい言葉遣いですが、歴史的結果を羅列するにあたり、あえてこのような表現とさせて頂いたことを断らせて頂きます。
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